第583回:安心して「失敗」できる社会とは。の巻(雨宮処凛)

 「一番幸せなのは、ある意味、死なない程度に安心して失敗できること」

 この言葉を聞いた時、すっと心の重荷が消えた気がした。全身から、いい感じに力が抜けた。

 「名言」を発したのは、NPO法人「抱樸」の奥田知志さん。北九州で30年以上にわたってホームレス支援を続ける人である。

 「ひとりの路上死も出さない」「ひとりでも多く、一日でも早く、路上からの脱出を」「ホームレスを生まない社会を創造する」

 この三つを掲げて活動し、これまでに約3700人を路上から自立に導いてきた。

 私が奥田さんを知ったのは、2006年に起きたある事件。正月明けそうそうの1月7日、山口県・下関駅が放火によって焼けてしまったのだ。火をつけたのは、当時74歳だった男性。男性は放火の前科が10件あり、22歳以降の40年以上を刑務所で過ごしていた。軽度の知的障害があるものの一度も福祉と繋がったことはなく、放火した日は刑務所を出て8日後。その8日の間に、警察に保護されたり役所で生活保護を求めるなどしていたが、公的支援には繋がれていないままだった。

 「刑務所に戻りたかった」

 犯行の動機を語る言葉に、この国の多くの人が衝撃を受けた。

 そんな男性に手を差し伸べたのが、奥田さんだった。刑務所に面会を重ね、男性が人生で辛かった時のことを「刑務所を出た時、誰も迎えに来なかったこと」と話すと「必ず迎えにいく」と約束し、出所した後は抱樸が運営する施設で受け入れた。

 その後、男性は抱樸で穏やかな日々を送っている。抱樸には、そんなふうにしてあらゆる縁が切れて路上生活となり、奥田さんたちの支援で今は屋根の下で暮らす人々が大勢いる。そうして自らが「支援する側」になる人もいれば、「元ホームレス」として学校で子どもたちに自分の体験を語る活動をしている人もいる。

 さて、そんなことを書いたのは、奥田さんと、奥田さんに支援されて今は抱樸に支えられて暮らす「元野宿のおじさん」たちの話をじっくり聞く機会があったからだ。「失敗」をテーマとした新刊『生きのびるための「失敗」入門』最終章で、座談会をして頂いたのである。

 なぜ、あえて「失敗」をテーマとしたのかといえば、今の世の中の寛容度がどんどん下がっている気がしてならないからだ。

 失敗など許されない。それがどんなに過去のものであったとしても発掘されてしまったら人生アウト。そんな空気がいつからか蔓延し、多くの人が「炎上」に怯えている。有名無名は関係ない。なぜなら、「炎上」を機に有名になってしまう人も多くいるからだ。

 今日もSNSでは、たった一度の失敗で誰かが大勢から「許せない」と叩かれている。いつからか、ほんのわずかな失敗も許されない社会になったと思うのは私だけではないはずだ。

 そうして、ふと思う。

 本当は、「失敗する」とか「間違える」って若者の特権でもあったのに、と。今や子どもでも「一度の失敗ですべてを失う」ことを恐れているように見える。もちろん、程度にもよるが、少し前であれば小さな失敗は大人や社会に「若気の至り」なんて笑われて許されるものだったのに。

 そんな中、「失敗しても、どっこい生きてる」大人たちの姿を紹介したいと思った。自分の人生を振り返れば、それこそ「生き恥」と「失敗」しか残っていないような有様だ。自分の失敗についてもたくさん書いた。そうして多くの人に話を聞いたのだが、最終章で元野宿のおじさんたちと奥田さんの座談会をしてもらったのだ。おそらく、数多くの失敗をしてきただろう元野宿のおじさんたちと、彼らを支えてきた奥田さんが語り合う時間。それは非常に楽しく、また涙が出るほど優しい時間でもあった。

