第472回:バンギャがQueenに出会った日〜『ボヘミアン・ラプソディ』とマンスプレイニング〜の巻(雨宮処凛)

 今、非常に話題の映画『ボヘミアン・ラプソディ』を、あなたは観ただろうか?

 私は観た。2回観た。そして映画を観て以来、多くの人がそうであるように、夜毎YouTubeでQueenのライブ映像を観るなどして行き場のない熱い思いをなんとか鎮火させようとつとめている。

 そう、好きになってしまったのだ。Queenが。そしてフレディ・マーキュリーが。

 このことに、私は非常に戸惑っている。何しろ平成の始まりとともにヴィジュアル系にハマったバンギャ歴30年の私である。これまでの人生、何があろうとヴィジュアル系一筋。一切、音楽的浮気をせずに生きてきた。それなのに、あろうことか「ヒゲ」の人にハマってしまうなんて…。しかも切なすぎることに、「推し」は既に死んでいる。この初めての現実にどう折り合いをつければいいのか、そのあたりから困っている。スキャンダルやバンド解散などとは無縁なこの状態が「平和」なのか、それとも決して生でライブを観ることもできず、この先どれほどCDなどを買おうと本人の生活費の足しにすらならないことが「絶望」なのか、日々自問している。

 で、友人などに「映画観て今さらQueenが好きになっちゃって…」と言うと「私も観た!」とか「良かったよね!」とか様々な反応が返ってくるのだが、解せないのは、同世代だというのに「もう昔からQueenが好きで」「前からフレディ・マーキュリーが好きすぎて」と言う人たちの存在だ。

 なぜなら、現在40代の私の人生において、Queenと出会うような機会など、一度もなかったからである。そもそも、映画を観るまで『ボヘミアン・ラプソディ』が、Queenの曲名だということも知らなかったし、Queenのボーカルがフレディ・マーキュリーということも知らなかったし、「Queenの曲」と言われて思い浮かぶものなどひとつもなかった(しかし、映画で流れるQueenの曲の多くはもちろん知っていた)。

 ちなみに私が初めて買ったシングルレコードはシブがき隊(今笑った奴、自分が初めて買ったレコードおよびCDを今日中に晒すこと)、初めて買ったCDはたぶんBUCK-TICKだと思う。「重低音がバクチクする」アレだ(わからない人は高齢者の寝言だと思ってスルーしよう)。中学生の頃に「イカ天」が始まり、バンドブームが日本中を席巻する中、X JAPANやLUNA SEA、黒夢などなどをはじめとするヴィジュアル系バンドに10代で激しくハマり、人生を狂わせてきた。ヴィジュアル系以外を好きになるなんて、自分の人生において決してないと思っていた。

 しかし。とうとうその瞬間が訪れてしまったのである。

「なんで好きになったの?」

 このことを告白するたびにそう聞かれるのだが、はっきりと「恋に落ちた」瞬間がある。それは映画の途中、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞の日本語訳を読んだ瞬間だ。画面には「生まれてこなければよかったと思う時もある」という言葉。

 ちょ、メンがヘラってる! メンヘラ歌詞って、これ、私が担当しないといけないやつじゃん!!

 その瞬間、私の人生にQueenさまが君臨することとなったのである。

 なぜ、たった一行の歌詞でそれほどバンギャ人生が激変したのか。それはヴィジュアル系以外の音楽に対しての私の大いなる誤解・勘違い・偏見がある。恥ずかしながら『ボヘミアン・ラプソディ』を観るまで、私は「メンヘラっぽい歌詞を歌うバンド」「生まれてこなければよかったとか歌っちゃうバンド」というのは、日本のヴィジュアル系だけだと思い込んでいたのだ。で、いわゆる「外国のバンド」というのは、まったく知識のない私の脳内では、ずーっと「コーラ飲んでイエーイ!」とか「ハイウェイぶっ飛ばしてウェーイ!」というようなことのみを歌っているバンドだと思っていたのである。本当に申し訳ないが、英語力もない上に興味もないとなると、そのイメージでほぼ30年間、完成・定着していたのである。

 なぜ、そんなふうに思っていたのか。それは見た目から受け取るイメージが大きい。

 例えば私は一曲も聴いたことがないが、私が本格的なバンギャ人生を歩み始めた高校生の頃、「ガンズ・アンド・ローゼズ」なるバンドが流行っていた。で、私はもう見た目だけでその人たちが怖くて怖くて仕方なかった。その人たちだけでなく、ああいう系統の「外国のバンド」がただただ恐怖でしかなかった。

 なぜなら、多くが筋肉隆々のマッチョ体型で、身体もデカくて強そうで、その上バイクなんかに乗っていたりして、なんかもう木造の日本家屋なんかあっという間に壊してしまいそうな感じに見えたからである。そんな人たちは決して当時の日本のヴィジュアル系のような後ろ向きで暗い歌詞なんて歌わないような気がしたからである。

