第136回:崩れていく、壊れていく……(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

『地球の長い午後』

 このところ、自殺者が増えているという。芸能人や有名人の自殺も多く伝えられる。そんなこともあってか、「コロナウツ」という現象が注目されている。
 確かに、ぼくもかなり気分的にはウツである。だが、こんな社会の中で、ある程度ウツになるのも仕方ないとは思う。なんだか、世の中が、社会が、世界が崩れかけているように見えるんだ……。

 『地球の長い午後』(ブライアン・W・オールディス)というSF小説がある。ずいぶん昔の本だが、ぼくは学生時代に読んだ。
 自転を止めて昼と夜とが固定された地球で、妙な植物が繁茂し、人間そのものも異様な進化(退化)をしていく。その中で幼き者たちが生き延びるすべは……という、かなりのディストピア小説であったと記憶する。
 いまの世界、我々が住んでいるこの地球は、なんだかこの小説を思わせる。生物としての人間が、おかしな方向へ進化(退化)し始めているような気がするんだ。確かに科学技術は発展したかもしれないが、思想や哲学を失ったいびつな人間たちが増えて、世界の政治や社会を牛耳る。
 その結果、いったいこの地球で何が起きているのか……?

「負けても辞めない」と言うトランプ大統領

 アメリカの事情に詳しい知人のジャーナリストによれば、米大統領選で、民主党のバイデン候補にかなり差をつけられていた共和党トランプ大統領の支持率が、ここにきて急上昇、接戦模様になってきたという。
 どうにも理解しがたい現象だ。でも、安倍首相の辞め際や菅首相の呆れるほどの支持率を見れば、どこの国も同じだなあ…とも思う。
 そのトランプ大統領が、ルース・ギンズバーグ最高裁判事の死去を、自分の選挙に利用しようとしている。どこまでも卑劣な男である。
 リベラル派のギンズバーグ氏の代わりに、保守派のエイミー・バレット氏を指名し、「同じ女性だし、バレットは素晴らしい法律家だ」と大いに持ち上げた。おいおい、ちょっと待ってほしい。バレット氏は、日本では“保守派”と報じられているけれど、米紙では極右とも報道されている人物なのだよ。
 なぜ彼女を最高裁判事に指名したのか。トランプ氏は、大統領選での苦戦を覚悟している。しかし、もし敗れても、すんなりと大統領の椅子を明け渡すつもりはない。屁理屈をこねて、最高裁へ最終判断を持ち込むつもりなのだ。負けても「それは不正選挙だ。大統領の座は譲らない」と宣言したに等しい。メチャクチャである。じゃあ、選挙なんてなんの意味があるのか。
 11月の米大統領選。コロナ禍での闘いだから、感染を防ぐために「郵便投票」も予定されている。ところがトランプ氏はそれを逆手にとって「郵便選挙は不正の温床。民主党はこれを利用して不正投票を推奨している」と、まったく根も葉もないデマ・ツイートを繰り返している。それどころか「一度郵便投票をしても、もう一度投票所へ行って投票してくるという手もある」と、自ら不正投票(二重投票)を示唆するようなことまでツイートしているのだ。呆れた大統領である。
 自分の儲けになることしかやらない。儲からないことはまったくやらない。それがトランプ氏の卑しい根性だ。
 ニューヨークタイムス(9月27日付)で、「トランプ氏は大統領就任前の過去10年間、まったく所得税を払っていない。大統領に当選後も年に8万円弱しか払っていない」と暴露される始末。こういう商売人の風上にも置けないような男が、世界最強国を牛耳っているのだから、地球が穏やかであるわけがない。

民族文化を殺す習近平国家主席

 では、二大強国の一方の中国はどうかと言えば、これまたどうしようもない。新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区などでの最近の民族抑圧強権支配ぶりはすさまじい。とくに、民族の言語であるウイグル語やモンゴル語での教育を禁止、中国語のみの使用を強制し思想教育の徹底を図っているという。
 民族にとって、言葉はもっとも重要なものだ。文化は言語を基盤にする。その基盤が失われれば、民族文化は死滅する。
 習近平の中国がやろうとしていることは、文化を殺すことだ。アメリカにおける人種差別に匹敵するほどの暴政である。また、香港に対する強硬姿勢は高まる一方で、民主運動リーダーたちの逮捕は相次ぐ。香港の林鄭月娥行政長官は「香港に三権分立はない」と開き直ってしまう有様だ。
 香港の文化も殺されかけている。このままでは、習近平主席もトランプ大統領も「21世紀最悪の指導者」との称号を奉られるだろう。
 世界は狂い始めた……。

