第361回:選挙とSNS メディアは「ファクトチェック記事」を無料公開せよ(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

マスメディアの沈黙

 新聞やテレビ、いわゆるマスメディアの報道姿勢が疑問視されている。ことに、選挙期間中における「選挙報道」に腰が引けているのだ。
 つまり「公平公正」にこだわるあまり、本来なら伝えなければならないはずの事象を「〇〇党に不利になる」、もしくは「××党に有利かもしれない」などと慮って、あえて触れないという姿勢が最近のマスメディアの「選挙戦報道」だった。その結果、SNS上のデマに対抗できず、選挙そのものを歪めてしまった。
 その典型例が、昨年の兵庫県知事選だった。
 だが、なぜマスメディアは沈黙してしまうのか?
 単純に言えば、炎上を恐れるからだろう。「オールドメディア」などと罵倒され、すっかり委縮してしまった新聞やテレビ。
 ぼく自身はもう、テレビ報道についてはほとんど期待しなくなってしまったが、なぜ新聞までもこんなに委縮してしまったのか?

高市早苗の脅迫

 テレビは脅しに極めて弱い。
 政府が電波認可の権限を握っているということから、政府の姿勢に絶えず怯えている。その結果、政府の言うことを聞く連中がテレビ局内で出世し、テレビ放送そのものが政府の御用機関化していくという悪循環に陥っているのだ。

 2016年、当時の高市早苗総務大臣がそれを演じてみせた。「電波停止」をちらつかせる発言をしたのだ。
 「行政が何度要請しても、まったく改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できません」と公言した。総務省は電波行政を管轄する。だから、総務大臣のこの一言にテレビ各局は凍りついた。すなわち高市氏は、言うことを聞かないテレビ局には暗に「電波停止もあり得る」と、まさに権力をカサに着て露骨な脅しをかけたのだった。
 「報道の自由など知ったことか。テレビは政府の言うことを聞け」。さすがに超タカ派の高市らしい。
 確かに電波法76条では無線局の運用停止、放送法174条では業務停止命令もできるとされている。震え上がったテレビ各局。この辺りから、テレビの「忖度報道」が始まったと考えてもいい。
 そして、岸井成格さん(TBS)、国谷裕子さん(NHK)、古舘伊知郎さん(テレビ朝日)ら、政府に批判的とみられていたキャスターやコメンテーターたちが相次いで降板させられた。抵抗する局はなかった……。

 その影響は今も続いている。現在では、「報道特集」と「サンデーモーニング」(ともにTBS系)あたりが、かろうじてジャーナリズムの矜持を示しているだけ。とくに「報道特集」の最近の孤軍奮闘ぶりは、涙ぐましいものがある。ぼくは断固として支持する。だが、あとは無惨な焼け野原だ。

そして、新聞は?

 テレビ局は確かに許認可権を政府に握られているからこんな状態に陥るのも、ほんのわずかの理解ぐらいはぼくにもできる。
 だが、新聞は違うはずだ。別に政府に新聞発行の許認可権を握られているわけではない。何を書こうが何を主張しようが、どんなニュースを報じようが自由なはずだ。けれど、妙に後ろ向きの最近の報道姿勢はどうしたことか。「社会の木鐸」という言葉を、どこかへ置き忘れてきたようだ。
 スクープ記事を、週刊誌(とくに「週刊文春」)に譲ってしまって長い。あの兵庫県知事に関するスクープなど、まさに文春の独壇場だったではないか。新聞は恥ずかしくないのだろうか。新聞記者ふうに言えば「特落ち」の連続である。新聞記者のもっとも嫌がる言葉ではないか。え、もうそんな気持ちも失くしたの?

 ぼくも週刊誌の編集長をしばらく務めていたことがあるから、活動できる編集者や記者の数は承知している。どう考えても、1件につき数人単位のユニットしか動けない。新聞社はどうか。
 記者の数は週刊誌などとは圧倒的に違う。全国紙の東京本社社会部などには、数十人単位の記者たちが在籍しているはずだ。それがなぜ、スクープを週刊誌に奪われているのだろうか?
 テレビ局は「忖度報道」に堕してしまったと書いた。だが、新聞はいったい何に「忖度」して、こんな状態に陥ってしまったのか。それはSNS上の「炎上」への、異様なほどの恐怖なのだろうと思う。
 最近では、役所や企業でも、SNS上でのほんのわずかな批判にも戦々恐々の状態だ。つまらぬクレームには毅然とした態度で応じればいいとは思うけれど、異常なほど「炎上」にビビる。それが、選挙戦での「報道自粛」につながってしまった。
 兵庫県知事選での、異様なSNS上の斎藤元彦擁護の盛り上がりと、立花某のむちゃくちゃな選挙戦介入。本来なら、毅然としてその内容の異常さやデマ情報否定の記事を書かなければならなかったはずの新聞が、その役割を放棄した。
 「オールドメディア」との罵声にひるみ、「既得権益」という批判に怯えた。その結果が斎藤知事の思いもよらなかった再選につながった。

