第86回:新型コロナウイルスと「恐れ」(想田和弘)

 新型コロナウイルスの感染が全世界的に広がる中、株価が暴落し、円が高騰し、学校や劇場や地域が閉鎖された。日本ではトイレットペーパーが品切れになり、アメリカでは銃の弾薬の売り上げが伸びた。ニューヨークの地下鉄でアジア系の乗客が罵られる事件が頻発する一方、僕が映画の上映で訪れたエジプトでは、道ゆく子ども達から「コロナ!」という罵声を浴びた。

 これらの現象を引き起こしている直接の原因は、よくよく考えると、実はウイルスではない。では何が原因なのかといえば、それは人間が抱いている「恐れ」という感情である。

 ウイルスが株価を暴落させるのではなく、ウイルスに対する恐れが株価を暴落させる。

 ウイルスが劇場や地域を閉鎖するのではなく、ウイルスに対する恐れが劇場や地域を閉鎖させる。

 ウイルスが弾薬の売り上げを伸ばすのではなく、ウイルスに対する恐れが弾薬の売り上げを伸ばす。

 ウイルスが人々に人々を差別させるのではなく、ウイルスに対する恐れが差別させる。

 人間がコロナウイルスを恐れるのには、ある程度合理的な理由がある。

 まず、新型なのでどんなウイルスなのかよくわからない。治療法もわからない。どのように感染るのかも、よくわからない。致死率は低いようだが、それも確定したわけではない。もしかしたら実際にはインフルエンザ程度の危険度なのかもしれないが、それも現時点ではわからない。

 わからないことだらけである。

 人間の心理は、わからないことを怖がるように作られている。長い進化の過程で、その方が危険を回避しやすく、したがって生き延びるのに有利であると、結論づけられてきたのであろう。そういう意味では、コロナウイルスを恐れるのは、人間の性として仕方がない。

 しかし、恐れには危険な性質と副作用があることも、忘れてはならない。

 恐れという感情はときに必要以上に膨張し、強烈な妄想となり、人間を暴走させうるからである。

 自らを何回も滅亡させてしまえるほどの核兵器を人類が持っている事実は、その最もわかりやすい事例であろう。「他人や他国が自分を攻撃し滅ぼそうとするかもしれない」という恐れが高まり、自分を守るために核兵器を作ったのに、その核兵器こそが自分の安全を脅かす。

 ウイルスに対する恐れが、ウイルスそのものよりも危険な存在へと膨張していかないように、私たちは十分に気をつけなければならない。巨大なゴキブリが出たからといって、その恐れに圧倒されて、火炎放射器で自宅を焼いてしまっては元も子もない。

 日本政府が全国の学校を一律に閉鎖することを要請したり、スポーツや文化イベントの開催の中止を要請したりしたことは、残念ながら、まさに台所に火炎放射器を向けるような行為に思えた。そうした措置を講じることで、もしかしたらウイルスは撃退できるのかもしれないが、教育や文化や経済活動まで一緒に殺してしまっては、いったい何のためにウイルスを撃退したのかわからなくなる。
 
 報道によると、専門家会議のメンバーは9日、「数ヶ月から半年、年を越えて続くかもしれない」と述べ、新型コロナウイルスの影響が長期化する可能性を示唆した。であるならば、なおさら恐れに突き動かされて、様々な活動をあれもこれも一律に自粛するべきではないだろう。少なくとも、そんなことを数ヶ月から半年以上も続けていけるわけがないし、続けていけば社会は持たない。
 
 私たちは結局、手洗いやうがいや消毒といった予防手段に普段よりも気を使い、睡眠や食事に気をつけて免疫力を高めながら、なるべく普段通りの生活をするしかないのではないだろうか。

 いずれにせよ、万が一感染したとしても一巻の終わりではない。これまでのケースから推測するに、ほとんどの人は回復・治癒できる病気なのである。

 と書いた矢先に、今週の金曜日に予定されていたワシントンDCでの拙作『港町』上映が、新型コロナウイルス予防措置のため中止になったという知らせが入った。上映は映画祭の一環として行われる予定だったが、映画祭そのものを中止することに決めたそうである。

 数ヶ月かけて交渉や折衝を重ねた末、僕と妻でプロデューサーの柏木規与子も出席することになっていた上映である。そのために費やした時間や努力は、すべて無駄になった。飛行機代やホテル代もキャンセルできないようなので、金銭的な損害も生じる。映画祭全体での経済的・実務的損失は、計り知れないものとなるだろう。

 ちなみに、ワシントンDCで現時点で確認された感染者の数は、ただ一人である。映画祭をキャンセルするという判断が正しいのかどうかは、軽々には言えないことだ。しかし僕が主催者であったら、間違いなく異なる判断と対応をしていたことであろう。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。