第9回:差別、優生思想に居場所はない!(小林美穂子)

 240万人以上のチャンネル登録者数を持つメンタリストDaiGo氏が自身のYouTubeチャンネルで、生活保護を利用する人やホームレスの人たちを侮辱し、排除する発言をした。
 その発言はたちまち大炎上、社会問題に発展した。
 スポンサーの一つが彼を降ろしたタイミングで、DaiGo氏は二度の謝罪をするも、おそらく彼自身、何が問題なのかも分からないで謝罪しているものだから、口から大量のトランプがバラバラとあふれ出るマジックのように、喋れば喋るほどに言葉の数だけボロが出てしまい、火に油。炎上は収まらず、珍しく厚労省が「こりゃマズイよな」と言ったかどうか知らないが、いろいろ制限がありそうな中で、「生活保護の申請は国民の権利です」という厚労省HPをコピペしただけの省エネながら絶好のタイミングで放ったツイートは、5日間で2.9万リツイート、2,665引用ツイート、4.1万いいねを獲得。一粒300mのグリコもびっくりの一粒約3万リツイートはさすがだ。

 その数がいかに突出しているかといえば、厚労省の他のツイートを見れば明らか。
 ほとんどのツイートへの反応が、国の威信が泣くよ…と思うようなお寒い状況の中で、今回の保護課の投稿だけがケタ違いなのだ。更に特筆すべきはそのコメントの数で、なんとなんと、8月24日現在で1,039件である。読み切れない!!

 しかし、ざっと目を通すと、「福祉事務所の水際やめさせろ」とか、「未だに扶養照会ってどうなの?」とか、素晴らしく真っ当でアップデートされたクレームがゾロゾロ連なっていて、更には福祉事務所窓口で申請権を侵害された人に適切なアドバイスをする人も現れ、ちょっとした学びのコミュニティになっている。その間に挟まれるように「DaiGo草」みたいなのもあってちょっと面白い。国民からのこの反響、厚労省の保護課担当者はきっと喜んでくれている筈。

動画の毒性、危険すぎる影響力

 DaiGo氏がYouTubeで何を語ったか、その後すぐに配信された二度の謝罪動画のダメさ加減についてはここでは触れない。その内容を振り返るだけでも魂が汚されるようなダメージを負うからだ。また、動画の中でヘイトの矛先となったホームレス状態の人たちや、生活保護利用者をこれ以上傷付けることは到底できないと思うから差し控える。
 DaiGo氏はちょっと辛口なぶっちゃけトークをしただけだと思っているだろう。しかし、言葉の毒はたくさんの当事者を深く、深く傷つけた。それだけでなく、これから生活保護を利用しないと生きていけない人たちの生きる道をも閉ざしかねない結果となった。そして、一向になくならない路上生活者襲撃や殺人がふたたび起きてしまうのではないかという不安を社会にもたらした。
 今回ヘイトの矛先となった人たちがどんな思いで、どんな不安と恐怖の中で息をひそめているか想像してもらいたい。彼らのほとんどが更なる差別やバッシングを恐れて声を上げられない人たちだ。「声をあげない=いない」ことでは断じてないし、反論しない相手に何を言ってもいいと思っている人たちは卑劣だ。
 ここまで読んで、そもそもこれって何のことをいってるの? DaiGoって誰? と思われた方もいらっしゃるかもしれない。
 DaiGo氏発の動画を踏まえ、生活困窮者支援団体が共同で発表した声明文にはざっと経緯も触れているので、何もご存知ない方は、以下を参照いただきたい。

▼メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明

メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明

緊急声明文は厳しすぎ?ブレる批判対象

 この緊急声明文が出たあと、声明文の内容が厳しすぎるのではないかという声や「集団リンチ」であり、「私刑」であると厳しい言葉を使う有識者も現れた。
 実を申せば、私も団体に身を置く人間でありながら、最初は「声明文の4番目(メディアやスポンサーへのDaiGo氏登用控えの要求)はちょっとどうなのかな」という迷いはあった。しかし、その後、次々と送られてくる当事者からの悲痛に心が決まった。
 「厳しすぎる」「集団リンチ」「DaiGo叩き」という声に対しての私の答え…。菅首相の真似はしたくないが、今回は敢えて彼の十八番を繰り出したい。

 「ご指摘には当たりません」

 日本でよく誤解されている概念に「寛容」「多様性」「言論の自由」があると私はかねがね感じている。そして、「和」や「秩序」を大事にし、対立や議論に耐えられない人たちが多いことも知っている。「喧嘩両成敗」という言葉がいい例だ。
 争っている人間はどっちもどっちという雑すぎる考え方に、これまで私はどれだけ理不尽な思いを飲みこんだり、ウンザリしてきたか分からない。
 会議などで、どう考えても、誰が考えてもダメでしょうという案件で揉めると、その緊張に耐えきれなくなった人たちが「落としどころ」を必死で用意する姿にも常々イライラさせられてきた。両方の顔を立てようとすることに無理があるのだ。議論を深めるのが苦手で、対処するのが面倒くさかったからとしか思えない。そしてそれは、優しさではない。

差別や優生思想に居場所はない

 今回、社会や人々の安全を壊しかねない危険な思想をまき散らした人間がいて、それに支援団体などが抗議する。その抗議が厳しすぎると言って、「どっちもどっち」みたいな言論が出てくることに、私は知性の限界を感じている。
 被害者がいるのだ。それも大勢。尊厳を傷つけられ、勝手に命の線引きをされ、いなくていいと軽い調子で断じられ、落ち込み、怯えている人たちがいるのだ。その差別扇動を250万人のチャンネル登録者を持つタレントが言った罪は重く、ヘイト動画の時とは服の色を黒に変えただけの謝罪で「はい、そうですか」と納得していいものではない。
 「謝ったんだからいいじゃないか」という人はあまりに加害者に甘く、呑気で、被害者に対して無神経で残酷だ。寛容とは違う。

