第605回:加藤智大死刑執行から見えた、この国の衰退。の巻(雨宮処凛)

 「死刑になりたい」

 8月20日、東京・渋谷の路上で女性2人が刺された。刺されたのは、53歳の母親と19歳の娘。少なくとも全治3ヶ月の重傷を負った。

 逮捕されたのは埼玉県に住む中学3年生の少女(15歳)で、「死刑になりたいと思い、たまたま見つけた2人を刺した」「自分の母親を殺そうという思いがあり、人を殺せるか試そうと思った」などと供述しているという。

 詳しい背景などはまだわからないが、女子中学生が重大な事件を起こし、「死刑になりたい」と口にしたことに大きな衝撃を受けた。

 そんな事件が起きる2日前、私はある確定死刑囚の死刑が執行されたことをテーマにした集会に登壇した。

 それは秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大死刑囚の執行。

 7月26日、神奈川・相模原の障害者施設で19人が殺害された事件から6年という日の執行だった。そうしてこの日は安倍元首相銃撃事件が起き、41歳の山上徹也容疑者が逮捕されてから18日後。

 その時思い出したのは、秋葉原事件が起きた9日後に、宮﨑勤の死刑が執行されたことだ。秋葉原と宮﨑勤の事件を結ぶのは「オタク」というキーワード。そして山上容疑者と加藤智大を結ぶのは、「ロスジェネ」「不安定雇用」というキーワード。どういう思惑があるのかはわからないが、とにかく法務省はこのタイミングで、彼だけの執行にゴーサインを出した。

 事件が起きたのは、2008年6月。青森出身の加藤は当時、製造派遣大手の日研総業からトヨタ系の関東自動車工業に派遣され、派遣会社の借り上げアパートに一人暮らしという、「ロスジェネ」のあまりに典型的なコースを辿っていた。 

 事件の動機として、彼は派遣労働のきつさなどではなく、ネットの「なりすまし」をあげていることは有名な話だ。また、事件後に明らかになったのは、彼が幼少期から受けてきた母親からの虐待だった。

 一方で、彼は事件12日前に解雇通告を受けている。200人いる派遣社員のうち150人の首切りが予定され、その中に入っていたのだ。時期は未定ながら、6月中に解雇される予定だった。そんな通告と同時期、彼はネット上の「なりすまし」によって大切な居場所を失い、苛立ちと焦燥の中に放り込まれた。

 この頃、彼は掲示板に以下の書き込みをしている。

 「殺人を合法にすればいいのに」

 「イライラして眠れやしない。
 一人で寝る寂しさはお前らにはわからないだろうな。
 ものすごい不安とか、お前らにはわからないだろうな。
 勝ち組はみんな死んでしまえ」

 そうして事件の5日前、彼にクビが延期になったことが知らされる。

 それを受けて、以下のように書いている。

 「ああ、そういえばクビ延期だって。
 別に俺が必要なんじゃなくて、新しい人がいないからとりあえず延期なんだって。
 うるせーよ粕」

 事件の3日前には「ツナギ事件」が起きる。肩に「萌え〜」と書かれていた彼のツナギが職場から消えていたのだ。彼はハンガーにかけてあったツナギを全部床に投げつけ、そのまま帰宅してしまう。

 「作業場行ったらツナギがなかった。辞めろってか。わかったよ」

 結局、床に散乱したツナギから加藤のものは発見されたのだが、派遣切りが進み、日に日に職場から人が減る中、冷静ではいられなかったのだろうか。

 3日後、彼は静岡からレンタカーのトラックで秋葉原に乗り付け、通行人5人を轢いたあとに車を降り、ダガーナイフで無差別に人を刺した。死者7人。怪我人10人。

 当時は、「ワーキングプア」の問題がやっと注目され始めた頃だった。「史上最高の利益」を連発する大企業と、その末端で働く派遣・請負労働者たちの、光と影のようにはっきりと分かれた明暗。

