第124回:アジアの屋台が日本にあったら消費税10%! これはおかしい~!(松本哉)

恐怖! 地獄の軽減税率が出現!

 ついに消費税10%が実施された。普段からいろんなところでたくさんの税金を取られてるのに、さらにむしり取るとは…。自民党はじめ今回の増税を支持した政治家の人々や、増税を決定した当時の民主党の野田元首相(←こいつも忘れてはいけない)には、死んだ後はぜひ地獄に落ちてもらいたい(笑)。
 さて、今回の増税、10%という高い税率が問題なのは言うまでもないが、軽減税率というのがまたふざけている。「税金が高すぎるのはよくないから、生活必需品などの税率を安くして庶民の生活を守る」というのは趣旨としては分からなくもないが、これまた余計なことしてくれたもんだという感じ。そんなことするぐらいだったら、消費税は上げずに金持ちから取る別の税制を考えたらいい。というか、本当に庶民の生活必需品のことをちゃんと考えてるんだろうか、あの人たちは。軽減税率の代表的なものは、お店で食べる外食は10%に増税だけど、持って帰る場合は8%に据え置くというもの。外食と自炊で必需品度合いを分けているということだろう。ということで、ちょっと屋台文化について考えてみたい。

屋台文化はシェアリング社会だった!

 アジア圏には屋台文化が根強く残っており、東南アジアの至る所にある屋台や台湾の夜市も有名だし、韓国の昔ながらの市場にも飲食の屋台がずらっと並んでる。アジアに限らず特に南国では屋台の周りに簡単な椅子やテーブルがある光景は世界中で目にする。この屋台文化が個人的にもすごい好きで、おいしいものが安く手軽に食べられるし、賑わってる雰囲気も街の活気を感じて楽しい。

インドネシアのジャカルタにて。軒先にある屋台は町中いたるところに。奥では店のおばちゃんがチビッコたちのお守りをしていて、近所の人がどんどん買いに来る人気のお店

 日本では「外食=贅沢」という感覚が少しあるけど、屋台文化のある多くの場所ではむしろ逆。手軽な値段でサッと食べられるから、庶民の必需品という感覚。ま、日本で言えばコンビニでおにぎりやパンを買うぐらいの金銭感覚だ。そもそも日本だって、江戸時代の蕎麦や天ぷらの屋台や、戦後以降のラーメンの屋台などのように、普通に庶民の民衆文化として根付いていた。
 いま日本でもいろんなものをみんなで共有するシェアリングの考え方は広がっているが、実は屋台にも通じるものがある。一人や家族数人で少量の食材を買い、少し時間をかけて料理をして食べて最後に片付けるより、屋台で大量に作る方が効率がすごくいい。もちろんそれが大企業のチェーン屋台みたいなものだったら、ただの消費文化になってしまうかもしれないけど、一般的に小さい屋台というのはそのコミュニティーの一員だ。チビッコやじいちゃんばあちゃんとも知り合いだし、貧乏な学生やいつもの酔っ払いも食べに来る感じ。
 働いてる人を「仕事中の人」と割り切りすぎるのは現代の病理。発展した経済の中で企業などで働いているとどうしてもそうなってしまうが、小さなコミュニティーの中でその社会を成り立たせるための本来の意味での仕事というのは、日常生活とほぼ一体化してて、何が仕事で何が遊びや余暇なのか区別すらできない感じだった。そう、その屋台の人が例えば毎日チャーハンを作ることは地域コミュニティーの中でのその人の「役割」。で、その隣には揚げ物を作る役割の人がいて、その隣にはアイスやかき氷を作る役割の人がいる。そして、その屋台があるおかげで、みんなは自炊するのと大差ないような値段で気軽に食べることができるし、手軽に食べられるので時間もすごい節約できる。なによりその道一筋の人が作る美味しいものが食べられる。そしてそのおかげで、他のみんなは自分の「役割」に集中することができ、その小さな社会が回っていくのだ。車をみんなで共有したり、職場を共有したりする感じで、晩ごはんを共有する、そんな感じ。

