第31回:扶養照会、録音データから読み解く大阪市城東区の冷酷(小林美穂子)

 9月のある日、大阪府大阪市に住む女性からつくろい東京ファンドにメールが届いた。
 女性は生活困窮して城東区に生活保護の申請をした際、これまでに何度か金銭的援助を受けていたことから関係が悪化してしまった親に扶養照会をしないで欲しいと職員に説明した。女性は厚労省通知にも目を通し、扶養照会についても事前に学んだ上で、つくろい東京ファンドのホームページから扶養照会に関する申出書も印刷、記入して提出した。にもかかわらず、対応した職員は「厚労省の運用改善は知っているが、国と現場は違う」と譲らず、彼女の意思も意見もクレー射撃のように撃ち落とし、結局、親に扶養照会を強行した。
 メールで彼女は申出書の共有を感謝しながらも、「一体、どうすれば止められたのでしょうか」と無力感をつづっていた。

 彼女は「自分はされてしまった。だけど、次の方にとって使いやすい制度であって欲しい」と願い、面談時に録音した音声データと正確なテープ書き起こしを送ってくださった。
 彼女をAさんとしよう。Aさんと職員のやり取りを聴いていて、私の指先が冷えた。動悸がした。こんなに尊厳が踏みにじられる場所が、他にあるだろうかといつも思う(入管除く)。
 福祉事務所という場所は、区役所や市役所の中で唯一職員が来所者にタメ口で接する場所で、申請者がどんなに制度のことをあらかじめ学んできたとしても、決定権は与えられない。権利であるはずの制度利用は「恩恵」であるかのような印象をこれでもかと叩き込まれ、その恩恵を与えるか与えないか、生殺与奪を握る相談係は圧倒的な力を持つ。その力を前に申請者はとても無力だ。

厚労省通知の解釈をねじまげ、マウンティング

 Aさんは親に何度か金銭的援助を受けていて、明確に「もうムリだから」と言われていた。親に援助してもらうことが難しくなって、Aさんは生活保護の申請に踏み切った。親はもう若くないし、申請時には入院もしていた。そんな時に余計な精神的負担をかけたくないと思うのは人情だ。しかも、援助可能性はないことが明確な上、ひび割れた関係性が扶養照会によって決定的に壊れてしまう可能性もあった。そのことをAさんは一生懸命に説明している。ところが職員は、扶養照会をするしないを判定する基準は「あなたの配慮(都合)ではない」と切り捨てる。
 しかし、厚生労働省は2021年2月26日に扶養照会の運用を見直す通知を発出し、「当該扶養義務者に借金を重ねている」等の事情がある場合には「扶養義務履行が期待できない者」とみなして、基本的に照会を行わないとの指針を示している。
 さらに同年3月30日に「生活保護手帳別冊問答集」を一部改訂し、扶養照会を実施するのは「扶養義務の履行が期待できる」と判断される者に限ること申請者が扶養照会を拒んだ場合、その理由について「特に丁寧に聞き取りを行い」、照会をしなくてもよい場合にあたるかどうかを検討するとの対応方針を示している。
 Aさんが厚労省通知のことを指摘しても、職員は「Aさんの場合はそれに当てはまらない」と冷淡な口調で突き放し、「しなくて良いのは10年疎遠の場合」と話を逸らすのだ。実に手口が巧妙であるが、こんな光景を私はあちこちで見聞きしてきている。こうなると、福祉事務所の職員はマウンティングの頂点を目指しているとしか思えない。それも弱者相手に。自分より圧倒的に弱い相手に公権力振りかざして黙らせて、気分がいいのだろうか。その晩は腹いっぱいご飯を食べて、ぐっすり眠るのだろうか。

空から降って来るお金を使っているわけじゃない。

 せっかく音声データがあるのだから、職員のセリフで不適切と思われたものを紹介したい。

「どんなに仲が悪くても、『じゃあお金は出すわ』って言ってくれるかもしれへんやん?」
 →家族の関係性にとことん無頓着。100円でも援助が入る方が大事なのだろうか。

「これは(扶養照会を省いて良いケース)10年やねん。私たちのところで、それをすべて認めてしまうと、ほんまに税金使い放題になってまうんでね。ここは私たちが、空から降って来るお金を生活保護のお金に使ってるわけじゃないってところがね。じゃ、私たちが親にも誰にも聞いてないまんま、国の税金使ってますよっていうことを、他の人が聞いたらじゃあどう思うかってなった時に、まぁ正直みんな、何で聞いてへんの(照会してないの)ってなるよね。」
 →これは悪質。悪質すぎて吐きそうだ。昼ご飯に食べた納豆からみ餅を吐きそうだ。
 世の中にはびこるスティグマやバッシングを利用して罪悪感を植え付け、引け目を感じせる意図しかない。制度利用が権利ではなく恩恵であるかに思わせるものであり、親族への照会も制度の前提であると誤解させる印象操作で、悪質極まりない。職員はこうも言っている。

「私も一応ね、仕事でこれやらせてもらってるんで。私がこれを黙ってました(扶養照会をしない)っていうと、私が逆に罰を受けてしまうんよね。公務員として職務を果たしてないってなってしまうんが、私の中ではそれはできないのね。」
 →厚労省のお達しを無視してでも扶養照会を強行しないと公務員としての職務を果たしていないことになって罰を受けるのか、大阪市? マジで?
 明らかな嘘である。なにが、「私の中ではそれができないのね」か。
 ちなみに大阪社会保障促進協議会の調査によれば、城東区大阪市(※)の2021年度の扶養照会件数は 8,677 件、得られた金銭的援助(金額問わず)の件数は 65 件。実に0.7%。
 なぜ、この職員はAさんの扶養照会にそこまでこだわったのか。実績につながらない扶養照会をむやみにかけることこそが税金の無駄遣いではないのだろうか?

