「コロンブスと同じことをしようとしている」
月曜日は「先住民の日※1」でした。クリストファー・コロンブスが先住民の土地を奪い、彼らを追い出したのです。なぜこのことを話したかったかというと、それと全く同じことをあなたたちが僕たちの学校にしようとしているからです。僕たちから学校をとりあげ、初めにここにいた僕たちを別の場所に追い出そうとしているのです。
──テリオン・ブーン、2017年10月11日、シカゴ市議会にて※2
これは8年生の一人がシカゴ市議会のパブリックコメントで行ったスピーチである。14歳という若さで、彼らは本によって得た知識を現実社会の批判的検討のために活かし、さらに民主主義の実践につなげていた。それが人々の注目を集めたことの意義もまた計り知れないくらい大きかった。
教育委員会決議の日、最後のパブリックコメントで意見を述べる8年生(スマホで撮影しているのは筆者)
シカゴ市教育委員は19世紀に設立されて以来、ずっと市長による任命制であった。つまり教育委員会が本質的に考慮するのは市長の意向である。制度としては、教育委員会が教育行政に関わる最高決定権を持っているが、実質の最高決定権を持っているのは市長なのだ※3。私たちは、市長の顔しか見ていない目の前の教育委員たちに、何度も何度もアピールし続けなければならなかったのである。
そこに意義があるとすれば、目の前に座っている人形のような委員たちに話すことを通じて、私たちの声を何百万というシカゴの人々に向かって届けることだった。人々、つまり有権者を動かすことで、私たちは真の最終決定者たる市長を動かそうともしていたのだ。
事実、NTAの生徒たちの聡明さと勇敢さを目の当たりにして、少しずつ、この閉校計画を疑問視する声が上がり始めた。NTAはどう考えても「機能不全」に陥った「成績不良校」ではない。むしろ素晴らしい教育を行なっている優良校なのは明らかなのに、なぜ閉校が検討されているのだろうか。こうしてじわじわと広がる世論は私たちの大きな後押しとなった。定例会議や公聴会だけでなく、私たちはデモを行い、署名を集め、メディアを積極的につかった。本当にありとあらゆる場にWe Are NTAは出ていき、アピールした。
教育委員会決議の日、建物前に集まったWe Are NTA支持者
※1 クリストファー・コロンブスのアメリカ大陸上陸を祝う、従来「コロンブス記念日」(Columbus Day) と呼ばれてきた10月の祝日のこと。アメリカ「正史」の批判的再検討に基づいて、この日を「先住民の日」(Indigenous Peoples Day) といいかえる動きが広まっている。参照: 小嶋亜維子・宮本ゆき、「核についての授業のはじまり ティーチ・ニュークリア・ヒストリー・プロジェクト(TEAACH Nuclear History Project)」、Webあかし、2025年2月14日.
