第43回:右翼誌の巨大な新聞広告が「改憲国民投票」にもたらす重大な影響について(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

不気味な巨大広告

 8月22日の毎日新聞に、デカデカと巨大な広告が載っていた。吐き気がした。『安倍総理と日本を変える』(花田紀凱責任編集、飛鳥新社)という全5段の派手な広告である。
 内容は、とにかく“安倍晋三バンザーイ万歳バンバンザイ!!”の不気味なほどのヨイショ本。
「次の世代のために 安倍晋三 本誌独占」に始まって、櫻井よしこ、百田尚樹、阿比留瑠比、長谷川幸洋、金美齢、小川栄太郎…とおなじみの“安倍お友だち親衛隊”の総出演。でもまあ、本の中身なんかはどうでもいい。何を言うのも書くのも、出版するのも自由である。
 ぼくは長い間、書籍や雑誌の編集に携わってきたし、その広告にもそれなりに関与して来たから、新聞の広告料がどれほどのものかはだいたい察しがつく。朝日新聞がもっとも高く、毎日はそれよりも低額だけれど、それでもこの大きさだったら数百万円はするだろう。
 おお、太っ腹な出版社だな。しかし、ちょっと待てよ。なんでいまどきこんな本の広告が?
 よく考えれば(いや、たいして考えなくたって)、石破茂氏が自民党総裁選に名乗りを上げ、安倍氏も災害対策などそっちのけの地方まわりで票固めに必死というこの時期に、なぜこんな本の広告がデカデカと新聞紙面を飾ったのか、少しでも政治に関心を持っている人なら、すぐに分かりそうなものだ。ぼくだってピンときた。それで、ツイートした。

 いま、こんなデカイ広告(毎日新聞22日)が打たれる理由。考えれば、そうとう危ない。新聞社側はどう考えて掲載したのだろう?

 つまり、この巨大広告の意図は「自民党総裁選」への安倍応援にあるのではないかということだ。
 このツイート、あっという間にリツイートが1700を超え、インプレッションは18万を軽くオーバーした。コメントも多かったが、反対や批判の意見はほとんどなかった。この広告をなんかうさん臭いと感じた人が、とても多かったということだろう。
 これに続けて、以下のようなツイートをした。前にも指摘したことがあるのだが、右翼雑誌広告の危うさについてだ。

 特に問題だと思うのは「朝日を潰せ」とか「売国新聞を廃刊に」などというえげつない大見出しが並ぶ右翼雑誌の広告。何を主張しようとかまわないが、少なくとも「言論機関を潰せ」との主張を、自らも言論機関である毎日新聞が掲載するのはおかしくないか? 広告審査部門は毎日にはないのか?

 このツイートにも、反響は大きかった。これだけの反響があれば、多分、毎日新聞社だってチェックしているはずだ。だから、ここにも書いておこう。少なくとも「朝日を潰せ」という広告だけは拒否すべきだとぼくは思う。それが言論機関としての毎日新聞社の最低限の矜持ではないか。
 どんな主張にも耳を傾ける、という姿勢をぼくは批判するつもりはない。「両論併記」がマスメディアの悪しき免罪符になっている、という疑念をぼくは持っているけれど、それはまた別の話だ。
 朝日非難もメディア批判も、それは自由だ。しかしながら「特定の言論機関を潰せ」という内容を掲載するのは、いかに広告だとはいえ、言論機関としては一線を越えている。そうは思わないか、毎日新聞さん。
 ぼくは現在、朝日、毎日、東京の3紙を購読している。高齢者のぼくにとって、3紙もの料金はちょっと厳しい。だけど、他を削っても新聞だけは止めまいと思ってきた。しかし、毎日新聞がもしこういうことを続けるなら、ぼくは長年親しんできた毎日新聞とはお別れしなきゃならないかもしれない。

抜け穴だらけの改憲国民投票法

 しかし、この雑誌書籍の新聞広告は「自民党総裁選」よりも、実はもっと重大な危険性をはらんでいることを指摘しなければならない。それは「改憲国民投票」に絡む問題である。
 安倍晋三氏は「改憲」を悲願としている。ことに、安倍氏の憎しみは「憲法9条」に向けられている。非戦憲法から「非戦」を取り除くことが、岸信介おじいちゃんから託された使命だと安倍氏は思い込んでいるらしい。
 9月20日の自民党総裁選に勝てば、安倍首相は、すぐさま「改憲」へ向けて走り始めるだろう。改憲がスケジュールに乗れば、その時のルールが「国民投票法」ということになる。
 ところがこの法律が、実は抜け穴だらけ。そのいちばんの問題点が「賛否を呼びかけるテレビCM」だ。現行法では投票日の2週間前までは、CMは自由に流せるし、その費用にも上限規制などはない。どう考えても、カネを持っている側が有利なのだ。
 国民投票法の、こんな条文だ。

国民投票法 
第7節 国民投票運動 (投票日前の国民投票運動のための広告放送の制限)
第105条 何人も、国民投票の期日前14日に当たる日から国民投票までの期日の間においては、次条の規定による場合を除くほか、一般放送事業者等の放送設備を使用して、国民投票運動のための広告放送をし、またはさせることができない。

