第463回:港区・児童相談所反対の声から浮かび上がるこの国の「分断」の巻(雨宮処凛)

 東日本大震災が起こる直前まで、この国で話題になっていたニュースを覚えている人はどれくらいいるだろうか。

 それは「大相撲の八百長問題」。もうひとつ、ワイドショーを賑わせていたのは「タイガーマスク」運動だ。

 児童養護施設に、「伊達直人」なる人物からランドセルなどが寄付されるという現象が前年末から広がっていたのだ。伊達直人とは、タイガーマスクの主人公。孤児院で育ち、大人になってからは素性を隠して孤児院に寄付していたというエピソードを持つそうだ。全国の施設に様々な寄付が送られるという善意の連鎖に「心あたたまる話」としてメディアに取り上げられていた。その報道のされ方は、最近でいうとスーパーボランティア・尾畠春夫さんの活躍を伝えるものと近い空気で、「今時、こんないい話があるんですねぇ」という空気に満ちていた。

 そうして東日本大震災から2年後、「子どもの貧困対策法」が成立。子どもの貧困に注目が集まる中、全国各地に数え切れないほどの「子ども食堂」が広がった。私の友人知人の中にも、ボランティアでそんな取り組みにかかわる人は多い。10年以上貧困問題にかかわる私の周りには、そんなふうに子ども食堂をしたり、手伝ったり、ホームレス状態の人々への炊き出しをしたり、夜回りをしたりを当たり前にしている人たちがたくさんいて、私もほんの時々だが、手伝いに行ったり、少額だけどカンパしたりする。「困った時はお互い様」。どんな現場にもそんな空気があって、そんなものに触れる時、この社会の「底力」に触れた気がする。

 さて、そんな話があった一方で、最近、悲しいニュースを目にした。

 それは、南青山に児童相談所が建設されることに対して、住民たちが反対の声を上げているという報道だ。

 建設されるのは、児童相談所だけでなく、DV被害者を一時保護する母子支援施設など。どちらも貧困の取材をしていればよく耳にする施設であり、また、その数の足りなさが問題となり続けている施設でもある。子どもと女性の命を守るために、そしてその後の生活立て直しのために、とても大切な役割を果たす場所だ。

 しかし、地元住民の中にはそんな施設の建設に反対の声を上げている人もいるのだという。事前に十分な説明がなかった、などの意見ならよくわかる。また、虐待やDV問題などになじみがない人に不安があるのは当然と言えば当然だろう。丁寧に説明すればいいと思う。しかし、住民への説明会の様子を見て、一瞬頭がフリーズしそうになった。

 反対している人の中からは、施設ができることによって港区の価値が下がる、というような意見があったのだ。その他にも、そういうところに来る人は困窮していると聞いた、ネギ一本買うのも紀ノ国屋で買い、ランチの単価が1600円の南青山にはそぐわないのではないのか、というような意見もあった。とにかく、なんでこの一等地に商業施設でなくわざわざそんなものを建てるのか、という意見である。

 港区は、東京23区の中でもっとも平均所得が高い街であり、その額は1000万円を超える。また、住民が指摘するように一等地で、特に建設予定地の南青山には高級ブランドショップなどが立ち並ぶ。そんな港区に住む「恵まれた」一部の人が、様々な困難を抱えた子どもや女性を支援するための施設を「港区の価値を下げるもの」としか考えない姿勢に戦慄した。もちろん、報道では賛成派の住民の意見も紹介されていた。今は子育てが大変な時代だから、というような意見に胸を撫で下ろしつつも、ある出来事を思い出していた。

 それは2年前の2016年。東京都国分寺で、6人規模の児童擁護施設の新設計画が断念されたということだ。理由は、やはり一部住民の反対。住民が配っていたビラには何の説明もないまま計画が進んでいることに抗議しつつ、以下のようなことが書かれていた。

 「いじめ、ねたみ、うらみ、つらみの経験 そんな環境を持つ子供たちが同じ学校、同じ地域で過ごすことで〇〇地区に暮らす小さな子供たちや思春期の子供たちへの影響を考えると不安である」

 このような偏見にまみれた言葉に、心の底から憤慨するのは私だけではないはずだ。たった6人の、グループホーム的な施設の何がそんなに怖いのか、と問い詰めたくなってしまう。

 が、昨年には、岐阜県でも同じようなことが起きている。こちらでは児童養護施設建設への反対署名が1300人分も集まり、署名を呼びかけるビラには「周りの子どもたちに様々な悪影響を与える恐れ」という言葉があった。

