第90回:「ステイホーム」でコロナ禍は乗り越えられない(想田和弘)

 ひとまず落ち着いたようにみえた新型コロナウイルスだが、東京などで感染者が増え、再び自粛モードが起動しかねない状況になりつつある。

 更なる自粛や営業再停止、再ロックダウンを唱える声も聞こえてくるが、そういう方々は、もしかするとお店や施設の苦境をご存知ないのではないだろうか。歴史ある名店含め、すでに潰れてしまったところは多いし、この上自粛が強化されたら潰れるところが続出するだろう。そうなれば大勢の人々の人生が狂い、職のない人が増え、社会が壊れていく。ウイルスに感染して死ぬ人は減るかもしれないが、困窮死する人は増えるだろう。

 拙作『精神0』の上映で訪れた静岡県浜松市では、ちょっと歩いただけでシャッターで閉ざされたお店が何軒も目についた。上映劇場「シネマイーラ」の榎本支配人いわく、

 「これみんな、コロナで潰れたんだと思います」

 浜松市で感染が確認されたのは、累計でわずかに8件である。にもかかわらず、それだけの店がすでに潰れてしまったのだとしたら、これまでの「ステイホーム」を基本とした感染対策が、少なくとも浜松では過剰だったとしか言いようがない。例えるなら、「ゴキブリが出た!」と言って台所ごと火炎放射器で焼いてしまったようなものである。

 榎本さんが経営するシネマイーラも、4月25日から約3週間の休館を余儀なくされた。

 京都大学の宮沢孝幸准教授(ウイルス学)によれば、そもそも映画館の感染リスクは極めて低い。したがって、シネマイーラが休館しても感染拡大をストップさせることにはほとんど貢献できなかったはずだが、それでも緊急事態宣言が発令されたため、全国の映画館同様、休館せざるをえなくなった。

 未知のウイルスゆえ、当時は仕方がない面もあったのかもしれないが、控えめに言っても不条理である。もっと言えば犯罪的である。この事態を検証も反省もせず、今後同じ過ちを犯すなら、決して許されないことだと思っている。

 いずれにせよ、コロナ禍は今後もずいぶんと長引きそうである。想像したくもないが、数年単位で続く可能性も低くない。であるならば、「ステイホーム」でコロナ禍を乗り越えることは無理である。社会の全員が数年間も「巣籠もり」することは不可能だからだ。

 結局私たちは、マスクの着用や手指の消毒といった、できるだけの感染対策や工夫をしながら、なるべく普段通りの生活をしていくしかないのだと思う。宮沢氏が言うように、「接触機会」ではなく「感染機会」を減らすことが重要であろう。火炎放射器で台所を焼くのではなく、ゴキブリだけをターゲットにして捕獲していくのである。

 もちろんそうすれば、社会が完全停止したのに比べて、感染者数はある程度増えるだろう(それがいま東京などで起きていることなのかもしれない)。だが、これは長期戦である。日々の数字に一喜一憂しうろたえることが、よい結果をもたらすとは思えない。

 こういうことを言うと、「そんなことを言って、他人がコロナで死んだらお前は責任を取れるのか」などとお叱りを受ける。

 もちろん僕には責任など取れない。

 しかし責任が取れないのは、ステイホーム派も同じだ。

 少なくとも、ステイホームによって潰れた店の経営者や従業員の人生に対して、何らかの責任を取っているステイホーム派を僕は知らない。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。