第137回:しばらく「秋田出身」を封印する(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

総合的・俯瞰的に考えての結論

 このコラムでも何度か、「ぼくは秋田出身です」と書いてきた。ほぼ毎年、ふるさとへ墓参りに帰る(今年はコロナ禍で残念ながら帰っていないけれど)。
 甲子園の高校野球だって、秋田の高校であれば、自分の出身校でなくてもとりあえず応援する。金足農業が準優勝した時なんか、かなり嬉しかった。我が家のお米だって「あきたこまち」である。ぼくはまあ、その程度のふるさと想いではあるのだ。
 しかし、これからしばらくは「秋田出身」を封印する。恥ずかしくって、とても「ぼくは秋田出身です」なんて言えない気分なのだ。 むろん、あの人のせいである。とてもイヤなのだ。
 これは、“総合的・俯瞰的”に考えての結論である。

 前にもこのコラムで「菅氏の『集団就職』というウソ」について触れた。彼の経歴の「集団就職のたたき上げ」というのは、明らかに「経歴詐称」だ。
 ふつうは「経歴詐称」と言えば、出てもいない大学を経歴にあげたり、外国留学をでっち上げたりするのが一般的だ。あの「小池百合子都知事のカイロ大学首席卒業」のような例もあるし、経歴詐称がバレて、報道番組のコメンテーターをクビになっちゃった人もいたと記憶する。
 まあ、そういう上昇志向的なのが一般的な「経歴詐称」なのだけれど、菅氏の場合は「経歴の逆張り」という新手を使ったわけだ。つまり、たたき上げの庶民派を演じて有権者の気を引くという戦術だ。
 こんな感じかな?
 【私は秋田の片田舎の農家の出身で、集団就職で上京、町工場で働いていたのですが、一念発起して大学進学を志し、やがて議員秘書から市会議員になり、苦労に苦労を重ねて国会議員になった。そういうたたき上げだから、庶民のみなさんの目線に近い発想ができる。だから私はみなさんの暮らしの苦しさがよく分かるのであります】……。
 ウソをつけ! と思う。

沖縄の訴えに対する冷酷さ

 菅氏の他人を見る目の冷たさ。「たたき上げだから庶民感情を理解できる」のならば、例えば、あの沖縄に対する冷たさはどうだ。10月7日、玉城デニー沖縄県知事の要請でようやく会った時間は、たったの5分間。一方、10月3日に番記者たちとの“パンケーキ食事会”に費やした時間は、なんと90分。この差はいったい何だ! 沖縄の庶民感情など、菅氏の目の端にも入っていない。
 沖縄は何度も何度も繰り返して「辺野古米軍基地建設反対」を訴えている。さまざまな選挙や住民投票の結果から、それは明らかだ。本来なら、「こんなに地元が反対しているなら計画は白紙に戻し、きちんと話し合おう」というのが当たり前の政治的対応だろう。だが、安倍政権を引き継いだ菅政権は、まるで「居抜き内閣」である。安倍内閣が決めた方向性は、まったく変えるつもりがないらしい。そして、茶坊主どもを周囲に集めるやり方まで、まったくの安倍踏襲政治だ。
 河野太郎沖縄担当相は玉城知事に会っても「辺野古のへの字」も口に出さず、加藤勝信官房長官も「普天間飛行場の危険性軽減のためには、辺野古移設しかありません」とけんもほろろの対応だった。じゃあこの2人、いったい何のために玉城氏に会ったのか。
 2015年、圧倒的な得票で当選した翁長雄志沖縄県知事が安倍首相に面会を求めても、どうしても会おうとせずに冷酷にあしらい、ようやく面会できたのは4カ月もたってからだった。むろん、翁長知事は「辺野古基地建設反対」の沖縄県民の民意を代表していたのに、である。
 その民意を背負っての「辺野古基地問題」という重大な案件を抱えた知事を、安倍首相は丸4カ月もほったらかしにしたのだ。菅義偉首相のやり方は、安倍氏とまったく同じだった。地方の言うことなど聞く耳持たぬ。どこが庶民派で地方の声を聞く首相なのか。

