第500回:なぜ、透析は再開されず、彼女は死んだのか? 〜福生病院透析中止事件〜(雨宮処凛)

 「とうたすかかか」

 この言葉は、人工透析を中止した女性が夫に送ったメールだ。「とう(父)、たすけて」と打とうとして「たすかかか」となったらしい。メールが打たれたのは2018年8月16日午前7時50分。この約9時間後、女性は死亡している。

 死亡した44歳の女性・Aさんは5年ほど前から人工透析をしていたという。が、死の数日前、福生病院の医者から「透析をやめる選択肢もある」ことを告げられる。女性は透析をやめたものの、亡くなる2日前、苦しくなって入院。「こんなに苦しいなら透析した方がいい、撤回する」と意思表示をしたが、それが聞き入れられることなく死亡した。

 19年3月、このことが報道されて以来、ずっと気になっていた。日が経つにつれ、福生病院の透析中止にまつわる報道は増えていった。彼女のように透析を中止して亡くなった患者が他にもいること、また、最初から透析をしない「非導入」で亡くなった患者が20人いることも報道された。しかし、議論は常に錯綜していた。ただでさえつらい透析治療をしている患者に「透析をやめる」=「死という選択もある」と提案すること自体があり得ない、という意見もあれば、おなじみの「透析には莫大な金がかかっている」というような意見もあった。

 事件が報じられてすぐ、このことについて「問題があるのでは」とある原稿に書いたところ、元透析医から投書が来たこともあった。内容は、末期腎不全の患者が透析を始めて「こんなつらいことは嫌だ」となるケースもあること、また透析患者には様々な生活の制限があるものの、「透析すればいい」とやりたい放題の生活をして緊急搬送されるようなこともあることなどを理由に今回のケースをおおむね妥当とするような内容だったと記憶している。

 が、私の知り合いの医師の中には「あのケースを末期とすること自体、絶対におかしい」と批判する人もいて、医療についての知識がない私はずっともやもやしていた。

 だけど、医療の知識がなくても、誰だって病気になる。医者にはかかる。このケースの背景には、患者と家族、そして医師の間に重大な齟齬が潜んでいる気がして、それはとても人ごとには思えなかった。そんなことを考えていた頃、Aさんの夫と次男が病院を提訴することを知った。10月17日、提訴に合わせて開催された「公立福生病院透析中止事件 提訴報告集会」に参加した。

 「妻が息苦しさから公立福生病院に入院した時、私は亡くなるとは思っていませんでした。入院すれば助けてくれると思っていました。死に方が不自然で腑に落ちません。私が付き添っていた8月14日と15日は何も治療されず、透析離脱を撤回したいと言ったのに聞いてもらえませんでした。本人が苦しんでいるのに治療する気配もなかったのは何故か? 見殺しにされたのではないか? それを知りたいと思い裁判を起こすことを決心しました」

 集会の冒頭、原告である夫のメッセージが代読された。

 ここで、集会で配布された資料をもとに経緯を少し詳しく振り返りたい。

 Aさんが5年ほど前から人工透析を受けていたのは前述した通りだが、8月9日、シャント(針を入れる分路)が閉塞して透析ができなくなったため、普段透析をしていた診療所に福生病院を紹介される。

 そうして訪れた福生病院でAさんは、首にカテーテルを入れて透析を受ける治療法があることとともに、透析そのものをやめる選択肢を提示される。その際、医師は、血液透析は治療ではなく、死期を遠ざけているに過ぎないこと、今後も透析をして延命するのであれば新規アクセスの造設を行うが、透析の継続を望まないのであれば手術は行う必要はなく、その場合、2〜3週間程度の寿命となる、と述べたという。

 Aさんはそれを受け、透析離脱証明書に署名。が、その後、体調は悪化。署名した5日後の14日には福生病院に入院した。この時点で既に「撤回する(できる)ならしたい」と述べ、家族も「本人が苦しいから治療(テシオカテーテル)をやって楽にしてほしい」と訴えている。が、対応されない。

 16日、Aさんは「こんなに苦しいなら透析した方がいい、撤回する」と明確に撤回の意思を告げている。が、医師は長男と次男に対し「意識が混濁している状態ではなく、意識が清明であったときの本人の意思を尊重する」と述べたという。

