国際人権法からみた「外国人の人権」 講師:申 惠丰氏

「憲法と国際人権法による人権保障」シリーズの第1回。「外国人の人権」がテーマの今回は、国際人権法の国内実施の状況の比較について研究を続けていらっしゃる申 惠丰さんが、入管法の問題を中心に、国際人権法の基本から「外国人の人権」をめぐる今日的な問題までお話しくださいました。【2025年4月25日@東京校】

日本人と外国人の境界は揺れ動いている

 本日のテーマは「外国人の人権」ですが、その大前提として、そもそも外国人とはどういう人のことか、ということからお話ししたいと思います。日本における外国人とは法的には日本国籍を持たない人ということになりますが、その「国籍」はどのようにして決められているのでしょうか。
 国籍について、日本の国籍法では現在「両系血統主義」、すなわち父または母のどちらかが日本人であれば生まれた子は日本国籍を取得するという決まりになっています。これに対してアメリカのように、その国で生まれた子は国籍を得られるとする「出生地主義」をとっている国もあります。
 血統主義をとっている日本では、外国籍の人がいくら長く日本に住んでいても、後天的に帰化しない限りずっと「外国人」のままです。またその人に子どもが生まれて、日本で教育を受け、日本語しか喋れないという場合でも、国籍は外国籍。さらにその子どもの次の世代になってもずっと「外国人」であり続けることになります。
 他方で、国籍の取得や喪失はその国の法律によって決められていますので、時代によって法律が変われば、誰が「国民」であり誰が「外国人」かという基準は変わることもあります。例えば日本では朝鮮・台湾など日本の旧植民地出身者はかつて日本国籍を持っていましたが、戦後に日本政府内部の通達で国籍を剥奪されました。ある日を境に、一瞬のうちに「外国人」になってしまったのです。
 また、1950年までの日本の国籍法では、外国人男性と結婚した日本人女性は日本国籍を喪失していました。さらに、日本は血統主義であると申しましたが、1985年までは父系血統主義、すなわち父親が日本国籍の時だけ子どもは日本国籍になるという決まりでした。それが1985年に日本が女性差別撤廃条約を批准したことで、子どもの国籍についても男女平等にすべしということになり、父または母のどちらかが日本人であれば、生まれた子どもは日本国籍を取得するという「両系血統主義」に変わったのです。
 2008年には、外国人女性と日本人男性の間に生まれた婚外子で、出生後に父親から認知された子どもたちについて、親が結婚していないというだけで国籍を取れないのは憲法違反の差別であるという最高裁の判決が出ました。これを受けて、婚外子であっても出生後に日本人の父親に認知されていれば、届出によって日本国籍を取得できるように法改正されました。
 このように、国籍法の定めは国によりまた時代により変わるものです。誰が自国民で誰が外国人なのか、絶対的な枠があるわけではなく相対的なものであること、日本人と外国人との境界も揺れ動いているということを、まず踏まえておく必要があります。
 次に、日本に長期的に滞在している「外国人」の態様は、大まかに以下の3つに分けられます。一つ目は「永住者等」で、旧植民地出身者とその子孫に対する入管特例法に基づく「特別永住者」、それと入管法別表第2で定める「永住者」「日本人の配偶者等」「定住者」などのカテゴリーのビザを持つ方で、比較的安定した法的地位を持っていいます。
 2番目がその他の正規滞在者。入管法の別表第1で定める教育、技術、留学などの各種在留資格を持つ人々です。比較的安定した身分ではありますが、その活動には制限があります。
 3つ目は非正規滞在者です。すなわち在留期間を超過して在留しているなど正規の在留資格を持たない人々で、最も弱い立場にある方々です。今日は、特にこうした人たちの人権状況を中心に見ていきたいと思っています。

マクリーン判決とは

 日本における外国人の人権を語る場合、避けて通れないのが1978年のマクリーン事件最高裁判決です。
 事件のあらましをお話ししますと、1年間の在留資格で日本に滞在し、英語教師などをしていたマクリーンさんというアメリカ人男性が、もう少し日本にいたいということで在留期間の更新を申請しました。しかし、当時日本でも盛んだったベトナム反戦運動に参加したことを理由に、申請が却下されます。そこでマクリーンさんは、外国人にも日本国憲法で保障されたデモや集会に参加する自由、表現の自由はあるはずだ、それを理由に在留許可の更新を認めないのは憲法違反だとして提訴し、最高裁まで争ったのです。
 この訴えに対して最高裁が出した判決を見てみましょう。
 最高裁はまず最初に「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」と、真っ当なことを言っています。「憲法の人権規定は〈国民は〉という主語になっているのだから、文字通り解釈すれば日本人が対象であって外国人は対象外だ」という「文言説」のような考えもかつてはあったのですが、この判決で最高裁は、文言よりもそれぞれの人権の性質を考えて、「憲法の諸規定による基本的人権の保障は、参政権のように日本国民のみを対象としているものを除き、我が国に在留している外国人に対しても等しく及ぶ」とする「性質説」をとったのです。これは非常に重要なことだったと思います。
 ところがその後が問題です。マクリーン事件最高裁判決は「しかしながら…外国人の在留の許諾は国の裁量に委ねられ…出入国管理法令上法務大臣が…更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると判断する場合に限り在留期間の更新を受けることができる地位を与えられているに過ぎない…従って外国人に対する憲法上の人権の補償は、右のような外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎない…」とし、マクリーンさんの主張を退けたのです。「憲法上の人権は外国人にも及ぶが、あくまで在留制度の枠内でのこと」であるとして、いってみれば入管法制を憲法の人権保障の上に置いてしまったのです。この判断は、当時から大きな批判を呼びました。

