第526回:「死ね、と言っているのと同じ」〜生活保護基準引き下げ違憲訴訟、名古屋地裁判決とこれまでの自民党議員による生活保護バッシング。の巻(雨宮処凛)

 「死ね、と言っているのと同じです」

 原告の女性は、「とても残念です」と繰り返しながらそう言った。

 6月25日午後。この日、名古屋地裁である裁判の判決が下された。生活保護基準引き下げ違憲訴訟、通称「いのちのとりで裁判」である。現在、全国29都道府県で1000人以上が原告となり、進んでいる裁判だ。2013年から始まった生活保護基準の引き下げが憲法違反だとして、生活保護利用者が原告となって起こしたのだ。

 ことの発端は、第二次安倍政権の発足まで遡る。

 12年12月に発足した安倍政権が、まず始めに手をつけたこと。それは「生活保護基準の引き下げ」だった。なぜ、このようなことが強行されたのか。それは自民党が政権に返り咲いた選挙において、選挙公約に「生活保護費の1割削減」と明記されていたからだ。

 その背景にあったのは、08年のリーマンショックからの流れである。

 これによって国内には派遣切りの嵐が吹き荒れ、08年末から09年明けにかけて、「年越し派遣村」が開催された。年末年始、寒空に職も住む場所も所持金も失った500人が集まり、連日炊き出しに並ぶ光景は、この国に静かに広がっていた「貧困」を嫌というほど可視化するものだった。そうして09年夏の選挙において、それまで散々「自己責任」を強調してきた自民党は政権の座を追われ、民主党政権が誕生する。政権交代の原動力のひとつになったのが、「年越し派遣村」とも言われている。

 一方、派遣村以前から多くの悲劇は起きていた。例えば北九州市では、05年から07年の間、3年連続で餓死事件が発生。いずれも生活保護を利用できなかったり、利用できていたのに辞退させられたりした果てに起きた悲劇だった。餓死した男性が残した「おにぎり食べたい」というメモの言葉を覚えている人も多いだろう。

 09年からの民主党政権では生活保護利用者は増え、11年には過去最高となって200万人を突破。この「増えた」という事実のみを聞いて眉をひそめる人もいるかもしれないが、もともとこの国の生活保護の捕捉率(利用すべき人がどれだけ利用しているか)は、2〜3割と言われている。本当は利用する資格があるのに利用していない人が膨大に存在するのだ。よって、利用者が増えるのはいいことなのである。

 「でも、不正受給者が多いって聞くけど」という人もいるだろう。が、不正受給率は全体のわずか2%ほど。圧倒的多数が適正受給なのである。ちなみに、生活保護の利用は確実に自殺者や餓死者を減らしている。それだけではない。生活保護制度がない社会は、「一文無しになった人が生きるために手段を選ばない社会」だ。窃盗などが横行し、それは確実に治安にも跳ね返るだろう。最後のセーフティネットは、このような機能も果たしているのである。

 しかし、「生活保護利用者が増えている」ことを問題視したのが、当時野党だった自民党。そうして12年春、彼らにとって絶好の「攻撃対象」が現れる。

 あるお笑い芸人の母親が、生活保護を受けていることが報じられたのだ。通常であれば芸能人のちょっとしたスキャンダルで済むはずだったこの話を、自民党の片山さつき氏が大きく取り上げ、厚労省に調査を依頼。「一芸人の家族のこと」が一気に政治問題のトップに踊り出し、当人は大変なバッシングに晒された。

 が、ここで強調しておきたいのは、成功した芸人の家族が生活保護を受けていたとしても、それは「不正受給」でもなんでもないということだ。これについては「生活保護問題対策全国会議」の見解を見れば明らかなのでぜひ一読してほしい。「強い扶養義務」があるのは、夫婦間と未成熟の子に対する親だけだからだ。

 が、片山さつき氏らが煽った生活保護バッシングは、メディアにも飛び火していく。多くのメディアで生活保護利用者を叩くような報道がなされ、その中には、「生活保護受給者の監視」を呼びかけるテレビ番組まであった。

