第25回:トークの会「福島の声を聞こう!」vol.38報告(後編)「原発が制御可能と思っているのは人間の驕りだ」(渡辺一枝)

 2021年12月5日に神楽坂セッションハウスで催したトークの会「福島の声を聞こう!」vol.38の報告、後編です。これもまた前編に続き大変長いのですが、飯舘村の伊藤延由さんが、原発事故が起きてからの状況を克明に伝えてくださっています。どうぞ、最後までお読みいただけたらと願っています。

モニタリングポスト

 飯舘村では放射線量を測るために、村内の至るところにモニタリングポストが設置されている。文科省がつけたものが33基、県・村が設置したものを合わせて百数十基が、村内に在る。モニタリングポストは原発や核施設から漏出する放射能を捉えて測定するための機械だが、これ(と写真を見せながら)は2010年2月に撮影された「村民の森あいの沢」という所の写真で、モニタリングポストの数値は0.48μSv/h(マイクロシーベルト/時)になっている。私はいつでも線量計を持っていて測るが、私の線量計では0.53μSv/hだった。これは誤差の範囲だ。ところがモニタリングポストのある道路の向こう側の山林の下、ポストから10メートル離れた場所は2倍の数値で0.95μSv/h。山頂は除染していないから1.26μSv/hと3倍。こうしたことが、ごく普通にある。
 本来モニタリングポストはその周辺全体の値を代表しないといけないのだが、実際には半径1メートルくらいの範囲を代表しているに過ぎない。土壌を測ると、よくわかる。モニタリングポストが設置されている場所はどこも、除染して砂を入れ替えてから設置されている。時には砂を入れ替えるばかりでなくコンクリートを敷いてその上に設置したりする。あいの沢のこのモニタリングポストを設置した場所も、きれいに除染して砂を入れ替えてあり、足元の土壌は221.2Bq/kg(ベクレル/キログラム)、しかし10メートル離れた道路の向こう側は14986Bq/kg、そのそばの山の頂は32133Bq/kg。
 こうして見ればモニタリングポストが100基あろうが1000基あろうが、全く役に立たないことがわかる。要するにこれは、将来もし住民の健康に被害が出た時に、国は「いや、いや、そこの放射性物質の濃度は0.48μSv/hしかなかったから、健康被害が出るはずはない」と言うためのものなのだ。
 だが実際には住民が生活する範囲は、もっと線量が高い場所だ。だからこんなのがいくらたくさんあっても、全く役に立たない。

避難指示解除

 2017年3月31日、飯舘村は長泥地区を除いて避難指示が解除された。国は避難指示を出したとき、年間被ばく量が20mSv(ミリシーベルト)を超すから危険だとして住民を避難させた。しかしその後、除染などで20mSvを下回ったから帰れという話だ。しかし本来、一般公衆の年間追加被ばく量として認められているのは1mSvだ。なぜ、福島だけが20mSvなのか。
 今では、よほどのことがない限り、村内に住んでいても年間被ばく量が20mSvを超えることはない。しかし、なんで福島の人は20mSvを甘んじて受けなければいけないのかという話だ。日本全国20mSv以下にするなら福島だって受けるが、しかしこれは福島だけの問題ではない。このまま20mSvで避難指示解除されたら、今後、不幸にしてまた原発事故があった時、それによって放射能汚染された土地の住民たちは、福島は20mSvで帰ったのだから、あんた達も帰りなさいと言われるだろう。
 もっと心配なのは、これが世界の基準になるということだ。日本は20mSvが境で、20mSv以下で避難指示解除したのだから、これを世界の基準にしようとICRP(国際放射線防護委員会)や他の色々なところが画策するかもしれない。これは絶対に許せないことだ。
 政府が定めた避難指示解除の要件は「空間線量率で推定された年間積算線量が20mSv以下になるのが確実であること」の他に、「電気、ガス、上下水道、主要交通網、通信など日常生活に必要なインフラや医療・介護・郵便などの生活関連サービスが概ね復旧すること」、「子どもの生活環境を中心とする除染作業が十分に進捗すること」とされている。そして、これらの判断は県、市町村、住民との十分な協議をもって進めることとされているが、実際には十分な協議など皆無だった。

復興?