※2 https://www.youtube.com/watch?v=CWGTjpdJVdI
※3 昨年2024年の総選挙では、シカゴ史上初めて、教育委員選挙が行われた。現在は公選制10名と市長による任命制11名のハイブリッドで、2026年の選挙では全21名が選ばれ、完全公選制に移行する。これは教育行政の民主化を求める市民たちの長年の働きかけによりようやく実現した大きな変化であった。“Chicago’s Elected School Board.” Raise Your Hand, www.ilraiseyourhand.org/ersb. Accessed 25 May 2025. また、本連載第2回「シカゴからみたアメリカ総選挙」も参照のこと
記録しなければ「なかったこと」にされる
私自身はといえば、We Are NTAのメディア/コミュニケーション担当として、その全てを記録することに徹した。SNSで、ありとあらゆる会議やアクションのすべてをリアルタイムで配信し、その後には編集したものを発信した。いつ急なアクションが起きても対応できるよう、つねに予備バッテリーパックと自撮り棒を持ち歩き、できる限りどこにでも出かけて行った。自分が行けないときには別の親に代わりを頼み、とにかく全て、文字通りすべてを録画するようにした。これは後に、裁判の準備の資料として、そしてドキュメンタリー映画に使われるなど、結果として役に立つことになったが、そもそも誰かに頼まれたわけではなかった。
全てを記録することを、ある意味私が勝手に始めたのは、実は、2011年の福島原発事故の際、広島の被ばく者の方が口にした言葉が強く印象に残っていたからだった。どこで見たのかをもう思い出せないのだが、多分「黒い雨訴訟」に関わる方だったと思う。原発事故が起きてすぐに、福島の被災者に向けて「すべてを記録しておきなさい。何日の何時何分から何時何分までどこにいたとか、いつ何をどれだけ食べたかとか、とにかくすべてをなるべく細かく。そうしないと、なかったことにされてしまうから」という主旨のことをおっしゃっていた。記録がなければなかったことにされてしまう──それがこのNTAの件でもきっと起きるだろうと容易に想像できた。どういう巡り合わせか、シカゴにいながら広島の被ばく者の方のメッセージを私が見たことの意味を、このWe Are NTAの運動における自分の使命のように感じてしまったのである。
そしてもう一つ、私にインスピレーションを与え、常に心の支えとなってくれたものがある。それは、長年水俣病の問題に取り組んでいらっしゃるアイリーン・美緒子・スミスさんが、やはり福島原発事故の際に発表された「水俣・福島──政府と企業の『10の手口』」という文書だった。大きな権力が、どうやって自己の利益のために犠牲者をないがしろにするか、その具体的なやり方を10項目にまとめたリストで、これもまた、NTAの件に驚くほどあてはまるものだった。
そのリストの7番目、「被害者を疲弊させ、あきらめさせる」が、なぜか特に私の心をとらえた。NTA閉校の噂が流れて数ヶ月、すでに私自身が疲れを感じていたからかもしれない。連日のアクション、まともにとりあってもらえないことへのストレス、どうなるかわからない未来への不安。怒りと悲しみは大切な原動力になるが、それだけでは、人の心は耐えきれないのではないか。そして「敵」はそれをわかっていて、ただじっと、私たちが怒り疲れ、泣き疲れ、あきらめるのを待っているのだと思えた。
アイリーンさんのこの7番目の指摘は、だからこそ「運動は楽しくなければならない (Activism must be fun.)」という信念を私に持たせてくれた。ヴェロニカのクッキーや、8年生たちがまだ子どもらしくキャッキャとふざけている様子。私たちは怒りを持ち続けながら、たくさん楽しみ、笑った。そうすることで戦い続けることができたのだった。
教育委員会での決議の結果は……
2018年2月28日、とうとう教育委員会の決議の日。すでにNTAの生徒と親だけでなく、シカゴ市中に大きく広がったWe Are NTAの支持者は教育委員会の議場を埋め尽くし、入りきれない人々はロビーを占拠し、“I believe that we will win! (私たちは勝つと信じてる!)” とコールを続けた。しかし予想された通り、市長ラーム・エマニュエルの意向に沿って教育委員会はNTAの閉校を決定した。WeAreNTAはそのまま市庁舎へデモ行進した。市長室の前に “Hey hey! Ho ho! Rahm Emanuel got to go! (ヘイヘイ! ホーホー! ラーム・エマニュエルは退陣しろ!)” のコールが鳴り響いた※4。それはこの決定が不当だということ、それを私たちは認めないということ、そしてまだ戦い続けることの意思表明だった。
教育委員会が閉校を決議後、市庁舎へ行進するWe Are NTA支持者(先頭で振り返りながらスマホで撮影しているのは筆者)
