第9回:ホロコーストをめぐって 1(芳地隆之)

ヒトラー=ユダヤ人説を信じるロシアの外相

 ロシアが「特別軍事作戦」と称してウクライナに侵攻を開始してから1年以上が経過した。いまだ停戦の見通しは立っていない。
 プーチン大統領が軍事侵攻の大義名分として繰り返し主張するのは「ウクライナのネオナチからロシア系住民を守る」だ。ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ人であるにもかかわらず、なぜこのようなことをプーチンが臆面もなく言うのか。プーチンの側近であるラブロフ外相が2022年5月1日、イタリアのテレビ局によるインタビューで「ヒトラーにはユダヤ人の血が流れていた」と語ったというニュースを聞いたとき、その理由が垣間見えた。
 手塚治虫の漫画に『アドルフに告ぐ』という作品がある。1936年に開催されたベルリン・オリンピックから始まる物語の狂言回しは峠草平だ。通信社の記者としてベルリンに派遣されていた峠にはベルリンに留学している弟の勲がいて、勲は兄に「隆盛を誇るヒトラーを失脚させる秘密を握っている。それを渡したい」と電話で伝える。しかし、勲は何者かに殺害され、峠もまた命を狙われることになる。
 その秘密とは「ヒトラーにはユダヤ人の血が流れている」であった。勲はヒトラーの出生証明書なるものを兄に託し、全世界に向けて公表しようとしたのである。はたして物語の舞台は文書を巡って日本とドイツの間を行き来しつつ、第二次世界大戦後のパレスチナまで続く。
 タイトルの「アドルフ」を指すのは3人。在神戸ドイツ総領事の父と日本人の母をもつアドルフ・カウフマン、神戸でパン屋を営むポーランド系ユダヤ人の家庭に生まれたアドルフ・カミル、そして、ナチス・ドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーだ。カウフマンとカミルは幼馴染の親友だったが、カウフマンはヒトラーを信奉する親衛隊となり、ナチスを憎むカミルと対立していく。
 『アドルフに告ぐ』はまったくのフィクションだ。ヒトラー=ユダヤ人説もフェイクであることは、すでに常識である。当時のドイツ国防軍には1万人以上のユダヤ系兵士がいた。空軍元帥エアハルト・ミルヒなどユダヤ系の高級軍人もみられた。ところが、1935年に発令されたニュルンベルク人種法により、ドイツ国内のユダヤ人は「100%ユダヤ人」「半分ユダヤ人」(両親のどちらかがユダヤ人)「4分の1ユダヤ人」(祖父母のどちらかがユダヤ人)と分類されるようになった。「100%ユダヤ人」は国外追放、「半分ユダヤ人」と「4分の1ユダヤ人」は、将校には昇進させないという条件で入隊を許可。1940年には「半分ユダヤ人」も国防軍から追放されることになるのだが、ドイツが慢性的な兵力不足に悩まされ始めた1943年には、金髪や碧眼など見かけが「純粋アーリア人」に似ている「半分ユダヤ人」は特別扱いされることになる。
 それらの選択は人種法第七条によって、アドルフ・ヒトラー総統のみに許された専権事項である。ヒトラーは総統官邸でユダヤ系兵士の顔写真とにらめっこしながら、「〇〇は半分(ユダヤ人)、〇〇は4分の1(ユダヤ人)」などと選別していたわけだ。
 滑稽とグロテスクはときに紙一重であることを手塚は『アドルフに告ぐ』で描きたかったのかもしれない。物語の後半、「ヒトラーの出生の秘密文書を握りつぶせ」という秘密の任務を課されたアドルフ・カウフマンは、それを日本で発見する。しかしドイツは降伏。ヒトラーはベルリンの総統官邸の地下壕で自殺していた。
 ロシアのラブロフ外相は『アドルフに告ぐ』と同じ世界に生きているのか。ぼくは驚きを禁じえなかった。
 ナチス・ドイツによるホロコーストから半世紀以上をさかのぼる19世紀後半には、ロシア帝国の各地でユダヤ人の迫害(ポグロム)が起こっている。ショーレム・アレイヘム原作のミュージカル映画『屋根の上のバイオリン弾き』は、故郷であるウクライナの村を追われるユダヤ人一家の物語だ。
 敵をネオナチと非難する者が反ユダヤ的であるという倒錯。寺島実郎は『ダビデの星を見つめて 体験的ユダヤ・ネットワーク論』で、プーチン政権内に反ユダヤ主義的感情がくすぶっていることを指摘し、その背景にはロシア正教に共感する大ロシア主義があるという。

