「戦争をなくす」「世界平和のため」。その日の法廷で、何度か耳にした言葉だ。
同時に多く耳にしたのは、大学のフットサルサークル、バーベキュー、スノーボードという「青春真っ只中」な言葉たち。そんな言葉の合間に、「意思疎通ができない障害者を殺す」という言葉がぬっと顔を出す。何度も、何度も。2度目に傍聴した裁判で、私はさらに混乱した。
1月20日、横浜地裁101号法廷。この日、午前10時30分から午後4時45分まで、相模原事件の第6回公判が行われ、傍聴した。
初公判では見ることができなかった植松被告の顔を、この日はよく見ることができた。傍聴席に座るとすぐ、右側の入り口から5人の刑務官に付き添われ、手錠をつけられた植松被告が入ってきた。青いトレーナーに黒いズボン、黒い靴に青い靴紐。事件当時金髪だった髪は真っ黒で、長い髪を後ろでひとつに結んでいる。初公判の日(とその翌日)、噛み切ろうとした右手小指には包帯が巻かれている。植松被告が入廷する際、その姿が遺族などには見えないよう、遺族や被害者が座る傍聴席の前には白い幕が張られていた。
この日は、弁護人によって多くの供述調書が読み上げられた。高校時代の交際相手から始まって、同級生、友人、幼なじみ、果ては植松被告が通っていた理髪店の担当者のものまである。
それらを総合すると、少なくとも事件前年までの植松被告はごくごく普通の青年だったようだ。小中学校時代は知的障害がある同級生がいたものの、植松被告から差別的発言がなされたことはなく、障害がある生徒を同級生として当たり前に受け入れていたという。小学4年生から高校3年までバスケットボール部に所属し、高校ではクラスのリーダー的存在という証言も。高1の夏、クラスメイトの女の子に告白して交際をはじめ、付き合って1周年の日には指輪をプレゼントしている。それはサイズが合わなかったそうだが、彼女は「嬉しかった」と供述調書で振り返る。また、植松家はオープンな家庭だったようで、植松被告は彼女とデートでどこに行ったかなどを隠すことなく両親に話していたそうだ。和気藹々となんでも語る「友達親子」という言葉が浮かぶ。
地元の友人たちの証言によると、高校時代までの植松被告は空気が読める明るいタイプで、「ヤンチャ系」だった友人たちからは真面目な雰囲気に見えたという。が、大学生になると髪を染め、刺青を入れ、脱法ハーブを吸ったりと「チャラい」方向に変わっていった。しかし、髪を染めたりタトゥーを入れたりといった行為は若者にはよくあることだ。
一方、高校時代の交際相手の供述からは、純粋な一面も垣間見える。例えば二人は別れたあとも連絡をたまにとっていたのだが、大学三年生の頃にかかってきた電話で植松被告は「俺、大学生になってから、付き合ってない女と関係を持つようになった。俺は汚れた」などと話していたという。ちなみにこの部分の読み上げを聞いた時の植松は、「いやいや」という感じで首を傾げ、バツが悪そうに笑って否定している様子だった。このように、法廷で読み上げを聞きながら、植松被告が反応する瞬間も何度かあった。
そんな植松被告が変わっていくのは、やはり事件の前年、2015年頃からだ。
12年に大学を卒業した植松被告は、自販機に飲み物を補充する仕事をしていた。が、体力的にキツいということで、友人(津久井やまゆり園で働いていた)の紹介で13年、津久井やまゆり園に勤め始める。その頃くらいから脱法ハーブではなく大麻を吸うようになったらしい。
働き始めた頃は、「年収300万、安い」とぼやきながらも「障害者はかわいい」と友人に言い、また就職で悩む後輩には、「仕事はお金ではなくやりがい」「施設では、刺青がある自分にも障害者はキラキラした目で接してくれる。今の仕事は天職だ」などと語っていたという。しかし、働き始めて2年もする頃には変わっていく。印象的だったのは、植松被告がしきりに障害者を「かわいそう」と言い始めることだ。
「障害者はかわいそう。食べているご飯もドロドロでひどくて、人間扱いされていない」「車椅子に縛り付けられていて、拷問だ」「重複障害者はかわいそう。親もかわいそう」
同じ頃、友人たちは一様に、世界の出来事を予言するという「イルミナティカード」について植松被告に聞かされている。
