2019年に公開された映画『主戦場』を、あなたは観ただろうか?
慰安婦問題をめぐるこのドキュメンタリー映画を観た時、「ここまで来てるのか……」と愕然としたことを覚えている。
何に愕然としたかといえば、いわゆる右派と左派の間で、ここまで見えている世界も使う言葉も何もかもが違うという現実だ。
同じ国に生きて同じことについて語っているのに、ひとつも重なりあうところがない。どこまで行っても決して混じり合うことのない平行線上にそれぞれがいて、互いを嫌悪し合っている構図。そのことに、気が遠くなったのだ。
翻って、私は1990年代後半、右翼団体にいた身。
SNSもない時代、時に右翼と左翼が「反米」や「反自民党」を掲げて共闘するような光景もある中で生きてきた。そんな時代を知っている身からすると、「何がどうして一体いつからこうなった?」と、その分断の前で立ち尽くすような思いだ。
さて、そんな私は新右翼団体・一水会を立ち上げた故・鈴木邦男氏に大きな影響を受けてきた。
とにかく寛容だった鈴木さんは、つねづね「右翼の人同士が身内で自分たちだけに通じる言葉で語り、それをどんどん過激化させていく」ことを警戒していた。運動が「自己満足」的な行為になることを、もっとも恥ずべきことと考えていた。
そんな鈴木さんのスタンスは、ずっと私の指標であり続けてきた。
ちなみに私は1999年に右翼団体を離れ、2006年に貧困問題に関わるようになって「左傾化した」と言われてきたわけだが、右翼にいた時から今に至るまで「身内ノリ」「自己満足」のぬるま湯に浸からないよう、常にそのことには自覚的であろうと努めてきた。
しかし、インターネットが普及し、SNSが日常に浸透する現在、左右の分断は手のつけようがないほどに深まり、それぞれが身内の言葉で語り、それを過激化させているように思えて仕方ない。
それだけではない。
気がつけば右派の中でも左派の中でも揉め事が頻発し、SNS内ゲバのような光景を目にすることも少なくない。
リベラルがリベラルを糾弾し、フェミニストがフェミニストを糾弾するような光景があるかと思えば、右派の方の諍いは陰謀論やあらゆる人間関係が入り乱れ、もはや誰がどんなことで揉めているのか、その全貌をわかっている人さえいないのではないかというほどにカオス。
そのような「内輪揉め」や「左右の分断」は、結局は「政治クラスタ」以外からはカルトのように見える一一。それが令和7年の残念すぎる状況ではないだろうか。
長らくそんなことに絶望気味だったのだが、数ヶ月前、ある本を読み、一筋の光を見出したような気持ちになった。
それは『「“右翼”雑誌」の舞台裏』(星海社新書)。
著者は『WiLL』や『Hanada』の編集部に13年あまり所属した梶原麻衣子さん。
思想が「右寄り」という理由で採用され、未経験でその世界に入った彼女が、タイトル通り舞台裏をあますところなく書いている。
といっても暴露本ではない。彼女の真摯な模索や違和感が綴られ、その果てにフリーになるまでが描かれている。
もっとも共感したのは、右翼雑誌の世界を去るに至った思い。
「一定方向に論調を尖らせていくという作業が、著者にはもう面白いことではなくなってしまった」というくだりだ。
まさに鈴木邦男氏が言っていたことと同じではないか。
ということで、そんな梶原さんと月刊『創』7月号(6月6日頃全国書店に並ぶ予定)で、「『安倍後』の右翼と左翼 それぞれの『分断』」というテーマで対談を行った。
対談する中で、多くの気づきがあった。
例えば安倍元首相は国会で「日教組日教組」と茶化すように言い、左派はそれに激怒したわけだが、対談を通して、あれは安倍元首相の「ファンサ」(ファンサービス)だったことに改めて気付かされた。
ちなみに梶原さんは著書で安倍元首相のことをYOASOBIの「アイドル」の歌詞になぞらえて「金輪際現れない一番星の生まれ変わり」と書いているのだが、そのような視線で安倍政権とその周りを捉え返し、安倍元首相の言動を「ファンサ」として読み解くと、あらゆる現象に非常に整理がつき、まったく新しい世界が広がっていることを知ったのだった。
「ファンサ」をしているのは安倍元首相だけではない。リベラル側だって十分にしていると思う。
例えば昨年の都知事選。蓮舫氏の応援にやってきた野党の国会議員らは、都政の話よりも与党批判や政権交代云々について熱く語っているように見えたが、それはまさに「ファンサ」ではなかったか。
ちなみに私はその光景を目にした時、「この陣営は石丸氏に負けるかも」とちょっとだけ思った。その後、石丸氏が「国政の代理戦争にうんざりしてる人たち」と口にした時、その思いはさらに強固なものとなった。
そういう意味では、「ファンサ」はどこまでも身内に閉じていく行為だ。
だけど「ファンサ」は気持ちいい。鈴木邦男氏の「身内ノリはNG」という教えも忘れて、私だってやっていた自覚は十分にある。だからこそ、「ファンサ」という楽な方に流されてはいけないと自省とともに思っている。
なぜなら右派も左派も、自分たちにとって聞き心地のいい言葉を尖らせていった果てに、今の分断がある気がして仕方ないからだ。
ということで、そんなこんなをはじめとして、歴史的な対談となった気がするので、ぜひ『創』7月号を手にとってほしい。
元右翼の私は右翼のいいところも悪いところも知っている。それだけでなく、左翼のいいところも悪いところも知っている。そういう人は滅多にいなくて、だからこそ、なんらかの形で通訳的なことができるのではないかと以前から思ってきた。
しかし、私が知るのは90年代までの右翼。それ以降の、ネトウヨから現在の保守に至るまでを網羅し、やはり通訳と橋渡しができそうな人が右から登場したのである。しかも、梶原さんも私も女性であることも興味深い。そして私と梶原さんは5歳違い。梶原さんが5歳下だ。
右派と左派の通訳、なんていうとどうせ右翼からも左翼からも批判されるのだろう。
だけど、この絶望的な分断の前で、ただそれが深まっていくのを傍観するなんて無責任だと私は思う。
違いをことさらに問題視してあげつらうよりも、同じところを見つけることから何かが始まることもあるのではないか。もちろん、批判すべきところは批判しつつだが、鈴木邦男亡き今、鈴木さんだったらそう言いそうな気もする。
この対談が、何かのヒントやきっかけになれば、これほど嬉しいことはない。