第358回:アベノミクスとタリフマン(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

米国は異様な状況

 先週(19日)の東京新聞「本音のコラム欄」に、大矢英代さん(おおや・はなよ/カリフォルニア州立大学助教授)が「本音のコラムの本音」と題して、とても悲痛な文章を載せていた。
 筆者の大矢さんとは、あるシンポジウムでご一緒したり、ぼくが司会するデモクラシータイムスの「ウィークエンドニュース」に出演していただいたりしたことがあって、少しだけだが面識がある。
 いつも明るくて素敵な方なのだが、その大矢さんもとても厳しい環境に置かれているらしく、切ない文章をお書きになっている。少し引用させてもらおう。

(略)私が置かれている異様な状況を本音でお伝えしたいと思う。
 第2次トランプ政権発足から4カ月。特にパレスチナ支援運動に関わった留学生や一部の外国人研究者や教員のビザ取り消しや入国拒否などが報じられる中で、私自身も「最悪の事態」を頭の片隅に置きながらコラムを書くようになった。外国人教員の間では、ビザ申請や入国審査の際にSNS投稿などが審査対象になっていることから、政権批判の投稿に「いいね」すらも押せないという声も聞こえる。(略)
 社会全体に危機感が漂うと、標的にされた集団は自己規制を始める。その他の集団は、権力者を支持する「国旗結集症候群」と呼ばれる心理効果に影響されやすくなる。まさに、今の米国社会ではないか。
 選択肢はない。覚悟を決めて書き続けるしかない。本音のコラムを「自己規制コラム」にしないためにも。

 大矢さん自身も、いつ国外追放されるか分からないような状況なわけだ。
 カリフォルニアはリベラルな土地柄だから、そういうことはないと思うものの、トランプがどんな卑劣な手段に打って出てくるかは、誰にも分らない。「覚悟を決めて」書き続けるしかないのだと、大矢さんは言う。その決意は清々しいが痛々しくもある。遠くからでは何もできないけれど、ぼくはせめてものエールを送る。

劣等感内閣

 トランプの異様な「学術嫌悪」は、多分、ある種の僻(ひが)み、もしくは劣等感から来るものではないかとぼくは思う。自分の学問知識の足りなさを薄々自覚していて、有能な学術研究者たちへの嫉妬を権力的圧迫で晴らそうとする。そんなヤツの周りには、同じような臭いの連中が集まる。「劣等感内閣」だ。
 トランプのハーバード大学への執拗な“嫌がらせ”は凄まじい。それは次のようなものだ。朝日新聞(5月24日付)。

ハーバード大の留学認可停止
トランプ米政権発表
在校生に「転校か資格喪失」迫る
他大へ委縮効果大 ■ 日本人学生に不安も

 トランプ米政権が22日、ハーバード大学に対し、留学生の受け入れに必要な認可を停止したと発表した。在籍中の留学生も「転校か法的資格の喪失」を選ばなければならない。財政基盤を揺さぶることにより、政権の意に反した大学への影響力を強める狙いだ。
 同大によると、留学生は約6800人で学生数の約27%を占める。留学生や研究者の出身国は140カ国を超え、日本人も例年、200~300人が在籍。年間約6万ドル(約860万円)の学費は大学の重要な財源だ。(略)
 ハーバード大は声明で「政権の行動は違法だ」と批判。留学生の受け入れ資格について「維持する強い決意だ」とし、学生らに速やかな支援を提供する方針を示した。AP通信によると、23日には、政権の決定は違憲だとして、ボストンの裁判所にトランプ政権を提訴した。暫定的な差し止め命令を求める方針を示している。(略)

