たった一人の女性閣僚として入閣した片山さつき氏に、さまざまな疑惑が浮上している。
毎週のように新ネタが出るような状態なのですべてを追いきれていないが、私にとって片山さつき氏と言えば、「ザ・自己責任」の人。小泉純一郎が言い出しっぺなら、片山氏は、その言葉を全国に流通させ、弱者の口を封じた人である。
2012年、お笑い芸人の母親が生活保護を受給していることが報道された際にはそのことを政治の場で大々的に取り上げ、メディアでは「生活保護を受けることを恥と思わないことが問題だ」などと繰り返し発言。生活保護バッシングの火付け役となり、また自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」の一員として、「生活保護費削減」を主張 (のちに第二次安倍政権で実現されてしまう)。メディアも巻き込んだ激烈な生活保護バッシングは当事者を追い詰め、そんな中、自ら命を絶ってしまった人もいる。
15年、「子どもの貧困」をテーマとしたNHKの番組に出演した女子高校生にネット上でバッシングが起これば、すぐさま加担。テレビにアニメグッズが写り込んでいたとか、本人のSNSを見たら外食や舞台鑑賞をしていたとか、まるで「本当に貧困というなら一切の娯楽を諦めろ」という言いがかりのような炎上だったのだが、片山氏は「NHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!」と、未成年へのネットいじめをさらに煽るようなコメントをTwitterに投稿したのだった。
東大卒で財務省に入り、今は内閣府特命担当大臣という勝ち組中の勝ち組、エリート中のエリートである彼女には、教育が受けられなかったとか失業したとか、そんな人の状況に想像が及ばないのだろう。すべて本人の努力不足で、怠けているからそうなっているのだと思っているように見える。
そんなことを考えていたところ、朝日新聞で興味深い記事を見つけた。それは11月20日の耕論「冷たい自己責任論」。3人の識者による、テーマに沿った談話が載っていたのだが、奈良大学教授の木下光生氏の話がダントツに面白かった。読んだ人も多いと思うのだが、「救済には制裁 江戸期から」と題された談話で木下氏は、「自己責任」と言われる社会が今に始まったことではないことを指摘する。
木下氏によると、相互扶助の社会だったと見られている江戸時代も、自己責任をよしとする社会だったそうだ。貧しくて年貢を収められない世帯があれば村が救済にあたるものの、そこには社会的制裁も伴ったという。また、その人の素行を見て「救済するかどうか」を決めた形跡も見えたという。自己責任社会の伝統には、300〜400年の蓄積があるというのだ。
「昔はよかった」「昔の人はもっと助け合った」「昔はもっと優しい社会だった」
多くの人が口にする言葉ではないだろうか。が、よくよく考えてみるとその言葉にはなんの根拠もない。ただなんとなく「日本昔話」みたいなイメージの中の「昔」があるだけで、そこに都合のいい幻想を投影しているだけの話である。そう思って「昔」を描いた作品などを思い出すと、明治生まれの女を描いた「おしん」は悲惨すぎる話だし、最近読んだ『農家女性の戦後史』という本には、明治生まれの舅や姑の意地悪率が異常なほど高く、嫁いびりの凄まじさに「核家族万歳」と叫びたくなるほどだ。「昔はよかった」なんて言葉が裸足で逃げ出すほどに、多くの場合、昔はひどい。そもそも女や貧乏人に人権などない。
さて、木下氏の指摘に興味を持った私は、さっそく氏の書いた『貧困と自己責任の近世日本史』を購入。3800円もしたが買い求めた。
そうして一気に読み終えたのだが、「いやー、昔はひどかった」と今、声を大にして言いたい。日本人が冷たいのって今に始まったことじゃなくて、ずーっと前から自己責任社会だったんだ、ということがよくわかる。それだけではない。「自己責任バッシング」のディテールが、今のネットでのバッシングとほとんど変わらないのだ。江戸時代の村人、藤右衛門とマツが田んぼのあぜ道とか神社の裏とかでコソコソ言ってたことが、今、ネットに書かれているだけの話なのである。
例えば大和国平群郡法隆寺村(現奈良県斑鳩町)ほか10カ村では、1837年(天保8年)、村から公的に「施し」を受けた者に対しての申し合わせが取り交わされている。
その内容は、村からタダで米を施された以上、受給者は衣服や履物、髪飾りといった「見た目」でも、常日頃から行動を慎むべき、というような内容で、成人男性に対しても「羽織、雪踏」という正装を禁じている。期間は「一代限り」となっており、子や孫に受け継がれることはないようだが、一代と言えば「長ければおよそ20〜30年にもおよぶ行動規制」である。しかもこの時期は、飢饉によって社会全体が苦境に立たされていたそうだが、そんなことはおかまいなしに「村に迷惑をかけた者」は厳しい制裁の対象になっていたのである。リーマンショックが起きた年の末に開催された年越し派遣村に、「自己責任」と言った人がいたのと同じ構図だ。
それだけではない。
「実際に施行米をうけた世帯の構成員全員(子どもも含む)から署名と捺印をとりつけることで、誰が辱めをうけるべきなのか、村の公文書上でもはっきりとさせようとするものなのであった」
この大和国平群郡法隆寺村以上に「踏み込んだ制裁」を発動させたのが、1867年の河内国丹北郡若林村(現大阪府松原市)である。この時期は物価の高騰により、困窮に陥る人が多く出たようである。そんな人々に村は「温情」を与えるが、この温情が、厳しい制裁を伴っていたのである。
まず、困窮するのは「日頃から自助努力を怠ってきたせい」であるとし、施行を受けるかわりに、いろいろと決まりごとを作ってそれを5年間守るように通達した。その内容は、「日笠をさすな」「雪踏を履くな」「絹織物を着るな」といった「小姑」を思わせるみみっちい服装禁制や、大酒を飲んだり物見遊山を禁じるものだった。それだけでない。
「施行受給者の名を、住民が日常的に集う村の髪結床、そして受給者各戸の軒先にわざわざ張り出して、誰が村に迷惑をかけたのかを白日の下に晒そうとした。さらに受給者は、施行米の原資を提供した『施主人』(「高持一同」)の屋敷へうかがう際、門の手前から履き物を脱ぎ、極めて低姿勢で敷地内に「這い入る」ことが求められた」
なんかもう、これを考えついた人の底意地の悪さに脱帽である。でも、昔話にはこういう意地悪なことばっか思いつく天才ってつきものだ。なんか「一休さん」とかにいなかったっけ、こういう人。ていうか一休さんて何時代?