 国からの復興予算は腐るほどある。飯舘村の道の駅「までい館」は、2018年に11億円かけてできた。つい最近は、40億かけてドッグランその他の整備が終わった。その他にも、認定こども園、小中一貫校とその屋内プールなどなどに予算が使われてきた。文教地区(教育施設が集まっている場所)の放射線環境は、校地の境界や校門前は0.17μSv/hと、除染して随分きれいになっている。ところが境界から20メートル離れたところは、1.06μSv/h。これが実態だ。本来は境界から20メートルまでが除染対象だが、ここは文教地区なのでそれより先の山の上まで除染した。山の上の除染済みの場所は0.84μSv/hだが、未除染の場所は1.06μSv/hという、とても高い数値を示している。子どもたちに、側溝や雨樋の下は危ないから行くなと言っても、行くなと言われたら行くのが子どもではないか。こんな線量の場所が教育環境にふさわしいのか。
 2017年に避難指示が解除されて、2018年には学校が開設された。それまでは子どもたちは、村外にあった仮設校舎で学んでいた。この時も父母たちは、村内開設は時期尚早と反対した。しかし村長は、子どもが居ないと村の復興にマイナスだと言った。子どもたちを復興の生贄にしたと、私は思っている。
 事故前の村の人口は6544人で、1716世帯だったから平均世帯人数は3.81人だった。35%が3世代同居、お爺ちゃん、お婆ちゃんが孫の面倒を見て、若手が近くの工場で働いて土日に農業をやるという形で、所得統計に表れる数字は貧しいけれど、実際には非常に豊かな暮らしだった。
 事故直後、住民は避難したが分散避難だったため、世帯分離で世帯数は3200になった。

村の状況

 2021年12月1日現在、飯舘村の住民登録は5009人。いま、原発避難者特例法があって二地域居住が認められているから、住民票は村にあるが実際の居住は避難先になっているという人も多い。飯舘村の広報によれば、実際に村に帰って生活しているのは1234人で、うち事故後に転入してきた人が194人、2017年3月31日以降に村内で生まれたのが7人だとされているが、そんなにたくさん生まれた子がいるとは思えない。
 また、もともと村から出ていない人たちとして、帰還困難区域の長泥から村内の他地域に避難した人が4人、未避難者5人、老人介護施設の「いいたてホーム」入居者が35人となっている。この数を合わせると村内居住者は1278人となるが、実際にいま村に居るのは、この半分くらいだろう。避難先から時々自宅に戻って過ごす人の中に、村内居住者にカウントされている場合があるからだ。
 2011年11月の県の発表では、県外避難者は27569名とされているが、飯舘村だけに限ってもまだこれだけの人が避難している。おそらく実数はもっと多いだろう。これで原発事故は終わった、復興五輪だというのは、納得がいかない話だ。飯舘村の2011年(原発事故前)の人口は6544人だったが、当時の人口ピラミッドは60歳以上が36.5%で高齢化率は28.7パーセントと、わりと健全な状況を示していた。しかし、2021年における帰村者の人口ピラミッドは60歳以上が74.0%で、高齢化率61.5パーセントとなっている。
 飯舘村は、こんな村になった。健全な人口ピラミッドを崩したのは、原発事故だ。今となっては、村に戻らない理由は放射能が怖いからという人ももちろんいるが、10年の社会生活の中で自分の居場所が他にできてしまって、もう村に戻らないと決めた人が結構多数いる。
 最終的には2023年に特例法が解除されたときに住民票をどちらかに定めないといけないが、それで帰村者が多くなるとは考えられない。この村の行く末、未来は想像できる。

土壌汚染

 2017年4月に長泥で採取した土壌の検査をしたところ、表土5センチで36110Bq/kg、5〜10センチで320Bq/kg、10〜15センチが226Bq/kg、15〜20センチで108Bq/kg、20〜25センチが87Bq/kg、25〜29.5センチが28Bq/kgだった。だから除染で表面を5センチ剥ぐというのはある意味で理解できるが、その下もこんなに汚染されている。
 同じ年の9月、上関原発建設予定地になっている山口県の島、祝島に行った。祝島の対岸に位置する光市の公園で測定したら、表土0〜5センチで2.58Bq/kg、5~10センチは2.07Bq/kg、10〜15センチは3.01Bq/kg、15〜20センチで2.47Bq/kg、20〜25センチ、25〜29.5センチはいずれも0.00Bq/kgだった。祝島の海岸の表土5センチは1.69Bq/kg、学校敷地表土5センチが1.71Bq/kgだった。
 つまり、2.58とか1.69という値が、原発事故が起きると36110という数値に跳ね上がる。これが原発事故の実像だ。光市や祝島のようなきれいなところに、さらに原発を造って自然を汚すのか? 私はとても許せない!
 西日本は自然由来の放射線があるから放射線量がもともと高いと言われていたが、実際にはそうではなかった。2021年4月、新潟県の柏崎刈羽原発付近の土壌測定をした。上越市柿崎は柏崎刈羽原発から30キロ圏内だが、そこの表土5センチは7.7Bq/kgだった。柏崎刈羽原発の刈羽村側は22Bq/kg、柏崎市側が11 Bq/kgだった。
 飯舘村村内除染済み(村の面積の16%)の土壌33件を計測した平均値は10744Bq/kg、村内未除染(村の面積の84%)の土壌13件の平均値は42677Bq/kg、特に放射線量が高いとされる長泥地区(未除染)5件の土壌の平均は47709Bq/kgだった。単純平均なので学術的には問題があるかもしれないが、参考にはなる数字だと思う。
 42667Bqは、セシウム134は半減期が2年だから間も無くなくなるが、セシウム137の半減期は30年、これは出す放射線の量が半分になるのにかかる時間が30年ということだ。これで計算していくと300年くらい経つと42くらいになる。300年かけると1000分の1になるということだ。330年かかってようやく20Bqという数値になる。これが原発事故の実像だ。そして、4000億円かけても、何兆円かけても、元には戻らない。