 当時、私は『生きさせろ! 難民化する若者たち』を出版した翌年で、まさに日々「生きさせろ」とフリーターや非正規雇用の権利を求めてデモや集会、イベントなどをしていた。

 死刑執行を受け、あの事件直後に書いたものを改めて読み返してみた。そうして、ちょっと驚いた。以下、09年に出版した『排除の空気に唾を吐け』(講談社新書)に書いた一節だ。

 「少し前までこの国には、二十代で工場に勤務し、そのまま働き続けていれば家の一軒でも建つというような、そんな時代があった。職場の人間関係などいろいろ問題はあっても、とりあえず『働く仲間』として周囲の人に認められ、『一人前』の人間として後ろ指さされることなく、普通に結婚して家庭を持ち、子どもを育てることが可能だった。しかし、いつからか、それがとてつもなく難しいことになってしまった」

 ああ、私、あの頃はこんなふうに思えてたんだ…と遠い目になった。

 なぜなら、もう何年も、「ちょっと昔だったら普通に働いたら家建てられたよな」なんてことを、思うことすらなくなっていたからだ。

 それほどに、正規と非正規の差は圧倒的なものになっていた。「結婚したり家庭を持ったり家を建てたりする」ことは、非正規であれば諦めなければならないというような前提を、いつの間にか刷り込まれていた。だからこそ、「昔は子育てもできたのに」ということが頭にも浮かばないほど、SF並みに「ありえないこと」になっていた。わずか10年ちょっとで。格差が定着するとは、こういうことなのだ。

 事件が起きた08年は、大きな分岐点でもあった。事件が起きてすぐにリーマンショックが起き、日本中に派遣切りの嵐が吹き荒れた。この年の年末年始には、日比谷公園で「年越し派遣村」が開催され、職も所持金も住まいも失った500人以上が極寒のテントで年を越した。6日間にわたって開催された派遣村の様子は連日テレビでお正月番組の合間に報じられた。吹きっさらしの中、炊き出しに長い長い行列を作る人々の姿は、この国に静かに広がっていた「貧困」を日本社会に突きつけるものだった。現在と違い、世間はそのことに驚き、心を痛め、多くの寄付金が集まった。まだこの国に「一億総中流」の意識があったからこそ、同情する人が多くいた。

 あれから、13年。私はこの国の人々が貧困に「麻痺」し、「慣れていく」様子を見てきた。多くの人が悪化するばかりの状況を前に葛藤しつつ選択したのは、「自己責任」ということで折り合いをつけ思考停止することだった。

 そんな派遣村には意外な人が来ていたことをあとで知った。

 それは加藤智大の元同僚。加藤と同じ自動車工場で働いていた34歳の男性は、08年のクリスマスに突然契約を打ち切られ、派遣村を頼って訪れていたのだ。

 報道でそれを知った時、もし半年前に事件を起こさなければ、加藤もまた年末に派遣切りに遭い、26歳の若きホームレスとして派遣村に来ていたのかもしれない、と思った。

 そうして、現在。

 私がコロナ禍の困窮者支援で多く出会ってきたのは、加藤智大と同世代で、「20代からずーっと寮付きの製造業派遣を転々としてなんとか綱渡りで生きてきたものの、コロナ禍でとうとうホームレスになった」というアラフォー世代だ。

 昨年末、大阪で26人が死亡する放火事件が起きて「拡大自殺」という言葉が注目された頃、そんなアラフォー世代の何人かから、「自分もあんな事件を起こしてしまうかもしれない」「もう自殺するか刑務所かしか考えられない」といった言葉を聞いた。

 「死刑になりたい」

 秋葉原事件以降もその前も、自暴自棄と自殺願望の紙一重のような事件は起き続けている(ちなみに加藤は「死刑になりたい」とは言っていない)。

 01年、大阪の池田小で子ども8人を殺した宅間守。その犯行動機は「死刑になりたい」だった。彼はわずか3年で死刑を執行された。

 08年、秋葉原事件の3ヶ月前には茨城・土浦で無差別殺傷事件が起きている。逮捕された24歳の男は「自殺する勇気がなかったので殺人を犯した」「早く死刑になりたい」と供述。それから5年後、29歳で死刑が執行された。