 この時、予期せぬトラブルが発生していた。夫が胃潰瘍に倒れ、同じ福生病院の救急病棟で緊急手術となったのだ。Aさんに対して「除痛を始める」と告げに来た医師に、夫は「つらいのがとれてまた透析したいと言ったらお願いします」と言ったという。医師はそれに対して、「つらい時は誰でもみんななんでもやりますと言うのが当然です。まずは正常な判断ができるように除痛して、あとは本人と私たちに委ねてください」と言ったそうだ。

 そうして鎮静が開始され、その約5時間後、女性は死亡。

 手術中、私物を病院に預けていた夫は、その翌日に荷物を返してもらい、前日未明から何度もAさんからメッセージが入っていたことに気がついた。「とうたすかかか」というメッセージを見た時、涙が止まらなかったという。

 さて、ここまで読んで、どう思っただろう。「でも、末期だったんでしょ?」「自分でやめるってサインしたんでしょ?」「もうどうにもならないほど病気が悪化してたなら仕方ないのでは?」という意見があるかもしれない。

 が、集会では、多くの問題点が指摘された。

 まずは、透析治療中の患者に「やめる」=「死の提示」がなされたこと。ただでさえつらい透析治療である。落ち込むこともあれば、絶望にとらわれることもあるだろう。が、死に直結する「中止という選択」が提示されたことは、果たして適正だったのか?

 また、離脱証明書に本人は署名しているわけだが、この際、どれほどの苦しみになるかなどの説明はなされていないという。それだけではなく、のちに撤回できるかどうかについても何の説明もない。入院した日、Aさんは「撤回するならしたい」と言っているが、それに続けて「でも無理なのもわかっている」と言っている。この言葉が示すのは、「一度サインしてしまったら絶対に撤回できない」と思い込んでいた可能性があるということだ。

 さて、では夫はなぜ妻の「透析離脱」を止めなかったかという疑問も出てくるが、夫としては「苦しくなったらまた再開するだろう」という思いがあったそうだ。なぜなら、透析を始めたばかりの頃、病院とのトラブルで一ヶ月近く透析に行かなかったことがあったのだ。結局、体調が悪化して透析に行ったという経緯があったことから、今回もそうするだろうと思っていたのである。

 また、医師の説明も、命がかかっていることとは思えないものだったそうだ。夫のメッセージには以下のようにある。

 「今回、先生から『首からカテーテルを入れて透析続けますか、透析をやめますか』と言われて、妻は『やめることもできる』と気づいたのだと思います。私が診察室に呼ばれた時、先生は2つの選択肢を軽い感じで説明しました。妻が『透析やめます』と言ったあと、先生はゆっくり話し合うこともせず、『続けた方がいい』とも言わず、病院で準備された『透析離脱証明書』が出され、それに妻がサインしました。『在宅でお看取りです』と言われたのですが、その時は意味がよくわかりませんでした」

 このやりとりを想像すると、背筋がスッと冷たくなる。「透析やめる選択もあるよ(死ぬけど)」→「やめます」→「在宅でお看取りです」って、なんかものすごく大切な部分を何段階もすっ飛ばしてないか? 夫が「意味がよくわかりませんでした」というのも納得だ。

 そうして透析を中止して5日後の14日、Aさんは入院するわけだが、透析は再開されない。入院当日にも「撤回するならしたい」、そして亡くなる日の朝にも「撤回する」と明確に述べているにもかかわらず。意識が混濁しているから、意識が清明だったときの意思を尊重すると言われて再開されない。が、身体が楽な時に「やめたい」と言っても、苦しくなって「こんなに苦しいなら透析をする」という方が切実な訴えではないか。苦しみにのたうち回って「助けてくれ」と言っているのに、「意識がはっきりしている時の意思を尊重する」として放置されるなんて悪夢である。

 夫も、医師に「また透析したいと言ったらお願いします」と言っている。が、先に書いたように「つらい時は誰でもみんななんでもやりますと言うのが当然です。まずは正常な判断ができるように除痛して、あとは本人と私たちに委ねてください」という答え。が、場所は病院で、再開してほしいと家族が訴え、本人も撤回すると訴えているのだ。透析が再開されるだろうと思うのが当然である。しかし、再開されず、Aさんは激しく苦しみ、鎮静ののち死に至った。

