第535回:任命拒否という「見せしめ」〜日本学術会議の問題が投げかける菅政権のメッセージ〜の巻(雨宮処凛)

 菅政権が始まったばかりだというのに、「末期症状」と言いたくなるようなことが続いている。

 例えば9月末の自民党議員・杉田水脈氏の「女性はいくらでも嘘をつけますから」という発言。その後、杉田議員はブログで謝罪したものの、これまでも多くの失言が見られた杉田議員に対して、自民党は口頭注意をしただけだ。

 そんな騒動と同時進行で起きたのが、日本学術会議の任命拒否問題。

 拒否された6人は、それぞれ政府の方針に異を唱えた経緯があったことが注目されている。翌日のワイドショーなどでは、「こういうことをしたから拒否されたのでは」などの憶測が飛び交っていたが、それを見ながら、私は静かに戦慄していた。こんなことがまかり通ってしまうのであれば、「政府を批判した」事実そのものがゆくゆくは「前科」のような扱いになっていくのでは、と。

 安倍政権の後半くらいから、常々思っていたことがある。それは、近い将来、政府批判をする人たちは「反社会性〇〇障害」みたいな形で「病気」「精神疾患」というレッテルを貼られていくのではないかということだ。そういう形にすれば言論は無効化され、場合によっては予防拘禁さえ可能になるかもしれない。そのようなことを漠然と考えていた身にとって、見せしめ的な排除がこれほど露骨に始まったことに戦慄したのだ。

 その矢先、今度は菅総理が記者たちとともにパンケーキ朝食会。ああ、ここまで来たか……と遠い目になった。

 この8年間、安倍政権は「敵」を名指し続けてきた。「日教組、日教組!」というヤジや選挙での「こんな人たち」発言。それだけではない。私たちはこの8年間、テレビから安倍批判をする人々が消えるのを見てきた。

 例えばネット上で多くの人から執拗な攻撃を受けている香山リカ氏は、『創』10月号の連載で以下のように書いている。

 「ここ十数年、とりわけこの5〜6年、私はネットを中心に多くの批判を浴びてきた。本を書いたり新聞でコラムを連載したりしているので批判は当然とは思いながらも、あまりの量、質に『なぜここまで』と少しは痛手を受けることもあった。たとえば、ある放送局の番組に出たところ、その制作部署とはまったく関係ない政治部からトップの人間が飛んできて、私の出演に関して周囲にも聞こえるような声で嫌みを言った、と担当ディレクターが教えてくれたことがある。そんなことがあると、当然、その部署のスタッフは『この人をキャスティングすると厄介なことになるんだ』と思い、控えるようになるだろう」

 それだけではない。自治体などが主催する講演が、妨害予告を受けて中止になったことも一度や二度ではないという。

 香山氏は、第二次安倍政権発足時、安倍元首相にSNSで「論外」と名指しで批判されている。

 メディア出演の場、講演の場を奪われることは、口を塞がれるのと同様に収入を失うことでもある。その点、香山氏は精神科医であり大学教員でもあるから収入面の心配はなさそうだ。しかし、もしこれがメディア出演が収入の多くを占める言論人だった場合、どうなっただろう? 仕事を失うことを恐れ、積極的に「政権寄り」の発言をするようになるかもしれない。実際、メディアには、この8年間でそのような人が目に見えて増えた。「批判が許されない空気/批判したら干されるかもしれない空気」は、菅政権で強化されることはあってもなくなることは決してないだろう。

 となると、今後、多くの人が「寝返って」いくかもしれないという「最悪の予想」もしている。多くの言論人は、香山氏のように医師ではない。大学教員は多いが、そうでない言論人は自然と口をつぐむようになってしまうかもしれない。私はこのような空気が、率直に、非常に怖い。それぞれが牽制し合い、時に密告するような空気が「勝手に」作られていったら。それはほぼ地獄である。

 もう一人、政権側の「見せしめ」として思い浮かぶのは前川喜平氏だ。前川氏と言えば、文部科学事務次官だった2017年、加計学園問題の「総理のご意向」文書の記者会見を開いたら「出会い系バー通い」が新聞や週刊誌で報復のように報じられた人である。前川氏はバー通いを女性の貧困調査と主張し、実際、のちにバーで前川氏に話を聞かれていた女性もメディアに登場して前川氏の潔白を訴えたわけだが、「バー通い」が報じられた際の菅氏の「冷笑」を、私は今も覚えている。

 「貧困問題のために出会い系バーに出入りし、かつ女性に小遣いを渡したということでありますが、さすがに強い違和感を覚えましたし、多くの方もそうだったんじゃないでしょうか。常識的に、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りし、小遣いを渡すようなことは到底考えられない」

 一人の人間の社会的生命を奪うには十分すぎる、侮蔑に満ちた表情だった。普段、滅多に顔に感情を出さない菅氏だったからこそ、この時の意地悪な笑いは非常に強く印象に残っている。

 ちなみにこの騒動からだいぶ経った後も、記者が前川氏について質問した際、菅氏が心からバカにしたように「あの人は、だってああいう人ですから」というようなことを薄笑いを浮かべて言うのを見たことがある。その顔を見て、ある一人の人間の発言や力を「無効化する」って、こういうやり方でやれてしまうんだ、と心底怖くなったことを覚えている。

 そんな表情は、官房長官時代、特定の記者に対してもなされてきた。東京新聞の望月衣塑子記者だ。彼女の質問に対して、「あなたに答える必要はありません」などと発言してきた菅氏。それだけでなく、気に入らない質問をする人に対してわざと黙る、その人がトンチンカンな質問をしているかのような空気をあえて作り出す、という手法は嫌というほど目にしてきた。そんなものを見るたび、なぜ、これほどの嫌がらせが公然と行われていることに誰も異議を唱えないのだろう、と心底不思議に思ってきた。

 当たり前だが、安倍元総理も菅総理も、その立場ゆえ、莫大な影響力を持っている。

 そんなふうに力を持つ者は、その権力を決して個人攻撃に使ってはいけないと私は思う。しかし、その大前提すらこの8年で崩れ、今、さらにタガが外れているように思えて仕方ない。

 この8年の流れから日本学術会議の問題を見ると、任命拒否は「これからさらに激しく個人攻撃を始めるからせいぜい気をつけろ」という政権のメッセージにすら思えてくるのだ。第二次安倍政権は、発足早々「生活保護基準引き下げ」を発表することで「弱者は見捨てるぞ」というメッセージを打ち出し、実際、そのような政治が行われてきた。が、菅政権のメッセージはさらに悪質ではないだろうか。

 今、とても不安だ。どうか「最悪の予想」が当たりませんように。祈るように思っている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。