第429回:アジアのコールセンター、ワーキングホリデー〜劣悪すぎる日本の「労働」から逃げ出す人々〜の巻(雨宮処凛)

第429回:アジアのコールセンター、ワーキングホリデー〜劣悪すぎる日本の「労働」から逃げ出す人々〜の巻

 先週、日本にワーキングホリデー(ワーホリ)で来ているという韓国人男性と食事する機会があった。

 2週間前に日本に来たという30歳の彼は作業服姿。聞けば、仕事内容は日雇い派遣と変わらず、前日まで働く場がわからないという。仕事は、電気工事などの現場仕事。時給は1000円だが、交通費は一切出ない。よって8時間働いても、その日は1400円ほどが交通費で消えたので、日給は6000円ちょっと。その上、3400円の作業服は自腹で買わされ、軍手などの必需品も自分で買わなければならないという。そうなると、作業服を買った日の日給はわずか3000円ほど。

 そんな待遇の上、現場では韓国人ということで差別され、誰も口を聞いてくれず、仕事も教えてくれず、みんなが連れ立って食事に行く昼休みに、彼だけはコンビニで買ってきたパンなどで済ませるという。共に働く日本人からは、「フォークリフトの免許をとれば時給は1200円になる。そうしたら貧しい国のお前でも家に仕送りできるだろう」などと言われるそうだが、彼は日本語がペラペラで英語もできるエリートだ。韓国にいた時は不動産関係の仕事で月収30万円を稼いでいたという。韓国で月収30万円とは、かなりの額と言っていいだろう。そんな彼が、日本に夢をもってワーホリで訪れたら、この待遇。

 なんのことはない、日本人の日雇い派遣労働者に10年前にやらせていたことを、今は外国人に押し付けているという構造が明らかになったのだった。

 そんなワーホリについて、最近、非常に興味深い記事を読んだ。それは『POSSE』2017年9月号に掲載された「海外でのノンエリート労働は逃げ道にならない!? ワーキング・ホリデーと日本人の国際労働移動」。日本人のワーホリ問題を研究してきた藤岡伸明氏が『若年ノンエリート層と雇用・労働システムの国際化 オーストラリアのワーキングホリデー制度を利用する日本の若者のエスノグラフィー』を出版したことを記念して、POSSE代表の今野晴貴氏と対談しているのだ。

 対談から浮かび上がるのは、2000年代からの雇用破壊、労働のブラック化、貧困化が急速に進んだ結果、逃げ出すように海外に向かう層がいるという事実だ。実際、藤岡氏の2人の兄も00年代前半にワーホリに行っている。英語が話せず、海外で働くようなスキルもないので、労働市場の下層に組み込まれる可能性が高いわけだが、「それでも行きたいという思いを抑えきれない、非常に切羽詰まった状況」だったという。

 このことがきっかけで藤岡氏は自身もワーホリビザを取得し、オーストラリアに滞在。観光施設や日本食レストラン、農業ボランティアなどの現場で働きながら研究を進めてきたという。

 そんなワーホリに行く日本人を見ていくと、「そのまま日本にいたら過労で倒れかねない」男性や、「給料未払いや雇用主との不和といったトラブルを何度も経験して」いるノンエリート女性、「IT関連の激務で燃え尽きかけてワーホリに行った」人などなど、日本の労働市場の閉塞が浮かび上がる。が、ワーホリに行くことが自身のキャリアアップに繋がるかというと、決してそんなことはない。

 仕事は日本食レストランやカラオケ店、CD・DVDレンタル店など、日本人も多く利用する場。「長時間労働を受け入れ、日本語能力が高く、将来性がない仕事でもいい、というような層の労働需要が増加」しているため、そのような仕事はある。また、オーストラリアには農業従事者の中に、「定住しないで渡り鳥のようにあちこち移動する」、「かなり底辺に近い人たち」がいるそうだが、日本人ワーホリは「その人たちすら働きたがらない果物の収穫や果樹の剪定といった非常に単純な労働」に入っているという。