 さて、「でも、末期だったんでしょ?」という人もいるかもしれない。実際、福生病院腎センターの医師らは「透析を必要とする腎不全の状態は終末期。無益な延命治療を受けない権利を患者に認めるべき」と主張しているという。しかし、この日の集会には、透析歴22年の男性も参加。

 男性は「末期というなら、私は22年間、末期なのか」とものすごく本質的な突っ込みをした。確かに「末期が22年間」とか聞いたことないし、なんなら「余命22年」も聞いたことがない。が、福生病院のように透析=末期とする考え方が一部であるようである。

 さて、ではAさんは治療不可能で、透析再開ができないほどの状態だったのか、という疑問も残る。が、この日の集会に参加していた緩和ケア医はAさんのカルテを見て、「どのタイミングでも透析できた」と断言。また、今回、福生病院に行くきっかけはシャントの閉塞だったが、もともと福生病院で首にカテーテルを入れる手術をするはずだったのである。透析歴22年の男性も、「人工血管、それでダメなら別の方法もある」と経験者ならではの発言をした。また、太ももからカテーテルを入れていればよかったとか、腹膜透析は? などなど、多くの専門家が口にする。

 医師の間では、「この人は治療できないほど状態が悪い人だった」として福生病院を問題視しない意見も多いそうだ。また、日本透析医学会は19年5月、福生病院を調査し、「中止の意思尊重は妥当」という見解を出している。この見解が出た時には驚いたが、「日本透析医学会」が「問題なし」としたことによって、報道は急速に下火になった気がする。

 しかし、本当に「問題なし」としてしまっていいのだろうか。

 透析歴22年間の男性は、日本透析医学会の声明にショックを受けたと述べ、これまで、医師や看護師や病院スタッフの誰一人からも「透析をやめる選択もあるよ」などと言われたことがないと言った。医師がすべきは、ただでさえ絶望し、落胆の中にいる患者に「透析しないで死ぬ方法もあるんだよ」と伝えることではなく、生活に制約はあるけれど、透析をしながら仕事をしたり旅行したり、人生をエンジョイしている人がたくさんいることを伝えることでは、と続けた。自身がそうやって励まされたのだという。

 それにしても、一度サインしてしまったら、どれほど苦しみにのたうちまわろうと、撤回したいと主張しようと治療が再開されないということは恐ろしいことである。そしてそれは、「事前指示書」やリビング・ウィルという形で今、医療の世界に広まっている。リビング・ウィルは「尊厳死の宣言書」などと言われ、「延命措置はしないで」という趣旨が書かれるわけだが、一旦サインしてしまったら、どんなに「治療を再開」してほしくても放置される可能性がある。訴訟になるかもしれないからだ。

 Aさんは、おそらく病院に行けば助かると思ったはずだ。もちろん、家族も。離脱証明書にサインはしているけれど、病院は命を救うところである。だから、治療は再開され、生きられると。しかし、苦痛の中、助けを求める声は「意識が混濁している」として正当な訴えととってもらえなかった。

 つらい透析を受けてまで生きたくない。人工呼吸器や胃ろうをつけてまで生きたくない。いろんな声があるはずだ。が、れいわ新選組の舩後議員は人工呼吸器も胃ろうもつけて国会議員をやっている。そんな舩後議員も人工呼吸器をつけることには限界まで抵抗している。胃ろうも嫌だったそうで、餓死寸前のところまで行っている。でも、つけたのだ。つけて今、国会を舞台に活躍しているのだ。元気な時とそうでない時、人の気持ちは変わる。変わっていくから人間なのだ。

 一方、高齢で助かる見込みもないのに全身チューブだらけで延命だけされるのは嫌だ、という気持ちも、もちろんわかる。が、私たちがイメージする「末期」「無駄な延命」と、病院側のそれが一致している保証はどこにもない。もしかしたら、私たちが「無駄な延命」と思う遥か手前で医療がストップされるかもしれないのだ。そして超高齢化社会がこれからどんどん深刻化する今、医療費削減は喫緊の課題とされていることも忘れてはならない。「財源不足」という現実に対しての回答が、安楽死・尊厳死の法制化だとしたら悪夢である。

 福生病院を訴えた裁判は、早ければ年内にも始まるという。

 命の選別が問われる今だからこそ、この裁判を見守っていきたい。

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。