第33回:絶望之為虚妄,正与希望相同(絶望は虚妄だ 希望がそうであるように)by魯迅(小林美穂子)

2023年の終わりに

 街にはクリスマスソングが流れ、人々がチキンやらお節の予約に慌て出す季節がやってきた。あと一週間ほどで2023年が暮れようとしている。
 カフェ潮の路の常連の若者は、12月に入ると「ねぇねぇ、骨付きフライドチキンが食べたいんだよ~」などとつぶらな瞳をキラキラさせてリクエストしてくれていたが、その若者を振り返る私の目の下にはクマができ、まぶたも重く、目つきも悪い。疲れがピークなのだ。
 「なにがクリスマスだ、てやんでぇ、ちくしょうめ」とズボンからシャツをはみ出させて路地裏を蛇行する酔っ払いのような気分でこの時期を過ごすようになって3年が経つ。
 イルミネーションに目もくれず、ナイフみたいな思考回路で「うっせぇうっせぇうっせぇわ」な気分で私が過ごしているのには当然わけがある。わけもなく荒れるほど私はおこりんぼではない。それは、生活困窮者支援がまったく楽にならないどころか、むしろあっちこっちで自治体福祉事務所の不祥事というか、とんでもない対応が可視化されるばっかりで、もはやこの国の福祉行政に失望しすぎた私の心は大変な敏感&乾燥肌になって荒んでいるからだ。カッサカサであかぎれて痛い。福祉行政の質がアレだと、年を越せない人たちが路頭に迷い、私たちは忙しくなる。福祉に繋がっている人たちでも、寒さのせいで体調を崩す人も続出するため、私たちの12月は目を回すほどに忙しい。
 世界のあちこちでも暴力が止まらない。命からがら日本に逃げて来て、路上生活を余儀なくされる難民の方々がいる。民間でできる支援の限界を越えても、私たちは走り回り、心を痛め、疲れ切り、感情をすり減らして年の暮れ、ツレアイから聞いた言葉が体にすっと沁みた。ハンガリーの詩人が書いた一行で、魯迅が引用して有名になった言葉だ。
 その言葉をタイトルに掲げて、2023年の連載を締めよう。

12月18日(月) 群馬県桐生市長記者会見を取材

 週一回のつくろい東京ファンドのミーティングをブッチして、私は群馬を目指していた。Why 群馬?
 ことの発端は11月20日、東京新聞に掲載された、この記事だった。

●『生活保護費を1000円ずつ毎日手渡し 群馬・桐生市「生活指導の一環で適正」 司法書士会が改善要望』

 福祉事務所が相談者に対してくり出すあの手この手の水際作戦(申請させない)や、不適切行為に慣れている私も、今回ばかりは度肝を抜かれた。
 なんと、桐生市福祉事務所が、生活保護が決定した50代の男性に、毎日求職活動をするよう指導し、ハローワークに行ったことを確認すると1000円渡していたというのだ。
 金銭管理が苦手な人に対して、福祉事務所が保護費を分割して支給することは確かにあるが、問題は一日1000円しか支給しておらず、全額支給していないことだ。大問題である。未支給分は保護課の手持ち金庫にプールされ、その記録すら、受給者の家計簿(メモ)と担当ケースワーカーが各自メモする程度の杜撰な管理であったことが記者会見で分かった。
 この件については、私も記者会見前に記事を書いたので、詳しくは記事をご一読いただきたい。

●【独自】「支給額は1日1000円」は、まるで嫌がらせ!生活保護は罰なのか? 憲法・生活保護法を無視した運用を重ねる群馬県桐生市の深い闇

 この時点の事実だけでも憲法や生活保護法に違反する大問題対応なのだが、腰を抜かすほどに驚いたのは、記者会見で明らかになった、「印鑑1944本」である。桐生市の保護課は、受給者から預かった印鑑を1944本も管理していたというのだ。受給者が預けた覚えもないのに、受領印に勝手に押印されたケースから発覚したことだ。1944本中、無断で押印していたのが86世帯分。「様々な理由で押印できない人の印鑑」と記者会見で福祉課課長は述べていたが、ご本人の許可なしに書類に押印するのは犯罪行為である。
 桐生市福祉事務所の対応は、違法、不適切行為のオンパレードなのだが、市は現在も「不適切であり、違法ではない」という態度を貫いている。
 記者たちからの質問が途切れることはなく、記者会見は2時間40分に及んだそうだ。
 私はせっかく桐生市まで来たので、この機会に過去に桐生市に酷い目に遭わされた方とお会いする約束をしていたので、ラストの方で席を立った。
 その方が数年前に経験した桐生市福祉事務所でのありえない対応の記録が、生真面目な小さな文字でびっしりと残されていた。その記録を読むだけで、胸が激しく痛んだ。こんな思いを、もう誰にもさせてはならない。あまりの衝撃に、呆然としながら北風が吹く桐生市をあとにする。自宅に戻ったのが10時過ぎ。衝撃はいまだ体から離れず。

