先週(2025年6月11日)、「あの『炎上』を通して、参政党が躍進しそうな予感に包まれた選挙前」という原稿をアップした。
これが非常に多くの人に読まれたようで、反響の多さにびっくりしている。
私が目にしたコメントは一部のものだと思うが、どれもが頷き、考えさせられるものだった。改めて、この場を借りて感謝したい。
共感の声もあったが、中には「差別については堂々と声を上げなければいけないのだから甘い」という声もあった。
それはまったくその通りで、指摘を受けてまず書いておきたいのは、世の中には、決して許されない差別があるという当たり前のことだ。
大久保(東京)や川崎(神奈川)、そして最近は川口や蕨(埼玉)で開催されてきたヘイトデモなどはその最たるもので、それについては私自身も最大限の抗議をしたい。また、今この瞬間も差別によって命を、そして生活を脅かされている人たちが存在すること。これは厳然たる事実である。
それらのことについて、前回の原稿でしっかり触れておくべきだったと反省している。
ちなみにクルド人ヘイトについては昨年9月にこの連載の689回でも「『皆殺し』『豚の餌』『はよじさつしろ』〜クルド人への見るに耐えないヘイトの数々と、101年前の関東大震災時のデマとの類似性」という原稿を書いている上、昨年夏に出版した『難民・移民のわたしたち これからの共生ガイド』でも多くのクルド人に取材している。
それだけでなく『週刊金曜日』の24年12月13日号では「雨宮処凛責任編集」で「難民・移民の人たちとこの街で」という特集を担当。「在日クルド人と共に」の方にもご登場頂いている。よって、「書かなくても当然わかるよね?」という驕りがあったことは否めない。
一方で、「甘い」と言われることを覚悟でなぜあの原稿を書いたかと言えば、私自身、「人は変わる」のを多く見てきたということもあるかもしれない。
特に私は過去、右翼団体にいた身。
時々「右をやめたい」的な相談を受けることもあり、人がいい方向に変わっていくのを少なくない数、見てきた。
それ以外、困窮者支援の現場などでも「人が変わる」のを多く見てきた。
例えば前回の原稿で、困窮者支援の相談現場には「日本政府は外国人ばかり優遇して」という内容のことを口にする人もたまにいると書いた。
また差別的なものでなくとも、暴言を吐いたり攻撃的だったりという人はわずかだが、いる。
しかし、そのような人が公的福祉につながり、生活が安定して「安心感」を得られる中で、驚くほど穏やかな人に変わっていく光景を私はたくさん見てきた。
そんな困窮者支援に関わるこの19年の中で、私には肝に銘じてきたことがある。
それは「困った人」は「困っている人」であるということ。
その言葉通り、支援者などから見て、攻撃的だったり差別的だったりキレたりといった「困った」行動をする人は、当人こそが「困っている」という視点だ。
最近、それを非常に言い当てる文章を見つけたので紹介したい。
それは雑誌『ちいさいなかま』に連載されている「小児科医から見た子どもの貧困」。小児科医である和田浩さんの連載なのだが、7月号に掲載された「『陰性感情』や『違和感』を手がかりに」という原稿で、まさにこの辺りのことが書かれているのだ。
以前は病院に来る親子の貧困になかなか気づけなかったという和田さん。しかし、今は簡単に気づくという。それは、「貧困をはじめとした困難を抱える人たち」が以下のような姿を見せることが多いから。
「困っているのに『助けて』と言えない」
「コミュニケーションが苦手で『キレる』とか『感情的になる』という形でしか、気持ちを表現できない」
また、受け入れがたいような態度をとる、などもあるという。
このような人に接すると、違和感を抱く人は多いと思う。が、その感情こそが、誰かの困難に気づく重要なセンサー。それを私はずっと自分に言い聞かせてきた。
だからこそ、「受け入れがたい差別的な言動」に接しても、それを問題視するより先に「困りごとを抱えているんだな」「わかりづらいSOSなのかもしれない」という「読み替え」をしてきた。もうこれは、思考の癖というか訓練のたまものというか、職業病的なものだろう。
もうひとつ、この19年間、「貧困」というデリケートなテーマで相談を受けたり取材という形で話を聞かせて頂いたりする中で肝に銘じていたのは、「ジャッジをしない」ことだ。