 差別やハラスメントの問題において、この国はなかなか前に進めないでいる。批判する対象がいちいちブレるからだ。揚げ句に被害者にバッシングが行くなどという、とんでもない過ちを未だに飽きずに繰り返している。
 イジメだって、ちっともなくならない。ダメなものはダメなのだという毅然とした態度をとれる大人が少ない社会では人権教育は育たない。
 声明文は一見厳しく見えるとしても、それは彼のやったことを考えれば妥当である。そして、誰も彼の生存権を奪おうなんて言ってないのだ。DaiGo氏が本当に問題の本質を理解し、二度と同じことを繰り返さなくなったとき、社会は彼を受け入れればいいのだ。
 誰もDaiGo氏を社会的に抹殺しようなんて考えていない。彼の居場所を奪うのではなく、彼の差別的思想や優生思想に居場所などないと言っているのだ。混同しないでいただきたい。

「いなくていい」と呼ばれた人々の痛み、恐怖

 2012年に国会議員の片山さつき氏が「生活保護を恥だと思わなくなったのが問題」という大問題発言をしてから日本中を吹き荒れた生活バッシングの嵐、あの頃すでに私は生活困窮者支援の団体に所属していて、当事者たちの悲痛な声をたくさん聴いた。
 外に出られなくなった人がいた。
 死にたいと繰り返す人がいた。
 生きるために利用した制度なのに、「やはり生活保護をやめる」と取り乱す人がいた。

 涙ながらに語られる声の数々に、私の心は痛んだ。
 ただ、振り返ると、あの頃の私の心痛は他人事の域を出ていなかったと、DaiGo氏の発言や、彼を擁護する人たちに傷つき、怒り、恐怖に感じる今、思うのだ。
 今回DaiGo氏に「いなくていい」と言われた人たちと、笑ったり、時にケンカしたりしながら共に歩んだ12年余りの年月は、私に当事者の痛みをようやく自分のこととして感じさせてくれるようになった。

当事者が声を上げられない不寛容な世の中で

 「心の中で思うのは自由だと思うんです。でも、今回の一件は、飲み屋で友達と話すレベルではなくて、自分の信者に対して言ってるじゃないですか。明らかに越えてはいけない一線を越えてます。ただただ、嫌悪感です」

 「私はだれかも分からない相手に命の選別をされたんですよね」

 「さすがにあの発言はダメですね。YouTube見ちゃったんですけど、あれはないですよ」

 「あれじゃあナチスと同じじゃないですか。学校で学ばなかったんですかね」

 支援者たちは生活保護利用者が今回のDaiGo氏の言動にどれだけ傷ついたかを知っている。しかし、彼らは自ら声を上げることはできない。だって、この国は自己責任や生活保護バッシングの黒い雲にずっと覆われているから。私が「見ない方がいい」と言っても、みな息をひそめるようにしながら、今回の一件の動向をネットで注視している。そこで、DaiGo氏擁護のツイートや、優生思想に共感するような声を見つけると恐怖に身を縮めている。
 だから、私達は緊急声明文を出したり、DaiGo氏にも擁護する人たちにも反論し続けている。悪意ある発信を見た人たちの体に回った毒を少しでも中和するように。その人の生きる権利、生きる気力を守るために。
 声明文を読んだ若者はこう言った。
 「生きてていいんだ、オレ…って思いました」
 また、「命の選別をされた」と書いてきた方も、声明文によって救われたと精一杯の感謝を送ってくれた。
 声明文を読んで、ご自身のSNSで発信をされた方がいた。ご本人の承諾を得た上で紹介したい。

「生活保護」という名前の人はいない

DaiGoのYouTubeの話。
主観。
私、生活保護制度の利用してます。
家も、お金もなく、仕事もできなくて、何も無くなったとき、私の命を繋いだのは、生活保護の制度でした。
大袈裟ではなく。
まったく恥ずかしい事だとおもわない。
でも、「生活保護」という言葉で、差別的なことを言われたり、思われたり、税金で生活してるんでしょ(って言われる)。
公に、DaiGoが言った言葉達、
差別する人が増えていくのかと、正直、怖い。
彼の言葉は、殺害予告だと受けとった。
国が、生きる権利なんだと、当たり前の事ではあるが、説明をしてほしい。
それから、「生活保護」という名前の人はいなくて、「制度を利用している〇〇さん」なんです。

 この社会に生きる人々の命や生活を脅かす優生思想も、その人の「生」を萎縮させる自己責任論も、存在してもらっては困るのだ。批判が集中するのを「集団リンチ」とか「叩く」などとすり替えて問題の本質を分からなくさせるテクニックも不愉快だ。
 私は路上生活者や生活保護を利用しながら自分らしく生きようとしている人々と共に生きている。優生思想には断固反対する。そして、DaiGo氏がこれ以上毒をばらまかないためには、社会的制裁は必要だ。それは集団リンチでも叩きでもない。残念ながら、それ以外の方法がないだけだ。優生思想や差別に居場所はないとDaiGo氏だけでなく、世の人々にも知ってもらうために。そして、傷つき、おびえる当事者に安心してもらうために。

       

小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。