第5回: “We Are NTA” ―公立学校を守る戦い・3:聞かれるべき声を届ける(小嶋亜維子)

開かれたプロセスはあるものの……

 ナショナル・ティーチャーズ・アカデミー(National Teachers Academy, NTA)を閉校し、高校につくりかえるという計画は、私たちの反対にもかかわらず着々と進められていった(これまでの経緯はこちらから)。シカゴ公立学校(Chicago Public Schools, CPS)は、ガイドラインに定められた予備調査のための3回の地域集会をバタバタと1カ月のうちに済ませると、2017年7月に教育委員会に正式に計画案を提出した。

 ここでCPSの政策決定プロセスを説明しておきたい。CPSの最高経営責任者※1からの提出案に関わる最終決定権を持つのは、シカゴ市教育委員会である。イリノイ州公開会議法(オープン・ミーティング・アクト、Open Meeting Act)により、人事や生徒の個人情報などに関する議論を除き、毎月開かれる教育委員会の定例会議は公開されている。会議には一般市民も参加し、パブリックコメントの時間に発言もできる。学校の統廃合や新設などに関する政策(School Actions、学校措置)はイリノイ州学校法に基づく厳格な手続きに則って行われ、これにより、教育委員会による議決の前に、CPSは「独立した」聴聞官(Independent Hearing Officer)による公聴会を少なくとも3回開くことが義務付けられている※2

 このように政策決定が民主主義的に行われるよう法的に定められているおかげで、NTAの存続を訴えることのできる機会は「コミュニティ・エンゲージメント(community engagement)」として数多く保障されていた。コミュニティ・エンゲージメントについては後述するが、7月の正式な計画提出前から、すでに私たちは毎月の教育委員会定例会議に通い始めていて、そこでのパブリックコメントの機会が翌年2月の決議まであと8回あった。加えて独立聴聞官による公聴会が3回。教育委員(2017年当時は6人)それぞれとの個別面談・陳情。さらに市議会から教育委員会への働きかけを期待しての、市議会の毎月定例会議でのパブリックコメントも、あと8回残されていた。

 しかし、こうした機会が法的に保障されているということは、逆に言えば、その全てに行き、全力で反対意見を表明しなければ、この「開かれた」プロセスにおいて「反対はなかった」とされてしまうことでもあった。そして、それは実際とても大変だった。

※1 シカゴ市も1995年まではCPSのトップは、アメリカにおけるほとんどの自治体と同じく、Superintendent(教育長)と呼ばれていた。1995年の教育改革により、一般企業と同様のCEO(最高経営責任者)と呼ばれるようになった

※2 Illinois School Code, 105 ILCS 5/34-230.

何時間も待たされて、発言は「2分」

 教育委員会定例会議は毎月最終水曜日の午前10時半から行われる。参加・発言するためには、その2日前である月曜日の10時半に公開されるウェブサイト上のシステムから登録が必要だ。特に発言者の枠は、システムが公開されるや否や1分も経たないうちに60人の定員が埋まる。発言しない傍聴のみでも、100人の枠は5分以内にはなくなってしまう。

 登録ができたとしても、実際に発言するまでまた一苦労だ。まず会議開始の10時半に遅刻はできない。セキュリティーチェックを受けて議場に入るが、空港と同様に水などの液体は持ち込めず、中に売店もない。会議が始まっても最初はCPSによるプレゼンテーションで、その月によって内容も長さも変わる。その次が重要な参加者によるコメントで、市議会や州議会議員、教員組合長、校長組合長などの関係機関の重要人物にまず発言の機会が与えられる。彼らは一般市民とは違い事前の登録が必要なく、時間制限もなく、話したいだけ自由に話すことができる。特に議論を巻き起こしている案件がある月はこうした重要人物による参加が多いため、この時間が非常に長くなる。それが終わると、ようやく一般市民によるパブリックコメントの時間なのだ。

 10時半に開始した会議が、この時点ですでに午後1時、あるいは2時をまわっていることもある。しかも、登録した60人の発言者がどの順番で呼ばれるかはわからないのだ。初めの方に呼ばれればとてもラッキー、もしかしたら数時間後の60番目になるかもしれない。そこまで待って待って、ようやく発言者に与えられる時間はたった2分である。2分を超えると止めるように注意され、止めずに話し続けた場合には、後ろに控えた恰幅のいい警備員によってマイク前から退かされることもある※3