が、福祉事務所に生活保護申請の同行に行ったりすると、時々職員の強烈な「ジャッジ」に出くわして辟易することがある。
例えば相談者が女性で、風俗やパパ活などの経験がある場合。職員は「もう絶対そんなことしないよね?」「約束できる?」などと口にしたりするのだ。
こういったコミュニケーション、決してやってはいけないことと私は教わってきた。相談を受ける上で、もっとも気をつけるべきは「価値判断をしないこと」。その人が過去に何をしようと、今どんな言動をしてどんな思想信条を持っていようと、こちらにはその善悪を判断する資格などないという大前提。
これがないと、「相談」は危険極まりない場になると私は思う。
なぜなら、支援者や役所側に「ジャッジ」が許されてしまったら、「支援者や役所にとって好ましい人物」しか公的福祉につながれないという地獄が出現するからだ。
少し話がずれたかもしれない。
が、この20年近く、私はこのような世界線で生きてきた。
しかし、看過できない差別や暴力、ハラスメントには当然、抗議すべきであることは言うまでもないし、ここまで書いたスタンスと「差別を許さない」は両立可能である。
また、指摘の中には、「おかしいことにはちゃんと怒るべき」という指摘もあった。そして以前の私が、生活保護バッシングを繰り広げる自民党議員などにもっと怒っていたと書く人もいた。
これは「まさに」という指摘で、この数年の私は、意図的に怒りを出さないようにつとめてきた。
私が貧困問題に関わり始めたのは06年だが、当時と今とを比較して大きく変わったのは、「怒ってる人」を見る視線だと思う。
06年の時点で、「怒り」はすでに「取り扱い注意」の感はあった。
怒ってるだけで「危険な人」「ヤバい人」扱いされるという空気。が、今は当時の比ではない。
何しろ『伝え方が9割』なんて本がベストセラーになる時代である(読んでないけど)。そんな現代、「怒ってる人」を見る視線は、「迷惑なクレーマー」に近くなったように思う。正当な怒りを表明しただけの人が、コンビニで店員に土下座させる客のように受け止められるような感覚だ。
そんな中、どうやって「怒らずに」伝えるか、そのことを考えてきた。特にこの数年は「攻撃的な言葉を使わない」ことをあえて自分に課している。
ただ、そんなことを考えたりする余裕があること自体、私がマジョリティで日々差別に晒されていない証拠である。
伝え方と、怒りについて。このセットについては引き続き、考えていきたい課題だ。
そして書いておきたいのは、「怒り」の感情は、男性が出すより女性が出すほうが5000倍くらい叩かれる現実についてだ。
「怒らない」ようにした理由のひとつに、情けないけれどそれは確実にある。特にSNSが普及した頃から、日常生活の危険度は確実に、上がった。
特に顔出ししていて一人暮らしだと、引越ししなければならないこともある。「怒る」ことによって支払うコストが男性と女性では、おそらく違うのではないかとも思う。
もうひとつ、説明しておきたいことがある。それは私がクルド人に関するデマを信じているのではという指摘について。
前回の原稿で「私はクルド人ヘイトには当然反対の立場だが、では自分が住む地域に言葉が通じない人たちがたくさん住むようになったら、不安になるのは当たり前だと思う」と書いた。
この「言葉の通じない人たち」という書き方そのものを問題視するものがあったので、説明したい。ちなみにどういうことかというと、クルド人は30年前からいたので「言葉が通じない」のは正確ではない、というような指摘だ。
振り返れば私自身、これまで取材させて頂いたクルドの人は大人も子どもも日本語が流暢な人たちだった。というか、日本語ができたから取材が成立した。
しかし、コロナ禍の20年11月、川口のキュポ・ラ広場で開催された「生活や仕事に困っている外国人のための相談会」で相談員をした際、途方に暮れた。
相談会を訪れた多くがクルド人だったのだが、その中には、来日わずかで日本語も英語もまったくできない人たちが多くいたのだ。
ではどうするのかというと、日本語ができるクルド人の中高生が通訳にあたるのだが、「子どもに通訳をさせることの是非」が問われたことを今も覚えている。