「日本学術会議」を巡るごまかし

 菅氏と安倍氏の相似形は、平気で物事をごまかす、という態度にも表れている。安倍氏は、一度口走ったことの矛盾を突かれると、すぐに激高してあれやこれやとつかなくてもいいウソを並べ立てる、というご立派な性格を持っていた。「まるで息をするようにウソを吐く」とまで言われた首相は、日本の憲政史上、空前絶後である。
 で、菅氏もさっそく、その安倍政権由来の特技を披露した。まだ首相就任して1カ月も経たないというのに、である。
 例の「日本学術会議」問題だ。さまざまな事実が出てきたが、その中で、ぼくがどうしても納得できない点だけを挙げておく。菅首相が「推薦された6人を除外した名簿は見ていない」と言ったことだ。
 朝日新聞(10月10日付)によれば、こうだ。

 菅義偉首相は9日、朝日新聞などのインタビューに応じ、日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人を任命しなかった判断について、安倍前首相前政権ではなく現政権で下したと説明した。
 一方、6人を除外する前の推薦者名簿は「見ていない」と述べた。首相が名簿を確認した段階で、すでに6人は除外されていたとした。(略)
 自身が確認した名簿は実際に任命した99人分で、学術会議が提出した105人の候補者名簿は見ていないとしたが、誰が6人分を除外したかは明らかにしなかった。
 一方、6人を除外した理由について問われると「総合的・俯瞰的な活動、すなわち広い視野に立ってバランスのとれた行動をすること、国民に理解される存在であるべきことを念頭に全員を判断している」「一連の流れの中で判断した」などと述べるにとどめた。推薦者の思想信条が任命の是非に影響するかは「ありません」と否定した。(略)

 よくもまあ、白々しい「ウソ」をつけるものだと思う。
 結局、6人除外の説明がつかず、つい「見ていない」と口走ってしまったのではないか。この辺り、安倍氏の1度のウソを塗り隠すために、どんどんウソを重ねていくという性格と酷似している。
 百歩譲って「見ていなかった」ことにしよう。だが、推薦者が105人であることは周知の事実だ。210人の学術会員の半数を入れ替えるのだ。210の半分は105である。小学生でも「210の半分は?」と訊かれたら「バカにすんな!」と怒るだろう。だから菅氏に小学生程度の計算力があれば「105-99=6」の計算はできたはず。それなら、その「99人の名簿」を持ってきた官僚に「あれ、なんで6人足りないの?」と訊くはずである。もし、菅氏にその程度の計算能力があれば、の話だが。
 菅氏が「見ていない」というのはウソだと思うしかない。もしほんとうに「見ていない」のであれば、菅氏は重要な書類を見もせずに決裁をする、というまことに畏れ入った「国家の最高責任者」ということになる。
 冗談じゃない、そんな国はどんどん衰亡していくだろう。『ローマ帝国衰亡史』(エドワード・ギボン)という名著があるけれど、もうじき『ニッポン帝国衰亡史』が書かれることになるかもしれない。誰が著者になるかは知らないが……。
 もうこれ以上、ウソはつかないでほしい。

恥を知れ! 「内閣記者会」

 それにしても……と、またしてもマスメディア批判をしなければならないのが悲しい。
 この騒ぎの最中に、首相番記者たちはゾロゾロと、菅首相と「パンケーキ懇談会」とやらに参加した。その数なんと60人! その上、この懇談会が「オフレコ」(オフ・レコーディング=つまり、中で話されたことは録音してはいけないし、外に漏らしてもいけないという暗黙の約束の下に行われる)だったという。
 事実、この懇談会で何が話されたか、どこの社も伝えていない。それなら、記者たちが言い訳のように「本音を聞けるいい機会」というのも筋が通らないよな。
 まったく、恥を知れ! と言いたくなる。まあそれでも、朝日新聞、東京新聞、京都新聞の3社だけは参加しなかったというのが、せめてもの救いだけれど。
 だが、その朝日だってエラソーなことを言える立場じゃない。
 実は、菅政権によって、記者会見がほとんど有名無実にされつつあるのだ。このところ2度にわたって催された「内閣記者会グループインタビュー」という摩訶不思議な代物がそれを示している。
 なんなんだよ、グループインタビューって?
 朝日新聞が奇妙な言い訳じみた解説を書いている(10月10日付)