幼稚園からの幼なじみは、事件が起きた年の16年2月、「相談がある」と電話を受け、以下のような会話を交わしている。
植松 世界に重複障害者は〇〇人、その金を使えば戦争がなくなる。俺は施設で働いてるから政府の代わりに殺せる。600人は殺せる。
友人 障害者が死んでも税金は余らないと思う。
植松 いや、いるだけで迷惑なんだよ、親も迷惑してる。
友人 みんなが迷惑してるとは限らない。
植松 いや、迷惑してるんだよ。自分は選ばれた存在だから。イルミナティカードで救世主と予言されてる。UFOを見た。
友人 都市伝説でしょ? さとくん(友人は皆一様に彼のことをこう呼んでいる)は選ばれた存在でもなんでもない。
植松 成功したら名前も顔も変える。一生遊んで暮らす。100億円もらう。安楽死や大麻合法化などの法律を作る。
植松被告は、友人たちにこんな調子で電話をかけまくっている。別の友人には、「知ってるか、世界でいくら無駄な税金が使われているか。世界に障害者が〇〇人いて、そのために〇〇円も税金が無駄になっている」「殺せば世界平和に繋がる。トランプ米大統領は殺せば大絶賛する」などと語り、安倍総理に手紙を書いたから聞いてほしいと電話口で読み上げている。これは何人もの友達にやっている。例の「障害者は不幸を作ることしかできません」という手紙だ。
そうして彼は、友人の一人にこう言っている。
「安倍総理の許可もらったら実行するよ。お金もらったら遊ぼう」
あまりの屈託ない様子に、傍聴席で頭がクラクラした。植松被告は本当に、本心から、「事件を起こしたら安倍総理らに褒められてお金をもらえると信じていた」のだろうか? だとしたら、やはり普通の精神状態とは思えない。また、「そんなことしたら捕まるよ」という友人の忠告への答えも妄想じみている。
「2、3日したら捕まえられて安倍総理に会える」
結局、2月に手紙を持参して衆院議長公邸前に行き、それがきっかけで措置入院になるわけだが、植松被告は公邸前で、手紙を受け取ってほしいと何度も土下座している。わざわざスーツを着て、ネクタイを締め、「障害者を殺せる」と書いた手紙を衆院議長に読んでもらうために道端で土下座する。やはり正気の沙汰とは思えない。
また、措置入院が解除された後には、心理カウンセラーにも障害者の安楽死について語り、「誰かがやらなければ」と語っている。ちなみにこの心理カウンセラーは植松被告の両親の知り合いで、小さな頃から家族ぐるみの付き合いをしていたそうだ。植松被告の両親に依頼されて、退院後、電話で話したり、ラーメン屋で会って話したりしていたという。
「どうしてさとしが?」。カウンセラーがそう植松被告に問うと、イルミナティカードの画像を見せて、語呂合わせすると自分の名前になると言ったそうだ(何かを逆に読むと、3、10、4になり、それが「さとし」と読めるということらしい)。
「イルミナティは裏で地球を牛耳ってる。高度な宇宙人が関与してる」「イルミナティが政府に手を回して自分を解放してくれる」「コンピュータに脳を移植してもらって不老不死を手に入れる」と熱心に語っている。
友人やカウンセラーだけでなく、行きつけの理髪店でも障害者を安楽死させた方がいいと力説している。
また、津久井やまゆり園の同僚には、同僚家族への「養子縁組」の話を持ちかけている。夜勤で一緒になった同僚(ほとんどそれまで話したことがない)と雑談中、同僚の夫の兄弟(?)がベルギーに住んでいると知った植松は興奮し、「今、友人とベルギーに移住したいと考えている」と言い、こう続けたという。
「絶対に言わないでくださいね。大麻、どう思いますか? ベルギーは大麻が合法だから。でも永住権がいる。養子になれば永住権が取れる。(夫の兄弟?)を紹介してほしい。養子にしてもらいたい」
それからずっと、フリーメーソンや秘密結社の話をとめどなくしていたという。
変だと思う。他人との距離感もおかしく、やはり普通ではない気がする。
法廷での植松被告は、表情の読み取りづらい顔をしていた。少し顎を上げた顔の角度からは「不敵」という言葉が浮かんだ。時々、馴染みの記者とアイコンタクトしたり黙礼をしたりもしていた。
