第35回:いかなる「違い」をも乗り越えて、ともに音楽を楽しむ吉日(小林美穂子)

 今から30年近く前、完璧な青空を見上げて「crystal clear‼」と表現したら、キウイっ子に「“クリスタルクリア”は空の表現には向かないかな」と指摘されたのに、今になってもよく晴れた澄み切った空を見上げると頭に浮かぶのはその形容詞だ。
 2024年3月3日、11回目になる音楽イベント「りんりんふぇす」が開催された朝、頭上にはクリスタルクリアな青空が広がっていた。柔らかい春の陽が降りそそぎ、風もない。
 雨や強風に見舞われることが多かった今年の春先にあって、相当に運が良い。その運を引き寄せたのはこのフェスの呼びかけ人であるシンガーソングライター寺尾紗穂さんの強い思いか、山谷(※)の持つ底力か。実際、晴れてもらわなくては困るのだ。
 コロナ禍に中断を余儀なくされ、昨年再開された音楽イベント「りんりんふぇす」、11回目の今年は、寺尾紗穂さんの悲願だった山谷の玉姫公園、初の屋外で開催されることになっていたから。私達にとっても屋外は初。入場料無料も初。何が起こるか分からない。雨が降れば来場者は激減するし、強風ならば中止である。ドキドキだった。

※東京都台東区の北東部や荒川区の一部を含む旧地名

 

 

「りんりんふぇす」ってなんぞ?

 「りんりんふぇす Sing with your neighbors」は、寺尾さんが路上生活者とともに音楽を楽しむ場を作りたいと2010年に始めた企画だ。
 そのきっかけは寺尾さんの学生時代に遡る。2003年、山谷の夏祭りで寺尾さんは路上生活を経験したこともある坂本久治さんという絵描きに出会い、交流することになる。坂本さんの死後、「アジアの汗」という曲を作った寺尾さんは、坂本さんが生前描いていた絵をプロモーションビデオに使いたいと、坂本さんと旧知だった稲葉剛(現・つくろい東京ファンド代表理事)を訪ねて来た。そこから「ビッグイシュー」や「ひとさじの会」などの生活困窮者支援団体とつながり、誰もが共に同じ空間で楽しめる音楽イベントが誕生したのだった。

「アジアの汗」PV

 私は2回目のりんりんふぇすから毎年参加してドリンクや食べ物の出店をしている。
 11回目の今回、つくろい東京ファンド(つくろい)は、本場スリランカのスパイスティー、アフリカのストリートフード「ロレックス(Rolled Eggs)」、ベジサモサを販売するほかに、参加アーティストたちのCDや書籍販売も担当していた。会場には、日雇い労働者の町・山谷の歴史や、りんりんふぇすの歴史などが各支援団体によって展示された。そこには坂本久治さんの作品の数々も展示され、入場者を待っていた。




洗濯してんのかいっ!!

 私は今回も物販や、会場で行方不明になるおじさん達を探したりしていたため、舞台をちらちらと横目で見ながらあちこち動き回っていた。なので、主に舞台裏を紹介したい。
 フェスに「行く! 行く!」と希望していたつくろい利用者さんのうち、足の不自由な高齢者たちを引率するところから私の一日は始まった。
 11時に待ち合わせ場所である事務所に電動車椅子で乗り付けた長老93歳とAさんを車に乗せるが、Sさんが来ない。電話をするとまだ家にいるという。車を出してくださったボランティアの運転でSさんのアパートに向かうと、Sさんは洗濯をしていた。
 行くの? と聞くと、行くという。車を待たせ、大急ぎで洗濯が済んだパンツやタオルをハンガーにかけて鴨居に下げ、ラックにかけてある一番暖かそうなコートを選んで着せ、ストラップのついた携帯電話を首にかけてやる。お財布は? と聞くと「そんなもの持っていない」と言い、一カ月分の生活費全額をポケットに入れようとするから、「あかん! そんなに持って行ったらあかん!」と千円札2枚をポケットにねじこみ、「カギ持った? 杖持った?」と急かしながら2人で迎えの車に乗り、ようやく玉姫公園を目指して出発した。
 会場に着き、荷下ろしをして物販の準備を進めていると開場時間となり、たくさんのお客様に混じって、地域の高齢者施設からだろうか、車椅子に乗った方々が次々に入場し始めた。

スリランカ&アフリカの美食は大人気

 私達が販売していた「ロレックス」はチャパティで卵や野菜を巻いた、お手軽で美味しいオヤツだが、毎回「高級腕時計ください」とボケをかましてくるお客様がいるのはお約束。飛ぶように売れる。
 一方でスパイスミルクティーは注文に作るのが追いつかず、何度もお客様にお待ちいただき、公園周辺の濃厚牛乳やスパイスを買い足しては作りまくっていた。周辺のスーパーから牛乳が消えたのは私達のせいである。
 お隣では「あさやけベーカリー」がパンやグルテンフリーのクッキーやスコーンを、その隣では料理研究家の枝元なほみさんでお馴染み「夜のパン屋さん」のパン販売、続いてフランクフルトをじゅーじゅーと焼く「ふるさとの会」、そしてベトナムの方々が無料でふるまう揚げ春巻きとベトナムコーヒーのテントが連なった。反対側の会場入口付近では、雑誌「ビッグイシュー」の販売も行われていた。

