第92回:菅政権で強まるであろう「ディスコミュニケーション」を憂う(想田和弘)

 菅義偉氏が自由民主党の新総裁に選出された。

 そして本日、菅内閣が発足する見込みである。

 菅氏は、官房長官時代の記者会見でどんな質問や批判が飛んできても「その批判は当たらない」「全く問題ない」といった木で鼻を括ったような返答を返すことが多かった。僕はそうした菅氏の話法を「菅官房長官語」と名づけて、コミュニケーションを遮断するための話法であると批判してきた。

 実際、どんな指摘に対しても「その指摘は当たらない」などとロボットのごとく返されると、議論は必然的にそこで止まってしまう。にもかかわらず、いちおうは形式的には返答しているので、傍目には何らかのコミュニケーションが成立しているように見えてしまう。だからこそ菅氏の会見は「鉄壁」だの「無敵」などと称賛されたりもしたわけだが、それは大きなまやかしであり、勘違いなのである。

 そのことを証明するために、2015年、僕はツイッターで実験をしてみた。僕に飛んでくる批判や質問に対して、すべて菅語で答えてみたのである。「#菅官房長官語で答える」というハッシュタグとともに。例えば、こんな具合である。

猟犬@MS-06F「違憲か合憲かは、憲法学者如きには、決められないでしょ?なんで嘘を流布するの?(・ω・)ノ」
想田「そのような指摘は全く当たらない。#菅官房長官語で答える」

ミナト「あと、自衛隊法も違憲の疑いがあるので、廃止すべき、となってしまいますが、いかがでしょうか?」
想田「その指摘は全く当たらない。そのようなことは断じてない。#菅官房長官語で答える」

 このように答えると、相手は大抵、「答えになってません」などと食い下がってくるものだ。しかしそういう批判に対してもまともに答えず、「そのようなことは断じてない」などと定型句で返すのが菅語のコツである。それを繰り返しているうちに、相手はバカバカしくなってリプライしなくなる。

 この実験は、面白いくらいに成功した。

 ツイッターという公開の場で行なったため、菅語の威力をリアルタイムで目の当たりにして空恐ろしくなった人も多いのではないだろうか。

 この実験から明らかになったことは、菅氏は官房長官として、記者とのコミュニケーションを意図的に拒絶してきたということである。そして記者の背後には主権者がいるわけだから、究極的には主権者とのコミュニケーションを拒み続けてきたといえるだろう。

 僕は菅氏が首相になったからといって、そうした姿勢を変えるようには到底思えない。むしろそうした姿勢のおかげで安倍政権は長く続いたのだと自負し、成功体験のように位置付けているはずだ。であるならば、ますますディスコミュニケーションを強めていくことが予想される。

 しかしこうした懸念や批判を彼にぶつけても、たぶん返ってくるのは次のような定型句なのだ。

 「そのような指摘は全く当たらない」

 要は埒が明かないのである。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。