国内法に優先する国際人権条約

 さらに、このマクリーン事件最高裁判決が出た翌年である1979年に、日本は国連で採択された人権条約の一つである「国際人権規約」を批准しています。これは世界人権宣言の内容を基礎として条約化したものであり、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものです。 社会権規約と自由権規約という二つの条約からなっています。
 具体的には生命権、身体の自由・安全についての権利、拷問や虐待を受けない権利、自由を奪われた人が人間としての尊厳を尊重され人道的に扱われる権利、人種、性別、民族的・種族的出身などによる差別を受けない権利、プライバシーを尊重される権利、教育を受ける権利など、すべての人間に基本的人権を保障する内容です。
 この「国際人権規約」の締約国は、その管轄下にあるすべての個人に対して権利を確保しなくてはならないと定められています。つまり自国民であろうと外国人であろうと、あるいは無国籍の人であろうと、国籍に関係なく、すべての人の人権保障の義務を負うのです。
 そして、日本では国が批准した条約は国内でも効力をもち、かつ、法律に優位するというのが確立した考え方です。ですから国際人権条約が定める基本的な人権は、国内法の一つに過ぎない入管法上のその人の地位にかかわらず保障されなければならないことになります。
 人権問題を日本の憲法や国内法だけで学んでいると、自国民と外国人は全く違う法的地位にたつものと考えがちですが、国際人権法ではすべての人の平等が大原則です。日本は「国際人権規約」を批准したにもかかわらず、いまだに「在留制度の枠内でのみ人権が認められる」というマクリーン判決をひきずっているところがあり、これをなんとか打破していくことが課題だと思います。

国際人権法に照らして見る入管法

 日本では、入管法上の正規の在留資格があるかないかによってその人の扱いを分けがちですが、入管法に違反しているからと言って、その人の存在が丸ごと違法状態だということではありません。その人の人権を保障しなくていいということにはならないのです。
 そもそも、国際人権法の視点から見てみると、日本の入管法とその運用にはさまざまな問題があることがわかります。
 たとえば、入管法では在留が認められない外国人に対し、日本国外へ退去させる強制退去と収容の手続きが定められています。収容期間は、退去強制令書が出されれば、「送還可能な時まで」という規定なので、事実上無期限に人を収容、拘束できるという建て付けになっています。これを国際人権法に照らしてみると、自由権規約9条1項の「何人も身体の自由および安全についての権利を有する。何人も、恣意的に逮捕されまたは抑留されない」に違反する恐れがあります。また自由権規約10条には「自由を奪われた全ての者は、人道的にかつ人間的の固有の尊厳を尊重して取り扱われる」とあります。日本の収容施設に長年収容された人が 、非人道的な扱いを受けているといった事件が度々報道されますが、その問題の深刻さがわかると思います。
 国連人権理事会では全国連加盟国を対象に、国連憲章や世界人権宣言に基づき、人権が守られているかをチェックする仕組みを設けています。これには国ごとに人権状況を調査する「国別手続」と特定のテーマに基づいてチェックする「テーマ別手続」があります。
 テーマ別手続きの一つに、法的根拠のない拘禁について扱う「恣意的拘禁作業部会」があり、この作業部会が入管施設に収容されている2人の外国人からの申立をめぐって、日本に対する意見書を出しています。
 2人とは、トルコ出身のデニズさんとイラン出身のサファリさん。ともに難民申請が認められず退去強制命令が出され、入管施設に収容されていました。そして、収容は恣意的拘禁であり、また入管職員から暴力を受けるなど人権を侵害されたとして、国連の恣意的拘禁作業部会に申し立てをしていたのです。
 これに対して部会は意見書の中で「2人は収容の理由について説明を受けていないし、政府も一切説明していない。断続的に解放される期間を挟みつつ、実際10年以上にわたり6ヶ月から3年もの間、人を収容することを正当化する理由があるとは認められない」と述べました。
 こう見てくると、入管法に基づく収容は、日本の国内法上は正当化される手続きであっても、国際人権法上の問題が多々あることがわかります。繰り返しになりますが、入管法上の在留資格があるかどうかに関係なく、国は国際人権法上、その国の管轄下にあるすべての人に、人権条約で定められた権利を保障する義務を負っているのです。

人権条約に基づく人権状況チェックの仕組み

 また、国連人権理事会のチェック手続きとは別に、国連人権条約には、各締約国の国内実施の状況をチェックする仕組みがあります。各人権条約の下に置かれた委員会が、条約に入っている締約国に対して、条約をちゃんと守って、改善すべきことを進めているかについての報告書を出させる「報告制度」です。これに基づき、委員会が政府代表を国連に呼んで対面で政府報告書を審査し、後日「総括所見」を出す仕組みが設けられています。
 この「総括所見」において2014年、自由権規約委員会は「技術実習生への性的虐待や過労死、強制労働に当たりうる労働条件を懸念する」と述べました。このように、外国人の人権も含めた人権状況について、人権条約の委員会が審査をして、懸念事項を述べるという手続きが定められ、運用されていることは、とても大事なポイントだと思います。

 外国人の人権を考える際には、日本の法律の枠内だけで考えるのではなく、国際人権法上日本が負っている法的義務をしっかり踏まえて判断しなくてはなりません。そのことを、最後に再確認しておきたいと思います。

 

申 惠丰 (シン ヘボン)1988年青山学院大学法学部卒業、1993年ジュネーブ国際高等研究所修士課程修了(DES)、1995年 東京大学法学政治学研究科博士課程修了。1996年に青山学院大学法学部に着任、現在同ヒューマンライツ学科教授。主な著書に『国際人権入門──現場から考える』(岩波書店)、『友だちを助けるための国際人権法入門』『私たち一人ひとりのための国際人権法入門』(ともに影書房)など。

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