日本生まれや幼少期に日本に来た子どもの中には、親より日本語ができるという理由から、普段から役所や病院で通訳を担っている子が多い。が、この相談会で語られるのは「生活苦」に関するものがほとんど。子どもたちに通訳をさせることで親族などの深刻な状況がわかってしまい、それによって子どもの進路を狭めさせてしまうのでは、というような懸念からのものだった。
ちなみに私が相談を受けた、日本語も英語もまったくできないクルド人男性にはやはり10代の通訳がついてくれたのだが、歯の激痛を訴えていたその人は、無事に無料低額診療につながることができた。そのことにはほっと胸を撫で下ろしたものの、言葉の壁が立ちはだかる中、これからの日本生活、どうなるのだろうと思ったことを覚えている。
このような経験があったことから、「言葉の通じない人」という書き方をしたことは説明させて頂きたい。
また、この流れで外国人の困窮について触れておくと、コロナ禍以降、本当に深刻な状況が続いている。外国人への公的支援があまりにも乏しいのだから当然だ。
例えば私が世話人をつとめる「反貧困ネットワーク」ではコロナ禍、住まいがない人のためのシェルター(個室アパート)を東京、千葉、神奈川で33室開設したのだが、そこに入っている約半分、17世帯が外国人。うち4人が路上からの保護だ。
しかもその多くが働くことを禁じられている「仮放免」。しかし生活保護の対象にもならないので、家賃と生活費の給付をずっと続けている状態だ。
コロナ禍初期はこのような支援活動に多くの寄付金が集まったものの、5類移行後は寄付金も激減。外国人支援をする支援団体の多くは今、「このままでは活動資金があと1、2年で底を突く」と悲鳴を上げている。
どのくらいお金がかかるかを具体的に紹介すると、「反貧困ネットワーク」「北関東医療相談会」「移住者と連帯する全国ネットワーク」の3団体が20年4月から22年9月までに外国人支援に使った額は、実に1億7324万円。人数は、のべ1万人以上。支援金の使途の内訳は、「生活費(食費含む)」が68%、「シェルター・家賃」が18%、「医療費」が14%。
民間の団体が2年半で2億円近くを出しているなんて、「異常事態」としかいいようがない。
コロナ禍、「反貧困ネットワーク」などは5回にわたって政府交渉を行い、「外国人への公的支援」を訴え続けてきた。が、今に至るまでゼロ回答。
ちなみにネット上には「外国人は難民申請すればお金をもらえる」というデマが散見され、中にはそれ目当ての外国人もいるかのような書き込みもあるが、この国において難民申請中の人への支援はほぼ「無」に等しく、唯一ある公的支援は「RHQ(難民事業本部)」による支援。国の外郭団体で、条件に合致すれば保護費を出してくれる。
保護費には生活費、住居費、医療費の3つがあり、生活費はだいたい1人につき月約7万円、住居費が4万円(単身の場合)、医療費は実費が出る(が、一度は自分で立て替えが必要)。
しかし、原則1回目の難民申請の人に限られ、現在は6ヶ月待ちの状態。支援される期間は基本的に4ヶ月間。が、そのためには厳しい審査を突破しなければならない。よって受けられる人はごく少数。また、支援を受けられていても、難民申請を却下されてしまえば打ち切られる。
このように、公的な支援があまりにも不十分だからこそ、支援団体がフル稼働しているのだ(本当に支援継続が危ぶまれている状況なので、寄付したいという人はぜひ「反貧困ネットワーク」のサイトから)。
さて、前回の原稿から一週間。
その間、私のもとには国から「税金の通知」が届くということがあったのだが、額を見た瞬間「ここまで毟り取るか?」とめまいがし、「追い剥ぎ」という言葉が浮かんだ。
税収は過去最高だというのに、少しも楽にならない生活。
物価高騰に続いて米も買えない中、上がり続けるばかりの税金と社会保険料。
そんなことに憤っている中、イスラエルがイランを攻撃し、世界はまた不穏な空気に包まれている。
これが世界に、そして日本に、私たちの生活にどのような影響を与えるのか一一。
前回の原稿で書きたかったのは、このような「不安」が人々をどこに向かわせるのかということである。
その行方をしっかりと見つつ、時に「そっちは間違ってるよ」と、声を上げたい。