私は、初公判は傍聴したものの、第2〜5回公判は傍聴できていない。しかし、第6回公判を傍聴して思ったのは、働いて2年目、障害者を「かわいそう」と言い出した時期から、明らかに何かが変わったということだ。
事件のあった年の2月、植松被告は元交際相手に「重複障害者はいらない」などとLINEを送っている。そこにあった「ドロドロの食事」という言葉を見て、彼女は自身が高齢者介護の仕事をしていた頃のことを思い出したという。ドロドロにしたご飯に、デザートのいちごも混ぜて出していたそうだ。そのことが「この人にとって良いサービスなのか」と疑問だった。だからこそ、植松被告の気持ちが少しわかる気がしたという。高齢者を助けたいという思いで介護の仕事に入っても、理想と現実のギャップを感じていたという。
それはおそらく、ケアの仕事につくすべての人が感じている葛藤ではないだろうか。そして植松被告はその葛藤に、耐えきれなかったのではないだろうか。葛藤しながら向き合うのではなく、いろんなことをすっ飛ばして、最悪の解答を導き出した。おそらく、葛藤から解放された彼自身は「楽」になっただろう。もしかして、それほどに彼の葛藤は深かったのか。わからない。いくら考えても疑問符ばかりだ。
そんな第6回目公判の2日後、朝日新聞1月22日夕刊(大阪本社版をのぞく)である言葉に出会った。『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』で大佛次郎論壇賞を受賞した東畑開人氏は、「ケアの価値見失う大きな社会」という記事で以下のように書いている。
「母親が子供の世話に疲れ果ててしまうとき、教師がうつになって学校から離れるとき、援助者であった人が自分の仕事と利用者を憎むようになるとき、彼らを追い詰めているのは、自身の資質ではなく、社会の歪みだ」
何かこの言葉に、ヒントがある気がした。
同時に私たちはこの「失われた20年」の間、「少ないパイを奪い合わなければ生き延びることなどできない」という脅迫に晒されてきた。そんな空気を彼は一身に、誰にも頼まれてないのに勝手に背負っているようにも見えて仕方ない。
「重複障害者を生かしておくために、莫大な税金が使われています。お金がなくて戦争するなら、もっと考えることはあるはずです」
彼がLINEで友人たちに訴えていたことだ。戦争に反対して、日本の借金を憂いて、彼は障害者を大量殺戮した。
植松被告の自宅に残されたメモには、以下のような言葉があった。
「失敗した憲法に縛られるのではなく、全人類のためにお力添えをお願いします」
と、ここまでにしようと思ったのだが、ダメ元で行った1月24日の第8回公判も傍聴することができたのでレポートしたい。しかも被告人質問の1日目だ。この日は1日、弁護側からの質問だった。
ということで、1月24日10時30分、植松被告は手錠を外され、横浜地裁101号法廷の証言台に立っていた。黒いスーツに白いシャツ、ネクタイはしていない。
「今、どこにいるかわかりますか」
被告人質問は、弁護士のこの一言から始まった。植松被告は、自分は裁判所にいること、この裁判が19人を殺害した事件の裁判だとわかっていることなどを発言。ハキハキした口調で、声も大きい。
「この裁判で、弁護側がどのような主張をしているか知っていますか?」
そう聞かれた植松被告は「心神喪失、心神耗弱による無罪を主張しています」と述べ、続けた。
「自分は責任能力を争うのは間違っていると思います。責任能力がないものは、即、死刑にすべきだと思うからです。自分には責任能力があります」
「正しい考えに基づいて行動したということですか」と聞かれ、「はい」と答えた植松被告に、弁護士は3年前、植松被告から渡されたノートの話をした。そこには何が書かれていたか問うと、植松は「より多くの人が幸せになるための七つの秩序」と回答。その七つが「安楽死」「大麻」「カジノ」「軍隊」「セックス」「美容」「環境」であるとスラスラ答えた。
午前の法廷は、この「七つの秩序」についての質問となる。
まず「安楽死」について問われると、植松被告は「意思疎通のできない人を安楽死させるべきです」と事件時と変わらない主張をした。