その日の夜、カステラス校長、ブルックス副校長、そして教師やスタッフたちは、翌朝不安な思いで登校する生徒たちへのメッセージを校舎中に掲げた。
“Remember you are loved.(あなたは愛されているということを忘れないで)”
“Have hope. (希望を持って)”
“We are NTA (私たちはNTA)”
子どもたちの大切なコミュニティの価値を理解しようとしない人々が、まるでそこに何の価値もないかのように平気でそれを奪い取ろうとする──そんな理不尽な社会的暴力に対して、「あなたは無価値なんかじゃない。あなたのコミュニティは大切なんだ」と、まっすぐに、そしてあたたかく包み込むように伝えるメッセージだった。
学校の廊下や教室の窓、トイレの鏡などに掲げられた生徒たちへのメッセージ
そう、私たちはあきらめなかった。
2018年6月19日、We Are NTAをけん引してきた8年生の卒業式の日、私たちは教育委員会とCPSを相手どり訴訟を起こした。学校正門前での記者会見に詰めかけたたくさんのメディアの存在が※5、たとえ教育委員会の議決を阻止することができなくとも、この計画が持ち上がった1年前から私たちが起こしてきたアクションが無駄ではなかったことを示していた。
※4 Karp, Sarah. “Months of Protest End with Vote to Close Five Chicago Schools.” WBEZ, WBEZ, 28 Feb. 2018,. この日一日の模様を記録したビデオはこちらから。この日の教育委員会ではNTAに加え、シカゴ南部イングルウッド地区の高校4校の閉校も決定された。この4校はいずれも低所得層の黒人の学生が通う高校で、定員割れ、成績不良に苦しんでいた。この4校とWeAreNTAは学校を救うため行動を共にしてきたが、残念ながら4校を救うことはかなわなかった。4校が機能不全に陥ったのは、地域の資本撤退や公共投資の縮小を含む構造的差別の結果であるのだが、その閉校は前回説明した2013年の大量閉校と似ており、「客観的」な指標により正当化された。Masterson, Matt. “CPS Board Votes Unanimously to Close 4 Englewood High Schools.” WTTW News, 28 Feb. 2018,.
※5 Perez, Juan. “Parents File Lawsuit to Halt Closure of South Loop Elementary School.” Chicago Tribune, Chicago Tribune, 19 June 2018,;
失望の法廷に響いた“However”
ついに迎えた判決の日。2018年12月3日。クック郡巡回裁判所ビルの前は、シカゴの冬の風物詩、クリストキンドルマーケット (Christkindlmarket、ドイツ風のクリスマスマーケット)で賑わっていた。雪の降る寒い日、法廷は満杯だった。私たちの訴訟の主な論点は、NTA閉校の決定は定められた手続きに則っておらずイリノイ州学校法違反であるということ、そしてNTA閉校は黒人の生徒が不当に影響を受けることになりイリノイ州公民権法違反であるという2点である※6。裁判長が判決を読み上げ始めた。手続き上の問題による閉校の取り消しは認められないということだった。
20ヶ月間、私たちの弁護士はすべての会議、公聴会に同行し、文書や口頭による説明を記録、吟味して、完璧な証拠を示してくれていた。それにもかかわらず決定を覆すことができないという現実に、法廷内の誰もがうなだれた。2013年の大量閉校のときも、その前も、実は歴史上、こうした閉校の決定が覆ったことは一度もないという事実が、改めて私たちに重くのしかかった。万が一この裁判に負けたら、ハンガーストライキや座り込みなどの、もっと激しいアクションをとることを考えていた。しかし正直、それだけの体力が残っているだろうか、とも思っていた。アイリーンさんが言ったように、もう私たちはへとへとに疲れさせられていた。
法廷の席で今までにない深い悲しみと疲れを感じたその瞬間、裁判長が、 “However, (しかし、)”と言った。──「しかし、差し止め命令がなければこの計画により黒人の生徒たちが回復不可能な損害を被る、そしてその救済手段が不十分である、という原告の主張には相当の理由があると認める。よってNTA閉校の一時差し止めを命じる」。※7
公立学校の閉校が人種差別的であるという理由で覆された、全国でも初めての歴史的な勝利だった。その夜、CPSは上告を断念、NTAは完全に救われたのである。※8
裁判所前での決起集会
判決後、法廷前で
※6 Gladson, Katherine, and Candace Moore. “School Closing Victory—the Fight to Save National Teachers Academy.” American Bar Association, 22 Mar. 2019,.
