第492回:相模原事件から3年、重度障害者が国会議員となった夏。の巻(雨宮処凛)

 3年前の夏を、私は最悪の気持ちで過ごした。
 
 それは、2016年7月26日、相模原の障害者施設で19人が殺害されるという事件が起きたからである。
 
 「障害者は不幸を作ることしかできません」
 
 衆院議長に宛てた手紙にそう綴った植松聖被告は「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と冒頭に書き、それが「革命」であり、「世界経済の活性化」、また「本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐ」ためのものだと訴えた。そんな手紙を送ったのち、彼はあの凄惨すぎる事件を起こした。
 
 事件から2ヶ月後、アナウンサーの長谷川豊氏はブログで以下のように書いた。
 
 「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」
 
 ブログは大炎上し、長谷川氏は仕事を失ったがその後「日本維新の会」の公認候補となった。そうして17年の衆院選に出馬し、落選。19年1月に再び日本維新の会の公認候補となるものの、5月、今度は部落差別発言が問題となり出馬は取りやめとなった。
 
 18年1月には、優生手術を受けた女性が国を提訴し、同様の訴訟が相次いだ。旧優生保護法のもと、障害者が子どもを持てぬよう、強制不妊手術が行われてきたことが白日の下に晒されたのだ。
 
 「優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止する」
 
 そう明記された旧優生保護法は、1996年までこの国に存在した。厚労省によると、本人の同意が必要とされなかった不妊手術は1949年から92年までの間に、約1万6500件あったという。現在、多くの当事者が抗議の声を上げ、全国で提訴に踏み切っているが、不妊手術をされた人々は数十年間、沈黙を余儀なくされていたのだ。
 
 18年夏には、『新潮45』誌上において自民党議員・杉田水脈氏の原稿が大きな批判を浴びた。LGBTを巡って「生産性」という言葉を使ったことがその理由だった。しかし、そのずーっと前から、この国には「生産性がない者には生きる価値などない」「企業の営利活動に貢献できない者に生きる資格なし」といったメッセージが全国津々浦々まで浸透していた。
 
 19年3月には、東京・福生の病院で40代の女性が人工透析を中止し、その後死亡していたことが報じられた。女性は透析中止後、看護師に「こんなに苦しいなら透析した方がいい。撤回する」と発言した記録が残されていた。
 
 終末期ではない患者に透析治療をしない選択肢が提示されていたことがわかり、さらにこの病院では透析を始めなかったり中止したりして21人が死亡していることが判明した。これらの対応が適切だったのかが大きな議論を呼んだが、病院に立ち入り調査をした日本透析医学会は、「中止の意思尊重は妥当」と結論づけた。
 
 しかし、ただでさえ辛い治療をし、「家族に迷惑をかけて申し訳ない」「医療費がかかって申し訳ない」と思いがちな患者に、死に直結する治療中止の選択肢を示すこと自体が問題ではないかという声も上がった。
 
 19年6月には、川崎・登戸で無差別殺傷事件が発生した。小学生の女の子と保護者の二人が命を奪われ、加害者の50代のひきこもり男性はその場で自殺した。これに対して「死ぬなら一人で死ね」という声が世に溢れた。
 
 その4日後、東京都練馬区に住む44歳の男性が父親に殺害された。やはりひきこもっていたという男性は、殺害された日、近所の小学校の運動会の音に「うるせぇな、ぶっ殺してやるぞ」と口にしたという。それを聞いた父親は「周囲に迷惑をかけたくない」「川崎の事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれないと」思い、殺害。法に触れることは何もしていない男性の命が奪われた事件だが、ネット上には父親に対する同情や賞賛の声すら上がった。
 
 同じ6月、テレビで衝撃的な番組が放送された。NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』だ。難病である多系統萎縮症を患った女性がスイスに行き、安楽死をするまでを追ったドキュメンタリー番組である。
 
 障害者団体「DPI日本会議」の加盟団体である「日本自立生活センター」は、放送を受けて同番組への声明を出した。そこには、番組の中で難病や人工呼吸器をつけた人の生が否定的に描かれていること、実際には人工呼吸器や胃ろうを用いて生き生きと自分らしく生きている人もたくさんいること、「生きたい」と「死にたい」の間で揺れている人々に対して、この番組は死ぬ方向に背中を押してしまう強烈なメッセージを持っていることなどが触れられた。
 
 その翌月に告示された参院選において、「日本でも安楽死制度を」と求める「安楽死制度を考える会」が候補者を選挙区、比例区で擁立。落選したものの、27万票近くを集めた。
 
 さて、ここまで延々と書いてきたのは、この2、3年、明らかにこの国に「ある空気」が蔓延しているのを感じるからだ。それは「日本は少子高齢化で社会保障の財源がないんだから、ある程度“命の選別”をするのは仕方ない」というような空気である。
 
 10年前だったら、たとえ心のどこかでふと思ったとしても口に出すのは憚られた考えだろう。しかし今、残酷な「本音」が「理想」や「建前」を打ち破るような現実をいたるところで目にし、耳にする。「命は大切だ」というような「正論」を口にする人間が「現実を何もわかっていない」と嘲笑され、愚かさの象徴とされるような。今、言ってはいけなかった「剥き出しの本音」が、この国のいたるところで猛威を振るっている。
 
 そんな空気に、なんとか対抗できないものかと思ってきた。特に「財源がない」「このままでは日本は借金で破綻する」という言説への危機感から「命の選別」を「仕方ないこと」とし、結果、植松被告のしたことを「わからないでもない」と肯定してしまうような言説に、どう対抗すればいいのか考え続けてきた。
 
 しかし今、どれほどの言葉を並べるよりもずっとずっと説得力のある現実がある。それは、あの事件から3年後、重度障害者の国会議員が二人も誕生したという現実だ。
 
 その現実は、まず国会のバリアフリー化を進め、また「重度訪問介護」という制度の穴を浮き彫りにし、制度の見直しを国に迫った。重度障害者二人が国会議員になったというニュースは世界中を駆け巡り、オリンピック・パラリンピックのホスト国となるこの国の対応を、世界中が注視している。障害者は「不幸を作ることしかできません」と言われるような存在ではなく、私たちに多くのことを教えてくれる存在だということが今、毎日のように証明されている。
 
 事件が起きた3年前、私にとっての障害者は「守られるべき」存在だった。しかし、今はどうだろう。舩後さん、木村さんは議員バッチをつけ、そして二人を支えたいと多くの障害者たちが名乗りを上げ、サポートチームを作ろうなんて話をしている。長年障害者運動をしてきた当事者の知識と行動力には目を見張るばかりで、「制度ってそういう交渉で変えるものなのか」「法整備のための一番の近道ってこういうやり方をすることなのか」と日々学ぶことばかりだ。
 
 気がつけば、今、私は彼ら彼女らに学び、ともに政治をダイレクトに変えようという試みの中にいる。私の中での障害者は、「守られるべき存在」から、「一緒に社会を変えていく存在」となった。
 
 植松被告は、まさかこんな世界があるなんて、想像もしていなかっただろう。
 
 8月1日、二人の議員は無事に初登院を遂げた。
 
 前人未到のチャレンジはすでに始まっている。今、私たちは歴史的な瞬間に立ち会っているのだ。

初登院の日、木村英子さんの部屋をみんなで訪問。左から、DPIの白井誠一朗さん、私、木村英子さん、川口有美子さん、海老原宏美さん

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。