新聞協会の声明と各新聞社の姿勢

 あの状況に少しは「反省」をしたのか、各新聞社の加盟団体である「一般社団法人日本新聞協会」は、次のような声明を公表した(6月12日付)。

インターネットと選挙報道をめぐる声明

 インターネットは誰もが自由かつ容易に情報を発信できる手段であり、公共的な議論や真摯な意見表明に利用されている。インターネット選挙運動を解禁した2013年の公職選挙法改正は、インターネットを通じて国民の政治参加の機会が広がることを期待するものだった。
 だが近年のインターネット空間では、偽情報や真偽不明の情報、暴力的な情報も流通し、生成AIによって情報を作成すること自体が容易になってきている。さらに、いわゆるアテンションエコノミーのもとで刺激的な情報が拡散されやすくなってきており、不正確な情報によって選挙結果が左右されることが社会的に強く懸念される事態となっている。(略)
 一方で、新聞・通信・放送といったメディアの報道について、「選挙の公正」を過度に意識しているとの批判がある。そこで当協会は、選挙報道に関して加盟各社が留意すべき原則を記した「公職選挙法第148条に関する統一見解」の内容を改めて確認した。統一見解は、選挙に関する報道・評論の自由を公選法が大幅に認めていることや、虚偽や事実を曲げたものでない限り、結果として特定の政党、候補者に利益をもたらしても問題はないことを、判例等を含めて明らかにしている。(略)
 事実に立脚した報道により民主主義の維持発展に貢献することは、報道機関の責務である。当協会の加盟各社は統一見解を念頭に、インターネットを取り巻く現状を踏まえて選挙報道の在り方を足元から見直し、国際的なファクトチェックの手法なども参照しながら、有権者の判断に資する確かな情報を提供する報道を積極的に展開していくことを確認する。

 やっとかよ、という思いはあるが、ともあれ、ネット上の罵倒に尻込みせずに「ファクトチェック機能」を充実させて、デマ情報を否定するような報道に取り組む、という意思を一応は表明したわけだ。
 ファクトチェック。つまりネット上で大量に流される真偽不明の(無料)情報をチェックして、それがウソやデマではないかを判断する。そして、デマやウソだと判断できた場合は、それを証拠や資料を提示して記事化する。
 朝日新聞は、この件について大きな記事を掲載した(6月13日付)。

ファクトチェック SNSも検証
判定基準を改定 動画や音声も対象に

 朝日新聞は、編集局に「ファクトチェック編集部」を発足させる。YouTubeや「X」などのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上で、偽の情報や誤った情報が拡散される現状を踏まえ、事実関係を素早くチェックできる体制を強化する。(略)
 これまでに約60件のファクトチェックを行ってきたが、今回、6月に東京都議会選挙、7月に参院議員選挙が行われるのを機に、さらに態勢を強化する。(略)
 チェックする対象は政党や政治家の発信・発言だけではなく、SNSなどネット上で拡散している言説や画像、動画にも広げる。(略)
 チェックの対象は、社会的影響の大きさなどを考慮して選び、判断の根拠としたデータなどの情報源、取材の過程をできる限り開示する。
 判定基準は、これまでの9段階から8段階とし、画像や動画、音声などの真偽についてもチェックすることにした。(略)

 すでに、都議会議員選は始まっている。朝日の「ファクトチェック編集部」は、すぐに結果を問われることになる。また、他の各新聞社も同様のファクトチェック機能を強化すると表明している。
 ぼくは繰り返して書いているように、SNS上の真偽不明の情報よりは新聞等の活字メディアを参考にしてコラムなどを書いてきた。
 新聞社は大きな「校閲部」を抱えており、そこが事実関係のチェックにあたっている。ただし、校閲部は記事作成にはかかわらないから、彼らがいかに優秀であっても記事内容には反映されない。あくまでも記事を書くのは取材記者であり、それを統括するのはデスクや部長らの役割である。だから、記事内容はこれらの“上役”の匙加減ひとつ。政治関連では、握りつぶされることも多いと聞く。例えば、政治部と社会部の確執なども、記事の成否を左右するという。
 それが「オールドメディア」や「既得権益」などの罵倒の一因になってきたことに、少なくとも朝日などの新聞各社が気付いたのだとすれば、まあ、ひとつの前進かもしれない。

選挙報道記事は、すべて「無料配信」せよ!

 ただここで、ぼくは朝日新聞を含めた各社のファクトチェック記事について、どうしても要望したいことがある。
 朝日はとりあえずファクトチェック記事は「無料公開」の方針だという。すでに何点かの関連記事を無料公開しているようだ。それと同様に、新聞各社はファクトチェック記事を、ネット上ですべて無料公開すべきだとぼくは思う。これは強く主張しておきたい。
 ネット情報はほぼ無料である。ネットユーザーは、すでに「情報はタダ」と思い込んでいる。情報にカネを払うことなど、考えてもいない。だから、いくら新聞が「ファクトチェック編集部」を作って真偽を確かめて報道したとしても、それが有料記事である限り、デマ情報には勝てない。繰り返すが、多くのネット民は悲しいことに、カネを払って情報を得ようとは思っていないのだ。
 ほかの記事は、今までどおり有料でも仕方がない。だが、これは情報戦である。退いたら負ける。ファクトチェック記事は、ネット上で無料公開すべきなのだ。
 これは「ウソだ」「デマ情報だ」と、きちんと証拠や資料を示して、無料公開で指摘する。それこそが人数と専門家を揃えたマスメディアの仕事だろう。

 有料と無料、強いのはどっちか、新聞各社はお分かりだろう。

 つけ加えてぼくの本音を言えば、ファクトチェック記事だけではなく、「選挙戦に関連する記事はすべて無料公開すべき」だと思う。
 確かに新聞社は経営的にも苦しいのが現状だろう。どんな記事でも有料にしたいのはよく分かる。だが選挙報道に限っては無料公開にして、「ニューメディア」と称する「無料のデマ情報」を駆逐、ほんとうの報道とはこういうことだ、というジャーナリズムの矜持を見せてほしいのだ。
 そうすることで失われた信頼を取り戻すことができれば、一度失った読者も「やはり信頼できるのは新聞だ」ということで、戻ってくるのではないか。
 そのくらいの「身を切る改革」ができなければ、「オールドメディア」の復権は望めない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。