第223回:77年間、今ほどひどい時代はなかった(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

戦争が終わって 僕等は育った

 戦争が終わって 僕等は生まれた
 戦争を知らずに 僕等は育った……

 『戦争を知らない子供たち』が流行ったのは1971年だった。
 ぼくは1945年に生まれた。「戦争が終わって ぼくは生まれた」のである。「ウォーキング・ディクショナリー」という言い方がある。「生き字引」という意味、「何でもよく知っている人」ということだ。その言い方を真似れば、ぼくは「ウォーキング・ヒストリー」、つまり「生きる戦後史」と言えるかもしれない。自分の生きてきた時代を克明にたどれば、それなりの「戦後史」が出来上がるというわけだ。
 ともあれぼくは、少なくとも自国での戦争を知らずに育ってきたのだ……。

 1945年の出生数は圧倒的に少ない。父親になるべき若い男たちは、みんな戦争に駆り出されて戦場にいたのだ。戦場にいなかったのは、旧日本軍の一部高級将校や戦争成金たち、そしてとても兵隊としては使えない虚弱な人や病人などだった。ベビーブームが起きるのは、父親たちが戦場から帰ってきた後、つまり1947年あたりからになる。これがいわゆる「団塊の世代」である。
 ぼくの父は結核(当時は「死の病」と言われた)を患って、兵役検査には不合格。だからぼくが生まれた。
 というわけで、ぼくは団塊世代の少し前の生まれである。同じ1945年に生まれた人には、佐高信さんや落合恵子さん、それに吉永小百合さんなどがいる。けっこうみなさん、背筋がピシッと伸びていらっしゃる。ぼくも真似をしながら生きている。

 ぼくは戦後と同じ年月を生きてきた。老いるのも仕方ない。だけど、77年間もの時間を過ごしてきて、今ほどひどい政治状況にはお目にかかったことがない。
 むろん、幼かった頃のことはよく知らない。それでも親の世代は「もう戦争はこりごり」「何があっても戦争には反対」とよく言っていたし、何か世の中に危険な兆しが見えると、それが選挙結果に影響した。社会党政権が生まれたこともあったし、革新都政や県政、市政が日本中に誕生したことも、ぼくはよく憶えている。
 右にぶれれば左が巻き返し、左に寄りすぎると右が復権する。この国の政治は、それなりにバランスを取って動いてきた。ところが今はどうだ?
 安倍晋三氏が政権の座にあった8年ほどの間に、この国はそんなバランス感覚をすっかり失ったのだ。
 日本には、かつては弱者へのひいき目、すなわち「判官びいき」という気風があったのだが、いまや「寄らば大樹の陰」ばかり。さびしい国になってしまった。マスメディアも権力への“忖度報道”のみで、反骨精神は消えかかっている。

現況の下地を作ったのは安倍氏

 1970年代末~90年代、統一教会の霊感商法が世間の指弾を浴びて、大きな話題になり、マスメディアも懸命に報道した。裁判が提起され統一教会の敗訴が続いたのも、そのころのことだ。ぼくもよく憶えている。
 統一教会の関連団体「勝共連合」なる組織が、やたらと政治に介入してくることに、警戒の論陣を張るマスメディアもあった。筑紫哲也さんが編集長を務めていた「朝日ジャーナル」も深い調査報道をして、統一教会や勝共連合批判を繰り返していた。それが、勝共連合と結びついた自民党政治への批判になっていったのも、当然のことだった。
 現在、50歳以上の議員たちで、そういう状況を「知らなかった」などというのは、社会問題に何の関心も持っていなかったと告白するようなものだ。それでは、政治家としての資質が疑われる。だから彼らは黙り込むしかない。

 現状の下地を作ったのが安倍晋三氏であることは間違いない。
 統一教会票と言われるものを差配する「権利」を手にしたことも、影響力を駆使できる一因だったのだろう。自分の秘書官だった井上義行参院議員が、統一教会の「賛同会員」であったことも明らかになっている。
 機密漏洩どころか、安倍氏の極右的な政治主張まで、統一教会からなんらかの影響を受けていたとみられても仕方ないだろう。

 自民党は「統一教会関連の報道は一過性のもの。しばらく経ったらみんな忘れる」と高を括っていたようだが、そうは問屋が卸さなかった。及び腰だった朝日新聞もNHKも、ついに統一教会問題に触れざるを得なくなった。
 SNSがかなりの勢いで、動きの鈍いマスメディア批判を繰り返した。と同時に、がんばっている「ミヤネ屋」や「報道特集」などを後押しするものだから、しかもそれらの番組の視聴率がいいものだから、“忖度メディア”も渋々ながら腰を上げた格好だ。
 本気で調査すれば、NHKなど底力はあるだけに、かなりの事実を探り出してくる。例えば「クローズアップ現代」は、やっと目覚めたか、と思わせるものだった。いつまで続くかは分からないが、途中で「圧力」に屈したりしないように願う。

反論できないネット右翼

 マスメディアの「復活(と言いたいが)」に拍車をかけたのが、自民(安倍)応援団のネット右翼諸氏の「沈黙」だった。
 安倍元首相が、次第に「統一教会関連選挙戦の総元締め」だったことが明らかになってきた。そのため「嫌韓」を叫んでいたネット右翼たちは、逆に「嫌韓を言うと反安倍」にならざるを得なくなった。
 統一教会が韓国出自の団体であり、日本人信者から金を搾り取って、それを韓国へ送っていたことが明らかになった。そんな団体に手を貸してもらっていたのが安倍氏だ。したがって「安倍支持」と「嫌韓」は矛盾に陥る。自分たちのヒーロー安倍氏を批判するわけにはいかない。声が小さくなった。
 矛盾など知ったことかのネット右翼もチラホラ散見するけれど、やはり「リクツに合わない」とやり込められれば反論できない。だから、大声罵声が持ち味だったネット右翼も急に声をひそめざるを得なくなった。
 安倍神通力は消え失せたのだ。
 ネット右翼の攻撃にビビっていた弱腰の報道機関も、これで遠慮なく統一教会批判を始められるようになった。報道しないとSNSで批判されるのだから、やらないよりはやるほうがいいという判断をしたわけだ。風見鶏でもやらないよりはまし。