 まさに、独裁政権の強権発動というしかない。
 なにしろ、トランプが「72時間以内に過去5年間に在籍した学生の違法行為やデモ活動などに関わる記録」を提出するように要求したというのだからただ事ではない。さらには、その学生らの氏名も明らかにせよと迫っている。狂気の沙汰である。
 デモなどは「思想表現の自由」の普通の意思表示ではないか。それを問題視して留学資格を取り消すなど、いったいどこが民主主義なのか。
 まるで第2次大戦後のマッカーシズム(赤狩り)か、戦前日本の「治安維持法」の再来とも思える大弾圧だ。それがどんな悲惨な事態を招いたか、学問嫌いのトランプにはそんな歴史を学ぶ気配などさらさらない。
 むろん、大学側は屈しない。すぐに裁判所への提訴で応じた。毎日新聞(24日夕刊)によれば、とりあえず大学側が勝訴した。

留学生禁止 一時差し止め
ハーバード訴えに連邦裁

 トランプ米政権がハーバード大学の外国人留学生受け入れ資格を停止した問題で、東部マサチューセッツ州の連邦裁判所は23日、この措置の一時的な差し止めを命じた。ハーバード大は政権の決定を「違法で不当」と非難し、同日に提訴していた。(略)
 大学側は訴状で、政権の決定は憲法と行政手続きを定めた連邦法に違反すると主張し、「ハーバード大と7000人以上のビザ(査証)保有者に壊滅的な影響を与える」と指摘。「ハーバード大の統治、カリキュラム、教職員と学生の『イデオロギー』を政府が支配する試み」に大学が抵抗したことに対する「明確な報復」だと訴えた。ガーバー学長は「学生を守るために全力を尽くす」とした。(略)

 とりあえず、米司法が機能した。ただし、トランプが連邦裁判所の決定に服するとはとても思えず、この後、法を無視した乱暴な決定を繰り出す可能性は強い。そして、それで決着がつかなければ、トランプは合衆国最高裁判所へ控訴するだろう。ここで問題になるのは、最高裁の判事の構成だ。
 合衆国最高裁判所判事は9人だが、その内訳は保守派6人、リベラル派3人という構成で、第1次トランプ政権時代に保守派を判事に任命したことによって偏った形になっているのだ。したがって、もしこのトランプVS.ハーバード大学の争いが最高裁まで持ち込まれた時には、トランプ優位の裁定になる可能性が高い。
 アメリカの民主主義に、いま重大な危機が迫っている。

トランプの米国、安倍の日本

 「トランプのアメリカ」はひどいことになっている。しかし、これは決して他人事ではない。日本にも同じような事態が起きつつある。
 実は、安倍晋三元首相~菅義偉元首相が行ったことは、このトランプの愚行とそっくりなのだ。安倍氏の「戦後レジームからの脱却」路線を引き継いだ菅氏が行った「学術会議」への干渉が、いま問題の「日本学術会議法案」へと繋がったのだ。
 多分、安倍氏にも菅氏にも、こんなことは言いたくないが、ある意味でのかなり強い「劣等感」があったのではないか。学者たちから、自分の政策や考え方への批判的意見が出されることへの異常とも思える強い反発がそれを示している。
 そこが、トランプの度の過ぎた学問への抑圧の姿勢と似ていると思う。

 菅氏は6人の学者の学術会議会員への推薦を拒否、任命しなかった。そして、そのことへの批判に対し一切の説明を拒否、釈明もせずに黙りとおした。これはメチャクチャな決定だったと言わざるを得ない。
 それまでは、学術会議側からの推薦者を、政府は無条件で任命するのが慣例だった。あの保守派として名高かった中曽根康弘元首相でさえ明言していたことだった。だが菅氏はなんの説明もなしに、その慣例を覆した。まるで、トランプが大統領令にあの嫌味なサインをするように、慣例を破ったのだ。
 そして、今回の自民党案は、その菅氏のデタラメな慣例破りを法的に裏付けようとする「学術会議法案」の強行である。もしどうしても「学術会議」の在り方を変えるというのであれば、まず菅氏が行った6名の任命拒否の理由を明らかにしてからでなくてはならないはずだ。だが、それについては、政府は一切の説明を拒否したままだ。