自然の循環サイクル

 村内の植物の緑は、全てセシウムを含んだ色だと思えてならない。セシウムが自然の循環サイクルに入ってしまった。その一例を杉材で見ることができる。2016年1月に村内で伐採した杉の幹を輪切りにしてレントゲンフィルムの上に置くと、放射線が出て感光する。樹皮の根元部分は2831Bq/kg、幹の樹皮は2028Bq/kg、根元の師部は702Bq/kg、幹の師部が931Bq/kg、根元芯部分が355Bq/kg、幹芯部分は780Bq/kgで、樹齢100年の杉の木も、セシウムを取り込んでいる。100年経った杉も商品価値を失う。
 事故後自生したコナラの幼木、松や紅葉の幼木を分析してみても、同様に赤や黄色に感光発色した。1年齢ではほとんど感光しないが、2年齢、3年齢と経つほどにはっきりと感光してセシウムを含んでいることがわかる。コナラの葉は92605Bq/kg、モミジの葉が22995Bq/kg、松葉は1546Bq/kgあり、根からの移行と考えられる。
 1年目にはほとんど数値が出なくても、根から吸い上げて、翌年また根から吸い上げて、数年後にはセシウムが検出される。こうしたことが事故後11年繰り返されてきた。落ち葉は腐るが、そこに含まれていたセシウムは土壌に溜まっていく。それを吸って育つ幼木はセシウムを含んでいる。
 腐葉土は落ち葉が腐って土に変わっていく過程の途中の状態だが、その腐葉土を使ってジャガイモの栽培実験をした。そのとき使った村内の腐葉土は40307Bq/kgあったが、収穫したジャガイモは1747Bq/kgだった。移行率は4.3パーセントだ。ところが腐葉土を使っていない普通の農地で作ったジャガイモの場合、移行率は0.1%で、3000Bq/kgの農地で作っても、ジャガイモには3Bq/kgしか出ないそれなのに腐葉土は4.3パーセント移行する、ということは、43倍だ。
 飯舘村の野菜が美味しいと言われてきたのは、寒暖差が大きいことの他に、堆肥や腐葉土を鋤込んで土作りをしてきたからでもある。ところがいま、飯舘村では腐葉土が最大の汚染源になっている。これが、この先300年続く。これが原発事故の実態だ。