同じくジャカルタ。テーブルがあるので日本の消費税的にはここは「贅沢な外食」だから税率は10%。店のオッサンが聞いたら目玉が飛び出るぐらい驚くに違いない

地域コミュニティーの重要拠点=屋台

 そしてもうひとつ。この屋台文化、すごくいいのは、街のコミュニケーションにもなること。屋台のおっちゃんやおばちゃんを通して、顔見知りも増える。「おう、オメー最近顔色悪いな」とか「新しい仕事見つかったかい?」なんて話題も屋台ではよくあること。現代日本ではひきこもり状態の人や独居老人が毎日コンビニ弁当を食べ続けて、人知れず死んでたりするニュースもよく聞くが、そういうことも少しは減るはずだ。
 いま日本では下火の屋台文化だけど、これは別に文化が去ったのではなく意図的なもの。屋台の認可をものすごく難しくしたり、博多などの屋台への締め付けも厳しくしたりと、行政は明らかに屋台的なものを減らそうとしている。テキ屋が仕切ってる場合があるとか、店舗を構えてる店からのクレームとか、道路使用許可でのトラブルが面倒くさいなど、色々あるんだろうけど、これは完全に自分の首を絞めてる行為だ。いやー、もったいない! むしろ屋台文化がまた盛り上がって明るく賑わったコミュニティーが広がって欲しいぐらい。ついでなので言うと、海外では屋台で成功して人気になり店舗を構えるというケースがたくさんある。要は将来の商店主の予備軍で、これが地域活性化や商店街の盛り上がりにもつながっていく。こういう新しい芽を摘んじゃいけないと思うね~、本当に。これは余談。
 さて、もちろん料理をする楽しさや、みんなで料理したり皿洗ったりする楽しさもあるので、自炊の良さもあるんだけど、屋台文化が発展している地域では、自炊はむしろたくさん時間をかけるイベントみたいなもので、むしろそっちの方が贅沢なこと。日本で言えば鍋パーティーやバーベキューをやる感じに似てる。逆に、ちゃんとしたお店で正式な料理やちょっと珍しいものを出すような外食もあるので、外食と言ってもいろんな種類がある。一概に外食が贅沢で自炊が生活に必須というわけでもないということだ。むしろ屋台はコミュニティーの社交の場で、昭和の銭湯みたいな感じ。もし屋台文化のあるアジア圏のどこかで「外食は贅沢なので増税です」なんて政策なんて出したら「ええ! なんで!?」と、全く理解されないはずだ。

ここもジャカルタ。この屋台は店主がぐうたらなせいかテーブルがなく、お客さんはその辺の路上の石や柵に腰掛けて食べる。テイクアウト専門ということになるので、日本なら税率8%。店主が面倒くさがりだと税率が下がるという謎の現象に

意味不明の税率はやめて、普通に金持ちから取れ!

 さてさて、そう考えたときに今回の消費税増税における意味不明の軽減税率。「庶民の生活を守ろう」というお題目だけはありがたいけど、その実なにもありがたくない。例えば、いま紹介した屋台文化などは座って食べることが多いので軽減税率の対象にはならず、増税の対象。ま、言うなれば「生活に絶対必要ってわけでもないでしょ?」ってことだ。クソ~、屋台文化を軽く見やがって~。もう完全に政治家のやつらの安直な発想としか言いようがない。あとは「庶民の生活のことを考えてる」というパフォーマンスのみ。

台湾の夜市。雑貨の屋台から飲食、お菓子までなんでも売っていて楽しい。安いので学生とか簡単に食事を済ませたい家族連れなんかが集まって大賑わい。屋台で買って食べながら歩いて回るのが夜市スタイル(8%)だが、テーブル席も用意されてるので、疲れてちょっと座ったら10%

 100歩譲って生活必需品を増税から守るというのはOKだとしても、その線引きは至難の技で、単に政治家が書面上で線を引くようなやり方でできるわけがない。その理屈で考えるなら、叙々苑の焼肉と吉野家の牛丼が同じ税率なのはおかしい。また、業務スーパーのとても食い切れないぐらいの量の激安冷凍輸入肉と、貧乏人は見たら目が潰れるような高級スーパーの和牛の霜降り肉が同じ扱いなのもおかしくなる。そう、線引きは不可能だし無意味。さらには実店舗でのレジや会計処理がクソ面倒くさくなっただけ。ましてや店舗側はお客さんから取った税金は国に納めなきゃいけないんだから、余計な仕事が増えただけ。これ、どうしてくれるんだろ、いったい~。
 というわけで、増税はやめるべき。金が足りないなら余ってるところから取る別の税制を考えるべきだし、そもそもその前にアホみたいに税金の無駄遣いしてるのを先になんとかしろ~。さもなくば、消費をやめちゃうぞ!

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松本哉
まつもと はじめ:「素人の乱」5号店店主。1974年東京生まれ。1994年に法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、学費値上げやキャンパス再開発への反対運動として、キャンパスの一角にコタツを出しての「鍋集会」などのパフォーマンスを展開。2005年、東京・高円寺にリサイクルショップ「素人の乱」をオープン。「おれの自転車を返せデモ」「PSE法反対デモ」「家賃をタダにしろデモ」などの運動を展開してきた。2007年には杉並区議選に出馬した。著書に『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』(筑摩書房)、『貧乏人大反乱』(アスペクト)、『世界マヌケ反乱の手引書:ふざけた場所の作り方』(筑摩書房)編著に『素人の乱』(河出書房新社)。