 児童養護施設とは、虐待を受けたり、親がいなかったり、様々な理由から親と暮らせない子どもたちが入所する場所である。誰だって、安心できる環境であれば家族と暮らしたいに決まっている。しかし、それが叶わないから施設に入るしかない。そのことで一番傷つき、戸惑っているのは本人だろう。

 私の周りには、児童養護施設に入っていたという人が何人もいる。親の失踪や親の自殺、虐待など背景は様々だが、そこに辿り着くまでに傷つき、疲れ果てている。そんな施設で初めて3食食べる生活をし、夜は清潔な布団で眠れることに感動したという人もいれば、施設で職員から虐待を受けたという人もいる。

 また、私の周りには、児童養護施設出身者への支援を続ける人もいる。親などの頼れる大人がなく、多くが高校を出たら施設を出て行かなければならない児童養護施設の若者たち。高校を中退していれば、もっと早くに自立を促される。大学を出ても就職が難しい時代、中卒、高卒の学歴で職を探し、自活していくことの難しさは想像に難くない。それだけではない。未成年だと親の同意がなくては携帯の契約ができないなど様々な壁もある。

 このように、保護者がいれば意識すらしない「壁」をひとつひとつクリアしながら自立に向かうわけだが、当然躓いてしまう場合もある。そんな時、親がいればお金を借りたり実家に戻ったりできるわけだが、彼らにはそんなセーフティネットがまるごとない。よって、若年層のホームレスを取材していると、驚くほどに児童養護施設出身者が多い。ヨーロッパなどでは「児童養護施設出身者はホームレス化しやすい」ことが認知されているため、特別な支援があるが、日本には公的な支援はないと言ってよく、民間の支援団体が奮闘している状態だ。

 突然、施設暮らしとなり、その後の人生にも様々なマイナス要素を抱えながら生きざるを得ない若者たち。社会が、大人がもっともあたたかい目で見守るべき存在だと思うのだが、そんな児童養護施設の子どもたちに偏見を持ち、「ここに施設をつくるな」と反対運動をする人々。そしておそらく目黒区で5歳で亡くなった「結愛ちゃん」の虐待事件などには胸を痛めつつも、「でも、自分の近くにそういうのできるのは嫌」と言う人々。

 頭に浮かんだのは、「NIMBY」(ニンビー)という言葉だ。「Not In My Back Yard」の略。我が家の裏にはごめん、という意味である。施設の必要性は認めるが、自分の近くには建てないでくれ、ということだ。最近では保育園までもが「迷惑施設」扱いされているが、児童養護施設の子どもを「ねたみ、うらみ、つらみ」などの言葉で歪んでいるかのように決めつけたり、「港区の価値が下がる」という理由から児童相談所を拒絶したりする一部大人の態度に、なんだか悲しくなったのだった。

 港区の例を見て明らかなように、セレブの街に住むセレブの人は、セレブ以外と会わなくていい日常を死守しようとする。同時に、会ったこともない「自分と異質の人」は、イメージの中でどんどんモンスター化していく。格差社会の一番怖いところはこれだ。同じ国に住みながらも、「言葉が通じない」存在になってしまうこと。

 自分とまったく違う世界を生きるモンスターに対しては、「あんな奴らに税金使うな」と口にすることに抵抗などなくなる。そんな断絶は、もうずっと前から進んでいる。港区の反対派が口にしたのは、知らぬ間にこの国で残酷なほど広がっていた「溝」の絶望的な深さだ。貧乏人の子どもを守るために、なんで私たちの街の価値を下げなきゃいけないの? シンプルに通訳すると、彼ら彼女らが言っていたのはそういうことだ。だからランチの値段や「ネギ買うのも紀ノ国屋」という言葉が出てくるのだ。ほーら、あなたたちとはライフスタイルから何もかも全部違うでしょ? と。

 そうして排除を繰り返した先にあるのは、ほんの一部の人しか存在できない社会だ。自分がその一員になれる保証はどこにもない。反対派の人たちは、自分が港区に「そぐわない」と排除される可能性を考えたことはないのだろうか。ずーっと老いずに健康で、ずーっとお金持ちだと思っているのだろうか。

 「異質」を排除する人々は、いつか自分のしてきたことが「自分の首を絞めていた」ことに気づくだろう。しかし、その時はもう、手遅れなのである。

 さて、ここで冒頭のタイガーマスク運動や子ども食堂をやっている人々、スーパーボランティアなんかを思い出してほしい。

 私は彼ら彼女らの方が、ずーっと「豊か」だと思う。そして自分もそういう豊かさを目指したいと思う。港区の騒動から、改めて、自分にとって大切なものと、この国の中に存在する「分断」について、考えたのだった。

カメラマンの山下みどりさんに撮影して頂きました!

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。