なぜか、という問いには待ち構えていたように「無理心中、介護殺人、社会保障費の増大、難民問題などを引き起こすもとになっていると思うからです」と述べた。暗記して練習していたかのような、畳み掛けるような口調。その後も「家族、子どもが障害を持っていたら守りたい気持ちはわかるが、お金と時間を奪っている限り、守ってはいけない」と主張。
障害者を安楽死させると世の中はどうなるかと問われると、「生き生きと暮らすのではなく、生き生きと働ける社会になります」と答え、続けた。「仕事をしないから働けなくなったり、ぼけてしまう」「働かない人を守るから働けない人が出てくる。支給されたお金で生活するのは良くないと思います」。
どうやら植松被告には、「働かざる者人に非ず」というような強い意識があるようだ。が、自身が一時期生活保護を受けていたことについてはどう思っているのだろう。そしてこの3年間、ほかならぬ植松被告こそが税金で暮らしていることを。
ちなみに「日本は借金だらけで大変」というのは植松被告がよく主張することだが、それを知ったのは、お金が欲しくて世界情勢を調べたことがきっかけだという。津久井やまゆり園で働くうちに、その考えはあるところに行き着く。法廷で、植松被告はひときわ大きな声で言った。
「重度障害者は必要ないと思いました」
七つの秩序の二つ目・大麻については、自説を展開しまくった。
「本当に素晴らしい草で、深く感謝しています。嗜好品として使用、栽培が認められるべきです」
大麻が禁止される理由を弁護士に問われると、「病気が治ると薬が売れなくなるからだと思います。大麻は250の疾患に聞くと言われています。楽しい心が身体を回復させます」。また、大麻を使うとどうなると問われて「脳が膨らみます」「多幸感を与えてくれます。ビル・ゲイツさんも、『物事を別の角度から見られる人生最大の経験』と言っています」。
21〜24歳まで吸っていたという脱法ハーブについては「最悪」「バカになってる実感あった」とコメント。大麻は23、4歳から事件まで吸っており、その頻度は週2〜4回だったという。また弁護士に大麻が合法の国について聞かれると、「待ってました」とばかりに「オランダ、ベルギー、アメリカ、カナダ、ブラジル、オーストラリア。医療大麻はロシア、イギリス」などと得意げに国名を羅列するのだった。
弁護士が話題を「カジノ」に移そうとすると、「大麻についてもう少し話したい」と遮り、「安楽死が認められている国は大麻が合法の国が多い。大麻で考えが深まっているからだと思います」と自説を展開。「日本人も大麻を吸って楽しい生活をすれば安楽死を認めると思います」と述べたのだった。その後、カジノについては、カジノは認めていいものの、「カジノではなく小口の借金が悪いと思った」とよくわからないコメント。
しかし、このように「七つの秩序」について質問され、一つひとつに答えていく植松被告は得意げな様子だった。彼は、「俺が世界を変える方法」みたいなものを編み出して、こうやってインタビューされることが夢だったのではないだろうか。それが今、変則的な形で叶っているのかもしれない。法廷を見ながら、そんなことを考えた。
次の「軍隊」について聞かれると、「男性は18歳から30歳の間、1年間訓練すべきだと思います」と主張。そう思ったのは、「韓国の俳優さんを見て、気合い入っててカッコいいと思った」かららしい。「鉄は熱いうちに打てというように、精神が柔軟なうちに厳しい試練を与えれば簡単に心が折れなくなると思う」。(今の日本人は弱いと思うかと問われ)「はい。ひきこもりが多いのも試練を乗り越えていないからだと思います」。(兵役を義務にするとひきこもりが減るかと問われ)「そう思います。身体が健康になれば精神も健康になる」。ここで弁護士に「日本の戦前のようなイメージですか?」と聞かれた植松被告は少し動揺した。「戦争より前? ……ちょっと、勉強不足で、すいません」。兵役と戦前、というのが彼の中ではすぐには繋がらなかったらしい。弁護士が「韓国のイメージ?」と質問を変えると「そうです」と頷いた。肉体、精神を鍛えている韓国男性を見て憧れを持ったらしい。