 その果てに起きたことは何か。

 生活保護を利用する人はスーパーなど買い物にも行けなくなり、精神的な病気を抱える人は病状が悪化。私のもとにも当事者から「生きていてはいけないと言われてる気がする」「生活保護受給者は死ねということでしょうか」など悲鳴のようなメールがいくつも届いた。実際に、自殺者も出ている。自らが支援してきた人を自殺で失った埼玉の男性は、「自死したという一報を聞いた時、頭に浮かんだのは、ある自民党議員の顔でした」と述べている。

 そんな中、片山さつき氏は「生活保護を恥と思わないことが問題」というような発言を繰り返した。また、自民党の生活保護に関するプロジェクトチームのリーダーをつとめていた世耕弘成議員は、12年7月、インタビュー記事で生活保護利用者の「人権」を制限すべきという内容の発言をしている。それだけではない。やはり12年9月には、自民党・石原伸晃氏が報道ステーションにて生活保護を「ナマポ」と揶揄する発言をし、社会保障費の抑制などについて述べたあと、「尊厳死協会に入ろうと思うんです」などと述べた。

 さて、ここでつい最近、6月15日の国会を思い出してほしい。

 安倍首相は田村智子議員の生活保護に関する質問に答え、「生活保護バッシングをしたのは自民党ではない」という主旨の発言をしたわけだが、ここまで読めば誰もがわかる通り、生活保護バッシングを率先してやっていたのは思い切り自民党議員である。特に片山さつき議員がそれを主導していたことは誰もが知る通りだ。それを「自民党ではない」など、誰もがわかるような嘘をつく人物が首相にふさわしいか甚だ疑問だが、もし、わずか数年前のこの事実を本気で「忘れている」ならば、それはそれでやはり首相にふさわしくないだろう。なぜなら、生活保護削減は、自民党が政権に返り咲いた際の選挙公約だったのだから。

 ちなみに片山さつき議員は16年、高校生に対しても「貧困バッシング」を繰り広げている。8月、NHKのニュースで放送された「子どもの貧困」特集に出演した高校生の女子生徒が、部屋にアニメや漫画関連のグッズがあったなどの理由からネット上でバッシングを受けた際のことだ。これに便乗した片山氏は、Twitterで以下のように述べている。

 「拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方(※原文ママ)も当然いらっしゃるでしょう。経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策で支援可能!」

 「追加の情報とご意見多数頂きましたので、週明けにNHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!」

 国会議員が、女子高生に対する集団リンチのようなバッシングを利用しようとする光景には、ただただ言葉を失ったものである。

 貧困当事者としてメディアに登場した人物が、「本当に貧困なのか」と責められる――。格差と貧困が深刻化すればするほど、そのような「貧困バッシング」をあちこちで目にするようになった。が、こういった現象には「犠牲の累進性」という名前がついている。例えば正社員が「安月給でつらい」と言えば「派遣よりマシだろ」と言われ、派遣社員が同じことを言うと「ホームレスよりマシ」と言われ、ホームレスが「貧困で大変」と言うと「難民よりマシだからありがたく思え」と言われる、というようなやり方だ。「お前よりもっと大変な人がいる」と黙らせる作法を「犠牲の累進性」というのだが、このような貧困バッシングは枚挙にいとまがない。

 話を戻そう。

 12年、自民党議員が煽った生活保護バッシングは、メディアを巻き込みながら広がっていった。

 特筆しておきたいのは、多くの人があのバッシングを、手軽なガス抜きの娯楽として消費したという事実だ。大勢の人の、おそらく「悪意ですらない暇つぶし行為」によって、多くの人が追い詰められ、中には命を奪われる人まで出た。そんな「国民感情」を大いに利用する形で、生活保護引き下げは強行されてしまった。13年から3年かけて、基準は随時、引き下げられていった。

 私はこの頃のことをよく覚えている。特定秘密保護法や安保法制反対運動が大いに盛り上がる中、生活保護引き下げ反対運動は、それらと比較すると悲しいほどに注目されなかった。そうして多くの人の「バッシング」が最後のセーフティネットを切り崩したのに、切り崩される頃には「祭り」はすでに下火になっていて、参加した人たちでさえ、そんな祭りがあったことを忘れていた。