 そもそも抱樸自体、これまでの活動が順風満帆だったわけでは決してない。ホームレス支援という活動の理解を得ることは難しく、元野宿の人たちのための場である「抱樸館北九州」を作る際には地元住民の反対運動まで起きている。奥田さんたちは17回にわたって説明会を開くものの、「ホームレスは怖い」などの声は消えない。奥田さんはすっかり参っていたようだ。

 その窮地を救ったのが、座談会に登場してくれた西原さんと下別府さん。二人は奥田さんに頼まれて、住民の前で「元ホームレス」として話したのだ。野宿になった経緯、当時の暮らし、死んでしまおうと思った日のこと、自立を決意した日のこと。話し終えると会場から拍手が起こったという。二人の話が、住民の心を打ったのだ。

 と、ここで終わりだったらいい話だが、そんな重要な時期、下別府さんがお酒で大失敗をやらかしてしまう。そんなことが反対運動の人たちに知られたら、「ほら見たことか」となる。

 「抱樸館潰す気か!」

 奥田さんは激怒したそうだ。

 と、こんなふうにドタバタの中で活動している抱樸だが、そこで奥田さんが言った言葉が冒頭に繋がっていく。それは「『自立する』ってことは、正しい人になることでは全然ないんです」ということ。路上から屋根のある暮らしになり、自立生活をしたとしても、人間、弱さを抱えたまま。抱樸は「何があろうとつながっとこう」ということを大切にしている。そうして、続けた。

 「私がよく言うのは、人間には、幸せになる権利と同時に失敗する権利がある。その失敗する権利を、優秀な支援者は奪いますよね。先回りして失敗させない。だけど一番幸せなのは、ある意味、死なない程度に安心して失敗できること」

 この「優秀な支援者」は、「親」や「上司」「パートナー」に言い換えることもできるだろう。そう、私たちには「失敗する権利」があるのだ。

 本書には、そんな「失敗の達人」と言うべき人々が登場する。

 まず紹介したいのは、月乃光司さん。依存症や自殺願望を持つ人など、生きづらい人たちによるイベント「こわれ者の祭典」の代表として活動してきた彼は、元ひきこもり、元醜形恐怖、元アルコール依存症という三拍子揃った生きづらさエリートだ。彼が自らの人生を振り返り、「人生の経験値は、失敗することで上がっていく」と述べる姿には神々しいものがある。

 探検家の角幡唯介さんも登場する。ニューギニア探検やチベット・ツアンポー単独探検や雪男の捜索、ここ数年は北極圏への探検を続けている角幡さんだが、探検家にとって「失敗」は命とりだ。携帯も通じる国内でする失敗と、人跡未踏の北極圏で、近くにいるのは連れてきた犬一匹という状況でする失敗は次元が違う。それでも角幡さんはあらゆる失敗をする。が、時に麝香牛を狩ったりしながら生きて帰ってくる角幡さんに、失敗とそれをリカバリーする極意を聞いた。

 小説家・あさのあつこさんにも話を聞いた。数多くのベストセラーを出しまくっているあさのさんは、とても物腰柔らかく優しい眼差しの人で、学生時代のいろんな経験が今の創作の源になっているという話をしてくれた。特筆しておきたいのは、子育ての「失敗」についても語ってくれたことだ。親ってそんなふうに考えているものなのか。あさのさんの話は、多くの子どもや「元・子ども」たちに、新鮮な気づきを与えてくれるはずだ。

 「弱いロボット」の研究をしている岡田美智男さんにも話を聞いた。岡田さんの作るロボットは、何もできなかったり、もじもじしていたりとどれもが「弱さ」を持っている。例えばゴミ箱ロボットは、ゴミ箱の形をしていて、ゴミに近づくことはできるものの、自力でゴミを拾えない。なんとなくゴミ箱の近くをうろうろしていると、「困っている」ように見えることから誰かがゴミを拾って入れてくれる、という仕組みだ。一方、アイ・ボーンズというロボットは、引っ込み思案。街角でティッシュを配ろうとしても、恥ずかしいのかもじもじして配ることができない。そんなロボットの近くに行ってティッシュをもらってあげると、もじもじしながらお辞儀のような仕草をする。さて、どうしてこのような「弱いロボット」を作っているのか、岡田さんにインタビューしたのだが、その岡田さん自身がロボットと同じくもじもじしたおじさんで、話を聞くだけで非常に癒されたのだった。

