第15回:本と手帳の話(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

ミステリ文庫を買ってきた

 書店へ行った。ちょっと遠出して、大型書店へ。残念ながら地元の書店にはぼくの欲しい本がほとんどない。ベストセラー(それも健康本や自己啓発本などが多い)や文庫と雑誌が平台と棚を占めている。文庫だって、ぼくの好きな海外ミステリはほんのわずか。だから、雑誌を買う時ぐらいしか、足を向けなくなってしまった。ちょっと淋しい。
 そこで、月に何度かは大型書店へ出かける。
 ほんとうは、小さくても面白い品揃えをしている個性的な書店が好きなのだけれど、そういう店主や店員さんもめっきり減った。
 今回買ったのは、文庫ばかり。

『冬の灯台が語るとき』(ヨハン・テオリン、三角和代訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1180円+税)、
『犯罪心理捜査官セバスチャン 上下』(M.ヨート&H.ローセンフェルト、ヘレンハルメ美穂訳、創元推理文庫、各1100円+税)、
『獣使い エリカ&パトリック事件簿』(カミラ・レックバリ、富山クラーソン陽子訳、集英社文庫、1100円+税)
『罪責の神々 リンカーン弁護士 上下』(マイクル・コナリー、古沢嘉通訳、講談社文庫、各880円+税)、
『冷酷な丘』(C.J.ボックス、野口百合子訳、講談社文庫、1100円+税)…

 以上が今回買った本。シリーズものが多い。まあ、シリーズものにはあまり当たりはずれがないからね。文庫だってけっこう値が張るのだからこれで精一杯。何とか年末年始をこれらの文庫で乗り切らなきゃ。
 ミステリ好きの人たちは、今回買い込んだ文庫のタイトルで分かるかもしれないが、ぼくはこのところ、北欧ミステリに凝っている。
 誰かが「ある国のことを知りたければ、その国のミステリを読むのがいちばんの近道」と言っていた。北欧諸国は福祉国家で、みんなが幸せな国とよく言われるけれど、北欧ミステリを読んでいると、なかなかの矛盾を抱えているということもよく分かる。どんな国だって、そんなにステキで幸せな人ばかりが暮らしているわけはない。闇は、ある。
 でも、北欧ミステリは夏に読むに限るとぼくは思う。だって、出てくる描写が、まあ寒いのなんの。吹雪と氷の描写がすごい。酷暑の夏に読むのがクーラー代わりでちょうどいいんだ。
 だけど、例の『ミレニアム』シリーズ大ヒット以来、日本でもかなりの北欧ミステリ・ブームで、季節に関係なくどんどん出版されるんだから、愛読者としては仕方がない。
 これらの北欧ミステリは、たくさん映画やドラマにもなっている。ケーブルTVの「ミステリチャンネル」でもやっているから、好きな方たちにはお薦め。でも、ぼくが今もっとも好きなシリーズは『特捜部Q』なのだが、これは本と映画ではそうとうに雰囲気が違うから要注意です。本ではユーモアが強い味付けになっているが、映画ではその部分が皆無。うーむ、どっちがいいかは迷うところですねえ。

手帳から見えてくる「今年」

 
 本屋さんも、もうクリスマス&年末年始大商戦。けっこうなスペースで来年の手帳コーナーができていた。ぼくは、毎年同じシンプルな手帳を選ぶ。2018年版も980円。
 帰宅してから、その手帳を開きつつ、来年はどうなるんだろうなあと、ぼんやりと遠い彼方を見る目つき。
 庭では、半野良猫のドットとナゴが「晩飯はまだかにゃにゃにゃあ」とうるさい。考えてみれば、来年のことに思いを馳せるなんて、ネコにも犬にもないんだろうなあ。明るい陽射しと毎日のメシ、それに眠る場所さえあれば動物はそれなりに満足。
 書店の棚の「来年はどうなる?」「未来予測」「危機の襲来」「必ず来る大不況」「米朝戦争勃発か」…なんてコーナーを見ていると、人間とはつくづく不便で悲しいものだと、妙に気が滅入る。

 今年の手帳ももうじき終わる。なんとなくペラペラとめくってみた。2017年、あまりいいことはなかったなあ…とあらためて思う。
 病院通いの日々。肉親や係累の病室へ、何度通ったことだろう。葬式に立ち会ったのも数度。肉親だけでなく、親しくしていただいていた方々とも、何人かの別れ。ほんとうに、昨年から今年にかけて、こんなに辛い見送りが多かった年もない。
 そして、多かったのがデモや集会。手帳でざっと数えてみたら、26回もあった。月に2回以上はデモや集会に参加していたことになる。そんなものに出なくていいのが当たり前の日常だと思う。だが、どうしても黙っていられないことが、今年は多すぎた。
 政治も社会も世の中も、どうも狂っている。ガタが来た体に鞭打って、ぼくはヨッコラショと掛け声かけて出かけたのだ。

今年より、少しでもいい年を…

 今年は、ほとんど好きな旅にもあまり行かなかった。手帳にも、旅のスケジュールの記録が少ない。一泊かせいぜい二泊の旅を数回しただけだ。これは、義母の具合の悪化による。
 義母はもう1カ月ほどで97歳を迎える。いや、迎えられるかどうかは分からない。それほど弱ってきている。
 以前は新聞をしっかり読み、テレビのニュースにもけっこう反応していたのだが、もうその気力も失せたらしい。必ず行っていた投票にも、今年は行くとは言わなかった。政治などに対してわりと辛辣な感想を漏らす義母だったが、今年に入ってからは、そんな言葉はまったく聞けなくなった。
 ただ、自分がどういう状態にあるかはしっかり分かっているようだ。聞こえるかどうかの小さな声で、迷惑かけてごめんね…とカミさんに言う。もうすぐだからね…とも。
 命の火が次第に小さくなっていく。

 来年は、2018年は、どうなるのだろう。
 今年よりは少しでもましな年になってほしいと、心から思う。

年末年始の休みに読むのは、やはりミステリに限るよねえ…

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。