 そうして、3年かけて200万人以上の命を支える制度が切り崩されていった。平均6.5%、最大10%の引き下げは総額670億円にのぼり、利用者たちの生活を直撃した。

 「1日3食はとても食べられないので1日2食にした」「交通費などが捻出できず、結婚式や葬式やお見舞いにも行けないので人間関係が維持できなくなった」「真夏でもエアコンをつけないで我慢している」等、ただでさえ切り詰めた生活をしている人々が、より切り詰めざるを得なくなった。

 「これ以上、何を切り詰めればいいのか」という問いは、「生きていてはいけないと国から言われている気がする」「死ね、というメッセージに思える」という絶望の言葉に変わっていった。

 「だけど、生活保護を受ける中には働けるのに働かない人もいるんでしょ?」という人もいるかもしれない。しかし、19年のデータでは、利用者でもっとも多いのは高齢者世帯で54.1%。続いて多いのは病気や怪我で働けない世帯で25.4%。高齢者と障害、病気がある人で実に利用者の8割を占めるのである。

 それでも生活保護を受けるなんて贅沢だ、国の金なのだから文句を言うなという人は、一度、一ヶ月でいいから生活保護基準で生活をしてみてほしい。また、働いている自分より生活保護の方がもらっているじゃないかという人は、すぐさま福祉事務所を訪れてほしい。生活保護は働いて収入があっても利用できる。国が定める最低生活費に満たない分の差額が支給されるのだ。利用している人をバッシングする前に、自分が制度を利用しよう。

 それにしても、なぜ、このような生活保護バッシングが起きたのだろう。今思うと、政治家にとって「叩きやすい」ということもあったのだろう。生活保護は、当事者団体があるわけでもない。「労働組合」的なものがあるわけでもない。いくら叩いても、生活保護を利用する人は滅多に声など上げられない。政治家にとって、「なんらかの政策を達成する」のは難しいことだが、生活保護バッシングは、それをしているだけで支援者たちに「何かやってるアピール」ができる。叩いてもリスクがなく、「仕事してる感」が出せる。バッシングは、政治家にとって非常に「コスパがいい」のだろう。が、そんなふうに政治利用された果てに、自殺者までが出た。そして、引き下げによる苦しい生活が今も続いている。

 そんな状況に対して、「生活保護引き下げは憲法25条の侵害」として、全国で違憲訴訟が始まっていた。そうして6月25日、初めて名古屋地裁で判決が下されたのだ。

 名古屋地裁は、原告の訴えを棄却した。

 判決文にいろいろツッコミどころはあるが、名古屋地裁は、引き下げは「国の財政事情」や「国民感情」をふまえたものであり、原告の主張は採用できないとしている。

 これが通るなら、一政党が政治的な目的をもって国民感情を煽ったら、最後のセーフティネットを切り崩せてしまうことになる。「法律も憲法も無視している」。「いのちのとりで裁判全国アクション」共同代表の尾藤弁護士はそう憤り、同じく共同代表の稲葉剛氏も、「生活保護への敵視政策を司法が正して欲しかったが、現状を追認するような判決」と述べた。

 前述したように、生活保護基準が引き下げられる時、多くの人は無関心だった。

 しかし、無関心だった人の中には、コロナ禍の今、生活に困窮してる人もいるはずだ。コロナ危機によって、東京23区では生活保護の申請が4割増になっている。世界的な感染拡大によって経済が逼迫し、特に日本では「給付なき自粛」で収入が絶たれた人が続出したからこそ、生活保護制度は平時よりも重要性を増している。そんな状況の中で出た、「棄却」という判決。

 この国が「弱者を見捨てる社会」になるのか、それとも「助け合い」を復権させる社会を目指すのか。私はコロナ禍の今が、大きな分岐点だと思っている。全国の裁判はまだまだ続いている。「いのちのとりで裁判」、ぜひ注目してほしい。

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。