 『居るのはつらいよ』『心はどこへ消えた?』などの著書が話題の臨床心理士・東畑開人さんにも話を聞いた。「何もかもうまくいかなかった中学時代」の話から始まって、失敗する側だけでなく、人の失敗を過剰に責める側も傷ついているという指摘にはハッとさせられた。ネット炎上や、煽り運転などの背景にあるものはなんなのか。東畑さんは、「迷惑をかける練習をしよう」と呼びかける。

 最後に紹介するのはオタク女子ユニット「劇団雌猫」のひらりささん、かんさんだ。お二人とは、「推し」「オタ活」について、存分に語り合った。何しろこちらもこの道30年と筋金入りのバンギャ。オタクとバンギャの違いや、生きる糧である推しの重要性、オタク女子の恋愛や結婚観について語り合う時間はひたすら楽しかった。なぜなら私自身、このコロナ禍を生き延びてこられたのは、推しの存在があったからという確信があるからである。多くのヴィジュアル系バンドの存在がなければ、孤独で不安なコロナ禍、どうなっていたか本当にわからない。

 それは多くの人もそうだろう。この2年間、世界中の人が生活を制限され、精神的にも経済的にも追い詰められている。日本でも自殺者は増え、20年には小・中学生と高校生を合わせた自殺者が499人と過去最多となった。

 そんなコロナ禍で地獄度が一段増したと感じるのはSNSだ。自分の鬱憤を晴らすためなら誰かが死んでも構わないといった切迫した狂気すら感じるのは私だけではないだろう。

 そうして昨年から続く、「死刑になりたい」「自殺しようと思った」などの理由で起きている事件。

 1月15日には、東京大学農学部の正門前で、名古屋に住む17歳の少年が受験生ら3人を刺し、殺人未遂で現行犯逮捕。事件時、東大のキャンパスには共通テストを受けるため多くの受験生が集まっていた。高校2年生の少年は東大志望だったといい、「医者になるため東大理三を目指したが、1年前から成績が上がらず、自信をなくした」「学校の面談で、東大進学は難しいという話になって心が折れた」「医者になれないなら自殺する前に人を殺して、罪悪感を背負って切腹しようと考えた」と述べているという。

 もしかしたら彼は、「失敗したら人生アウト」と思いつめていたのではないだろうか。

 さて、なぜ、このような本を書いたかと言うと、私自身、人生でかなりつらかった10代の頃、大人の失敗談を聞きたくて仕方なかったからだ。

 いじめられていた私は、こんな惨めな思いをしているのは自分だけだと思っていた。こんんな自分は大人になんてなれないと思ってた。

 当時、大人はいつも「そんなんじゃ社会に出てやってけないぞ」という脅しばかりした。そうしてたまに失敗談を語る大人がいても、「だから今の自分がある」などと結局は美談に行き着いた。私が聞きたいのはそういう話じゃなくて、惨めで失敗ばかりだけど、なんとか大人になってぼちぼち生きているという、そんな話だった。教訓でも武勇伝でも成功談でもない、大人の失敗談。

 そんな思いから、上記の人々に話を聞いた。

 10代の頃の私に読ませるために書いたような一冊だ。

 「宣伝かよ」と突っ込まれるだろうが、とにかくインタビューさせて頂いた人々の話が本当に深くて面白くて示唆に富みまくっているので、ぜひ、手にとってみてほしい。

 

『生きのびるための「失敗」入門』(河出書房新社)1420円(税別)

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。