“プチ独裁者”たちの世界

 二大強国が横暴な強権を振るうのだから、世界秩序もまた揺らぎ始める。
 インドとパキスタンの国境紛争はずっと以前からのことだが、イスラエルとパレスチナの問題はトランプ氏の介入により、さらに混迷の度を深めている。
 しかも、今度は旧ソ連のアゼルバイジャンとアルメニアが軍事衝突を引き起こした。アゼルバイジャンからの独立を目指すナゴルノ・カラバフ自治州を巡っての衝突ということだが、民間人の死者も多数出ているというから、かなり深刻な事態らしい。
 レバノンでは大爆発の後、政権が揺らぎ新政府の樹立もおぼつかない。マリ共和国からは軍事クーデター後の軍部政権の樹立も伝えられる。
 そんな混迷する世界の中でも深刻なのは、ベラルーシの状況だろう。「ヨーロッパ最後の独裁者」と言われるルカシェンコ大統領は、大統領選での一方的勝利を宣言して居座り、それに抗議するデモを強圧的に抑えつけているが、デモの勢いは増すばかり。ルカシェンコ氏は、ついにはロシアのプーチン大統領に泣きついて、なんとか政権を保っている。情けない“独裁者”ではある。
 トランプ氏、習近平氏、プーチン氏は言うに及ばず、このルカシェンコ氏を始め、ブラジルのボルソナーロ大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領、イギリスのジョンソン首相と、妙に“プチ独裁者”じみた国家指導者が、最近やたらと目につく。むろん、我が安倍晋三氏もそのひとりではあったが、やっと退いてくれた。しかし、跡を継いだ菅義偉首相は「安倍政治を継承する」と言ってはばからない。つまり、プチ独裁を継承するという意思表示である。困ったもんだ。

東京オリンピックへの固執

 21世紀が始まったころ、世紀末の混乱、ソビエト連邦の崩壊による東西冷戦構造の崩壊で、民主主義的な平和な世界が幕を開けるという、未来への明るい展望を語る論者が多かった。日本だって、そういう未来を夢見る人がたくさんいたのだ。だが現実はどうだっただろう。
 2001年9月11日、ニューヨークを襲った同時多発テロこそが、事実上の21世紀の始まりだったのだ。それからの世界は、平和という文字を忘れたかのように、いや、平和の文字を戦火という太ゴシックが上書きしたような荒くれた時代を演出し始めた。
 湾岸戦争、イラク戦争、その他の数々の地域紛争。20世紀が「戦争の世紀」であったとするなら、21世紀は「テロと抑圧の世紀」となったのだ。
 そこへ、新型コロナウイルスが世界を直撃した。「戦争などにうつつを抜かしている人類への神様からの特別プレゼントだ」などと言う人もいる。世界は右往左往、なすすべを知らない。感染者数はいまや全世界で3300万人を超え、死者数は100万人に達したという(9月28日現在の集計)。
 中でも“トランプのアメリカ”は突出、感染者数712万人、死亡者数は20万人を超えているのだ。あのベトナム戦争での米兵の死者数は6万人だったのだから、新型コロナの深刻な状況が分かるだろう。
 それでも日本は、まだ「東京オリンピック開催」に固執している。菅首相は「コロナに打ち勝ったという証のオリンピックを開催する」などと大見得を切った。もう、正気の沙汰とは思えない。
 菅氏の言う「打ち勝つ」とはどういう意味なのか。あの安倍晋三氏の五輪招致演説を継承して、「新型コロナウイルスはすでに、『アンダー・コントロール』である」などとほざくのだろうか。
 日本のネット右翼たちはトランプを真似て「武漢ウイルス」などと呼ぶ。だが、もし東京オリンピックを強行し、東京発の第3波ウイルス蔓延が起きた場合、「東京ウイルス」などと呼ばれても平気なのだろうか?
 この状況の中で、オリンピックをどうしてもやりたい、という人たちの気持ちがぼくには理解できない。

 ああ、世界が、そして日本が、崩れていく、壊れていく………。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。