第448回:オウム事件真相究明の会、立ち上げ。の巻(雨宮処凛)

 6月4日、「オウム事件真相究明の会」を立ち上げた。

 その名の通り、オウム真理教による地下鉄サリン事件など一連の事件の真相を究明する会である。

 1995年、朝のラッシュ時の地下鉄にサリンが撒かれるという未曾有のテロ事件では、13名が死亡、負傷者は5800人にも上る。その前年に起きた松本サリン事件の死者は8名、負傷者は140名。オウムが起こした事件はこれだけではない。坂本弁護士一家殺害事件や信者やその家族の殺害など、多くの事件を起こしている。

 そんな一連のオウム裁判だが、今年1月、すべてが終了し、3月には死刑が確定した13人のうち、7人が東京拘置所から別の5カ所の拘置所に移送された。死刑囚らの死刑執行は、カウントダウンに入ったと言われている。いつ死刑が執行されてもおかしくない状況だ。

 「あれだけの凶悪事件を起こした奴らなのだから一刻も早く死刑にしなければ」という意見の人もいるだろう。が、ここで問いたいのは、すべての裁判が終結した現在、オウム事件の動機を含めた真相、全貌が解明されたと言えるだろうか、ということだ。

 なぜ、地下鉄にサリンが撒かれたのか。なぜ、あれだけ多くの人の命が奪われ、多くの人が人生をメチャクチャにされなければならなかったのか。なぜ、一介の宗教団体があのような事件を起こすに至ったのか。

 これらの問いに裁判が答えたのかと問えば、答えは明らかにNOである。

 なぜか。教祖である麻原が、事件についてほぼ語らないままに裁判が一審のみで終了したからである。語らなかったのは、精神に変調をきたしたから。治療をして裁判を続ければいいものの、正式な精神鑑定がなされないまま訴訟能力ありとされ、死刑は確定。日本には三審制があるにも関わらず、戦後最大の刑事事件の首謀者とされる麻原の裁判は、三審まで審理が尽くされないままに終わってしまったのだ。

 「でも、麻原って詐病なんでしょ?」 

 そんな声もあるだろう。実際、オウム裁判集結を伝えるテレビ番組などでも必ずと言っていいほど登場するのがこの言葉だ。しかし、06年、控訴審弁護団の依頼によって面会した精神科医の意見書では、麻原は詐病ではなく、突然の大きな物音にも無反応なほど重度の意識障害ということだ。専門用語で「昏迷」と言い、「昏睡」の一歩手前の状態なのだという。

 「でも、06年なんてもう12年前じゃん、古い情報だし…」という人もいるはずだ。なぜ、古い情報しか出せないのか。それは麻原がこの10年、外部の誰とも面会していないからである。娘とも10年以上、会っていない。弁護士ともだ。

 麻原三女の麗華さんは、「オウム事件真相究明の会」のサイト「三女松本麗華氏から見た、父松本智津夫の現状」で、以下のように書いている。04年、麻原逮捕以来、初めて父と面会した時のことだ。

 「父はこの時点で対話不能、意思表示もできない状態になっており、父自身が面会を拒否していたことは考えられません」

 以来、彼女は面会を繰り返す。が、

 「わたしたちは述べ70回以上、父と面会しましたが、一度も会話が成立したことはありません。刑務官がびっくりするほどの大声を出したこともありますが、ピクリとも反応しませんでした」

 「東京拘置所は、父に精神に障害が生じていないという見解をとっています。しかし、実際は第一審当時から、おむつを着け、自分で排泄をコントロールできていません」

 「おむつを着けていることは拘置所も認めています。また、刑務官が服を着替えさせ、入浴に関しては刑務官が介助して、身体を洗っています」

 「父の様子を見たことがある、元衛生夫の方は、2000〜2003年頃の父の様子を次のように話しています。『入浴の際もその二人の刑務官が彼の体を洗ってやります。トイレ掃除に使うような、棒タワシを使って彼の体を擦るのです。(中略)その入浴後、浴室の始末をするのが我々の仕事です。その浴室の様子は本当にすごいですよ。タイルは糞だらけだし、棒タワシにもついています。そのタワシについた汚物を洗い流し、床に落ちた糞は靴で踏んで細かくして、そのまま水で流してしまいます。官の支給品である歯磨き粉を撒いて床をタワシで磨き、そのあとクレゾールで消毒する』また、布団や毛布もおむつからはみ出た糞尿まみれの状態で、それを使っていると、衛生夫の方は述べています。衛生夫の方の話も、父が昏迷状態であるという診断を根拠づけていると思います」

 このような「証言」から浮かび上がるのは、麻原に重篤な精神障害がある可能性だ。

 麻原と面会した精神科医は、適切な治療によって精神状態の改善及び、訴訟能力の回復が見込まれると述べている。

 このまま死刑が執行されてしまえば、真実は永遠に闇の中だ。真相究明を求めるからこそ、「オウム事件真相究明の会」を立ち上げた。司法がちゃんと機能しているかどうか、そんな問題提起も込めている。

