2024年12月3日
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小林美穂子

小林美穂子
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1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。

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第43回:ツッコミどころが満載すぎる桐生市 一日千円、桐生市・生活保護費違法支給訴訟を傍聴して(小林美穂子)

2024年10月4日、前夜から降り続いた雨がようやく止んだ金曜日の朝、私は前橋地方裁判所に向かっていた。群馬県桐生市で生活保護を利用している男性2名が、市に一人あたり27万5千円の賠償を求める国家賠償請求訴訟を起こした。その2度目の口頭弁論…

第42回:あなたの町は何色? 市民の手で福祉行政を修復するために。正しい生活保護率増減マップの歩き方(小林美穂子)

9月17日、生活保護の現場職員(現/元ケースワーカー含む)や研究者らで作られる有志の市民団体「生活保護情報グループ」が2012年~2021年までの生活保護率増減マップをネット上で公表した。国内970地域を対象にしたマップは、過去10年間の各…

第41回:死ねというのか。包丁を手に、震えながら泣いた日(小林美穂子)

2023年12月、群馬県桐生市在住のNさん(48歳)の呂律が回らなくなり、嘔吐が続いた。胃薬で紛らせようとしたが吐き気はおさまらず、異常を感じて救急車を呼んだ。脳梗塞と診断され、治療、リハビリを経て今年2月末に退院した。入院中にソーシ…

第40回:令和の米騒動 ~主食すら満足に供給できない国で~(小林美穂子)

残りわずかになっていた我が家の米がついに尽きた。災害用に買ってあったパックご飯が7食分あるが、それが終われば自宅での米食は諦めるしかない。思えば7月頃からスーパーの米は減っていた。いつも買っていた最安値のブランドがなくなり、…

第39回:40℃に迫る猛暑下でエアコンのない生活をする人たちがいる不公正(小林美穂子)

今年の梅雨は短かった。その代わりに、火の玉みたいな凄まじい猛暑が突進してきて、体温を超える暑さは爆音のような雷を呼び、豪雨は木々の枝を落とし、あちこちで川を氾濫させている。年々、熾烈さを更新していく、そんな夏。つくろい東京ファン…

第38回:寅さんが生きられなくなった世の中で。白い浴衣姿の「その人」のこと(小林美穂子)

「その人」の名前を私は知らない。遠い親戚だと両親から聞いていた。私が小学生の頃、その人は2度、我が家にやってきた。その人がやってくると、父は私と弟を寝室に引っ込めた。母は台所でつまみを作り続け、父がその人の相手をしていた。夜遅…

第37回:「公金だという認識はなかった」桐生市の生活保護問題を検証する第三者委員会に行ってきた(小林美穂子)

5月24日、早朝4時半に私は起きた。重い身体に鞭打って身支度を整え、朝ごはんをむりやりお腹に詰め込み、ベーグルの形に丸まって寝ている猫に顔を埋めてエネルギーチャージして家を出た。「第2回桐生市生活保護業務の適正化に関する第三者委員会…

第36回:桐生市がもたらした心の肌荒れとヒビ、あかぎれ、癒すのは……(小林美穂子)

群馬県桐生市の「桐生市生活保護違法事件」の調査団((団長:井上英夫 金沢大学名誉教授・日本高齢期運動サポートセンター代表理事)として、4月4日、5日と2日間に渡り「桐生市の生活保護行政をよくする市民集会・シンポジウム」などに参加して…

第35回:いかなる「違い」をも乗り越えて、ともに音楽を楽しむ吉日(小林美穂子)

今から30年近く前、完璧な青空を見上げて「crystal clear‼」と表現したら、キウイっ子に「“クリスタルクリア”は空の表現には向かないかな」と指摘されたのに、今になってもよく晴れた澄み切った空を見上げると頭に浮かぶのはその形容詞だ。2024年3…

第34回:「所定の申請書でないと受け付けられません」。昭和の水際作戦が生きるまち(小林美穂子)

2024年1月19日、私はつくろい東京ファンドの同僚たちと、埼玉県・幸手駅前のベンチに座り、コンビニで買ってきたピザサンド(完熟トマトのマルゲリータ)の小ささを嘆きながらムシャムシャ食べていた。東京から幸手市までの道のりは遠い。何度も…