私たちはもっとマシな社会を作らなければならない
公衆の面前で、警察が平然と市民を窒息死させた
なんなんだこれは?
人類は後退しているのか?
誰がこんな暴力を許してきたんだ?
これは「肌の色の違い」の問題なのか?
いや、もはや本質はそこではない
差別や不平等を追放する社会を目指しても
肥大する「暴力社会」がぶち壊していく
そのさまを
見ぬふりをしてきた私たち
気づかないふりをしてきた私たち
使える力を使わずに
社会が病んでいるのは私のせいではないと
声を出し、立ち上がって歩く
そんな簡単なことさえ
やろうとしない自分に理由を与え
誰かが誰かを殺すことを「黙殺」してきた
一人ひとりの「黙殺者たち」が ジョージ・フロイドを殺した
あの、のっぺりとした白人警官の顔を見ろ
あれは、黙っていたあなたの顔
あれは、大事なことから目を背け続ける「私」が作り出した
怪物の顔
言いたいことはたくさんある。紐解きたい歴史もある。戦中、戦後、そして今に至るまで沖縄の人たちの命が軽んじられてきた歴史を、今世界を嘆かせているアメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで5月に起きたジョージ・フロイドさん殺害事件に重ねて語りなおすのも大事だと思う。でも今回はあえてそれはやめて、先週、沖縄で行われた抗議行動の様子をまずは伝えたい。
コロナ騒動で、住民運動が盛んなこの沖縄でもあらゆる集会が自粛された。新たな感染者が出なくなって45日経った今も、辺野古のゲート前ですら、まだ完全に通常の状態に戻れてはいない。それでも、今回のこの悲劇に沖縄が黙っていていいのか? モヤモヤした気持ちでいたのは当然、私だけではなかった。コロナで東京の大学に帰りそびれていた元山仁士郎さんら数人がSNSで呼びかけてからわずか4日後の12日金曜日の夕方、集会にはプラカードを持つマスク姿の人々250人あまりが集まって来た。場所は沖縄市ゴヤ交差点。1970年、米軍の圧政に抵抗するコザ騒動が起きた場所でもあり、基地の街の象徴でもある。梅雨が明けてギラギラと照り付ける夕日の中、そこにいたのは様々なルーツの人々、幼児からお年寄りまで幅広い新鮮な顔ぶれだった。
主催者の一人で、沖縄の男性と結婚して県内に住んでいるアメリカ・ミシガン州出身の宮城ケイティさんは言う。
「私は同じ国で育っても、歩いているだけで命の危険を感じるということはない。優遇されている白人として何をすればいいのか。とにかく当事者の言葉を聞いて思いを共有して、何ができるかみんなで考えたい」
沖縄に住む外国人に呼びかけを始めて間もなく元山さんと繋がり、実現にこぎつけたという。コロナに配慮してマスクや距離など集会のルールを作り、時間も短めに設定して穏やかな場づくりを目指した。しかし、元山さんによれば、米兵には「基地の外で行われるアクティビティには当面参加するな」という通達が出ていたそうだ。そのためか、しばらく立ち止まっている米兵らしき人々は見かけたが、現役兵士の発言者はいなかった。一方、外国人では恩納村にある大学院大学の研究員など関係者が比較的多かった。その中で、ウガンダ出身のアイヴァンさんはアメリカへの恐怖を語った。
「ぼくはウガンダで生まれて学位はイギリスでとった。アメリカには一度も行ったことがない。怖い。国際会議とか、アメリカに行くチャンスはあったけど、全部断っている。ぼくみたいな人間が行ったら何をされるのか? 沖縄に来て黒人の兵士とも友達になった。アメリカで仕事をしたらいいよ、と言ってくれるけど、ぼくはまっぴらだね」
同じ大学院大学の女性、タトさんは留学先のドイツで初めて受けた人種差別の経験を語り、「黒人差別は何もアメリカだけの問題じゃない」と訴えた。肌の色で不当な扱いを受けることは世界中で起きている。彼女たちが安心できる場所は少ないのだ。しかしその中でも黒人として最も行きたくない国がアメリカであること、日本人にとって身近なあの国が、彼らにとっては命の危険を強く感じる、近づきたくもない場所であることを改めて知る。
4年間海兵隊員として滞在した後、今も沖縄に住んでいるディアンさんは、アメリカに比べれば沖縄の生活はずっといい、アメリカでは人間以下の扱いを受けてきたと訴えた。