なんとなく、ひきこもりを否定したり健全な肉体には健全な精神が宿るという言い分であったり、昭和っぽい価値観だが、韓国には肯定的というスタンスだ。
次のテーマは「セックス」だが、これは弁護士によって「男女について」と言い換えられた。植松はかしこまった感じで「性欲は、間違った快感を覚えると他人を傷つける可能性がある」「避妊をもっと当たり前にする」「ピルがコンビニで買えればいい」と主張。
その次のテーマは「容姿」だが、弁護士が「女性の体型や容姿」について質問すると、またしても自説が展開された。
「女性だけでなく、人間は美しい方がいいと思います。美は善良を生み出すと思います。そのために整形の費用を国が一部負担していいと思います。また、子どもは遺伝子を受け継ぐので、交際前に(整形していることを)報告すべきだと思います」。そうして「みんな整形した方がいい?」と聞かれると、「医療脱毛の方が大切かもしれません」と答えた。
実は植松が裁判にあたって「医療脱毛したがっている」ということを、私は面会している人から耳にしていた。人前に出る機会ということから、おそらく髭だと思うのだが、医療脱毛を希望していたというのだ。この日、植松被告は「一番大切なのは医療脱毛」と強調し、事件の一年前に自身が医療脱毛をしていたことを述べた(そのことは初めて知った)。そんな医療脱毛の感想について植松被告は、「身体が綺麗になり、心も綺麗になったと思います」と述べている。その一年後に事件を起こしているのだが……。
ここで最後のテーマ「環境」だ。「環境については」と聞かれると、植松被告は理解不能な言葉を口にした。
「深刻な環境破壊による温暖化防止のために、遺体を肥料とした森林再生計画に賛同します」
最後に弁護士が、この「七つの秩序」のノートをくれたのは3年前だが、今も考えは変わらないか聞くと、言った。
「考えが深まりました。どうして大麻と安楽死を認めた方がいいのか、説明できるようになりました」
そうして午前の法廷は、残り時間30分近くを残して午前11時35分、休廷となった。
始終、自意識過剰な若者の「俺が独裁者になったら」みたいな稚拙な話に付き合わされている感覚だった。あるいは、「小説も書いてないのに『俺は芥川賞とる』と言い張ってて、インタビューの受け答えの練習のみをしている中二病の友達」の話に延々と付き合わされてる感じだった。が、本人はかなりの高揚の中にいるようにも見え、時々ハンカチで汗をぬぐっていた(法廷が暑いということもあるが)。
午後、植松被告の話はさらに混迷を極めていく。
午後の被告人質問が始まってすぐ、なぜ、事件を実行しようと思ったか問われた植松被告は堂々とした口調で答えた。
「自分が気がついたからです」
実行は、措置入院中に思いついたという。その頃欲しかったのは「お金」。お金を得るためには「人の役に立つか人を殺すか」だと思ったという。「殺す」という意味について問われると、「詐欺をしたり、覚醒剤を売ったり、安い賃金で働かせたりすることです」という答え。よくわからない答えだが、「障害者を殺すのは役に立つことだと思ったのか」と聞かれ、「役に立つと思いました」と頷いた。が、当然ながら植松被告はそのことによってお金など得ていない。
「(どうやって誰からお金が入るかなど)細かいことは考えていませんでしたが、お金が入る権利はあると思いました」。
衆院議長に出した犯行声明の手紙について聞かれると、政府の許可が欲しかったと発言。誰の許可かと問われると、「総理大臣とか偉い人です」。(総理大臣に何を期待してたのかと問われ)「自分の中でいいアイディアだと思ったので伝えたかったんだと思います」。(そもそも政府の許可は必要? と聞かれ)「はい、犯罪だから必要です」と淀みなく答えた。
その手紙がきっかけで措置入院となるわけだが、入院させられた時の気持ちを聞かれて一言、「ヤバいと思いました」。トイレと監視カメラしかない部屋に閉じ込められ、このまま出られないのではと思ったという。
そんな措置入院中も、植松は多くの医者、看護師に「重度障害者は安楽死させた方がいい」と主張していた。医者も看護師もその発言には皆、首を傾げたという。それに対して植松被告が述べた言葉に驚いた。
