第450回:地震があった日、京都行きの予定がある中で考えたこと。の巻(雨宮処凛)

 もう、「震度5以上の地震が起きたら復旧・人命救助にかかわる以外の仕事は基本休み」とか、そういうふうに決めた方がいいんじゃないか? そういうルールが、一刻も早く必要なんじゃないか?

 6月18日、大阪で震度6弱の地震が起きた日、私は大混乱の東京駅でそんなことを考えていた。午前7時58分に起きた地震の影響により止まった東海道新幹線。改札近くには、チケットの払い戻しを求めるのか、見たこともないほど長い行列ができ、改札前には大勢のスーツ姿の人々が携帯片手に立ち往生している。疲れ果てて、座り込んでいる人もいる。

 聞こうと思っていなくても、あちこちから携帯の会話が聞こえてくる。どの会話からも、今日の仕事が予定通りなのか、それとも中止なのか、その確認が取れずにその場に足止めされている様子が伝わってくる。Twitterを開けば、関西方面の人々の悲鳴のような書き込み。地震の被害を伝えるものもあるが、目立つのは「こんな時なのに会社が休みにならない」という声だ。電車が止まっているのに。余震が心配だから今日は子どもたちと一緒にいたいのに。それなのに、まるで「忠誠心」を試すかのように出勤を求める会社への憤りが綴られている。

 この日、私は京都のシンポジウムに登壇する予定だった。まさに家を出ようとした時にテレビに流れた速報が「大阪北部で震度6弱」というもの。

 それを見た瞬間、「中止だな…」と思う自分と、「そんなことはどうでもいいから早く行かなくては」と思う正常性バイアスな自分がいた。

 ちなみに正常性バイアスとは、3・11で注目された言葉。災害心理学などで使われている言葉で、大きな災害に遭遇しても、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価してしまう特性のことだ。結果、それが逃げ遅れなどの原因になる。例えば3・11の際、被災地では大地震によって甚大な被害を受けながらも、多くの人が避難せずに自宅の片付けなどをしていたことはよく知られている。津波が予測されていたものの、「たいしたことはない」と多くの人が無意識に思ってしまう心の動き。それが正常性バイアスである。

 この日の私も、そんな正常性バイアスの中にいた。心のどこかで「中止になるだろう」と思いながらも、同時に「新幹線に遅れちゃう」と慌てて家を出ていた。この時点で被害の規模はわかっておらず、テレビで見る大阪の街はそれほどの打撃を受けているようには見えなかった。

 駅に向かう途中、シンポジウムの主催者の携帯を鳴らした。しかし、コール音が鳴るだけ。もしかして、主催者も地震の被害を受けたのでは…。不安に思ったものの、とりあえず電車で東京駅へと向かう。電車の中でスマホを開くと、被害の情報が次々と飛び込んできた。地震によって室内がぐちゃぐちゃになった様子や、壁に入った亀裂などの写真が続々とアップされている。また、阪神大震災や東日本大震災を経験した人々が、やはり「正常性バイアス」について書いていて、「怖がりすぎるくらいでちょうどいい」などと呼びかけてもいる。不要不急の外出は控えるように、と呼びかける人もいる。また、これから大きな余震が起きる可能性や、熊本地震のように、これが前震でこれから本震が来るかもしれない、と書く人も多くいた。

 そんなものを見つつも、私は楽観的な気持ちでいた。主催者と連絡がつけば「中止になりました」と言われると思っていたのだ。だけどもし、予定通りにイベントが開催されることになったら…。私としては、大地震が起きた混乱の中、関西方面に向かう不安が大きかった。新幹線が止まっているという情報はすでにネットで知っていた。が、もし早々に復旧したとしても、余震などによってまた止まる可能性だってある。一旦現地に向かってしまえば、途中で引き返すことも難しい。

 考えられる最悪なパターンは、なんとかイベントに間に合いそうな時間で新幹線が復旧するも、途中で止まって結局イベントには間に合わず、何時間も車内で足止めを食らうことだ。また、イベントに間に合ったとしても、無事に帰れる保証はない。日帰りの予定だったので、帰りの最終近くの新幹線のチケットを取っていたが、ダイヤは大幅に乱れるだろう。しかも、余震などでいつ止まってもおかしくない。最悪、今日中に帰れないどころか一泊二泊帰れない可能性だってあるのだ。そこで浮かんだのは、一人暮らしの私の家で待つ二匹の猫である。キャットフードも水も1日分しか出していない。どうしよう…。

 さて、東京駅に着き、主催者に電話すると、シンポジウムは予定通り開催される方向だという。新幹線が3時間後くらいには復旧するらしいとのことで、それに乗れば間に合いそうだという。

 え、どうしよう…。頭が真っ白になっていた。しかし、開催されるとしたら行くしかない。私も前々から楽しみにしていたイベントだし、主催者の熱意には胸を打たれていた。だけど、不安…。東京駅の混乱ぶりが、私の不安にさらに拍車をかける。

