第71回:日本のデモクラシーは、断崖絶壁の縁にある(想田和弘)

 水道法、漁業法、入管法という重要な法律の改悪案が、あろうことか、たった一つの臨時国会でろくな審議もなく猛スピードで成立してしまった。

 一方、森友問題や加計学園問題は、いつのまにかうやむやにされた。勢い、片山さつき地方創生担当大臣は毎週のように不正会計が明らかになり、直近では公職選挙法違反の疑いまで持ち上がっているのに、辞任する気配はない。森友や加計でも大丈夫なんだから、このくらい大丈夫だとタカをくくっているのだろう。

 他方、沖縄ではつい最近の知事選挙で辺野古移設反対派の玉城デニー知事が誕生したにもかかわらず、土砂投入が強行されようとしている。

 与党のやりたい放題である。

 こういう状況になると、「野党がだらしないからだ」という声が決まって聞こえてくるのだが、どう考えてもフェアではない。なにせ主権者は選挙を通じて、両院の3分の2の議席を与党側に与えてしまったのである。与党の暴走を止める力のある野党が欲しいなら、「他にやる人がいないから」などという消極的な理由や無投票によって安倍自民を勝たせたりせず、もっと多くの野党議員を国会へ送り出すべきなのである。

 アメリカの中間選挙の結果を見よ。ドナルド・トランプの暴走に歯止めをかけたいアメリカ国民は、下院を民主党に支配させることを選んだ。日本の主権者にはあれと同様のことを過去に何度も行う機会(国政選挙)があったが、そのたびに与党により多くの議席を与えてきたではないか。

 まあ、それでも安倍政権が無茶苦茶をするたびに、フランスのように政権支持率が急落したり大規模デモが起きるなら、安倍晋三も少しは自制するのだろう。ところが日本の主権者は、世論調査でも安倍内閣に高い支持率を与え続けている。これでは政権の暴走にお墨付きを与えているようなもので、悪行動が助長されてもしかたがない。

 いずれにせよ、今の政治状況を一言で表現するならば、「事実上の独裁政権」ということになるのではないだろうか。立法や司法によるチェック機能が働かなくなり、行政(内閣)がやりたい放題できるということは、三権分立の崩壊を意味するからだ。ついでに自主規制ばかりの報道機関や、無関心を決め込む民衆からのチェック機能も弱い。これでは権力に対するチェック&バランス(抑制と均衡)など働くはずがない。

 最近、アメリカで『民主主義の死に方』(新潮社、スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット著、濱野大道訳)という本がベストセラーになった。著者は世界中の民主主義の崩壊過程を研究してきた、ハーバード大学の学者である。この本には次のような一説がある。少し長いが引用する。

 今日の世界では、ファシズム、共産主義、あるいは軍事政権などによるあからさまな独裁はほぼ姿を消した。軍事クーデターやそのほかの暴力的な権力の奪取はきわめてまれであり、ほとんどの国では通常どおり選挙が行われている。それでも、民主主義は別の過程を経て死んでいく。(中略)選挙というプロセスを挟んだ民主主義の崩壊は、恐ろしいほど眼に見えにくい。(中略)この場合、民主主義をくつがえそうとする政府の動きの多くは、議会に認められ、裁判所に受け容れられているという点において“合法的”なものだ。それどころか、民主主義をよりよいものにする取り組みだと描かれるケースも多い。司法制度を効率化する、腐敗をなくす、選挙制度を浄化する……。新聞はこれまでどおり発行されるものの、買収されるか、あるいは自己検閲を強いられる。市民は引きつづき政府を批判できるものの、批判した者は税金絡みなどの法的トラブルに巻き込まれることが多くなる。(中略)人々は実際に起きていることにすぐには気づかず、いまだ民主主義の下に暮らしているのだと信じつづける。(中略)政府が明らかに“一線を超えて”独裁政権になる瞬間を特定することはできない。クーデターも起きず、緊急事態宣言も発令されず、憲法も停止されない。つまり、社会に警鐘を鳴らすものは何もない。そのような状況下では、政府の職権乱用を非難する人々はときに、大げさだと笑われたり、嘘つきのレッテルを貼られたりする。多くの人にとって、民主主義の侵食は眼に見えないものなのだ

 念のために申し上げておくが、著者はこの一節で日本の状況を描写したわけではない。しかし多くの読者には、安倍政権について書いた記述だとしか思えないのではないだろうか。僕の表現で言うならば、まさに「熱狂なきファシズム」である。低温火傷のごとく、じわじわ、こそこそ、人々が気づかぬままに進行するデモクラシーの崩壊である。

 僕は2013年、橋下徹の台頭や第二次安倍政権の成立を受けて『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)という本を書いた。あのときはまだ、「まさか捨てたがっているわけじゃないよね?」という気持ちが大きかった。だからこそタイトルの文末は疑問形だったのだ。

 しかし今は「日本人は民主主義を捨てたがっている」のだと、半ば認めざるをえないような気がしている。いや、前掲書『民主主義の死に方』が示唆するように、安倍政権を支持すること=民主主義を捨てることだと意識している人は、たぶん安倍支持者の中でも極めて少数派であろう。だから僕の指摘に、安倍さんを支持している大半の人は「はあ?」となるかもしれない。だけど意識しようとしまいと、あなたがたのやっていることは民主主義を放棄することなんですよ。

 そのことに大勢の人々に気づいてもらうには、いったいどうしたらいいのか。僕にはよくわからない。わからないままに、半ばうんざりしながら、この文章を書いている。思えばこの6年間、ずっとそんな気持ちでこのコラムを書き続けてきたなあ……。

 などと振り返っていたら、不吉なニュースが飛び込んできた。安倍晋三が臨時国会後の会見で、「2020年に新しい憲法を施行させたい」と発言したのである。

 「新しい憲法」とやらには、ナチスの全権委任法に似た「緊急事態条項」も当然入ってくるだろう。そしてこれを通すなら、今回の水道法、漁業法、入管法のように、人々が議論する間を与えずに猛スピードで通そうとしてくるだろう。だが、それが本当に憲法に書き込まれてしまったら、日本の民主主義は本当におしまい、The End 。元に戻すのはほとんど不可能になる。

 日本のデモクラシーは、断崖絶壁の縁にある。

 来年は大変な年になるだろう。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。