 現在の「国の特別機関」である日本学術会議を、「特殊法人」へ移行させる。その移行に伴って、首相任命による「監事・評価委員会」を新設。その評価委員会が「会員選定助言委員会」として会員の選定を“決定”してしまう。
 つまり、時の首相が認めなければ「学術会議会員」にはなれない。政府批判をするような学者・研究者は選定されないだろう。もっと端的にいえば、政府に都合のいいことを言う人だけがメンバーになれるシステムになる、ということだ。
 「学術会議」が学問の発展のためにではなく、時の政権にお墨付きを与える機関になり下がる。戦時中の戦争協力に堕した学術の在り方を深く反省し、「以後、戦争を目的とする科学研究には絶対に従わない」として歩み始めた「日本学術会議」が、この法案によりその理念をガラリと変えることになる。
 これに対し、多くの学者や研究者たちが反対の意思表示をしているし、学術会議の歴代6会長が揃って「廃案にせよ」との声明を発表した。
 それでも政府の態度は変わらぬままだし、維新がまたしても自民党にすり寄ったために、法案は5月13日に衆院を通過してしまった。このままだと、成立してしまう可能性が高い。

 9日の衆院内閣委員会で、法案担当相が次のように発言している。東京新聞「こちら特報部」(25日付)。発言部分だけを引用する。

学術会議法案 監視強化に懸念
大臣答弁「信条で解任」 学者ら危機感
独立性担保なしに批判

(略)9日の衆院内閣委員会では、法案を担当する坂井学内閣府特命担当相が「特定のイデオロギーや党派的な主張を繰り返す会員は、今の法案の中では解任できる。解任に該当する事由は学術会議が適切に判断すべきで、規則などであらかじめ具体的に定めておく必要があろうかと考えている」と答弁。会員の政治的な立場に干渉できるかのような見解を示した。(略)

 驚くべき答弁だ。
 「特定のイデオロギー」とは何か。いったい誰がそれを認定するのか。その時の政権が「政府見解に反対するのは特定のイデオロギーだ」と認定すれば、その研究者は解任される可能性が高い。
 それに、「党派的な主張を繰り返す会員は解任できる」ということになれば、例えば共産党やれいわ、社民などを支持する学者はどうなるのか? 学者や研究者は「特定の党派を支持」すれば、学術会議会員を解任されても文句は言えないことになる。
 まさに、治安維持法一歩手前の発想だ。これが自民党の本音なのだ。

安倍とトランプの共通項

 トランプは極めて目立つから、その危険性もよく分かる。いずれ手痛いしっぺ返しを喰らうだろう。さすがの米国民も、自分たちの国が世界中から蔑まれ憎まれ始めていることを知れば、やがて考え直すに違いない。
 だが、我らの日本はどうなのか。突出した目立ち屋ではない連中の、じわじわとした改悪が、気がつけば身の周りを覆っている。そんな時代が来ないように、やはり我々は「ダメなものはダメ」(土井たか子氏)と言い続けなければならないと思う。

 トランプと安倍に共通していたのは、「基礎科学より実学」という思い込みである。簡単に言えば「真理よりも金儲け」ということだ。
 安倍政権が学者らに要求したのは、「すぐに経済に役立つ学問」だった。真理の追求や基礎科学などは二の次、とにかくカネが儲かる研究(?)を、という財界の要請に乗っただけ。その結果が現在の“日本沈没”の姿なのだ。
 トランプの「なんでもディール(取引)」「関税(タリフ)」路線、すなわち自らを「タリフマン」と呼び、すべてをカネ換算でしか判断できないトランプと、企業が儲かれば労働者におこぼれが滴り落ちるという「トリクルダウン」を主張したアベノミクスは、まさに相似形なのだ。
 安倍とトランプが仲良かったのも道理である。

 日本はいまだに「アベノミクスからの脱却」に喘いでいる。
 アメリカも直に「トランプからの脱却」に舵を切らざるを得なくなるだろう。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。