 市議会は、毎月の第3週か4週、教育委員会と同じ水曜日に10時から行われる(つまり教育委員会と市議会の両方に参加するのは困難である)。教育委員会と違い事前登録は必要ないが、パブリックコメントの枠は早い者順のため、朝から市庁舎で並んで待たなければならない。一人の持ち時間は3分だが、全部のパブリックコメントの時間が30分しかなく、時間がくるとそこで終わってしまう。確実に発言するためにはなるべく早い順番を取る必要がある。重要議案が採決されるときなどは、建物が朝8時に開くと同時に列ができ始める。

※3 この問題については、2019年6月にラーム・エマニュエルからロリ・ライトフットへ市長が変わった際、当時の教育委員にも直接意見を伝えるなどして、教育委員会の運営改善を求めた。Kojima Hibino, Aiko. “Speaking at a Chicago School Board Meeting Is a Feat of Endurance for Parents. It Shouldn’t Be.” Chalkbeat, 9 July 2009,. パブリックコメントの運営はその後随分と改善された

「コミュニティ・エンゲージメント」とは

 これが「開かれた」プロセスなのだ。確かに密室ではない。参加するために特別な資格や費用が必要なわけでもない。しかし、平日に仕事の時間休をとること(実際には終わりの時間がわからないので、ほぼ一日休になってしまう)ができる職業の人は限られる。終わり時間が午後2時、3時にさしかかるとなると、小さい子どもを抱える親は保育園のお迎えの時間の心配もある。ある月の教育委員会では、あまりに長引く待ち時間中に血糖値が下がり、具合が悪くなってしまった糖尿病患者もいた。そもそもオンラインで事前登録するには、月曜10時半きっかりに、安定した高速インターネットにつながったコンピューターの前に張り付き、必要な情報をなるべく早く打ち込めるタイピングスキルとネットリテラシーをもっていなければ、数十秒でなくなる枠の争奪戦に競り勝つことはできない。

 本来、「コミュニティ・エンゲージメント」とは、行政や企業など、何か提案をする側が、その提案によって影響を受ける人々のところに出向き、彼らの意見や懸念に耳を傾け、彼らから知見、助言を得ることを指す※4。法的に定められたCPSのコミュニティ・エンゲージメントのプロセスは、議論の透明性を担保するために最低限必要な手続きではある。しかし現場で目の当たりにしたのは、社会に根深く蔓延している構造的格差が、無意識──もしかしたら意図的──に再生産・強化されていく仕組みであった。すなわち、もともと意見が取り入れられやすい立場にいる人々の声が取り入れられ、そうではない人々の声は届かない。ここにもまた、前回指摘した構造的差別の「メリー・ゴー・ラウンド」が機能していた。

 NTAが閉校されて一番影響を受けるのは、通常プログラムの黒人の生徒たちである。その保護者はシングル・ペアレントも多く、コンピューター環境に恵まれていない状況※5にある家庭も珍しくない。彼らが教育委員会に参加し、さらに発言するのは現実的には非常に困難なことだった。一方、彼らに比べて時間やリソースに比較的余裕のある親たち(私自身を含め、その多くは選抜制プログラムの保護者)は、月曜日に登録し、水曜日に参加し発言することもできるだろう。しかし、改めて「誰の声が一番聞かれるべきか」を問わなければならない。選抜制プログラムの親の積極性を、単なるエンタイトルメント(特権意識)の表出としてではなく、その社会的・経済的余裕を活かして、声を上げにくい通常プログラムの親たちの声を届ける行動へとつなげること。それこそが、NTAというコミュニティにおいて本質的であり、NTAを救うために避けては通れない課題だと私たちは考えた。

※4 日本語では「市民参加」「住民参加」と訳されることが多いが、市民のほうが出向いて参加するというニュアンスも想起させるこの訳語は、個人的には本来のコミュニティ・エンゲージメントの意味を伝えていないのではないかと感じる