カティンの森

 プーチンがウクライナをネオナチ呼ばわりするのは、絶滅戦争といわれる独ソ戦を自国民に想起させるためだ。ソ連・ロシアはナチス・ドイツに勝利した第二次世界大戦を「大祖国戦争」と呼んでいる。
 しかし、両国は1939年8月28日、独ソ不可侵条約を締結している。お互いに武力行使には出ない、第三国と戦争になった場合には第三国を支持しない、共同の利益については常に通告協議を行う、直接、間接を問わず敵となる第三国に加担しないを基本とするもので、調印書には「ポーランド東部ならびにバルト諸国の統治権をソ連に委譲し、ポーランド西部ならびに北部の港湾都市ダンツィヒ(ポーランド語名グダンスク=グダニスク)はドイツに割譲する」という秘密議定書が加えられていた。
 4日後の9月1日未明。ドイツ国防軍の戦車部隊は対ポーランド国境を突破した。数百台ものドイツ軍戦車はどんな小さい障害物にも片っ端から砲撃を加え、空からはドイツ空軍の戦闘機によって爆弾の雨が降らされた。ポーランドにいたドイツ系住民、「フォルクスドイチュ」のなかには、ドイツ側についてポーランド兵に向かって射撃する者もいた。
 ソ連軍はドイツ侵攻の17日後、ポーランド東部から雪崩を打って攻め入る。ポーランドは世界地図から消えた。
 アンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』は、ポーランド東部の古都クラクフ近郊で、西からのドイツの攻撃から逃れてきた人々に、東からの避難民がソ連の進軍を告げるところから始まる。主人公はアンナ。彼女の夫であるポーランド軍将校のアンジェイはじめ、1万人以上の軍人はソ連軍の捕虜となり、その多くがソ連西部、スモレンスク郊外のカティンの森に連行された。収容所に入れられると思っていた彼らはソ連軍兵士によって次々に射殺される。
 最終的に2万5,000人に及んだ犠牲者の多くは将校だった。ソ連はポーランドを占領するに当たって、誇り高き彼らを目障りな存在とみていたのである。しかもこの戦争犯罪をナチス・ドイツの仕業だと喧伝した。独ソ不可侵条約を結びながら、ヒトラーとスターリンは決して互いを信用することはなかった。
 ソ連政府が「カティンの森」をスターリンの命令によるものと認めたのは、ゴルバチョフ時代の末期である1990年。戦後のソ連支配下のポーランドでは、みなが真実に気づきながら、本当のことには口をつぐんでいた。
 『カティンの森』の冒頭、スクリーンに「両親に捧ぐ」というワイダ監督の献辞が映される。ワイダの父もカティンの森で殺害されたのである。
 ドイツ人、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人など民族の出自によって敵味方が入り乱れるドイツの東部戦線。上述の「半分ユダヤ人」「4分の1ユダヤ人」などいう民族という名のフィクションを逆手にとり、苛酷な戦場を生き延びたユダヤ人がいる。次回では彼について触れたい。

 
ハンガリー系ユダヤ人劇作家であるジョルジュ・タボーリ作『我が闘争』の劇場用パンフレット。本作ではウィーンのうらぶれた画学生だったヒトラーが、後にイスラエル建国のための書『ユダヤ人国家』を記すテオドール・ヘルツルと出会ったという大胆な仮説が立てられている。

 

(参考書籍)
 手塚治虫著『アドルフに告ぐ』文藝春秋
 寺島実郎著『ダビデの星を見つめて 体験的ユダヤ・ネットワーク論』NHK出版
(参考映画)
 ノーマン・ジュイソン監督『屋根の上のバイオリン弾き』1971年米国
 アンジェイ・ワイダ監督『カティンの森』2007年ポーランド

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