第721回:あの「炎上」を通して、参政党が躍進しそうな予感に包まれた選挙前。の巻(雨宮処凛)

 声優・林原めぐみさんのXでの炎上を見ながら、次の選挙では参政党が票を伸ばすかもしれないな……という思いが浮かんだ。

 知らない人は各自検索してほしいが、問題となったのは、『興味がない、わからない、知らない』というタイトルのブログ記事。

 現在は修正されているが、このブログを巡って「当たり前のことしか書いてない」という人もいれば、「排外主義で極右で差別主義者」という批判もある。修正前・修正後、どちらに対してもだ。

 ちなみに私はどう思うかと言えば、まず共有したいのは、現在、多くの人が不安を抱えているということだ。

 「失われた30年」の中、先進国で唯一賃金が上がらず、先行きも不透明なジャパン。

 そんな中、3年にわたって物価高騰が続き、主食の米さえ手に入らない。

 貧しくなった日本には大勢の外国人観光客がやってきて、日本人にはとても手の出ない値段のものを「安い安い」と喜んで消費していく。
 
 そうして少し前からSNS上で目にするようになったクルド人に関する話題。また、中国系オーナーが突然東京・板橋のマンションの家賃を2.5倍にし、民泊に転用、などと報道されている──。

 いったい、このままだと日本はどうなってしまうのか? そんな不安を多くの人が抱えていると思う。

 ちなみに私はクルド人ヘイトには当然反対の立場だが、では自分が住む地域に言葉が通じない人たちがたくさん住むようになったら、不安になるのは当たり前だと思う。そんな中、なんの情報も前提もフォローもないまま「差別をする人間はクソ」「共生しろ」と言われてもどうしていいかわからないし、戸惑うに決まってる。

 しかし、不安を口にした途端(その不安を、万人にわかる形で誰も傷つけず上手に表明できる人とできない人がいる)、「こいつは差別者だ!」と批判されたとしたら。

 ものすごく傷つき、心を閉ざすだろうと思う。

 私は川口でクルド人支援をする人から話を聞く機会も多いのだが、クルド人ヘイトが始まってから、これまで表立っては何も言わなかった現地の日本人から、クルド人への不満を耳にすることが増えたと聞いたことがある。

 今まで言えなかったけれど、ゴミ出しをはじめ日常的なことで抱えていたものがあったのだろう。

 それは、当然のことだと思う。なぜなら川口や蕨は、これからの日本社会が直面するだろうあらゆる課題を一足先に経験しているのだ。しかも行政の満足なフォローもなく、ただただ地域に問題が丸投げされ、住民たちがそれに対処せざるを得ない状況。

 そんな場所で軋轢が生じるのは当然で、するべきは「差別をするな」と遠くから言うことではなく、率先して両者の間に入ることではないだろうか。

 そして私は、そのような活動をしている人たちを知っている。そういう人たちを心から尊敬する一方で、ただ遠くから「差別はやめろ」と叫ぶ人たちの姿は、住民からはちょっと怖く見えているかもしれないなと思うこともある。

 なぜなら今は、素朴な不安を表明しただけで、袋叩きにされる可能性がある社会だからだ。

 林原さんの中にもともとあったのは、素朴な不安ではなかったろうか。そして多くの「素朴な不安」に共感する人たちは、それで彼女が叩かれることに反感を抱いているのではないだろうか。

 私の周りにも、彼女のような不安を口にする人はいる。また、生活に困窮して相談に来る人の中には、「日本政府は外国人ばかり優遇して」というようなことを口にする人もたまにいる。そういう言葉を聞くことに慣れているから、私にはちょっと「ん?」と思う言動を聞いても、「この人は不安なんだな」と考えるという回路がある。だからこそ、人の言葉の背景をまずは見る。額面通りには受け取らない。

 そうして時に、「気持ちはわかるけど、その言い方だと場合によっては誤解されちゃって〇〇さんが損しちゃうかもしれませんね」とか「外国人優遇って言うけど、ここに相談に来る外国人の方々も本当に大変で、データで見ても生活保護を利用してる人のうち外国人は3%で、利用するのもすごく大変なんですよ」などと伝えるようにしている。

 しかし、SNSはそのような話題には一番向かない。場合によってはたった一言でコテンパンにされ、吊るし上げられ、過激な言葉がエスカレートし、取り返しのつかない分断と対立につながってしまう。

 さて、それではなぜそのことと参政党の躍進がつながるのか。

 林原さんへの批判に違和感を抱く層が、「日本人ファーストって当たり前だよね」と突然参政党に目が向くような光景が、あちこちで散見されるからだ。その誰もが、これまで政治について一切語ってこなかったような人々。

 それでも、違和感を抱いていたことはある。米がないなんておかしい。自民党には任せられない。そんな思いが今回の炎上を機に、人々を参政党に向けさせているということが起きているのだ。

 ものすごく一部のことかもしれない。だけど、私が石丸現象に気づいたのもこういう感じだった。まったく政治について発信してこなかった若い層が、都知事選を前にして石丸支持を表明し始めたのだ。それもある日、突然。

 今回のことを機に、参政党だけが受け皿になることを、私は非常に危惧している。

 本来であれば、リベラル側の「チャンス」でもあるというのに。それをことごとく逃してしまうのはなぜなのか、自省とともに、考えたい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年、北海道生まれ。作家。反貧困ネットワーク世話人。フリーターなどを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。06年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』(河出書房新社)など50冊以上。24年に出版した『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)がベストセラーに。