第80回:私たちが「嫌韓」を抜け出す道はある(想田和弘)

 2600年前、ブッダが実践し解脱に至った究極の瞑想法「ヴィパッサナー瞑想」の10日間修行合宿を終えて、「娑婆」に戻ってきた。

 千葉にある大自然に囲まれた瞑想センターで、スマホもパソコンも財布も預け、外の世界との関係を完全に断ち切った上で毎日10時間以上、ひたすら座って修行した。そこでの体験については、別の機会に詳述したいと思う。

 帰ってきて肌で感じたのは、この世界には優しさや美しさもあるけれど、嫌悪や怒り、トゲトゲしさの方がどうも優勢だということである。

 韓国との嫌悪合戦も、その一例である。

 朝日新聞の記事「過熱する韓国報道、底流に何が 情報番組『視聴率高い』」(9月6日)によると、ワイドショーで韓国との問題を扱う時間が、7月の第1週は2時間53分だったものが、8月第5週には13時間57分に増えたそうだ。韓国問題を扱うと、視聴率が取れるらしい。

 記事では「その底流には何が」と問うているが、ブッダの説いた教えという角度からみれば、底流に何があるのかは明白である。私たち人間は、何か不快な感覚を感じたときに自動的に嫌悪と怒りに火がつくよう、プログラムされているのである。しかしそういう本能に委ねたままだと、私たちは確実に「苦」の悪循環に陥り、不幸になる。

 これは合宿で学んだことだが、ブッダはヴィパッサナー瞑想を通じて「苦」が生じる過程を見破り、それを滅する方法を発見した。

 それによると、私たちの心は①意識、②知覚、③感覚、④反応、という4つのプロセスで構成されている。

 ①意識が、6つの感覚器官(目、耳、鼻、舌、皮膚、思考や感情)が何かと接触したときに「何かが起きた」という情報を受信し、

 ②知覚がその情報を識別・分類する。

 ③感覚がそれを「快/不快/中立」に分け、

 ④快感には「好き(渇望)」、不快感には「嫌い(嫌悪)」の反応(=サンカーラ)をする。

 実際には、この4つのプロセスは猛スピードで繰り返し行われる。瞬間的な心の反応(好き/嫌い)が無意識に繰り返されるうちに、それは「心の条件づけ」となり、どんどん強化され、固定されて「執着」となる。これが「苦」の原因となるのだ。

 やや分かりにくいので、具体的な例に当てはめてみよう。

 たとえばヘビが苦手な人は、草むらなどで姿を見ただけでギョッとし、嫌悪感を抱くであろう。これを上の4つのプロセスに置き換えてみると、次のようになる。

 ①意識が視覚を通じて何か動くものを察知する。

 ②知覚がそれをヘビであると認識する。

 ③感覚が「不快」を感じる。

 ④自動的に「嫌悪」の反応(サンカーラ)をする。

 ここで注意したいのは、①と②までは中立的で受動的な働きであるということだ。なにしろ、網膜に光が接して像を結び、それを「ヘビ」と認識しただけだからである。そこに「好き」とか「嫌い」とかの価値判断は入らない。

 ところが一度ヘビに対して③不快を感じ、④嫌悪の反応をしてしまうと、その記憶が潜在意識に残る。したがって次にヘビを見たときに、潜在意識は過去に蓄積されたデータを参考に、再び「不快」と感じ、自動的に「嫌悪」してしまう。

 つまり好き嫌いという反応=サンカーラは、プロセスの結果であると同時に、次回の反応の原因にもなるのだ。そのプロセスを繰り返すことで、好き嫌いの条件づけが強化される。「ヘビは嫌いだ」という感じ方が強まり、しだいに執着が生じ、ヘビが自分にとっての「苦」になっていくわけである。

 最大のポイントは、ヘビを嫌悪したとしても、その責任はヘビには一切ないということである。その証拠に、世の中にはヘビを好く人も、好きでも嫌いでもない人も、たくさんいる。ある対象に対して好悪の感情を抱くかどうかは、すべて受け手にかかっているのである。

