第249回:吹けば飛ぶよなぼくの税金だけれど…(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

年賀状の淋しい文面

 年が明けた。東京は、元日もからりとした青空だった。だがぼくは、からりとした気分にはなれなかった。多分、ぼくでなくても、晴れやかな気分で新年を迎えた人は少ないのではないかと思う。
 年賀状、もう一線を退いて久しいぼくにでも、今年も80枚ほど届いた。その中では「旧年は厳しい一年でした。今年はいい年になりますように」などという文面が目立った。みんな、なんだか浮かない気分で新年を迎えた、ということだろう。
 ぼくも「今年こそ、穏やかな年になりますように…」と返事にしたためた。
 ほんとうに、昨年はなんという嫌な年だったろう。

“空っぽ頭”に注入されたのは?

 2022年、戦争があり、元首相の銃撃死があり、旧統一教会と政権との歪んだ関係が露わになり、閣僚や要職たちがゾロゾロと辞め、北の若き統領様がミサイルを連発し、年末に来て岸田首相が防衛費倍増を言い出し、更には原発新増設というとんでもない政策大転換を、国民無視でぶち上げた。
 日本国民が、ロシアのウクライナ侵攻に危機感を持つのは当然だ。だからといって、世論調査で「防衛費増」に賛成が多いというのは、ぼくにはほとんど理解できなかった。敵基地攻撃論(反撃能力論)に煽られたとはいえ、「専守防衛という国是」を簡単に棄ててしまっていいのか、との疑問を払拭できなかったのだ。
 ところが岸田首相は、国会審議もろくにしないまま「防衛費増額」を閣議決定してしまった。本来なら閣議決定という手法に強く抗議しなければならないはずのマスメディアは、まるで防衛費倍増が決定済みのように「防衛費増の財源はどうするのか」という「財源論」に傾き、本来の「防衛費拡大の是非論」をすっ飛ばしてしまった。
 それに悪乗りした安倍派は、さっそく「増税反対、国債賛成」と言い出す。党利党略どころか派利派略だ。要するに「安倍亡き後の安倍頼み」である。「これこそ安倍さんのご遺志」というわけだ。
 岸田“空っぽ”首相は、最初は増税論者だったはずなのに、安倍派の意向には逆らえず、「建設国債で自衛艦の建造を」などと言い出す始末。なんのことはない、国債で防衛費増額分を賄うということだ。まさに「戦時国債」である。いつの間にか岸田首相の“空っぽ頭”は、戦時体制の空気をぱんぱんに注入されてしまったらしい。もう危なっかしくて、見ちゃいられない。

悪夢から覚めた…?

 けれど、1月に入って行われたJNN系列の世論調査では、「防衛費増額」に賛成=39%、反対=48%と、完全に逆転した。
 よく中身も知らされないうちに43兆円ともいわれる莫大な防衛予算が決められていく。安全保障だ、反撃能力だ、抑止力だと、言葉が上滑りしている間に、国民の暮らしを直撃する「増税」が論議されている。おや、これはおかしいぞ? と、悪夢から覚めた国民がその危うさに気づき始めたのではないか、とぼくは思う。
 一時の熱狂に煽られた。ロシアの戦争、中国の軍拡、台湾有事、そして日本有事、沖縄の急速な軍事基地化…どうもきな臭い。ほっとけば、ぼくらは知らないうちに「戦時体制」に組み込まれていくのではないか。多くの人たちが、冷静になってそう思い始めたのではないだろうか。
 さすがに「防衛費増税」や「原発新増設」だけでは、国民の受けがあまりよくないと思ったのか、岸田首相は唐突に、それをごまかすように「少子化対策・子ども予算の異次元の増額」と言い出した。では、その中身は? と聞きたいところだが、例によって“検討首相”。中身も何もまったく具体的なものがない。小池百合子東京都知事お得意のパフォーマンス「都民のすべての子どもに月5千円を支給」にだってかなわない。
 しかもそこへ邪魔に入ったのが、スキャンダルで入院しちゃったこともあるあの人・甘利明元経産相。「少子化対策は消費税増税で」などと言いだしたものだから「また増税かよ」と、ツイッターも大炎上。自分の党の総裁である岸田文雄首相の足を引っ張りたくて仕方ないようにしか見えない。ヘンな党である。

日本国家衰亡史

 2022年の新生児数は、ついに年間80万人を割る見込みだという。推定では77万人程度ではないかと言われている。これは、政府機関が予測していたよりも11年も早い80万人割れだそうだ。
 単純な計算、年間77万人の新生児誕生ということになれば、100年後の日本の人口は、みんなが100歳まで生きたとしても(そんなことはあり得ないが)たった7700万人、現在の日本の人口は約1億2300万人だから、ほぼ4割減ということになる。
 現在のところ人口増に向かう予測は、どんなシンクタンクも持ち合わせていない。これはもはや、国家の壊滅的衰退というしかない。
 『ローマ帝国衰亡史』(エドワード・ギボン著)という有名な本があるが、いずれ誰かが『日本国家衰亡史』を書くかもしれない。
 ところで、総務省統計局のHPには、以下の記述がある。

