第61回:「争点に関する自党の立場が不人気な場合には、争点には触れない方が選挙に勝てる」という方程式(想田和弘)

 沖縄の名護市長選挙で2月4日、米軍普天間基地の辺野古移設阻止を掲げる現職の稲嶺進候補(民進・共産・自由・社民・沖縄社会大衆推薦、立憲支持)が、移設を“事実上”容認する渡具知武豊候補(自民・公明・維新推薦)に破れた。

 選挙戦の様子を遠くから眺めていて、渡具知氏側の選挙戦略にホトホト呆れてしまった。

 琉球新報社、沖縄タイムス社、共同通信社による合同の電話世論調査によると、名護市の主権者の間で最も関心のある争点は「辺野古移設」(53.2%)であった。2位の「雇用・経済振興」が16.6%、3位の「医療・福祉の充実」が11.6%だから、「辺野古」は抜きん出て関心が高かったといえるだろう。

 にもかかわらず、渡具知陣営は選挙戦で、「子育て支援」だの「ゴミの分別」だのといった政策ばかりを強調することを選んだ。そして最大の争点である辺野古についてはほとんど触れず、立場も曖昧にしておくという戦略を採った。

 そのため、応援に駆けつけた政治家の演説も実に奇妙なものになった。たとえば自民党の小泉進次郎氏がわざわざ名護市入りし、ゴミの分別について演説をしている動画をネットで観たが、彼は名護市のゴミの分別法を変えるために沖縄に行ったのだろうか? あれほどシュールな映像はなかなかないと思う。

 いずれにせよ、渡具知氏のホームページに掲げられた「理念・政策」のページでは、「普天間飛行場代替施設の移設」が出てくるのは一番最後である。彼はここで、「辺野古代替移設については、現在、国と県が係争中であり、この行方を注視していく」と玉虫色の立場を表明している。同時に、「過重な米軍基地の負担軽減は多くの県民が等しく願うところである。従って、海兵隊の県外・国外への移転を求めます」などとも書いている。

 彼らがなぜそんな戦略を採ったかといえば、理由は明白だろう。

 朝日新聞による市長選の出口調査では、辺野古移設について賛成が32%、反対が59%だった。ダブルスコアに近い。名護市の主権者の間では、やはり辺野古移設に反対している人の方が圧倒的に多いのである。

 つまりこういう計算が働いたのではないだろうか。

 正直に「辺野古移設に賛成だ」と表明し、旗印を鮮明にしてしまったら損だ。むしろ立場を曖昧にしておけば、辺野古移設に反対している人で稲嶺市政に飽きた人や不満のある人が、なんらかの期待をして投票してくれるかもしれない。「海兵隊の県外・国外への移転を求めます」と一応書いておけば、反対派の票を切り崩せるのではないか——。

 周知の通り、日本政府は稲嶺市長が2010年に就任して以降、在日米軍再編交付金の支給をストップし、露骨な兵糧攻めを行ってきた。民主党政権の時代である。(2/7 23:15修正)
 一方で辺野古の工事を着々と進めて既成事実化することで、反対派市民の間に「もう抵抗しても無駄なんじゃないか」「どうせ基地ができるなら、交付金をもらった方が得策なのではないか」という「あきらめムード」を醸成してきた。

 反対運動に疲れてきた市民の票を得るには、玉虫色戦略が最も効果的だ。そう、広告代理店的な判断をしたのであろう。そしてそれが功を奏した結果、辺野古移設反対派が賛成派より圧倒的に多い名護市で、移設容認派の市長を誕生させるという、政治的アクロバットが実現してしまった。

 新基地の受け入れが条件とされている国からの米軍再編交付金について、渡具知氏は「特段断る理由はない」などとし、受け取る意向を示している。日本政府は5日、氏が勝利したことを受け、再編交付金の支給再開の検討に入った。もはや兵糧攻めをしていたことを隠す気すらない。渡具知新市長のもと、辺野古基地建設が加速されることは間違いないだろう。

 気になるのは、このような「最も大きな争点について触れない」という選挙戦略は、国政選挙でも自民や公明によって何度も実行され、そのたびに成功していることである。おそらく「争点に関する自党の立場が不人気な場合には、争点には触れない方が勝てる」という方程式が確立されているのであろう。

 だが、それがデモクラシーの形骸化を進める非倫理的な態度であることは、改めて言うまでもない。結局、最も大事なことについては、主権者は議論し判断を下す機会を逸してしまう(原発しかり、安保法制しかり、秘密保護法しかり)。そして権力を握った為政者が、なし崩し的にやりたい放題をする。

 日本のデモクラシーは、内側から腐食していっているように思う。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。