第81回:トランプ大統領の弾劾捜査と「法の支配の危機」(想田和弘)

 日本ではなぜかほとんど話題になっていないようだが、アメリカでは下院によるトランプ大統領の弾劾捜査が本格的に始まり、大変な騒ぎになっている。

 ロシア疑惑では弾劾に慎重だったナンシー・ペロシ下院議長(民主党)が、にわかに弾劾手続きに踏み切ったのは、新たな「ウクライナ疑惑」が浮上したからである。

 トランプ大統領が今年7月25日、ウクライナのゼレンスキー新大統領と電話会談した際、民主党大統領候補・バイデン前副大統領の息子の汚職疑惑について捜査するよう、圧力をかけていたことがわかった。トランプの電話の約一週間前、ウクライナへの軍事支援3億9100万ドル(約420億円)の送金延期を命じていたことを考え合わせると、軍事支援と引き換えに政敵の醜聞を得るべく、大統領の権限を濫用したとの見方が濃厚である。

 電話会談の記録が、側近によって慌てて高セキュリティーの特別なサーバーに移された事実からは、大統領周辺のスタッフらも会談内容に問題を感じていたことが見てとれる。にもかかわらず、疑惑が明るみに出たのは、CIA職員と見られる匿名の内部告発者が、法に定められた方法で正式に告発を行ったからである。

 いずれにせよ、ウクライナへの軍事支援の支出は、ロシアのクリミア半島への侵略行為に対抗するため、米議会で超党派で承認されていたものだ。疑惑が本当であるならば、トランプは個人的利益のために米国の外交政策を捻じ曲げたことになる。それは彼に大統領職を委ねたアメリカ国民に対する背信行為といえるだろう。

 アメリカの建国の父たちは、将来、大統領職に就く者がその強大な権力を濫用することを恐れて、議会や司法が大統領の仕事をチェックする三権分立の仕組みを作った。同時に、合衆国憲法に「反逆罪、収賄罪その他の重罪及び軽罪」を理由として大統領を解任するための手続きを書き入れた。

 それによると、下院で過半数の議員が訴追を承認すれば、上院で弾劾裁判が行われる。そして上院で出席議員の3分の2が賛成すれば、大統領の「有罪」が成立し、大統領職から解任できる。

 下院は民主党が多数派を占めているが、上院は共和党が多数である。したがって、下院で訴追が決まる可能性は高いが、上院でトランプが有罪となる可能性は低い。それでもペロシ議長が「法を超越する者はいない」と宣言して弾劾捜査に踏み切ったのは、それがアメリカン・デモクラシーにおける議会の責任だからである。

 下院は捜査のために、ホワイトハウスや大統領側近、顧問弁護士などに対して、次々に通信記録等の召喚命令や出頭命令を出している。命令を拒否すれば、それ自体が弾劾の理由ともなりうる「捜査妨害」とみなすと宣言している。

 それに対してトランプは「民主党によるクーデターだ」「ペロシを国家反逆罪で弾劾せよ」などとツイッターで攻撃をエスカレートさせている。

 しかし、合衆国憲法で定められた正式な手続きを踏む弾劾捜査を「クーデター」と呼ぶのはおかしいし、そもそも議員であるペロシ氏は法的に弾劾できない。要はトランプは、大統領であるにもかかわらず、法的に無茶苦茶な主張を恥も外聞もなく撒き散らしているわけであるが、彼が自らを「法を超越する者(無法者)」であるとみなしているならば、それなりに整合性があるともいえる。

 最近では、「トランプはもしかしたら弾劾裁判で『有罪』になっても、あるいは今度の大統領選で敗北したとしても、あれこれ理由をつけて大統領職を降りようとしないのではないか」という懸念さえ、有識者から聞かれる。僕もトランプがそういう行動をとったとしても、それほど驚くべきことではないような気がしている。

 そういう意味では、アメリカはいままさに「憲法の危機(Constitutional Crisis)」「法の支配の危機」を迎えているのである。

 日本ではトランプといえば「トウモロコシ」のニュースばかりが話題になっているが、彼の問題はトウモロコシだけではないのだ。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。