12月19日(火) 伊藤氏(仮名)またもや失踪

 北関東医療相談会、ビッグイシュー基金、つくろい東京ファンドの3団体共同で行った「仮放免者と住居」の実態調査結果をひっさげて、同僚たちや賛同団体の皆さんが国土交通省、東京都に要望書を提出、記者会見を行う。

●「仮放免者の5人に1人が路上生活を経験」と調査結果。逼迫する支援の現場

 私も参加したかったのだが、自宅にて前日の記者会見の音声データを聴いたり、大手報道機関に次々と掲載される桐生市関連の記事を読み込む。言いたくないが、桐生市の対応が極悪すぎる。これまで長い間、どれだけ多くの申請者、受給者の人権が踏みにじられ、尊厳を傷つけられたかと想像するだけで精神的に落ち込む。生活困窮した人たちの命や生活を支えるのが職務であるはずの福祉事務所の職員が、一体どうしたらここまで残酷になれるのか。はじまりは生活保護率が急に下がり始める2011年にあるのは間違いなさそうだ。そんなことを悶々と考えていたら、スマホに「伊藤さん(仮名)、また失踪」の報が入る。
 今から9年ほど前につくろい東京ファンドのシェルターに入所し、その後アパート生活をしていた伊藤さんは、12月22日に刊行される拙著『家なき人のとなりで見る社会』(岩波書店)にも登場する……というか、表紙のモデルになった方だ。
 真面目でおとなしく、とてもかわいらしいお爺ちゃんで、支援者のアイドル的ポジションをほしいままにしてきた彼であるが、失踪頻度が歴代利用者さんの中でもぶっちぎり。不動の一位。失踪するたびに探し出して「帰ろうよ」「うん、帰るか」となる。失踪する理由は様々。
 病院で検査を受ける日の朝、迎えに行くと、寄付でもらった服がきれいに畳んで枕元に置いてあったのが1回目、電気代を1ヵ月分支払いそびれ、もう電気が止まってしまうと早合点してアパートから居なくなった2回目、恐らくアパートの更新手続きのやり方が分からなくて3回目、そして4回目の今回は、2泊3日の手術を受ける朝。日頃から伊藤さんの病院同行をしている村田さんが迎えに行くと、几帳面に畳まれた服が枕元にあったそうだ。
 これまでに何度、「嫌なことや困りごとがあったら、どんなことでもいいから言ってね。いなくなる前に必ず教えてね」と言ったか分からない。そのたびに「分かった。言うよ」と、柔らかそうな平たい耳たぶを引っ張りながらハッキリ答えるくせに、絶対に言ってくれない。今回も手術が怖かったんだなと察するけど、イヤならイヤって言ってくれれば無理強いなんてしないのに、よりによってこんなに寒い中、出て行ってしまった。村田さんがあの町この町を探して歩いている。このままだと村田さんが心配して倒れちゃうので、今度は早目に見つかって欲しい。お~い、みんな心配してるよ~。寒いから、早く帰っておいで~。