 08年には他にも「死刑になりたい」を動機とした事件が数件起きている。2月には東京・新宿の公衆トイレで31歳の男が見ず知らずの男の頭を金槌で殴り、殺人未遂で逮捕。4月には鹿児島で19歳の男がタクシー運転手を殺害。どちらも死刑願望を口にしている。

 さらに16年には北海道・釧路のショッピングモールでやはり無差別殺傷事件が起きている。逮捕された元新聞配達員の男(33歳)は、「人生を終わらせたかった。死刑になるために人を殺した」と供述している。

 昨年10月に、都内走行中の京王線で映画『ジョーカー』の服装をし、乗客を刺して車両に火をつけた24歳の男は、警察に「仕事や友人関係でトラブルがあった。死のうと思ったができず、2人以上殺せば死刑になると思った」と話した。

 また今年1月、都内焼肉店に立てこもった28歳の男は「生きている意味が見出せず、死にたいと考えた。大きな事件を起こし、警察に捕まって死刑になればいいと思った」と語っている。男は長崎から上京するものの、東京で路上生活となっていたという。

 そうして8月20日、中3少女が同じ動機を口にした。

 少女の件はわからないが、ここまであげた事件に共通しているのは、自暴自棄の果て、そして自殺願望と紙一重という点だ。孤立と貧困、そのどちらか、もしくはどちらもが色濃く影を落としている点でも共通している。加藤智大自身、根深い自殺願望に取り憑かれ、かなり致死率の高い自殺未遂も起こしている。

 そんな中思うのは、死刑制度とはなんぞやということだ。「死刑になりたい」という人にとっては、その希望を叶えるものになってしまっている。死刑という制度が存置されている根拠のひとつに犯罪抑止効果があるわけだが、これでは効果がないどころか、逆効果になってしまっている面も拭えない。ある意味、「最悪の夢を叶えてしまう」制度ではないのか。

 そして最後に書いておきたいのは、秋葉原事件が起きた時、この国について語る言葉は「失われた10年」だったことだ。

 それが、気がつけば「失われた」期間はすでに30年に達している。データをみれば非正規雇用率はあの時より高く、また当時1700万人ほどだった非正規雇用者はとっくに2000万人を突破。状況はまったく改善されていないどころか悪化の一途を辿っている。

 なぜ、政治はみすみす「失われた10年」が「失われた30年」になるまで放置していたのか。これほどの政治の無策があるのだろうか。取り返しのつかないことがあまりにも多すぎる。

 事件当時と今とでもっとも変わったのは、日本という国に対する認識だ。

 08年、年末に派遣村が開催されたとき、人々が驚いたのは「豊かな日本でこれほど貧困に苦しむ人がいるなんて」ということだった。一億総中流という世界がまだ今ほど色褪せていなかったからこそ、人々は大きな衝撃を受けた。

 しかし、あれから13年経った今、この国の誰も日本が「豊か」だなんて思っていない。経済は衰退し、数年前には平均賃金で韓国にも抜かれ、先進国で唯一賃金が下がり続け、気がつけばこの国は、びっくりするほど貧しくなっていた。一億総中流は遥か昔のものとなり、だからこそ、「どんなに頑張っても一定数は報われない人が出る」社会に生きる人たちからは他者を思いやる余裕も失われた。

 そうして加藤を生み出したこの社会は、7月末、加藤を殺した。25歳で事件を起こした彼は39歳で死刑を執行された。

 彼の起こした事件はどんな背景があるにせよ、正当化できることなどひとつもない。決して許されない事件であることは大前提だ。

 ただ、加藤智大の死刑が執行されても、殺された人の命は決して戻ってはこないこともまた事実であり、その事実の前に、ただただ言葉を失っている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。