しかし、これだけ屈辱的、差別的な扱いを受ける人々の姿は、「施しを受ける」ことをためらわせるには十分だったろう。よって、どれほど生活に困窮していても「タダで助けてもらうなんていたたまれない」「申し訳ない」という思いから、一家総出で夜逃げするケースなどもあったという。施しを受けた人への制裁が、人々の自己責任論をより強化する。
ここまで読んで、現代とのあまりの符合に驚いた人も多いのではないだろうか。
生活保護受給者はそれらしくボロを着ていろ、無駄遣いをするな、酒を飲むな、パチンコをするな、ギャンブルをするな等々の声は、21世紀の日本にも溢れかえっている。生活保護受給者がパチンコなどをしていたら通報するようにと呼びかける自治体もあるし、監視を勧めるような条例がある自治体だってある。天保8年とかからもう200年近く経とうというのに、この国の価値観は「江戸時代の村人」から、ちっとも進化していないのだ。
著者はこのことについて、以下のように書く。
「『不実/我侭』な村人の救済度合いを低く見積もった1800年の大和国山之坊村の姿勢と、水際作戦で生活保護申請を認めず、結果として40代の姉妹二人を餓死させた2010〜12年の札幌市白石区福祉事務所の態度とは、異質なものではなく、同じ土俵上にある同質の問題だといえよう」
普段私は、男尊女卑的なことをおぬかしになる人などがいると「もう21世紀なんだし、いい加減昭和の忘れ物みたいな発想やめてよ」とか言ってるわけだが、自己責任に関しては、この国の人々の発想は江戸時代から進化していないのである。なんか新自由主義でグローバル化のもと、先進的な自分をアピールするために「それって自己責任じゃん?」とカッコつけてる人とかいるけど、お前のスタンス、そのまんま江戸時代の村人だよ? キビと大根作ることに人生捧げた天保の時代の藤右衛門と同じだよ? 別に藤右衛門は悪くないけど、せっかく教育受けた意味なくない?
ちなみにこの本を読んでいると、江戸時代の村人の世帯収支などが詳しく詳しく出てくるので、なんかドキドキしてくる。
例えば1808年の惣八の世帯は、惣八(45)、妻ゆき(45)、女子くら(21)、女子ミな(17)、男子惣次郎(13)、男子吉三郎(11)、男子留松(8)、男子宇吉(3)、母くま(71)で形成されていて、お母さん71歳ってご長寿、とびっくりするし、母が「くま」って名前なのもなんかシビれるし、だけど他の世帯の資料を見ていくと70代超えは結構普通に登場するし、女の子の「ミな」って名前はなんでカタカナと漢字なんだろう? 当時流行ってたのかな? 今でいうキラキラネームみたいな感じ? と気になるし、息子らしき人の「惣次郎」って名前は、お父さんの「惣八」から一文字もらったのかな? こういうのっていつからあるんだろう? と気になるし。
で、そんな村人が芋や米やときひ(とうきび=とうもろこし)をどれくらい作ったか、エンゲル係数はどれくらいかも本書ではすべて割り出されているのだからすごい執念である。
そんなものたちを見ながら、200年後、今「自己責任」とか言い合ってるこの国の人たちは、未来の人にどう分析されるのだろうと思いを馳せた。それだけではない。200年後、片山さつき氏は政治家としてどういう評価を後世の人に受けるのだろう。
もうとっくに死んだ江戸時代の村人たちは、資料だけ見ていると「百姓」として働き、必死に生きたように思える。だけど、周りからはワガママと思われたり怠惰だと思われたりして意地悪されて、恨みを残しながら死んでいった人も多くいるだろう。
著者がこの本を書いたのは、自己責任社会への怒りからだという。路上ではなく、自宅で餓死者が出るような現代社会の異様な冷たさから、近世日本への分析が始まったのだ。
江戸時代から、今の日本を俯瞰できる一冊。ぜひ、多くの人に手にとってほしい。
昨年ノーベル平和賞を受賞したICANの川崎哲さんと