第76回:「令和おじさん」プチブームから見えるもの(想田和弘)

 天皇の代替わりと新元号をめぐるお祭り騒ぎの中で、地味に驚愕させられたことがある。それは、新元号を発表した菅義偉官房長官がネット上などで「令和おじさん」と呼ばれ、「可愛い」「笑顔がいい」などと人気を博し、知名度を急上昇させた(らしい)ことである。

 菅氏といえば、記者の質問に対して超絶不機嫌な顔と態度でぶっきらぼうに答える姿ばかりが目に焼き付いている。だから「可愛い」という形容詞が使われたことに、まずは不意をつかれた。

 だが、それよりも驚かされたのは、彼がどうも「令和おじさん」として初めて日本国民の間に広く認知された(らしい)ということである。つまり菅氏が新元号を掲げる姿を見せるまで、その存在を知らなかった人々が大勢存在した(らしい)のである(だって、でなければ、まるで初めて表舞台に登場した人のごとく「令和おじさん」なんて命名されないですよね)。

 これはよく考えるとかなり重大な発見であり、深刻な問題だ。

 第二次安倍政権が誕生して、すでに6年以上が経過している。その間、菅氏は常に安倍内閣の官房長官として、日本政府のスポークスパーソンを務めてきた。ニュース番組を見ていれば、ほぼ毎日のようにテレビに映し出される顔だ。首相の次くらいにはメディア露出度の多い政治家だと思う。

 その菅氏の存在を知らないということは、その人はほとんど日本の政治に関心がないし、ニュースを追っていないということだ。つまり安倍政権がどんな政権で、何をやってきて、何をやろうとしているのか、ほとんど知らないということであろう。

 そういう主権者が、日本には大勢いる。その実数はわからないが、少なくとも菅氏が「令和おじさん」と呼ばれ、プチブームになる程度には、政治に無関心な人がたくさんいるわけである。

 僕はこのことが、実は日本の政治の最も根本的な問題なのではないかと思っている。

 デモクラシーとは、国王や皇帝が政策や方針を決めるのではなく、主権者である民衆自身が決めるためのシステムである。それが適切に機能するためには、民衆一人ひとりがある程度政治に関心を持ち、情報を集め、勉強することが不可欠である。でなければ国の方向性や政策の良し悪しを判断したり、自分たちの代表を適切に選んだりすることなど、不可能だからだ。

 そういう意味では、今の日本の状況は、あまりにも多くの主権者が主権者としての責任を放棄した状態であると言わざるをえない。もっと厳しい言い方をするなら、「衆愚政治」に陥っているとしか言えないのではないか。

 安倍首相や自民党は、そういう状況をよく理解しているのみならず、歓迎しているのだと思う。そして人々が政治に無関心であることを、自らの権力を維持するために積極的に利用している。

 例えば、自民党が夏の選挙に向けて若者をターゲットに立ち上げた「#自民党2019」というプロジェクトには、そのことが典型的に現れている。

 このウェブサイトには、人気ゲーム「ファイナルファンタジー」のキャラクターデザインなどで知られる天野喜孝氏が描いたイケメン武士に、「第二十一代・第二十五代 自由民主党総裁 安倍 晋三」とのキャプションがつけられている。

 その厚顔無恥さに、ソーシャルメディアでは呆れる声が上がったが、首相の行為を厚顔無恥だと思う人は、政治に関心を持ち、安倍政権の危険性や酷さを知っている人である。だが、政治に関心がない人で、ファイナルファンタジーを好きな人は、ほぼ間違いなく自民党や首相に対して好感度を上げるであろう。

 そして好感度を上げる人は、好感度を下げる人よりも、たぶん多い。いや、少なくともそう睨むからこそ、自民党はこのようなサイトを立ち上げたのである。

 また、5月12日、首相はTOKIOの人たちと食事をする写真とともに、次のようなツイートをした。

 「TOKIOの皆さんと再会しました。福島 復興のために頑張ってくださっています。話に花が咲き、本当に楽しいひとときを過ごすことができました!」

 TOKIOファンのなかに菅氏を知らなかった人、つまり政治に関心がない人がどのくらい存在するかは知るすべもないが、TOKIOファンという分母が大きいことを考えれば、ここにもやはり、かなり多くの「政治無関心層」も含まれていると想定してよいだろう。彼らにとって、大好きなアイドルと仲良く写真におさまる安倍首相の好感度が上がることは、ほぼ確実だ。

 これも実に効果的なイメージ戦略であり、選挙運動だと思う。

 けれども、当然のことながら、安倍自民党が良い政治をするかどうかは、天野氏やTOKIOと仲が良いかどうかとは全く関係がない。そういう意味では、安倍自民党の戦略は、政治の本質とは全くかけ離れた部分で得点を稼ぐ「騙しの戦略」だと言える。しかし当の主権者が政治に関心を持たない「衆愚」であれば、それが詐術であることを見抜くことはできまい。

 日本のデモクラシーは、かなり重篤な病気にかかっているのだと思う。それは独裁的な首相の首をすげ替えれば治るというようなものではない。なぜなら主な病巣は、私たち主権者にあるからである。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。