 このプロセスを韓国に関するニュースに触れる視聴者に当てはめてみると、次のようになるだろう。

 ①意識が視覚と音声を察知する。

 ②知覚がそれを韓国に関するニュース/番組であると認識する。

 ③感覚が「不快」を感じる。

 ④自動的に「嫌悪」の反応(サンカーラ)をする。

 ヘビの場合と同じように、ここで一度「嫌悪」の反応をしてしまうと、それが条件付けとなって、次に韓国に関するニュースに触れた場合に、「不快」を感じやすくなる。すると再び「嫌悪」で反応してしまう。そして悪循環が生まれ「韓国は嫌いだ」という見方が固まってしまい、その見方に「執着」するようになる。

 こうなると、「嫌悪」はどんどんエスカレートする。おそらくは韓国社会の側でも、日本に対して同じように「嫌悪」が増幅しているであろう。

 だが、そのことで得をする人は、たぶんほとんどいない。

 おそらく支持率を高められる両国の政治家くらいだろうか。

 一般の国民は、貿易や文化交流、ツーリズムなどの停滞によって、経済的にも社会的にも心理的にもダメージを受け続けるだろう。

 特に嫌悪や怒りを抱くことは、一時的にはエネルギーを得て元気になるように錯覚するが、その裏では自分の心を傷つけてしまうので、人心はどんどん荒廃していく。それは私たちの「苦」そのものである。

 では、どうしたらこの「苦」の悪循環のプロセスから抜け出すことができるのだろうか。

 ブッダは④の反応(サンカーラ)に鍵があると考えた。

 なぜなら感覚がヘビや韓国を「不快」と感じてしまうのは、過去のサンカーラの蓄積によって自動的に起きてしまうわけだから、今の私たちにはどうにもしようがない。ところが「不快」という感覚が起きたときに、自動的に「嫌悪」という反応をすることをやめ、ただただ冷静に、平静な心を保ちながら観察することは、自分の自由意志で能動的に選択できるからである。

 この道を選択すると、いったいどうなるか。

 いかに強力な不快感も、「この世のすべては無常である」という法則を逃れることはできない。不快感があることにきちんと気づいた上で、平静を保って観察していると、不快な感覚はいつか必ず消えてしまう。すると新しい嫌悪のサンカーラ(反応)は生まれない。したがって「苦」を生じさせるプロセス、悪循環がストップするのである。

 こうした選択をすることが常に身につけば、もはや「不快感」などに振り回されなくなる。したがって嫌悪も苦も生まれなくなる。

 それは自分に対する明らかに攻撃的な言葉に対してさえもそうだ。

 たとえば、Aさんがあなたに対して「バカ!」と言ったとする。このプロセスを例によって分解してみると、

 ①意識が視覚と音声を察知する。

 ②知覚が「Aさんが自分に『バカ!』と言っている」と認識する。

 ③感覚が「不快」を感じる。

 ④自動的に「嫌悪」の反応(サンカーラ)をする。

 という順番である。私たちは、「バカと言われたのだから不快に感じて当然だし、したがって嫌悪するのも正当だ」と思い込んでいるけれども、実はそれは当然でも正当でもない。「バカ!」という言葉を冷静に観察すれば、それは「バ」と「カ」という単なる音の連なりである。したがって「不快」と感じる必要もないし、うっかり「不快」と感じたとしても、不快感が生じたことにきちんと気づいた上で、平静を保って観察していると、不快な感覚はいつか必ず消えてしまう。すると嫌悪のサンカーラ(反応)は生まれない。

 僕はそのことを、ヴィパッサナー瞑想を通じて、理屈ではなく身体で体験的に理解することができた。

 私たちの「苦」は、自分の感情に自動的に反応することで、自ら作り出しているものである。したがって私たちには、自分の感情を冷静に観察することで、「苦」のサイクルから自ら抜け出すという選択肢が与えられているのである。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。