「めっちゃひどい経験ばかりしてきたよ。先生とも、警察とも、行政も、軍の中もね。だから僕はいつも……挑戦的な態度で、いつだって受けて立つぜっていう怒りの形相で過ごしてきたんだ。こことアメリカに一人ずつ子どもがいる。残念なことにどっちも差別を経験している。おれたち親が出て行って改善したこともある。黙っていたら……声を上げなければ、みんなが立ち上がってくれなければ、俺たちの息子が殺され続けることになってしまうんだ。だからお願いだから何人でもいい、隣の人と手を携えて声を出してほしい」
25歳のある黒人青年は、16歳で車の免許を取った時に母親にこう言われたそうだ。「もし警察に止められて何か言われたとしても、家に帰ることをゴールだと思って」
警察の職務質問が因縁に過ぎないとしても、理不尽な扱いを受けて腹が立ったとしても、誇りを傷つけられて反論したいと思っても……正義が通る相手じゃないんだからとにかく抵抗せずにうちに帰って来て、と言って息子を守るしかない母親の気持ち。胸がえぐれる思いがするが、その彼女の気持ちを今、彼は追体験している自分に気づいたという。
「ぼくには2人弟がいるんだけど、バカげた話をしなきゃいけない事がある。夜に出歩くときは絶対にフードをかぶるなよ、特に冬は、とかね。7、8歳の幼い家族に対して、僕は今、何で君たちと同じ容姿の人間が、その容姿のために殺されなきゃいけないのか。その理由を説明しないといけなくなってるんだ」
メキシコ系アメリカ人と沖縄の女性との間に生まれた男性は、沖縄の学校で「ガイジン」といじめられた経験を持つ。しかしそれにも増して「タイ人?」「フィリピン人?」と聞かれることが嫌だったと話す。そんな自分を振り返ってこう言った。
「おかしいでしょ? 結局、差別をされている自分の中にも差別する気持ちがあった。差別は誰でもやってしまう。大切なのは、それに気づくことだ」
わずか1時間の間に大事なテーマがたくさん語られていた。少年もマイクを握ったし、沖縄の10代の若い子たちがたくさん参加して真剣に聞いていたのも、平和運動の集会では見かけない光景だった。私はこの空間を共有できて、心から良かったと思った。沖縄の街角で小一時間プラカード掲げるくらいで何が変わるのか? という後ろ向きな気持ちは、私の中にもあった。しかし少なくとも目の前で語る人の悲しみや怒りを体に刻むことができた。黙ってやり過ごして自分が加害者の仲間になることだけは避けられた。少なくとも今日のところは。もちろん、明日以降沈黙するなら、すぐに黙殺者の列に並ぶことになるのだろうけれども。
私は幼稚園から小学校の前半をアメリカで過ごした。多くの有色人種が居住するカリフォルニアの学校では、「金髪に白い肌」の子どもは3割ほどで、黒人、ヒスパニック、韓国人、中国人、色とりどりだった。1年生のくせにいつもピアスをしていた黒人少女のリンダは、めちゃくちゃ美人だった。長いまつ毛のジェイムスがかわいくて、ちぢれっ毛を引っ張ってみたら「アウチ!」と言って怒られた。雑多な人種が一つの地域でどうやってうまく生きていくのか。その課題は人生の大事なテーマであることを、アルファベットを覚えるのと同じ時期に知った私としては、人種差別の問題には少しは敏感でいたつもりだった。
アフリカのクンタ・キンテから始まる黒人の歴史を描いたドラマ『ルーツ』も毎回かぶりつきで見たし、『カラーパープル』も何度も鑑賞した。スパイク・リー監督作品も『ドゥ・ザ・ライト・シング』から全部見てるし、マルコムXは私のヒーローでもある。でも、今回、17歳の女性が撮影したフロイドさんの断末魔の映像を見て、何度も目を背けそうになった。私は関心を持っていると言いつつ、いままで何も具体的な行動もせず、ただの傍観者として今日この映像を見ているに過ぎない自分に煮えくり返るような嫌悪感を覚えた。せめて、近年撮影された暴行・殺人の映像をいくつか続けざまに見ることを自分に課してみた。
“SILENCE KILLS”
まさにそれだ。私は沖縄の基地問題について、漠然と日米安保を肯定し、SOSを発する沖縄の声を黙殺する「物言わぬ人々」こそ沖縄を苦しめる力そのものである等と指摘しつつも、この問題については黙して過ごしてきただけではないのか。じゃあ何ができたのか? これから何ができるのか? 次々に自分に突きつけてみるが、すぐに答えは出ない。出てこないが、まずは自分が傍観者の類いだったという事実を認めよう、と思った。