 そして、次条(106条・放送、107条・新聞)に、広告放送や新聞広告についての規定が書かれている。ところがこれをどう読んでも、「雑誌書籍広告」についての規定はない。
 投票前14日ではなく、もっと前から規制を強めるべきだという意見が大きいのだが、当然のことながら“お金持ち改憲派”は規制強化には大反対だし、TV局側だってCM料金を考えれば、規制強化論には乗らないだろう。さらに、おなじみの電通や博報堂などの広告代理店は、せっかくの儲け話のチャンスを見逃す手はないと、裏で暗躍する。
 むろん、“お金ない護憲派”は、「CM野放しの国民投票には絶対反対」と訴えるだろう。その訴えは一定程度の共感を呼ぶ。さすがの改憲派もどこかで妥協せざるを得なくなる。
 すると、改憲派が妥協したときに効果を発揮するのが、この“雑誌書籍の広告”ということになるのだ。

雑誌書籍広告を装った改憲広告

 今回の不気味な“安倍ヨイショ本”の巨大な新聞広告が、安倍熱望の「改憲国民投票」の、自民党総裁選を利用したシミュレーションだったと考えれば納得がいく。つまり、本番の国民投票では、“改憲バンザイ本”の膨大な宣伝費が、新聞社やTV局に投入されるかもしれないのだ。
 どんな本や雑誌であろうが、その内容がどのようなものであろうが、カネさえ払えば文句はなかろうと、改憲派は大攻勢をマスメディアに仕掛けてくるだろう。「雑誌や書籍の広告」の体裁をとれば、改憲CMと同じ効果のものが際限なく新聞やTVで可能になる。
 たった数千部くらいしか売り上げが見込めない本に、数千万円単位の広告費が注ぎ込まれることだって現実に起こりうる。しかも、そういう本に限って、どこかの誰かが大量一括購入をするのだ。出版社にとって、こんなにおいしい話もない。何もしなくたって本は買い取ってもらえるし、巨大広告費も出してもらえる。手を挙げる版元は、いくらでもあるだろう。ヘイト本で商売している、あの出版社とかこの社とか…。

 ある日突然、文章など書いたこともなさそうなアイドルタレントが、『憲法を変えて明るい未来を』なんてタイトルの本を出版する。中身なんかどうだっていい。とにかく「憲法を改正すれば幸せになる」「改憲が経済を豊かにする」「改憲で世界に輝く日本を」などと謳えればそれでいいのだ。
 こんな無内容な本を、国民投票が迫った時期に、ものすごい物量で広告しまくる。むろん、広告枠を押さえるのは巨大広告代理店。裏では某政党や財界筋からふんだんに資金が投入される。
 憲法改定の賛否を直接的に訴える意見広告に関してはそれなりの制限があるとしても、雑誌や書籍の広告に関しては何の規制もないのだ。カネさえあればやりたい放題になる。
 いかに無内容であれ、“改憲こそが正しい道”と繰り返し宣伝されれば、やがて刷り込み効果が現れる。次第に人は傾いていく。しかも“著者”が人気のアイドルで、「あたしの書いた本を読んで、感想を送ってね」なんてCMがバンバン流れたら、そりゃ効果テキメンだ。
 じゃあ護憲派も大々的に書籍広告を打てばいいじゃないか、だって? そのリクツのおかしさは、常識を持った人なら誰にでも分かる。どこからそんなカネが出てくる? 護憲派の“貧乏くささ(失礼)”は、ぼくがここで言い立てなくたって、みんな知っている。リベラルな本を出している出版社の多くは、悲しいくらいにカネがない。
 護憲派はほぼカンパに頼るしかないだろう。カネの面での勝敗は、戦う前からついている。
 しかも、この国民投票法には次のような条文もある。

第100条 
 この節および次節の規定の適用に当たっては、表現の自由、学問の自由および政治活動の自由その他の日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。

 この条項は、使いようによってはかなり危険な要素を含んでいる。本を書くことや出版することは「表現の自由、学問の自由」であるとの主張への反論は極めて難しい。どんなひどい内容であっても、それが他人の誹謗中傷やヘイト、盗作や剽窃に当たらない限り、差し止めることは困難だ。
 とすれば、実質的に「憲法改正バンザイ本」広告の、凄まじいほどの奔流がマスメディアを席巻することになるのではないか。

国民投票法の改定こそ急務だ

 だからこそ、ぼくはマスメディアに訴えたい。広告の審査基準を明らかにした上で、雑誌や書籍の内容と広告時期にも厳格に適用すべきだ…と。
 そして、国民投票法にも「改憲に触れた出版物の広告基準」を付け加えるべきだと思うのだ。
 また、SNSやYouTubeなどの規制についても、現行の国民投票法は触れていない。これも大問題だとは思うけれど、それについては稿を改めたい。

 ネット上の広告や雑誌書籍広告に触れられていない以上、現行の国民投票法の欠陥は明らかだろう。国民投票法の改定なくしては、「改憲国民投票」などあり得ないし、この現行法の下での国民投票など、絶対に行ってはならない。
 どうしても改憲のための国民投票を行うというのであれば、まずその前提として国民投票法の抜本的な“改正”が必要である。
 それこそが国会の急務ではないか。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。