自縄自縛の自民党

 当の自民党も同じこと。一斉砲火を浴びて、もはや「だんまり戦術」ではやり過ごせなくなった。しかもそこに「岸田の早とちり≒安倍国葬」が重なったものだから、内閣支持率ガタ落ち、自民党の焦りの色は増すばかり。
 仕方なく打ち出したのが「所属議員のアンケート“調査”」だった。岸田首相が言い出し、その上で「これ以降は当該団体との関わりを一切断つ」ことを義務付けるとした。所属議員のうちの379人に、8項目からなるアンケート用紙を配り、その結果を集計して「自民党として発表する」というものだった。
 だがこれも実施してみたら、該当なしや曖昧回答がやたら多いという結果が出た。穴あきだらけのアンケートを集計しても、また批判の的にされるだけだと、党幹部は頭を抱え、最初は6日に発表の予定だったが、延期せざるを得なくなった。
 しかもオマケつき。
 あの偉そうで高飛車な茂木敏充幹事長が「これは調査ではない、点検だ」と言い出した。またしても自民党のお家芸「言葉の言い換えでのゴマカシ戦術」だ。安倍元首相仕込みの「言い換え」が、脈々と自民党の血となっていたのだ。
 なにしろ安倍氏といえば、「募集ではなく募るということ」などと恥ずかしげもなく言う人だった。自民党の辞書にはそう書いてあるのだろう。茂木氏もしっかりと、そのDNAを受け継いでしまった。
 自民党、もはや動きが取れない。自縄自縛だ。

 自民党の右往左往ぶりを尻目に、各メディアが、独自調査を始めた。
 朝日新聞(9月4日付)では、デカデカとこんな見出し。

旧統一教会 440議員が接点
国・都道府県 8割は自民

 これは、国会議員だけではなく、各都道府県の議員と知事の3333人に、朝日新聞社が統一教会との関連についてアンケート調査を実施したもの。
 すると、約9割の2989人が回答したというから、議員らの危機意識もそうとう強かったのだろう。普通なら、こんなアンケートでは半分も回答すればいいところなのだから、政治家の側にも「回答拒否は批判の対象になる」との思いがあったとみえる。
 結果は、知事は47人中7人、都道府県議員は2574人中290人、国会議員では712人中150人が、何らかの接点があったと認めたという。そして、それらを党派別にみると、実に8割が自民党所属だったことが分かった。
 自民党という政党と統一教会の関連が、政治家本人たちによる回答からもうかがえたということだ。

自民146人 旧統一教会と接点
党所属国会議員の4割

 こんな見出しを掲げたのは東京新聞(9月4日付)だ。これは共同通信の調査によるもの。7~8月に、全国会議員を対象に実施したアンケートでは、82人の自民党議員の関連が判明していたが、この時にはアンケートに無回答だった議員らを、個別に再取材するなどして再集計したものだという。
 この記事の中では、二階俊博元自民党幹事長、根本匠元厚生労働相、西銘恒三郎前沖縄北方担当相、山谷えり子元国家公安委員長、中谷元・首相補佐官などに新たに関連が判明したと書かれていた。
 しかしまだ回答を拒む議員も少なくない。「相手方があるので…」「担当者が夏休み」「分かるものが事務所にいない」「党の調査に回答するのでそちらを見て」などなど、さまざまな理由を挙げて、個別の問い合わせには答えなかったというのだ。腹が立つので、記事中の拒否者の名前をここにあげておく。
 石田真敏広報本部長、梶山弘志元経産相、林幹雄元経産相、細野豪志元環境相、村井英樹首相補佐官、上川陽子元法相など。むろん、あの“逃げまくり議長”の細田博之氏からは返信すらなかったとしている。これでは、国民の自民党への疑惑が払拭されるはずもない。

「閉会中審査」を「開催」、おかしくないか?

 こんな状況へ「安倍国葬」問題が覆いかぶさる。
 岸田首相は「国会の閉会中審査に出て、国葬について説明する」と大見得を切ったものの、現在は必死になって、官僚たちにどう説明したらいいのかを作文させている状況だという。だが整合性が取れないことは、初めから分かり切っている。
 彼が挙げた「国葬に値する4つの安倍氏の功績」など、まるで子どもの言い訳じみた後付けのリクツばかり。だから、閉会中審査をいつ開くかも決定できない。野党の質問を乗り切れるか、まるで自信がないのだ。
 考えてみれば「閉会中審査を開催」というのも、そうとうにおかしな言い方だ。「閉会中」なのに「開催」だと。こんなデタラメな言葉があるか? 野党の要求通りに、さっさ「臨時国会を開催」すれば何も問題はないのだ。憲法違反の「臨時国会開催拒否」のツケが回ってきている。

 こんなことばかりが続く日本の政治。
 矛盾を矛盾とも思わない議員たち。
 「戦争を知らない子供たち」の時代の影が薄くなり、「戦争をやってみたい子供たち」の世の中が近づいているような気がする。

 ぼくにはもう、それほど時間は残されていない。
 せめて、この目の黒いうちは、銃声を聞かずに済むように…。
 これからも長く生きていかなきゃならないあなたたちのことなんか知らないよ、と原発推進派が言うのと同じになってしまって申し訳ないけれど。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。