人間は群れの生き物である。したがって、自分の群れがよその群れより優位でないと安心できないというやっかいな性がある。グループ分けは人種・宗教の違い、文化の違い、歴史上のもつれなどあらゆる要素が絡まって出来上がり、差別と偏見が殺し合いにまで発展する。その問題は有史以来の普遍的なテーマである。
だが、今回の暴行死事件について指摘しておきたいのはそこではない。「暴力社会」から脱却できないアメリカ社会の闇についてだ。
アメリカはインディアンと呼ばれたネイティブの人々を駆逐して建国するときから復讐を恐れて武装をした。奴隷が解放されれば黒人からの復讐を恐れて武装を強めた。アメリカの正義をふりかざして外国に武力介入しては、そこでの報復を恐れ、「世界の警察」のポジションを獲得して暴力の頂点に立つことを正当化した。虐げて、恐れて、を繰り返すうちに、世界一強い国になるしかなくなった。世界一の国が、世界一強い軍隊を持つことで、世界一の安心を手に入れられるのだという理屈を通すために、国内外にたくさんの犠牲を強いてきたアメリカという国。
地球というクラスの中で、アメリカくんの横暴を許してしまったクラスメイトの中には、このままではクラスにとって良くないともがいている者もいるだろう。単純にアメリカくんに媚びへつらうことでいじめられないポジションを獲得する、情けない国もあるだろう。
しかし腕力を頼りにして家来になった者はやくざの子分と同じで、「鉄砲玉になれ」と言われれば従うしかない。この武器を持って戦えと言われれば買うし、お前の家をアジトに使わせろ、と言われれば使っていただくしかない。でも、ほかのやつらよりボスに近い俺は、舐められずに済む、と満足している。価値観はすっかり「暴力社会」の肯定であり、暴力社会の底辺に落ちないことが最優先の自衛になって行く。
弱者を作り、それをみんなでいじめ倒して安心するという病んだ社会。それは最初から暴力装置に依存して不安を解消してきた大国・アメリカの歴史に根差す闇だと私は思っている。それを批判するどころか、コバンザメのようにすり寄ったズルい国のトップはさらにひどい。親分の不当な命令を、国内の弱いものに押し付けて、何とかコバンザメの地位を死守する以外にもはや思いつかなくなってしまった。つまり何が言いたいかというと、アメリカの暴力社会をどの国よりも肯定し、支えても来た日本と日本人は、あの白人警官を生み出す側の一員でしかなかった私たちの立ち位置について、私たちはそれを自覚する必要があるということだ。
そういう日本人だからこそ、政府の上に異国のボスがいること、そのボスの命令があれば国民の一部を犠牲にすることにも疑問を持てなくなっている。黒人差別を見過ごすことと、沖縄問題を黙殺することは、アメリカの暴力社会に唯々諾々と組み込まれてしまった愚民にとっては必然なのだ。間違えないで欲しいのは、単純に黒人差別と沖縄差別が同じだなどと言っているのではない。暴力社会に身を預けてしまった者には、この二つの問題の解決は難しいという意味で、両者は通底しているということだ。
とりあえず腕力のある人と一緒にいたい、強いグループに入っておけば安心だという動物的本能が思想や哲学より勝っている、そういう社会を変えなければ、特定の人々を痛めつける行為は止むことはない。今回の事件にはもちろん、人種や文化、宗教の違いなどの多様性を認める、認めないという寛容不寛容の問題も含まれてはいる。しかし私はそれよりも、肥大化した暴力社会がもたらす構造的な問題であるという面にもっと意識を向け、アメリカ的暴力依存社会からの脱却を真剣に目指すチャンスにするべきではないかと思うのだ。
三上智恵監督『沖縄記録映画』
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『標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
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