 6月4日、議員会館でこの会の立ち上げ記者会見をした。

 登壇したのは、森達也氏、宮台真司氏、田原総一朗氏、想田和弘氏、香山リカ氏、山中幸男氏、鈴木邦男氏、高橋裕樹氏、そして私。4月頃から、さまざまな集まりの場で「麻原死刑カウントダウン」の話になり、「このまま死刑執行されてオウム事件は終わり、ということにされていいのか?」という疑問を多くの人が持っていることを知り、急遽会を立ち上げ、この日を迎えた。私としては、「記者会見の前に死刑が執行されるかもしれない」という焦りの中で準備を進めてきた。

 そんなふうにバタバタの中で進め、記者会見当日も人手が足りず、登壇する著名人たちが椅子を並べたりと会場の設営からするような状況だった。
 この日、麻原の一審判決公判を傍聴した森達也氏は、その時のことを振り返って言った。

 「一言で言って、仰天しました。ほぼ歩けない状況です。被告席に座りました。ずっと同じ動作を循環してます。具体的にいうとこの辺に手をおいてこの辺をかいて、顔をくしゃっと歪めて。これずっと循環してるんですよ。動物園の動物、たまにいますよね。同じ動作を繰り返す、典型的な拘禁障害、初期症状だと思いました」

 「昼休み、顔なじみの記者何人かと会いました。『どうなの麻原』って聞いたら、『もうダメでしょう。おむつしてるのわかりましたか』。腰回りが確かに異様に膨らんでました。『もう大小便垂れ流しですよ』と記者の人たちはいうんですね。でもそれが記事になることはない。当然、判決は死刑です。その日の夜のテレビのニュース、翌日の新聞、だいたいみんな使うのは法廷画家が描いたイラスト。全部どこを使ったか。顔歪めたところです。キャプションでなんと書くか。『遺族を嘲笑』とか、『高笑い』と。あれ、発作ですよ。でも記者たちの『あれだめでしょ』って言葉は紙面に乗らない、電波にも乗らない。僕はその傍聴したことを共同通信、朝日に書きました。黙殺でしたね。ほぼ。どれほどの反発がくるかと思ったらほぼ黙殺。多少あった反響は、詐病だってこと、なんでこのバカは見抜けないんだとかね」

 「こだわる理由ふたつです。ひとつは動機がわからない。どのようにサリンをまいたのか、サリンをまいたあとどのように信者たちは逃走したのか。ほぼ克明にわかってます。ただ、彼らはなぜそもそもサリンをまいたのか。指示をされたからです。指示したのは麻原です。じゃあ麻原はなぜあの時に。オウム絶頂期です。信者どんどん増えてました。メディアの人とたくさん対談したり、教団の中に愛人もいました。ハーレムですよ。その絶頂期になぜ彼はサリンをまけという指示をしたのか。どのような指示をしたのか。したかどうかも実のところはっきりわかってません。裁判ではリムジン謀議、井上死刑囚が証言したこれが唯一の証拠なんですよ。ところが井上は自身がそのリムジン謀議をのちに自ら否定しています。ということは、麻原を地下鉄サリン事件において共同共謀正犯にする根拠は崩れてるんです。動機がわかんないんですよ。動機が語れるのは麻原だけです。でも彼は一審途中から完全に精神的に崩壊したと僕は思ってます。本来精神鑑定やるべきでした。でも誰もそれを言い出せなかった」

 「もうひとつのこだわる理由です。結局のところ二審の弁護団が控訴趣意書を出さなかった。これで二審以降行われなくなったわけですけど、二審弁護団は裁判所と約束しました。控訴趣意書を出す日程を。その前日に裁判所は棄却を決定してる。明らかに恣意的に棄却してます。理由はよくわからない。もしかしたら弁護団が控訴趣意書出す日程を記者発表しちゃったのでルール違反だと怒っての意趣返しかもしれない。でもそんな子どもレベルの意趣返しで戦後最大の犯罪と言われてるオウム事件の一番のキーパーソンの裁判を打ち切ってしまう。ありえないことですね。あるいは裁判を続けたくなかったのかもしれない。理由はわかりません。どちらにせよ、司法が機能してない。とんでもない失態。これをしっかりと共有した上で先に進まなければいけない。そう思ってます」

 この会の立ち上げに対して、「オウムを利する」「あいつらの味方なのか」という声も届いている。が、このまま麻原に死刑が執行されたら。「弾圧の果てに殺された殉教者」というストーリーが作られていく可能性だってある。あのような事件を二度と起こさない。再発防止のためにこそ、真相究明は必要なのだ。

 麻原の死刑執行がカウントダウンと言われる中、私たちは問題提起をした。

 これから何ができるのか。みんなで考えていきたいと思っている。

●「オウム事件真相究明の会」のサイトはこちら
http://www.aum-shinsokyumei.com/

「オウム事件真相究明の会」の森達也さん(中央)、宮台真司さん(左)と記者会見で

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。