路上生活経験者のダンスグループ「ソケリッサ!」

 寺尾さんのライブが始まる。ロレックスを販売していたアフリカの方に「代わるから聴きに行っといで」と促すと「ほんと? いいの?」と言いながら2人は会場中央に小走りで駆けて行った。「Beautiful voice」と彼女がつぶやいた寺尾さんの歌声が青空に吸い込まれていく。そして、路上生活経験者で構成されたダンスグループ「新人Hソケリッサ!」(ソケリッサ!)が、寺尾さんの曲を背景に踊り出す。もがいているようでもあり、溺れているようでもあり、苦しみや、怒りや、悲しみを炸裂させるような不思議な踊りは、いつも最終的には「祈り」の二文字となって私の心に届く。観客の皆さんはどう感じただろう。誰もがまばたきもせずに見入っていた。

 ソケリッサ! の踊りを嘲笑するおじさんグループが観客の中にいた。ダンサーの一挙手一投足におじさん3人が笑う。自分と背景が似ているソケリッサ! のダンサーたちが大勢の観客を夢中にさせているのが妬ましいに違いなかったが、観客は誰も嘲笑組を見ない。ソケリッサ! の動きから目が離せないのだ。そのうち、嘲笑組の一人が「こんな感じだろ?」と踊り始めた。見よう見まねの域を超えないものの、それは案外、悪くなかった。
 目が合った時に親指を立てて拍手すると、そのおじさんははにかんで笑い「な、俺にもできるよな」と言うと、「ああ、友達が恥ずかしがって行っちゃったよ」と去ってゆく仲間の後を慌てて追った。
 ソケリッサ! は過去に映画にもなっている。まだソケリッサ! を知らない方には『ダンシングホームレス』(監督:三浦渉)の予告編だけでもご紹介したい。
 

意外に大好評、カラオケ大会

 ソケリッサ! が終わると今回初となるカラオケ大会である。各支援団体から1名という条件だった。つくろい東京ファンドからは93歳の長老が出ることが決まっていた。
 ライブが始まったころ、長老の姿が見えなくなり、私は心配して探し回っていた。その頃、彼が孫ほど年の違う若者を連れて、商店街を走り回っていたことなど知る由もない。
 長老の十八番は中村美律子の「河内おとこ節」なのだが(これまで何度聴いたか分からない)、いつも扇子を小道具に使う。こんな大舞台に、こともあろうに扇子を家に忘れてきた長老は、直前まで扇子を求めて商店街をうろついたものの結局見つからず、戻って来てスパイスティーを呑気に飲んでいたところにあっという間に出番である。
 そんな時になって「補聴器を落とした」と言い出し、「え、補聴器?」と、みんなで慌てるも出番は迫っている。抱きかかえるようにしてステージに連れて行く。
 いよいよステージに上がる時、長老は首に巻いた手拭いをきゅっと握ってから、手をこすり合わせて気合を入れ、靴を脱ぎ(ステージは神聖な場所)、そしてカラオケに合わせて、それはそれは嬉しそうに歌い上げた。ステージ脇で心配そうに見ていた稲葉や寺尾さんと顔を見合わせて笑う。
 「いやぁ~、生きてて良かった!!」気持ちよく歌い終わった長老の感想。
 その後も、個性的な面々が演歌や山谷ブルースを歌い上げた。素人のおじさん達の持つ豊かな個性に会場が暖かく盛り上がり、SNSでも話題となって大好評。
 長老が落とした補聴器は、その後、ゴムの部分と補聴器の部分が別々の方から届けられて合体し、無事に長老の耳に戻った。めでたし!

ヒヨドリと見えない人々と

 夕間暮れ。池間由布子さんのまるで映画の一幕を見ているような歌声が響き始める頃、公園の外の木々にヒヨドリの群れが集まり始めた。池間さんの歌声にヒヨドリの鳴き声、会場を追いかけっこする子どものはしゃぐ声が混じって、合唱のようになっている。舞台前に集まって聴き惚れる黒だかりの人々が夕暮れに溶けていく。舞台から離れた公園の端っこに、ポツンと一人座って眺めていたおじさんに、近くにいた若者が話しかけ、そのまま話し込むシルエットが美しい。

 同じ空間で同じ時を思い思いに過ごす人々。
 夜のとばりが降りてヒンヤリとした空気が公園に満ちる。小さなステージに暖かみのある照明が灯ると、ステージがぼうっと浮かび上がるよう。虫メガネで陽光を集めるように、人々の耳目がステージに集まり、公園の空気の濃度が上がる。もうどこに誰がいるのかも分からなくなったころ、川村亘平斎さんの影絵と音楽の幻想的なパフォーマンスが始まる。自分がインドネシアの小さな村で、ワクワクしながらワヤン・クリッ(影絵芝居)を見ているような気持ちになる。

 アーティスト全員で歌う「どうにかなるさ」で幕を閉じるのが恒例の「りんりんふぇす」初の屋外開催は、大成功のうちに幕を閉じた。訪れた人の数、なんと750人!!
 時折、公園の隅っこの方で、遠くを眺めている寺尾さんの姿を見かけた。寺尾さんは何を見ていたのだろう。
 11回目にしてようやく達成できた寺尾さんの悲願、山谷での開催。それは坂本さんと再会する時間だったのではないか。坂本さんは喜んでいただろう。きっとあの輪の中に、かつて山谷で亡くなった人達も集まって楽しんでいたことだろう。笑っていたことだろう。
 見える人、見えない人、家のある人、家なき人、無数の鳥。音楽を真ん中にして、共に居た。そんな一日だった。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。