第139回:「越えてはならぬ一線」がある(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 ぼくは毎朝、ほぼ1時間をかけて新聞を読む。それが習慣である。でも、だいたいは大きな見出しに目が行くから、どうしてもそれを優先してしまう。コラムや寄稿文などは、見出しよりも書いている人の名前で読むかどうか決まる。
 午後はたいてい、何かの仕事で外にいるか、仕事のない日は近所の散歩。それが終わるとパソコンに向かう。夕方から午後7時までが原稿を書いている時間。夕刊が来ているけど、よほどの大きな出来事でもない限り、あまり熱心には読まない。ただし、金曜日の夕刊だけは、映画好きのぼくにとっては目が離せない。各紙とも「映画特集」が夕刊の売りものだからだ。
 で、ある日の夕刊(朝日新聞10月21日)に、おやっ、と思う方の寄稿文が載っていた。永田和宏さんである。永田さんは細胞生物学者としてすごい業績のある方だというが、その分野に疎いぼくは、それでお名前を知っていたわけじゃない。歌人としての永田さん、とくに「朝日歌壇」の選者としての永田さんのお名前は、ぼくにとっては特別なのだ。「朝日歌壇」はぼくの愛読のページだからだ。
 その寄稿文に、ぼくは大きくうなずいた。少しだけ引用させてもらおう。

社会の後衛「学者の国会」守れ
学術会議任命除外問題

(略)そもそも学者や研究者の役割とは何なのだろう。
 答えはすぐに返ってきそうである。理系の場合なら、まだ明らかになっていない現象に原理を見つけ、病気の原因や治療法を見つけ、新しい技術によって生活の質を高めてゆく。イノベーションという言葉に代表されるように、世界を前進させ、開いてゆくミッションを持つのが学者・研究者である。いわば社会の、〈前衛〉としての役割がまず求められる。
 しかしもう一つ、〈前衛〉としての役割と同時に、社会の〈後衛〉としての役割を担うことも、学者の重要な使命であると、私は思う。
 〈前衛〉として社会をどんどん前進させるのが学者の喜びであり役割だが、同時に、〈後衛〉として、ここまでは許せるが、この一線は決して踏み越えてはならないというところに、常に目を光らせ続けること、それは〈前衛〉たるに勝るとも劣らない大切な学者の使命なのである。人文社会系の学者だけでなく、理系の学者においてもこれは然りである。(以下略)

 「この一線は決して踏み越えてはならないというところに、常に目を光らせ続けること」と、永田さんは書いていた。ぼくは嬉しくて涙が出そうになった。
 比べるのもおこがましいけれど、ぼくも同じようなことを思い、書いていたことがあったからだ。
 自著からの引用で恐縮だけれど、ぼくもこんなことを書いていたのだ。自分の編集者人生を振り返って書いた『私説 集英社放浪記』(河出書房新社、1,800円+税)の末尾の文章である。

(略)では、編集とは何だろう。編集者とはどんな存在か。
 「編集とは『殿戦』である」というのが、ぼくの行き着いた結論だった。しんがりせん…逃げながら戦うこと。しかし、最後の踏みとどまるべき阻止線だけは、絶対に譲らない。
 面白い本、楽しい特集、売るための工夫。ぼくもそのためにはかなりのことまでやってきた。際どいヌードのページで批判を浴びたこともある。ちょっとあざといかなあ……と本心では首をかしげるような誌面作りもしたと思う。それでも、ここから先は、誰になんと言われようが屈しない。そういう一線を自分の中に持つことだけは忘れなかったつもりだ。
 ここから先は、どんなに上司とぶつかろうが脅されようが、決して譲らない。この一線を自分の中に持たないものを、ぼくは「編集者」とは呼びたくない。

 この一線は決して踏み越えてはならない。その一線を自分の中に持つこと。
 ぼくは学者や研究者のみなさんと一緒に本作りもしてきた。踏み越えてなならない一線を学者や研究者が持つならば、それを守り表現するのに協力するのが編集者の役割であると思ってきた。
 一線を踏み外した学者などほんとうの学者でない。「御用」が付く学者になり下がるしかない。編集者だって同じことだろう。ヘイト本を作り、差別をばら撒き、「売れる本だけがいい本だ」とエラそうに言う者を、「編集者」などと呼んではならない。
 自省を込めて言うのだが、踏みとどまれ、後ろを見ながら戦え、越えてはならぬ一線を持て。それが、せめてもの編集者の矜持だ。

 今回の菅首相の新書『政治家の覚悟』を担当した編集者に、その矜持はあったか?
 ぼくはそれを問いたい。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。