グループインタビュー経緯

 この日(筆者注・9日)の首相インタビューは約30分間行われた。質問したのは朝日新聞と毎日新聞、時事通信の3社。全国紙や在京テレビ局などで構成する内閣記者会の常勤監事十数社が同席した。
 朝日新聞は衆参両院で菅首相が選出された9月16日夜、首相側にインタビューを申し入れた。同9日、首相官邸報道室から、時間的制約などを踏まえ、複数社がグループで首相にインタビューする形式で対応する予定との回答があった。
 グループ分けやインタビューの順番は、取材依頼が届いた順番で割り振るとし、1回目は読売新聞、北海道新聞、日本経済新聞の3社が10月5日に実施。2回目が今回の3者だった。報道室側は、今後も同様の形式でインタビューを続けたいとの意向を示している。

 これを読んで、「ああ、そういうものか」と思う人は、かなり政治的感度が鈍い。朝日のこの言い訳じみた記事の最後に注目してほしい。官邸側は「今後も同様の形式でインタビューを続けたい」と言っているのだ。つまり、記者会見に代わるものとして、官邸側はこの方式を推し進めようとしていると見ていい。
 首相インタビューを自らの宣伝の場とみなし、ヨイショ記事だけを載せる新聞や雑誌、テレビを大事にした安倍前首相は、さすがに他のマスメディアの評判は極めて悪かった。安倍氏にとっては、新聞は読売と産経しか存在せず、テレビはフジテレビと日テレしか存在しなかったようだ。さすがにそこまでは踏襲できないと、菅官邸が考え出した奥の手がこの「マスメディア・グループインタビュー」なのだろう。
 この方式、なにしろ安全である。
 質問は3社に限られ、他社の記者は黙ってそれを見ているだけ。突っ込みたいことがあっても、3社の記者以外は質問できないという仕組み。質問者が誰かは事前に分かっている。むろん、質問内容も“事前検閲済み”なのだろう。答える菅氏にとっては、こんな楽なことはない。その上、3社だけだから、時間も30分以内で終わらせられる。天敵の望月衣塑子記者など、まったく質問の機会さえ与えられない。
 そりゃ、菅官邸にとっては願ってもないシステムだろう。
 なぜこんなことを「内閣記者会」がのんでしまったのか。官邸の意向どおり、これからもこの方式が罷り通るとすれば、記者会見の要請は「合同インタビューをしたばかりではないですか」と官邸報道室に拒否されるだろう。
 朝日は哀れな「言い訳解説」などを書く前に、「この形式はおかしい。各社のインタビューとは別に、定例の『記者会見』を開くべきだ」となぜ正論を書かないのか。

ふたたび、朝日新聞の言い訳

 朝日新聞は10月14日にも、これを上回る奇妙な“言い訳記事”を掲載している。
〈機会をとらえて取材尽くします 朝日記者、首相懇に出席〉というタイトルにしてからが、言い訳じみている。
 内容は、内閣記者会に常駐する各社の首相官邸取材キャップと菅首相の懇談会が13日夜に都内ホテルで開かれたが、朝日キャップもそれに参加した、というもの。その理由として挙げているのが「首相取材の機会があれば、できる限りそれをとらえて取材を尽くすべきだから」。会費制で、各社が参加費は負担したという。
 それならば、その席上でどんな話が出て、どんなやりとりがあったかを、きちんと記事に残すべきではないか。そんな記事があったか?
 政権に批判的とされる朝日新聞でこれなのだから、他社の態度は推して知るべし、である。

 菅首相は9月16日の「就任記者会見」以降、まったく記者会見を開いていない。あとは、9月29日の、いわゆる“ぶら下がり会見”(ほんの3分ほど)だけだ。つまり、多数の記者が質問をして内容を深めるという意味での「記者会見」はまったく行っていないのだ。その代りに編み出したのが「グループインタビュー」方式。
 こんなシステムを考える官邸もひどいけれど、それを唯々諾々と受け入れた内閣記者会という“談合組織”はもっとひどい。
 『ニッポン帝国衰亡史』は、マスメディアからも始まっている。

 菅氏の強権政治は始まっている。
 だからぼくは、恥と怒りで「秋田出身」を封印したのだ。菅氏とふるさとが同じだなどと思われたくない。
 ぼくのせめてもの、“総合的・俯瞰的な抵抗”である。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。