※5 これは、その家庭がパソコンを所有しているかどうかだけでなく、その地域に高速インターネットが整備されているかどうかも含む。コロナ禍で学校が1年という長期間にわたってオンライン授業へと移行した際に明らかになったのは、都市部の中でさえ、高速インターネットの整備状況に大きな地域差が存在するという事実である。人種的分離(racial segregation)が顕著なシカゴにおいて、これはインターネット環境の人種間格差を意味している。「インターネットは誰でもどこからでもアクセス可能だ」とよく言われるが、実際にはまったくそうではなく、既存の格差の上に成り立っているインフラなのだ。さらに、コンピューターやインターネットを使いこなすリテラシーの面でも、年齢や教育機会の違いによる格差がより一層強化されてしまっている

強まった保護者の結束と動き出した8年生

 私たちは、通常プログラムの保護者から、水曜日の教育委員会に出席できそうな人を見つけ出すために、フライヤーを配り、手分けして片っ端から声をかけた。そうしてみると、不確かな噂を信じて、学校がなくなるのはもう決まったことだと思っている親が多いことに気付かされた。もっとNTA内でのコミュニケーションを活発にし、みんなで考えていかなければならない。そのために最も重要な役割を担ったのが、保護者会の会長であったヴェロニカ・シュミットである。

 ヴェロニカは選抜制プログラムの保護者だったが、学校の徒歩圏内に住む近隣住民でもある。ブランドのショーウィンドウのデザインなどを手掛けるアーティストだが、仕事の合間を縫っていつも学校に来ては、人手が足りない事務の手伝いや、教師が用意した教材のコピー、遠足の付き添い、朝に子どもを送り届ける親の車の交通整理、ゴミ拾いやイベントの準備など、ありとあらゆるボランティアをしていた。NTAの歴史をよく理解し、コミュニティに常に「裏方」として参加していた彼女は、誰からも信頼され愛される存在だった。長い間保護者会の会長を務めていた通常プログラムの親が引退するときに後継者として推されたが、「会長は通常プログラムの親がなるべき」だといって、彼女は固辞した。しかし結局他に成り手がおらず、誰か見つかるまでという条件で引き受けたのだった。

WeAreNTAのバッジを作るヴェロニカ

 ヴェロニカは毎週カジュアルな茶話会を学校でひらき、保護者が気軽に集まれるようにした。お菓子作りも得意な彼女が毎回焼いてくるクッキーやカップケーキ目当てで来る親も少なくなかった。それまで話す機会がなかった親同士が話すようになり、NTA内の結束が強まっていったのは間違いなく彼女のおかげだった。こうして、教育委員会に出席できそうな通常プログラムの保護者が一人、また一人と見つかり始めた。それから私たちは作戦を立て、彼らを登録させるためのチームを組んだ。インターネットを扱い慣れている親を募り、出席予定の(コンピューター環境に恵まれていない)保護者を割り当て、月曜の10時半に一斉に彼らに代わって登録したのである。この作戦は功を奏し、60人のパブリックコメント枠は、毎月私たちWe Are NTAからの反対意見を表明する親でいっぱいになった。

保護者たちの茶話会の様子

 さらに素晴らしかったのは、そうした親たちの姿を見て、最上級生である通常プログラムの8年生たちが、「自分たちもアクションに参加したい」と言い出したことである。これを教師たちも積極的にサポートしてくれた。市民として意見を述べ、政策決定のプロセスに参加すること――そのために資料を調べたり、スピーチを書いたりすること――を、社会や英語の学習として授業に取り入れてくれて、教育委員会や市議会に参加することを校外学習として許可してくれた。ヴェロニカをはじめ親たちが引率し、毎月何十人という8年生が現実の政治の場に参加しはじめたのである。

教育委員会に参加する8年生たち

“We Are NTA”―公立学校を守る戦い・4に続く)

 

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小嶋亜維子
こじま・あいこ シカゴ美術館附属美術大学 (School of the Art Institute of Chicago) 社会学教員。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。イリノイ州における公平な公教育の実現を目指す団体「レイズ・ユア・ハンド・フォー・イリノイ・パブリック・エデュケーション(Raise Your Hand for Illinois Public Education)」理事。