第123回:コロナのむきだし(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 『愛のむきだし』という映画があった。園子温監督で、満島ひかりさんがものすごくカッコよかった。もう10年以上も前の作品だが、そうとうに衝撃的で、ぼくはぶっ飛んだ思い出がある。
 先日、同じ園子温監督の『冷たい熱帯魚』という映画を観た。強烈な血の匂いがする映画だった。そんなわけで、なんとなく園子温という名前が頭のどこかに引っかかっていたらしく、その連想で、突然「むきだし」という言葉が浮かんできちゃったのである。
 さて、映画とはまったく関係ないのだが、ふっと「コロナのむきだし」というフレーズが浮かんだ。むろん『愛のむきだし』からだ。でもね、こういうフレーズって、一度浮かぶとなかなか消えてくれないんだ。
 そうか、それなら今回のコラムのタイトルは「コロナのむきだし」でいこう、と決めた。長い間コラムを書いていると、こんなふうにタイトルが先に出来ちゃうこともある。
 要するに、今回のコロナの問題で、さまざまなことが明らかになったのだが、実はそれは、コロナによって“むきだし”にされた社会や政治や経済の在り方だったのではないか、ということ……。

恥部のむきだし

 まずは、ほんとうに恥ずかしいまでに“むきだし”になった、アメリカという国の姿。この国は、いまだに南北戦争の影を引きずっているんじゃないか、ぼくにはそう見える。
 トランプ大統領という人は、もはや政治家などという範疇から完全に逸脱してしまった。自分以外のことはまったく考えていない。ただただ11月の大統領選挙で勝利することだけが目標……と、ここまでならまだ理解もできる。だが、その最後の一線も踏み越えたようだ。もう単なる白人至上主義の極右バカとしか見えなくなった。
 アメリカでもっとも人気のあるスポーツといえばフットボールだ。その最高峰がNFL(National Football League)だ。むろん、黒人プレイヤーも多い。最近の警官による黒人への暴行死事件を受けて、NFLは「国歌斉唱中は起立するよう求める」という規則を撤廃した。選手たちが、米国歌斉唱の際、黒人差別への抗議の意を込めて片膝をつく姿勢をとることを、遅ればせながら認めたということだ。
 これにトランプ氏は大激怒。「そんならオレはNFLなんか観てやんないゾ」とツイッターで表明した。オレのいうこと聞かないヤツは、みんなまとめて出て行けーっ、まるで出来の悪い駄々っ子である。
 ところがそんなトランプ氏に対し、身内であるはずの米軍内からも反発が出ている。米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長が、トランプ氏と行動を共にしたことを「深く反省する」と表明したのだ。軍隊には黒人兵も多いのだから、そこに配慮するのは当然なのだろう。
 6月1日、黒人のジョージ・フロイド氏の死に抗議するデモ隊がホワイトハウス前に集結していたところに警官隊が突入。催涙弾などを打ち込んで蹴散らし、強引に解散させた。制圧後の道を通って、トランプ氏がホワイトハウス向かい側の教会に出かけ、聖書を片手に記念撮影するというパフォーマンスをしてみせた。むろん、トランプ支持者の多い、いわゆる福音派といわれるキリスト教右派へのサービスのつもりだったのだろう。
 そこにミリー議長も軍の制服を着たまま同行したのだが、軍隊内ではトランプ氏の軍をデモ制圧に利用しようとする姿勢に大きな反発が出ていた。そのためミリー議長は、次のように釈明、謝罪したのだ。
 「我々は鋭い現実認識を持つことが重要だけれど、それを私は怠った。写真撮影の場にいたことで市民社会における軍の役割を傷つけた。私の存在が内政への軍の関与を疑わせるという見方を生んでしまった。謝罪する」
 かくして、トランプ大統領への軍からの支持にも疑問符がつき、スポーツ界も距離を置き始めた。
 さらには、強硬右派でトランプ政治を陰で操っていたとされるボルトン前大統領補佐官(国家安全保障担当)が、6月23日『それが起きた部屋――ホワイトハウス回想録』という暴露本を出版するという。「首尾一貫しない無計画な意思決定」とトランプ氏を批判、「私の在任期間中で、大統領選挙での再選への打算と関係のないトランプ氏の意思決定を探すのは困難だ」とまでこき下ろしている内容らしい。
 さすがにこれは、トランプ氏への大打撃になるだろう。極右同士ということで側近に取り立てたものの、その極右側近にもボロクソに言われる大統領。この先、いったい誰がトランプ氏についていくのか?
 新型コロナが問題になり始めた3月初旬には「多分、気温が高くなればウイルスは自然消滅する。それまでに死者数を6万人に抑えられれば大成功だ」とワケの分からないことを広言していたトランプ氏、だが死者はすでに11万人を超えた。もはや、しゃべればしゃべるほど混乱するばかり。
 アメリカの「恥部のむきだし」である。