※7 Greer v. Board of Education of The City of Chicago, No. 2018-CH-07647 (Ill. Cir. Ct. Cook Cnty. Chancery Div. 2018); “Greer v. Board of Education 12-3-18.” Scribd, Scribd,. Accessed 25 May 2025.
※8 Kunichoff, Yana. “Chicago’s Popular National Teachers Academy Fends off Closure.” Chalkbeat, Chalkbeat, 3 Dec. 2023,. ; “Judge Rules to Halt CPS Efforts to Close National Teachers Academy.” ABC7 Chicago, 3 Dec. 2018,. ; FitzPatrick, Lauren. “CPS Pulls Plug on New South Loop H.S.; National Teachers Academy to Remain Open.” Times, Chicago Sun-Times, 4 Dec. 2018,.
運動は人と人とのつながりによって築かれる
振り返ってみると、WeAreNTAは私自身のアメリカ社会との関わり方を大きく変えた。人種差別、社会不正義について考えるようになっただけでなく、アクティビズムとコミュニティということについても、外側から見ているだけでは決してわからなかったことに気付かされた。
前回も引用した、イヴ・ユウィングの講演で、彼女はこんな趣旨のことを言っていた。ワシントン大行進でのキング牧師の「I Have A Dream」演説は、その後の公民権運動に多大な影響を与えた、アメリカ史上最も重要な出来事の一つである。私たちは「ワシントン大行進」、あるいは「公民権運動」と聞けば、すぐにキング牧師のあの演説を思い浮かべる。しかし、彼があの演説を行った裏には、それを可能にした何百人という無名の人々がいたことを忘れないようにしたい。
20万人もの参加者を集めるためにビラを印刷した人、それを配った人、車を運転して参加者を会場まで送り届けた人、ボランティアたちのためにサンドイッチを作った人。一つひとつは目立たない、小さな仕事に見えるかもしれないが、そのどれか一つでも欠けたらあの歴史的な場面は実現しなかっただろう。そして、それはどの運動にもあてはまる。なぜなら、運動とは一人のヒーローによって成し遂げられるものではなく、人と人とのつながり、ネットワーク、そしてコミュニティの力によって築かれるものだから。
それこそが、公立学校を守り、構造的人種差別に対抗するWe Are NTAの戦いで私が学んだ一番のことだった。人種も年齢も生活の仕方も違う人々が一つのコミュニティを作りあげていく過程において、敬意を持ち、誠実であろうと努力し続けること。そして、怒りと悲しみだけでなく、喜びと楽しみを共有すること。
ときおり訪れる「私のコミュニティ」
私の息子は2年前に卒業したが、私は今でもときおりNTAを訪れる。カステラス校長が引退し、現在は当時の副校長だったテネカ・ブルックスが校長となっている。時には課外授業として私が教えている大学の学生を連れていくこともある。いつでも“Aiko!” “Sister!” と声をかけられる、私のコミュニティである。ちなみに裁判に勝利した12月3日は、”NTA Day (NTA記念日)”として、毎年全校をあげてコミュニティの歴史、We Are NTAの戦いを振り返り、祝う日となっている。
We Are NTAの戦いについては、運動のウェブサイトにアーカイブがある。また、裁判に勝ち、NTAが救われた祝賀会で流した、NTA Is Here To Stay (NTAはこれからも続いていく)という10分間のビデオは、私たちが撮った20ヶ月の運動の記録をまとめたものである。
さらに、ケヴィン・ショウ監督によるWe Are NTAを追ったドキュメンタリー、 “Let The Little Light Shine”が2022年に公開され、その年のエミー賞のニュース・ドキュメンタリー部門にノミネートされた。英語のみ(英語字幕あり)だが、日本からもVimeoで視聴可能である。