「人口減少」の発端
 (略)統計局は、2005年10月1日現在の日本の人口について、「1年前の推計人口に比べ2万人の減少、我が国の人口は減少局面に入りつつあると見られる。」と発表しました。これが「総人口、初の減少」といった見出しで新聞記事に大きく掲載されるなどして、人口減少が、現実の問題として注目されるようになったのです。

「人口静止社会」の時期
 それでは、日本の社会は、本当に2005年から「人口減少社会」になったのでしょうか? 実はそう単純には言えそうもないのです。(略)2005年に戦後初めての減少となった後は、2006年に2000人の増加、2007年に1000人の増加と、日本の人口は2年連続してわずかに増加しているのです。しかし、この増加は、増減率でみると0.00%とほとんどゼロといえるものであり、わずかな増加というよりも、むしろ横ばい、あるいは静止といったほうが正解のようです。つまり、2005年から2007年ごろの時期は、日本の社会は、人口減少というよりも、「人口静止社会」であったわけです。

人口減少社会の「元年」は
 では、日本の社会は、いつごろから、人口が継続して減少する「人口減少社会」になるのでしょうか? 実は、2008年には、7万9000人の減少と、日本の人口は再び減少に転じました。さらにその後の人口の動きを月別にみても、2008年以降現在まで、いずれの月においても、人口は前年に比べて減少しており、しかも減少率は徐々に大きくなってきています。つまり、2008年が、人口が継続して減少する社会の始まりの年~人口減少社会「元年」と言えそうなのです。(略)

 日本は2008年をピークとして、人口減少国家にまっしぐらだ。
 国立社会保障・人口問題研究所によれば、2022年7月1日の日本人人口(居住外国人を除く)は1億2226万人で、前年同月比66万5千人の減少である。このまま推移すれば、2048年には9913万人と1億人を割り、2060年には8674万人になるとされる。
 ぼくが示した2122年に7700万人になるというバカな計算よりも、もっと早いスピードで、日本は人口の面から見ても、アジアの片隅の小国になるだろう。
 急がれるべきは、抜本的な「少子化対策」であることは、別に難しい論を立てなくてもすぐに分かる。ところが、岸田内閣は何ら具体的な少子化対策を示せていない。それどころか、軍備拡張、防衛費倍増、原発新増設などと、まるでばらまきのような予算編成にひた走る。
 トマホークという旧型兵器を1基数億円で500基購入する計画だという。しかも、アメリカの言い値は、交渉するごとに高くなる。結局、500基で何千億円になるのか、誰もはっきりとは言わない、いや、言えないのだ。それらを含めて、なんと43兆円という軍拡費用予算案を組む予定なのだ。

次世代型原発というウソ

 さらに、原発リプレース(新増設)もどうなるか。「新型の次世代型原発」という“超安全な原子炉”に建て替えるというけれど、これもどれくらいの建設費になるのか、現在ではまったく分かっていない。次世代型原発の中で有力視されているのは、何のことはない、既存原発の“改良型”でしかない。旧来の原子炉にさまざまな安全対策を施す分、費用はかさみ、今や1基1兆円超とも試算されている。
 対象になるのは、廃炉原発の建て替えである。これが全国で14基。もし岸田首相と、彼を唆す経産省の目論見通りに建て替えをするとなれば、これも単純計算で14兆円超ということになる。それだって、もしこれから本気で建設するとすれば、諸物価高騰の折から、とても14兆円では済まないだろう。
 その費用はどこから捻出するか。むろん我々の電気料金だ。当然のように、政府援助も加わるだろう。それだって元はと言えば我々の税金だ。つまり、岸田首相が今やろうとしていることは、凄まじい金(我々の税金)を注ぎ込む政策ばかりだ。
 子ども手当、少子化対策に向ける金をどこから捻出するか、そんなことは後付けで構わない、選挙さえ乗り切れればあとはどうにでもごまかせる。「数十年後に来る超少子高齢化社会など、オレが生きているうちは関係ない」と、岸田氏を含む自民党議員たちは、内心そう思っているとしか考えられない。
 だいたい、軍備拡張のキナ臭い社会で、原発を平然と海岸線に並べて「反撃能力」などとうそぶく政府の下で、誰が安心して子どもを産もうと思うか。
 ぼくらは、ほんとうにひどい政府を選んでしまった…。

 年金生活者のぼくの税金など、吹けば飛ぶよな額でしかない。それでも、ほんのわずかでも、軍事費や原発建て替えなどに使ってほしくない。
 繰り返すが、国を健全に経営していくには、それに相応しい人材が必要だ。子ども対策、少子化対策こそ、国の根幹に据えるべきだ。人がいなくては国など成り立たない。
 安心して子どもを産める社会を作ることが、何よりの政策だろう。

 岸田文雄首相、金をかけるべきところを間違えている。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。