権力のむきだし

 中国という国のかたちも“むきだし”になったと思う。強大な権力のむきだしである。
 とにかく抑え込む。強大な権力を全開して、ひたすらウイルスを抑え込む姿は、恐怖感さえ抱かせる。確かにすごい効果を見せたけれど、陰でいったい何人が亡くなったのか。
 蔓延初期、あっという間に武漢を都市封鎖してしまった習近平執行部のやり方は、国家が持つ権力の効果、そして恐ろしさをまざまざと見せつけた。人口1,110万近い大都市を完全封鎖、誰も街から出ることを禁じられた。閉じ込められた住民は、食糧と必要最小限の物資だけで暮らさざるを得なかった。封鎖は1月23日、解除は4月8日。約3カ月の間、ほとんど情報も途絶えた。いったい武漢ではどんなことが起きていたか。その詳しい様子は、いまだにきちんとは報じられていない。
 たった10日間で2棟の巨大な感染症対応病院を建設するなど、確かに強大な権力を持たなければ成し遂げられなかったことだ。その結果、早い段階で新型コロナ収束をうたい上げることができたわけだ。
 しかし、感染症発覚の初期に警報を鳴らした医師が、デマを流したということで警察に拘束されたという事件もあった。この医師は結局、新型コロナに感染し死亡した。
 また、武漢での3カ月間の暮らしを記録した文学者・方方氏の『武漢日記』が、当局の逆鱗に触れた。それに呼応するように、方方氏を非難する意見が中国版ツイッター(微博:ウェイボー)に溢れた。権力の怖さの一端を示す出来事である。
 付け加えれば習近平主席は、コロナ禍で大規模なデモができなくなった香港を、この際一気に抑えつけるための「国家保安法」を強引に制定しようとしている。ここにも肥大化した権力の恐ろしさが見える。
 力で抑え込んだかに見えた中国でのウイルスだが、それでも第2波が、今度は北京に襲いかかりつつある。あれだけ強大な権力をもってしても、ウイルスを完全制御することは困難らしい。
 結局は、世界各国が協力して「ワクチン開発」を成功させるしか手はないということなのだろう。

管理社会のむきだし

 逆に、指導力を高く評価されたのが、台湾の蔡英文政権である。蔡氏はコロナ対策本部の陳時中・衛生福利部長に全権を委託した。
 陳氏はほとんど連日、記者会見を開き、どこかの国の誰かのようにプロンプターや資料に頼ることなく、記者の質問が途切れるまで会見を続けた。その誠実な姿は、台湾の英雄とまで呼ばれ、陳氏への支持率はなんと92%に達したという。
 台湾では6月初旬現在、感染者数443人、死者数は7人である。初期のウイルス対策が完全に成功していると言っていい。
 それに伴い、蔡英文総統の支持率も71%と過去最高に達した。政権がいまや台湾では圧倒的な人気を誇っているのだ。

 韓国も、ウイルス感染の押さえ込みに成功した国といっていいだろう。感染初期には、新興宗教団体での集団感染が発生。一時的には爆発的な蔓延の恐れを指摘されたが、それを抑え込むのに功を奏したのは、素早い「検査体制の確立」であった。
 各国が検査体制の整備に手間取っているときに、韓国では1日数万件というPCR検査を実施、無症状感染者も含め、徹底的に感染者の洗い出しに成功した。かつてのSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)の苦い経験を活かし、早い段階から対応策をきちんととっていたためといわれている。
 日本の嫌韓派が、初期の韓国での感染症蔓延ぶりをこぞって批判していたけれど、結局死者は277人にとどまっている。今では、ネット右翼界隈でも韓国をウイルス対策で批判できる者はいない。
 新興宗教団体でのクラスター発覚などで、一時は落ち込んでいた文在寅大統領の支持率もうなぎ上り、4月の総選挙では文大統領与党が圧勝した。
 むろんいいことだけではない。国民の動向をほとんど国家が把握しているという、AI時代の不気味さ、管理国家の姿もまた、韓国では“むきだし”になったということを指摘しておかなければならない。

 ドイツやカナダなどでも、指導者の手腕もあるのか、ウイルス蔓延はかなり小康状態になってきている。
 ただし、ロシアやブラジルなど、強権的指導者の国では、なかなか状況が伝わらない。実際の感染者数も死者数も、当局の発表が信じられないということで、現地メディアが激しく批判している。プーチン大統領もボルソナーロ大統領も、正確な情報を出さない。
 ボルソナーロ大統領に至っては「もう感染者数も死者数も発表しない」と開き直った。だが国際的批判にさらされ、また情報(正確かどうかは不明だが)を公表するようになった。
 中国とはまた違った、強権国家のむきだしである。

カネのむきだし

 そこで問題なのは、我が日本国だろう。
 新型コロナウイルスが“むきだし”にした日本の姿は、あまりに貧しいものだった。
 すべてが、行き当たりばったり。一律10万円給付金も持続化給付金も、検査体制も緊急事態宣言も後出し対策で、安倍政権が率先してやったことといえば、大不評を浴びた全国一律一斉休校措置と寸足らずで時期遅れのアベノマスクくらいか。
 その対策には、毎度のことだけれど、カネの臭いがまとわりつく。ここにも新利権集団「コロナムラ」が跋扈する。
 すべてがカネにまつわる醜聞ばかり。アベノマスクにはまたもお友だち優先の疑惑があるし、給付金の事務費等では官庁と民間(電通やパソナなど)の癒着の構図が次々と明らかになる。
 東京オリンピックという、もはや中止にするしかないと思われる巨大イベントを、それでも挙行しようという一群の人たちは、もはやアスリートのこともボランティアのことも、国家のことさえ考えてはいないだろう。
 レームダック状態に陥った安倍首相は、引退の花道をオリンピックで飾ろうとしているのか、いまだに「コロナを終息させた記念としての、輝かしいオリンピックを」などと言い続けている。そこにもまた「五輪ムラ」という利権集団の姿が見え隠れする。

 すべてがカネと結びつくニッポンという国の政治や社会、経済の貧しさ。それが悲しいかな、今回の「コロナのむきだし」が“むきだし”にして見せてくれたこの国の姿である。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。