「重度障害者もいる精神病棟なので、否定できなかったんだと思います。『一理あるな』と感じて頂いたと思います」
この解釈は、どう考えてもおかしいと思う。一方で植松被告は、退院するための計算もちゃんとしている。
「(退院するために)礼儀正しく過ごしました。安楽死についても言わなくなりました。そうしたら少しずつ制限が軽くなっていきました」
そして唐突に、植松被告は言った。
「今は悪いことの方が儲かるから、悪いことが流行ってるんだと思います。いいことをしても儲かりません」
弁護士からの質問が、世界の出来事を予言するというイルミナティカードに変わった。植松被告がハマっていたというカードで、この話題になるといつにも増して饒舌になる。どういうことが書かれているか問われると、植松被告は言った。
「なるほどと思う真実ばかりです。例えば、コマーシャルに出ている俳優の足元に大金があったり。お金を貰えばなんでも話すということです」「他には、『ケチャップは野菜だ』『大切な要求は拳銃を突きつけた方がいい』『日本は滅びる』」。(いつ滅びるか聞かれて)「たぶん今年滅びます。首都直下型地震から、いろいろと問題が起きます」。(ここ横浜でも何かあるかと聞かれ)「原子爆弾落ちてました。たぶん6月7日か9月7日。『闇金ウシジマくん』に書いてありました」
ほかにカードで書かれていたことについて聞かれ、9・11やビットコイン、トランプ大統領、世界情勢、3・11と答えている。
そんなイルミナティカードを植松被告は友人たちに興奮気味に話していたようだが、信じる人と信じない人に分かれたという。
「人生がうまくいっている人はあまり興味を持ちませんでした」
そういうところは、妙に冷静に観察している。そんなイルミナティカードで、植松被告は特別な存在とされているようだった。「自分をどういう言葉で言いましたか」と問われ、「伝説の指導者になれるかもしれない、と言いました」と言った植松被告は、「ネットに書いてあったんで」と慌てた様子で付け足した。それは本当に素の感じの言葉で、なかば照れたように「いやいや自分で言い出したわけじゃないんで、俺そんな自信家じゃないんで、ほんとにネットに書いてあったんで」という感じで、植松被告がそのカードにまつわるものを心底信じていたことがうかがえた。
そんなカードにハマった植松被告は、友人たちに「革命を起こす」「障害者を殺す」としきりに言うようになる。50人くらいには言ったという。
「半分以上に同意、理解してもらいました。自分は冗談をよく言いますが、一番笑いがとれました。真実だったから笑いが起きたんだと思います」
イルミナティカードを知り、「日本はヤバいと思」ったという植松被告。そして日本が滅びないために、社会に貢献しようと思い立ち、起こしたのがあの事件だった。
植松被告が措置入院していたのは16年2月。その頃の世の中について聞かれると、植松被告は答えた。
「ISISが暴れていました。恐ろしい世界があると思いました」
トランプが選挙に出ていたことにも触れ、トランプ大統領の絶賛が始まった。
「とても立派な人。今も当時もそう思います」「勇気を持って真実を話しているところです。メキシコ国境に壁を造るとか」(それはいいこと? 悪いこと?と問われ)「わかりませんが、メキシコマフィアが怖いのは事実です」「トランプ大統領はカッコ良く生きてるな、生き方すべてがカッコいいと思いました」「見た目も内面もカッコいい」「カッコいいからお金持ちなんだと思いました」(トランプ大統領の影響を聞かれ)「真実をこれからは言っていいんだと思いました。重度障害者を殺した方がいいと」
事件を起こすことでトランプから反応があると思ったかについて問われると、言った。
「あってもおかしくないと思いました。おかげでプーチン(ロシア)大統領から反応をいただけて光栄です」(どんな反応? と問われて)「追悼のお言葉を頂きました」「重大な問題であると伝わったと思います」