 そんなオーストラリアの日本人ワーホリの平均時給は主要国のなかでもっとも低く13.6ドル。次いで低いのが韓国人。ちなみにイギリス人ワーホリとの差は5.8ドル。少ない時給で一生懸命働き、権利意識が希薄な日本人ワーホリは、「極言すれば奴隷的な労働への適応力が高い」と藤岡氏は指摘する。そんなワーホリ経験は、やはりなかなか帰国後のキャリアに結びつかず、ワーホリに行く前は正社員だったのに、帰国後は非正規になるなど、「経済的に下降してしまうことも珍しくありません」。

 さて、ここまでワーホリについて書いてきたわけだが、「日本の労働環境があまりにも劣悪だから海外へ」という流れは、10年ほど前から一部のロスジェネ世代でも起きてきたことだ。

 08年、私はそんな男性に取材している。時給300円で中国に派遣されていた日本人だ。男性は74年生まれ。就職氷河期世代で仕事に恵まれず、派遣などを転々としていた彼は、ネットで「成長著しい中国で語学を身につけ成功しよう!」「働きながら語学を身につけられる」というある派遣会社の広告を見つけ、「どうせ日本にいても非正規にしか就けないのだから」と30代前半で中国行きを決める。

 仕事内容はコールセンター。日本からかかってくる電話に日本語で答えるというものだ。そうして彼は中国・大連に派遣されるのだが、ビザ代は自己負担。必要と言われた中国式の健康診断書もやはり自腹で、1万2000円かけて取得。面接のための上京代3万円も自己負担、大連に送る段ボールふたつ分の郵送料3万円も自己負担、更には大連までの飛行機代往復6万円も自己負担、海外保険料も自己負担というブラックすぎるシステム。また、渡航前、担当者に「年に一度くらいは日本に帰りたい」と告げると「中国が楽しすぎて帰りたいと思う人なんていないよ」と言われ、病気になったらどうすれば、という質問には「病気にはならないよ」という返事を返されたという。

 そうして大連に着いた途端、「1年以内に退職した場合は罰金5万円、同業他社への転職を禁ずる」などという誓約書に強制的にサインさせられ、働き始める。同じコールセンターで働く日本人は50人ほどで、30代後半が多かったという。日本の工場で派遣で働いていた人や、営業の仕事を辞めて来た人など、様々な訳ありっぽい人がいたそうだ。

 肝心の「無料で中国語を学べる」方はどうかというと、週に一度、中国人の大学生が来るだけ。語学学習というよりは「お遊び程度」で、上達とかいうレベルではない。が、辞めることもできない。1年以内に辞めれば罰金5万円という誓約書にサインしているし、そこのコールセンターで働くことでビザが出ているので、辞めると不法滞在になるおそれもある。が、時給300円では月収5万円程度。大連のアパートの家賃は1万8000円、光熱費が8000円ほど、食費やサウナ代(部屋に風呂がないため)もかさむ。その上、日本の口座からは国民年金保険料や税金が引き落とされていく。そのような状況に不満が募り、彼は会社と喧嘩して退職するのだが、中国語は学べず、日本の貯金が減り続けただけの「中国派遣」だったのであった。

 さて、そんな彼に取材したのが08年。詳しくは『生きのびろ! 生きづらい世界を変える8人のやり方』に収録されているのでぜひ読んでほしいのだが、最近、そんな海外コールセンターで働く日本人についての本が出版された。『だから、居場所が欲しかった バンコク、コールセンターで働く日本人』(水谷竹秀)だ。