12月20日(水) 青空にMさんを送る

 4日前の土曜日にMさんが亡くなった。
 1970年代初めに渡米し、腕の良い大工として和風住宅のリフォームや日本料理屋などの建築を手がけたが、その後依頼主の会社が倒産したり、盗難に遭いパスポートや持ち物のすべてを失ったりと不幸が重なった。家賃を払えなくなり、2010年からホームレス状態に。
 2016年、彼を見かけて胸を痛めたアメリカ人男性が、地域の日本人コミュニティーの方々とネットワークを作り帰国費用を集め、同年6月にMさんはついにアメリカから44年ぶりに帰国、つくろい東京ファンドが借り上げた都内のアパートで生活をしていた。
 なにしろ達者な人だった。44年ぶりに日本に帰国、それも東京の生活に順応できるだろうか? なんて心配はまったくの杞憂で、Mさんはあっという間に新生活に馴染んだ。バスを2つ乗り継いでカフェにも遊びに来た。カフェで1歳年下の「長老」と意気投合していた。2人は太平洋戦争時に少年兵だった共通の過去を持つ。
 体が丈夫で、闊達で、若々しい感性の持ち主だった。昭和歌謡や演歌を愛し、『逃げ恥』にハマった。11月に入院するまで、ガツンと強いタバコ「アメリカンスピリット」を吸っていた。
 Mさんは多くの人に愛された。Eさんご家族が帰国後のMさんの生活全般を支え、友人として、家族として親しくしていた。唯一の肉親である孫とも会えた。Mさんは、居るだけで周囲を楽しませる人だった。
 亡くなる4日前、入院先の病院にコーヒーゼリーを持って行った。一口ごとに「んまいねー!!」と唸りながら食べきった。看護師さんにも「おれはロスにいたんだ、40年!」と酸素吸入器つけたまま誇らしげに自慢して苦笑されていた。
 「Mさんは120歳まで生きるね」と言うと、「いやあ、おらぁ100でいいや」と謙遜した。その姿が最後となった。光照院の吉水岳彦住職の読経に、Mさんを大好きだった人たちの思いを乗せて、Mさんを青空に送る。
 葬儀の後は、余韻を引きずったままカフェ潮の路に直行し、仕入れと仕込み。

12月21日(木) ごめんよ、フライドチキンは作れんかった

≪本日のお弁当≫
   •ロールチキンと煮卵
   •かじきのバジルオイルづけwith 柚子
   •豚しゃぶwith 柚子
付け合わせ:にんじんのラペ、塩蒸しブロッコリーとミニトマト、イカとセロリの粒マスタード和え、ピーマン塩昆布和え
*マダムRのロレックス(チャパティで卵焼きをクルクルっと巻いたロールエッグ)
*ベジサモサ

 朝10時頃にご飯が炊けると、狭いカフェとキッチンを走り回って30食ほどの弁当を詰める。木曜日のスタッフが「小林さん、30個でいいんですか? 先週は25分で32個売れてしまったんですよ」と警告をする。12時の開店後、適宜作り足して、本日は38個が売れて15時に閉店。
その後、夜までケース会議をして帰宅。冷え込む夜空に浮かぶオリオン座を眺めながら、「伊藤さん、こんなに寒いのにどこにいるのやら」。
 私の燃料はいつも木曜までしか持たない。家に帰ると疲れ果ててソファから立ち上がれない。

12月22日(金) 終わりなき支え合い

 確か、今日が私の初の単著『家なき人のとなりで見る社会』の刊行日だったはず。13年ほどのつきあいになる利用者さんから「家の近くの○○書店に来たけど、まだ届いてないって言われたから注文したよう」とメッセージが届く。昨今、本は決して安くないのに、ありがたいことだ。
 5日ぶりに大好きな朝寝坊を堪能する。朝寝坊、サイコー! 布団、サイコー!
 午後、先日心不全で入院したS氏を見舞いに行く。看護師さんに案内され、仕切りのカーテンを引くと、なぜかパジャマではなく、完全な外出仕様のいでたちでSさんがテレビを見ている。
 病院にいることが落ち着かなくてしょうがないようで、「窓から逃げようと思って」とうそぶくのを「死ぬからやめて」と取り合わない。
 途中、同僚の村田さんがやってきた。今日は勤務日ではない筈なのに、朝からあちこち駆け回っている様子。この仕事(仕事なのか?)の果てしなさよ。
 こんな私たちだが、年始は少し休めそうなので取材した桐生市の記事を鼻息荒く書こうと思う(結局、休まないんかい!)。

12月25日(月) 伊藤さんが戻ってきた!

 19日に4度目の失踪をした伊藤さんが「すみませんでしたー!!」と大きな声で詫びながら戻ってきた。外は寒くて辛かったらしい。なにはともあれ、良かった。クリスマスプレゼントみたいだ。

 本連載『家なき人のとなりで見る社会』を読んでくださる皆さま、今年も一年間、どうもありがとうございました。日本社会も世界も、悲しいことばかりです。絶望したくなるようなニュースばかりが溢れています。だからこそ、最も弱い立場に置かれた人たちが生きる様を、これからもお伝えしたいと思っています。ちょっと早いですが、来年も、どうぞよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。

 小林美穂子さんの単著が発売されました。本連載や「週刊女性PRIME」に掲載された記事を大幅に加筆・修正したものです。ぜひご覧ください。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。