その後、トランプ大統領、プーチン大統領以外で気になる人はと問われ、ドゥテルテ(フィリピン)大統領、金正恩(朝鮮労働党委員長)の名前をあげた。ドゥテルテ大統領が覚醒剤根絶を掲げて売人を殺していることに触れ「覚醒剤を根絶するのは大変な仕事だと思いました」。金正恩につていては「若いのに国を背負っている」、立派だと事件後に思うようになったと言った。
事件の時期は、トランプ大統領の選挙にも関係していたようだ。選挙が11月なので、その後に事件を起こすとトランプ大統領に迷惑をかけると思っていたという。「トランプみたいな人が大統領になったからこんな事件が起きた、と言われるのでは」という懸念を抱いていたというのだ。一方で、10月1日が「1001」と門のような字面であること(友人が門出の日と言っていたらしい)、自分の貯金残高(これは大事な点だと思う)を考えると、10月までには事件を起こそうと思っていたという。また、普段から「殺す」と言っているうちに、「殺す世界に入っていた」とも言う。それだけではない。あまりにも多くの人に「障害者を殺す」と言っていたことから、そんなことを言う自分が殺されるのではないかとも思い始めたそうだ。
そうして話題は事件前日から事件当日に触れる。前日、ホームセンターでハンマーや結束バンドを買った植松被告は、都内に一日に二度も出向くなどの行動を取り、事件現場に向かっている。犯行は計画通りだったか聞かれた植松は「ベストを尽くしました」と答えた。
逮捕され、警察署、拘置所で何かを考えたかと聞かれた植松は、「環境に対して何ができるか、どうすればいい社会になるか、そのときそのとき考えてきました」と述べた。また、持論を展開。人口が増えすぎているので全世界で「二人っ子政策」をすべき、「恋愛学」を義務教育で教えるべき、といったものだ。ちなみに恋愛学とは、恋愛は大切なものなのに何も教わっていないので基本的なことを教える義務があるというもの。内容は、束縛してはいけないとか、浮気されても自分に原因があるなど。
それ以外にも難民問題、幼児への性的虐待、人身売買、臓器売買などの言葉を羅列し(具体的な内容への言及はない)、「日本のこと?」と弁護士に聞かれると「わかりません」と回答。また、日本には年間8万人の行方不明者がいるということをこの日幾度か強調し、話はまたしても大麻に戻った。大麻とコカイン、覚醒剤は性質がまったく違い、「麻薬」という字が「麻」という字だから大麻が誤解される、「ま薬」にすべき、という主張だ。
この日の裁判の最後に述べたのは、「被害者遺族に損害賠償請求をされたが彼らは間違っている」「お金や時間を奪っていることを考えないようにしているから客観的視点をもってほしい」「複数の重度障害者家族と会ったが、文句を言っている家族は精神が病んでいる」など。「もし自分に死刑判決が出ても、自分の両親は文句を言いません、仕方ないとわかっているからです」と述べたところで裁判は終わった。
しきりに汗を拭いていた植松被告。確かに法廷は暑かったが、汗の理由はそれだけではないように思えた。
法廷の植松被告は、措置入院中にとった作戦のように、終始礼儀正しかった。弁護士から「これから〇〇のことについて聞きます」と言われるたびに「よろしくお願いします」と言い、汗をかいていることを「大丈夫ですか?」と聞かれると「大丈夫です、ありがとうございます」と頭を下げる。言葉使いも丁寧で、ハキハキとした喋り方は面接なんかでは好印象を与えるだろう。
何より印象づけられたのは、彼は有名人だったり権力者だったりと力を持つ人が大好きなんだということだった。世界各国の大統領などの名を口にして「立派な方」と絶賛し、ビル・ゲイツなど有名人には必ず「さん」をつける。20日の法廷では、「天才・堀江さんは」という言い方もしていた。おそらく堀江貴文氏のことだろう。
自意識過剰で、目立ちたがり屋で、有名人や権力者が大好きで、そういう人を崇めればおそらく一体化できると感じていて、イルミナティカードなんかの都市伝説が好きで、カッコよくなりたくて、人生がうまくいってなくて何かで一発逆転したくて。そんな若者は、世界中に掃いて捨てるほどいる。が、何をどう間違ったのか、彼はトンデモない一線を踏み越えた。
あまりにもわからないことだらけだから、私はまた横浜地裁に足を運ぶ。