 今、振り返って、自分の不安は当然だと思う。と同時に、私の中では確実に蘇っているリアルな恐怖があった。それは3・11。あの日、六本木で対談の仕事があった私は、都内の自宅に帰るまで、恐怖の時間を過ごした。つかまらないタクシー。歩いて帰ろうにも、東京の地理がまったくわかっておらず、スマホも持っていなかった当時の心細さ。やっとつかまえたタクシーで自宅に戻るまで何時間もかかったこと。その間、何度も何度も起こった大きな余震。そしてそれからの、「帰れなくなる」ことが不安で、極力外出しなくなった日々。

 震災後の東京は電車の運行が不安定で、私は「電車が止まって帰れなくなるのが怖い」ことから、多くの予定をキャンセルした。その頃の恐怖が一気に、びっくりするほど鮮明に蘇ったのだ。

 3・11の恐怖が、これほどまでに自分の中に残っていたことに驚いた。自分が少しでもダメージを受けているなんて、一度も意識したことがなかったからだ。というか、ずっと都内という「安全圏」にいた自分は、そんなことを思う資格すらないと思っていた。被災地と言われる場所にいた人たちの状況を思えば思うほど、彼らの肉体的、精神的ダメージについて思いを馳せることはあっても、自分は完全に「無傷」で、だからこそ、勝手に申し訳なく思ったりもしていた。だけど、あれから7年後。いざ自分が大地震が起きた場所に行かなければならないという現実を目の当たりにした時、ちょっとしたパニックが私を襲ったのだ。

 結局、それから少ししてシンポジウムの中止が私に伝えられた。ほっと胸を撫で下ろしながら、早い決断をしてくれたことに心から感謝した。よかった…。これで「帰れないかも」と心配しなくて済む。中止は残念だったが、安堵感の方が大きかった。と同時に、東京駅の大混乱を見ながら、思った。私は早々に「中止」と知らされたわけだが、東京駅で新幹線の復旧を待つ人たちは、ずっと「予定がどうなのか」の確認ができず、立ち往生を余儀なくさせられている。決定権を持つ人が一刻も早く判断してくれればこの混乱だって収まるのに。東京駅でこの混乱なのだから、関西方面ではもっと凄まじい混乱だろう。とにかく、こういう時に人が動くのは危険だから会社も出勤を強要なんてせずに、休みにすればいいのに。いや、でも厳しい状況であればあるほど「気合いで来ました!」みたいな社員の忠誠心が大好きな企業だと難しいかも…。ならば、もうルールを作ればいいのだ。「震度◯以上の地震が起きたら復旧・人命救助にかかわる以外の仕事は基本休み」と。

 もちろん、病院や消防、電気、ガス、水道などライフライン関係はフル稼動となるだろう。が、大震災の中、デパートや遊園地に行く人はいないだろうし、出版社が震災で休みになったからって人の命にかかわることはない。その他、いろんな業種を考えてみても、休みにすることによって渋滞なども緩和され、復旧・人命救助が迅速に進むというメリットしか考えられないのだ。介護施設など、人命にかかわる業種は難しいが、社員の安全と混雑、混乱の緩和を考えて休みにできる業種は無数にあるはずだ。

 そんなことを考えていたところ、震災翌日の朝日新聞に「公務員は居住自治体で救援を」という投書が掲載された。地方公務員の女性からのもので、女性の勤務先では「震度5以上の地震が発生した場合、全職員が職場に集結することになっています」とのこと。女性は月曜休みのため、地震発生時は自宅にいたそうだが、「出勤していたらちょうど通勤電車の中です。その状態で運転見合せとなると、どうやって職場に行けばいいのでしょう。出勤することにより危険が生じる可能性もあります」と至極まっとうな意見。そして投書は以下のように続く。「そこで緊急事態発生時は自宅の近くの自治体での業務に従事できないかと日頃から感じています。避難所開設など、自治体が違ってもやるべきことは決まっており、地方公務員の役目は同じはずです」

 この意見に、私は非常に共感した。電車が止まっていて歩いて出勤したり、いつ運転再開するかわからない電車を待ち続けるより、自宅近くでできることがあるならそっちの方がずっと安全かつ効率的だ。これは他の業種にも言えるだろう。震災時、コンビニが開いていて助かったとか、ガソリンスタンドがやっていて助かったという声は多く聞く。自分の勤務先には行けなくても、自宅近くのコンビニやガソリンスタンドだったら行けるという同業者はいるだろう。そういう形で貢献したいという思いを持つ人もいるだろう。

 また、私は大きな震災を経験していないのでわからないが、経験した人にしかわからない「ここがやっててよかった」「これがあって本当に助かった」というニーズが多くあるはずだ。地震大国である日本は、経験者からそのような教訓を学び、最低限のライフライン関係は守りつつ、それ以外の仕事は一旦停止、というルールを作れないものなのか。でなければ、「気合いで出社しろ」的な体育会系マインドの会社はずっとそれを続けるだろう。そのことが社員の身に危険を及ぼすのみならず、深刻な二次災害に繋がることだってあるのだ。

 はからずも、あの朝、京都に行くことになっていたことからいろいろと直面し、考えた地震大国日本への疑問。あの日、新幹線を含めて電車が止まったことで影響を受けたのは580万人だという。

 平時から決めておけばなくせる混乱は、確実にあると思うのだ。

キャバクラユニオン・布施えり子さんの『キャバ嬢なめんな。』の出版記念イベントにて。韓国からフェミニストグループ、ロリータ・パンチのキムさんも参加!

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。