 翻って日本のヴィジュアル系は、多くの場合、非常に弱々しい。身体はガリガリで色は白く、髪は長く、とにかく厚化粧。PVなんかを観てもよく血を吐いているし、包帯を巻いたりしていて世界観自体に病気、怪我をふんだんに取り入れているので健康体とはほど遠い。マッチョさの欠片もなく、「生まれてこなければよかった」系の暗い歌詞がやたらと多い。そんなヴィジュアル系を私は今に至るまで愛してやまないわけだが、数年前、フェミニズムに詳しい人と話していた時、大きな発見があった。

 私が指摘されたわけではないのだが、女性の中には、DVなどへの恐怖心から、自分より背が小さく、力の弱い男性としか付き合わない女性もいるのだという。意識的にしているのか無意識的にそうなのか、詳しいことは聞きそびれたが、この原稿を書きながら、改めてそのことを思い出し、気づいた。私、「絶対自分が腕力で勝てそうな」ヴィジュアル系にしかハマってない、と。しかも相手は常に怪我・吐血など「弱っている」前提だ。なんか、もしかしてこれって大きな発見かもしれない。私が「マッチョ」という見た目だけで多くの外国のバンドを遠ざけてきたこととも、大いに関係があるだろう。

 さて、ここまで「なぜ私はQueenと出会わなかったか」ということを延々と書いてきたわけだが、本当は、出会うきっかけはあるにはあった。しかし、それは常に「最悪のきっかけ」だった。

 例えば先に、高校生の頃「ガンズ・アンド・ローゼズ」が流行ったことは書いたが、ヴィジュアル系好きの私は、そういうバンドが好きな同級生からものすごくバカにされていた。そういう人たちは、ヴィジュアル系なんていう「お化粧バンド」にハマってる奴らは顔しか見てないミーハーで音楽など何もわかっていないのだ、ということを私におぬかしになるのだ。言い返したかったけれど、確かにバンギャの私にとって「顔」は非常に重要な要素だったし、音楽のことをわかっているのかと問われても音楽自体に全然詳しくないし、悔しいけれどいつも言い返せなくて、そのうち、「被差別ジャンルだからこそよりハマる」という沼にハマっていた。

 そんな状況は、大人になっても続いた。いや、大人になってからの方がより嫌な感じになった。「ヴィジュアル系好きなんてバカだ」「何もわかってない」「お前はこういう外国のバンドを聴くべきだ」なんて言ってくる人の全員が、同級生男女ではなく「年上の男性」のみになったのだ。

 飲み会で、バイト先のスナックやキャバクラで、そして物書きになってからも、「ヴィジュアル系をバカにし、『俺が本物の音楽を教えてやる』と言うオッサン」は入れ替わり立ち替わり、私の人生に現れた。そういうオッサンは、まずヴィジュアル系なんか音楽じゃない、などと失礼なことを力説し、そんな自分に酔いしれる。そして「お前にはこれまでマトモな音楽を教えてくれる男がいなかったんだな」と勝手に人を憐れみの目で見つめ、「俺こそが本物を教えてやる」と言う。その手のオッサンにこれまでの人生で数えきれないほど会ってきたわけだが、そんなオッサンが「俺様の薦める本物」ということで口にするバンドのひとつがQueenだったのである。

 絶対に、絶対に一生聴くもんか!

 オッサンのせいで、私の中でQueenは「おらがヴィジュアル村の敵」になっていた。そんな失礼なオッサンが薦めるものなどいいはずがない、という思い。いや、もし良かったとしても、自分が否定された以上に否定してやりたい、という醜い思いさえ芽生えていた。

 しかし、何気なく観た『ボヘミアン・ラプソディ』で、私はあっさりと陥落。やっと「オッサンの呪い」から解放されたのだが、この「呪い」って、なんか名前あったよな、と映画を観て以来、ずっと思っていた。そうして先週、昔からの友人たちと高円寺のガード下の韓国料理屋で飲んでいたところ、「マンスプレイニング」の話になり、「これだ!」と膝を打ったという次第である。私はもうずーっと、実に平成の30年間、ヴィジュアル系が好きという理由だけでマンスプレイニングの被害に遭ってきたのである。

 ちなみにマンスプレイニングとは、男性が、女性を見下しながら解説・説明・助言すること。上から目線の説教である。「man」と「explain」(説明する)を合わせた言葉で『説教したがる男たち』という本で有名になった。

 なんだかもやもやしていたことは、名前がついた途端、その論点が明確になる。私の前に現れた「俺が教えてやる」オッサンたちは、相手がそのことによって「不快になる」なんて思ってもいなかっただろう。逆に「俺様がいいことを教えてやっている」と思っていたのだろう。実際、私もどこかで「これほど私のためにいろいろ言ってくれてるんだから感謝した方がいいのだろうか」と葛藤することもあった。

 しかし、そんな葛藤をする必要などなかったのである。

 このように、男性側の振る舞いにさまざまな名前がつくくらいには世の中は変わってきている。今後、その手のオッサンに出会ったら、こっちがあえて「上から目線」で「マンスプレイニング」について解説してやってもいいかもしれない。

 そう思うと、そんな人の出現がちょっと楽しみでもある。

マガジン9のオフィスにて

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。