 私が取材した大連の彼の派遣会社は、当時からインドやタイのコールセンターにも日本人を派遣させていたのだが、本書では、バンコクで働く日本人の姿が描写されている。

 コールセンターの月収は9万円程度。30代なかばから40代の日本人が多いという。オペレーターの応募条件は「日本語ネイティブ」「性別・語学力不問」「高卒の22歳以上」のみ。非正規労働の経験者が多く、著者は「コールセンターの日本人たちはバブル崩壊後の『失われた20年』という荒波に揉まれ、売り手市場に恵まれることがなかった、ある意味で日本の労働市場から取り残されたしまった層なのかもしれない」と書く。

 そんなバンコクのコールセンターで働く33歳の男性は、自身を「日本にいたらいらない子ですからね」と言う。

 「日本に帰りたいっていう希望自体、そもそもないですから。変な話、僕が日本に帰っても手遅れでしょ? 年齢的にも学歴的にも職歴的にも。日本の一般的な社会人としては手遅れかなと。日本に帰ったところで、たぶんろくな仕事もないでしょうし、せいぜい工場で働ければいい方かなみたいな」

 そんなコールセンター業務をしている自分たちを、彼ら彼女らは「最底辺」と言う。

 「そもそも日本でできることがなかった人がタイへ渡り、タイでできる仕事がないからコールセンターで働くと。行くも地獄、帰るも地獄ですね」

 そう評する者もいる。

 もちろん、コールセンターからバンコクでの職歴を積み、起業して成功する人もほんの一握りだが存在する。が、多くが日本から「逃げて」バンコクに辿り着いたという印象だ。しかし、彼らの言い分も非常に理解できる。

 日本には未来がない。管理された日本社会が息苦しい。コールセンターの仕事は時間ぴったりで終わるからいい。ノルマも残業もない。やりがいはないけれど、責任感もそれほど求められない。給料は安いけれど、残りの時間を自由に使える。数日休みをとって隣国に旅行することもできる。日本で生活する方が経済的にも仕事的にも忍耐力が要求され、神経をすり減らして生きていかなければならない――。

 確かに、日本で月収十数万円程度で死ぬほどの忍耐と長時間労働を要求され、自分の時間などまったくない生活をしている人は多くいる。そして現在コールセンターにいる層の多くは、日本のもっとも劣悪な職場で働いてきた人たちと重なる。

 日本の学生の海外留学が減ったことなどから、「日本の若者は内向きになった」などとダメ出しされることが多い昨今である。しかし、ずーっと「就職難」と言われていた中、「とにかく新卒で就職しなければ」というプレッシャーがあったのだから当然だろう。一方で、日本のトップクラスの学生の海外留学は増えているという(朝日新聞10月29日)。日本のエリートたちは、このまま日本に見切りをつけていくのかもしれない。

 そんな現実がありながら、「日本に希望が持てない」、そして「日本社会がまともな扱いをしてくれない」という理由から、バンコクなどのアジアに向かい、コールセンターで働く若くはない層が増えているという現実。私たちが何気なくかける「お客様窓口」なんかの電話を受けているのは、海外コールセンターの人たちかもしれない。そしてそんな彼らは日本社会にひどく傷つけられ、日本をとても憎んでいる気がする。

 08年、大連の彼の取材をしている時、彼がいた派遣会社の説明会に潜入したことがある。派遣先はやはりインドや中国で、時給は300円。条件は「母国語が日本語であること」のみ。その言葉に、なんだか今までの自分の人生を、これまでの様々な努力を全否定されたような気持ちになったことを覚えている。

 働く人々を人間扱いせず、使い捨ててきたひとつの結果が、これである。

 外国人を実習生や研修生として劣悪な環境で働かせ、日本人も使い潰し、この国で生きる大多数が生きづらい日本社会。

 そんな国にある未来って、どんなものなんだろう?

 改めて、そんな問いを突きつけられている。

第429回:アジアのコールセンター、ワーキングホリデー〜劣悪すぎる日本の「労働」から逃げ出す人々〜の巻
韓国からロリータ・パンチのキムさん来日!
雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。