第89回:映画館に観客は戻るのか 早急に見直すべき「三密」と「ソーシャルディスタンス」(想田和弘)

 新型コロナウイルスの感染状況がひとまず落ち着き、各地の映画館が再開し始めた。それに伴い、僕の新作ドキュメンタリー映画『精神0』の上映も始まった。6月6日には、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムでもついに封切られた。緊急事態宣言下、同館は5月31日まで実に54日間もの間、休業を余儀なくされていた。

 上映を再開したといっても、フル稼働しているわけではない。「人と人の間隔を空ける」という「ソーシャルディスタンス」の基準に基づき、当面は座席数を定員の半分に限っている。また、ロビーが混雑するのを避けるため、上映と上映の合間を普段よりも長めに取っている。したがって1日の上映回数も通常より少ない。そして観客の皆さんには、マスクの着用と入場時の検温をお願いしている。

 こうした対策が、実はかなり過剰であることを、僕は知っている。先日インタビューさせていただいた京都大学のウイルス研究者・宮沢孝幸准教授によれば、映画館はそもそもローリスクだからである。

 宮沢先生いわく、観客全員がマスクを着用し、症状のある方に入場を遠慮していただき、消毒等の対策をとれば、映画館は満席でも感染リスクは極めて低いという。つまり座席数を制限する必要はない。詳しくはロング・インタビューを読んで欲しいが、ウイルスの量を重視する宮沢先生の論理には筋が通っていて、説得力がある。また、「緊急事態宣言下になされた休業要請には意味がなかった」という先生のご指摘は衝撃的であり、今後第二波が来たときに不要な休業要請がなされぬためにも、絶対に検証が必要だ。

 宮沢先生のおかげで、僕は今では人々がマスクをしている限り、映画館はもちろん、スーパーや書店などの屋内の人混みも怖くなくなった。同時に、「三密」や「ソーシャルディスタンス」という言葉は、わかりやすく覚えやすい反面、とてもミスリーディングで副作用の強い言葉だと思うようになった。人々がマスクをしているか否かで感染リスクが大幅に変わるのであれば、それを考慮しないのは科学的とは言えないと思うのだ。みんながマスクをしているか黙っている状態の「三密」はそんなに恐れる必要はないし、2メートルもの「ソーシャルディスタンス」をとる必要もないのである。

 しかし「安全」と「安心」は、残念ながらイコールではない。いくら「安全」であることがわかっていても、「安心」できない方には映画館には来ていただけない。

 実際、映画館への客足は、コロナ禍前の水準にはまだまだ遠く及ばない。高齢者を中心に、不安を感じておられる方が多いのだろう。そういう意味では、過剰であるとわかっていても、当面は映画館も現在のような対策をとるしかないのかもしれない。

 とはいえ、このような状態が長く続けば、映画館のみならず、演劇やコンサート、ライブハウス、美術館など、様々な業種の経営は行き詰っていくだろう。「ソーシャルディスタンス」や「三密」の基準は、一刻も早く科学的知見に基づいて改善していただく必要があると思う。でなければ、多くの業界が、その必要もないのに長期的な停滞を余儀なくされる。

 いずれにせよ、映画館を再開することができたのは、映画界にとっては大きな一歩である。映画館からしばらく離れていた皆さんに、徐々に戻って来ていただきたいという思いもあって、イメージフォーラムでは6月13日(土)~6月21日(日)までの間、9日間連続で13時の回上映後に質疑をさせていただくことにした。大阪第七藝術劇場では、6月13日(土)15:45の回上映後にビデオ通話でトークを行う予定である。

▼『精神0』劇場情報
https://seishin0.com/#theater

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。