※取り消し線部分「大阪市」に訂正(10月25日)

DV、虐待に対する福祉事務所の認識の危うさ

 音声データを聴いていて最も危機感を覚えたのは、自治体のDVや虐待に対する認識についてである。職員は、扶養照会を省く場合を「虐待やDVがある」としつつも、以下のように述べている。

「虐待通報歴があるとかいうんやったら、虐待の通報センターとかに私たち履歴照会して、ほんとにあるかないかは調べさせてもらって、あるっていうんやったら、ほんまに命の危険があるとか、虐待されてたっていうんやったら…」

「ほんとに虐待歴があってね、何度も通報されている方に私たち(照会を)送るような真似はもちろんしないです。その辺りですね。こないだもね…(他申請者のプライバシーに関するコメントの為、略)。(だから、あなたが)刃物向けられたっていうのがあるんであれば、私たちもそれ、そういう聴き取りをしてお話は通していきますよ、もちろん。」

 虐待やDVの定義が「刃物を突きつけられる」という、待ったなしの状況に限定されていることに驚きを隠せないが、もっと驚くのは、照会を止めるには被害を立証できなければいけないということだ。
 Aさんも「虐待センターに言わない人もいるじゃないですか」と抗弁しているが、その場合は「10年以上疎遠であったというところが、まず一つの目安」になるんだそうだ。
 聴いていると、その10年の疎遠にすら証明が必要であるかのようなやり取りが続く。
 城東区の職員の暴力の定義は「刃物つきつけ」だった。しかも、通報履歴や相談履歴などの証拠があることが前提だった。異次元の住人なのかと思うほどの認識の周回遅れ感がヤバすぎる。

DV、虐待について10倍速でアップデートせよ

 今年5月、改正DV防止法が成立し、精神的DVの加害者に対しても「接近禁止命令」を出せるようになった。施行は来年4月とはいえ、ようやく精神的暴力が身体的暴力と同等に扱われることになったのだ。
 厚労省は別冊問答集問5-1に暴力や虐待の経緯がある者に関して、その扶養義務者に対して扶養照会を禁止している。
 その「暴力」の定義は、刃物を突きつけられ、しかも通報履歴がある者ではない。職員の理解が市や区の方針なのであれば、しっかり研修をして認識を改めて欲しい。

締め付けたあとはちょっと優しくのDV仕草

 絶対に扶養照会などしてはいけない親族への照会に関しても、この職員はAさんを散々疑い、重箱の隅を楊枝でほじくるように厳しく質問を重ね、畳みかけ、最後にはAさんに懇願させている。散々締め付けたあとに、やおら味方みたいになって「一緒にやっていきましょう」とか言っている。「何回も言ってるけど、私が決める訳じゃないんでね」と言い訳しながら。
 Aさんは最終的には謝ったり、感謝の言葉を発してしまっている。そのことにAさんの心はモヤモヤと曇った筈だ。だって、本当は謝る必要もなければ、懇願する必要もないのだから。だが実際には力によって懇願する状況に追いやられる。賢明なAさんがどんなに生活保護の知識を頭に詰め込んで行っても、書面で意思を伝えたとしても、法律を知っていたとしても、単独で福祉事務所と対峙すればこういう結末になってしまう。それを実際に経験し、無力感と屈辱を感じたに違いない。私はそれがとても健全だと思うし、いま、共に悔しがっている。悔しくて、悲しくてたまらない。権力による暴力に思える。

大阪社会保障推進協議会(社保協)の要求書と回答

 今年、大阪社保協が大阪市に対して要求書を提出している。その中で扶養照会に関する要求もしている。
 「コロナ禍の中においても生活保護申請数、決定数が伸び悩んでいる。特に申請を躊躇わせる要因となっている意味のない『扶養照会』は行わないこと。窓口で明確に申請の意思を表明した場合は必ず申請を受理すること」。それに対し、大阪市の回答は以下。

《大阪市回答》

 扶養援助を受けることができる方は、この援助を最低限度の生活の維持のために活用することが保護に優先するとされております。
 従いまして、扶養援助を受けることができると思われる方につきましては、援助の可否についてお伺いさせていただき、援助をお願いしております。一般的に扶養義務者の方に収入があれば、援助していただける可能性も高くなるため、その扶養義務者の方の収入や資産についてもお伺いをしているところです。
 しかしながら、これまでの生活歴等から扶養援助が期待できない方、扶養援助をお願いすべきではない方に対してまでも一律に扶養をお願いするということはございません。
 また、親族よりDVや虐待被害を受けていたなど、扶養照会を行うことが適切でないと認められる場合は扶養照会を見合わせるなど個々の状況から判断して行っています。

 Aさんの面談を担当した城東区の職員は、Aさんの親になぜ扶養援助が期待できると思ったのか、また、城東区はDVの定義を「命の危険」に限定し、証明することが可能なものしか認めていないのか。是非、説明してもらいたい。

 Aさんのケースは氷山の一角に過ぎないだろう。そのうしろには、同じ思いをして傷つく利用者や、制度を諦めた生活困窮者もたくさんいるはずだ。
 生活保護の捕捉率が2割程度しかないこの国は、制度を必要とする人々を取りこぼしすぎている。1%にも満たない扶養実績のために困窮者を制度から遠ざけるのはやめてくれ。
 生活保護をもっと使いやすい制度へ。Aさんの願いだ。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。