キノコの測定

 あの豊かだった飯舘村の自然の恵み、山菜やキノコがどうなっていくのか調べていこうと思って、測定を始めた。2011年から松茸を測っている。松茸は1本ごとに全く線量が違うが、2020年時点では一番数値が高いのが22108Bq/kg、低いのが2589Bq/kgだった。2021年は天候不順で松茸は採れなかった。猪鼻茸(香茸)は、飯舘村では松茸よりも珍重されるキノコだが、2011年は44300Bq/kg、2021年は13549〜34292Bq/kgと、これもやはり万単位の数値だった。サクラシメジも同様だ。
 毎年の測定値を表にしているが、同じ場所でも日によって全く値が違う。山菜・キノコについては、測ったものはこうだったが、測らないものは想像もつかない。それが、汚染の実態だ。
 さらに、汚染は福島とその近県には留まらない。これは2020年に山梨県の富士吉田市、富士山の麓で撮影した写真だが、「富士吉田市、鳴沢村、富士河口湖畔の野生きのこを採取しないでください」と触れ書きが出ている。2021年にも同様の触れ書きが出たそうだ。隣の静岡県では原発事故があった初年度にお茶が汚染されていることがわかって騒ぎになったが、汚染されたのはお茶だけだったのだろうか。お茶は葉が出たところへちょうど放射性物質が降り注いで、それを洗い流しても落ちなかった。その残りは大地に降り注いだ。自然の循環サイクルに入って、富士山の麓も腐葉土がたくさんあるから、富士吉田市のキノコの触れ書きのようなことになる。
 飯舘村の道の駅では、村内産の野菜や米を売っている。これは、実はほとんど大丈夫だ(ただ「私は1Bq/kgだって嫌だ」という人は食べない方がいい)。なぜかというと、除染して土の表面のセシウム濃度は下がった。さらに、野菜を作るには肥料の三要素、窒素・リン酸・カリを入れるが、カリを入れると、セシウムが作物に吸収されるのを抑制するからだ。
 道の駅で売っている野菜や米を買ってきて測定器で測るが、私の持っている測定器では検出できない。ゲルマニウム半導体検出器という非常に精度の高いもので1日か2日かけてやれば0.02Bq/kgくらい出るかもしれない。
 私は京都大学の今中(哲二)先生に指導を受けていて、今中先生のところに福島産の果物を送るとゲルマニウム半導体検出器で測ってくださる。でも今までで一番高かったもので2Bq/kg。最近では数値が低すぎて検出されないとか0.02Bq/kgどまりだ。ただ、原発事故後は、ゼロBq/kgはあり得ない。国は1キロあたり100Bqのものまでは食べていいと言っているが、それを信じるかどうかは別として、飯舘村で栽培された野菜を私が測った中では最高のものは4Bq/kgだった。そういう意味で、栽培したものは大丈夫。ただ山菜、キノコなど自生のものは非常に危険だということだけ覚えておいてほしい。
 山菜についても、ずっと計測してきた。蕗の薹は2013年には2483Bq/kgだったが、2021年には30Bq/kgだった。しかし、だから飯舘村の蕗の薹は食べても大丈夫とは言えない。これ以外の場所では100を超えるところがたくさんある。
 コシアブラは非常に特異な性質を持っていて、高濃度の放射能が検出される。私が測ったものでは直近で27万Bq/kg、今でも1万、2万は普通にある。長野県あたりでも500Bq/kgが出たこともある。これが自生の山菜、キノコと栽培物との違いだ。
 コゴミは草ソテツとも呼ぶが、これは同じ場所で2021年4月20日から5月24日まで、何回にも分けて採って測った。220平米の範囲で採っているが、一番高いのが596.8、低いのが221と、これくらい数値が違う。採るタイミングでも全く違う。
 ワラビについても4箇所で採っているが、沼平は100Bq/kgを下回っていて、野手神山は100を上回り、別の場所では100を切っている。500メートルか1000メートルしか離れていない場所で、こうなのだ。測らなければまったくわからず、測って見たらこうだったというのが自然の山菜、キノコの動きだ。
 山ウドは除染する前でも、食べることはできる値のものが採れた。ただ測ってみたらND(不検出)だったというだけで、他のものが全部食べてもいいとは言えない。土壌のセシウム濃度によるのだろうということで測定してきたが、実際には2014年に「いいたてふぁーむ」のあった野手神で採れたものが103Bq/kg、その周辺の土壌は14612Bq/kgあった。一方、沼平地区で採れたウドは2463Bq/kgあったが、土壌は8056Bq/kgだった。この結果から言えるのは、土壌のセシウム濃度はそこで採れる山菜の濃度に比例しないということだ。それ以外に移行する量が変わる要素があるのだろうということはわかったが、それが何であるかはわからない。
 タラの芽は毎年同じ木から採取できるので、植物の測定には非常にいい検体だが、なぜか最初に測った年は320、翌年は779、次の年は295、またその次には793と、300前後と700台の数値が交互に出てきた。それで翌年「今年は300か」と思っていたら、今度は突然26に下がってしまった。同じ木から取っているからかなり正確なはずだが、タラの木は数年経つと自分で枯れてしまう。案の定、この木はその翌年は芽をつけなかった。もう枯れそうなので土から養分を吸収する力がなかったのか、と仮説を立ててみたが、実際にはどうだったのかはわからない。
 普段は飯舘村の狭い範囲でしか活動していないが、2020年11月に浪江町津島地区の赤宇木に入った時に杉の樹皮を測った。杉の樹皮は、2011年3月15日に降った雨で付着した放射性物質が今でも落ちないでついたままだ。飯舘村の8件で採取した樹皮を単純平均すると4018Bq/kgだが、浪江で採取したものは27290Bq/kgあった。国は今、津島の一部を除染して避難指示解除しようとしているが、これは許し難い暴挙だ。

福島第一原発事故における損害賠償の枠組み

 原発事故に遭い被災者になって、非常に不条理を感じた。原発事故の賠償の枠組みにおいて決定的なのは、被害者に寄り添わず、物事が加害者に有利に運ばれるようにできているということ。もう一つは、加害者が被害を査定して加害者が決めた範囲でのみ補償するということ。これは本当に不条理で、今でも東京電力と対峙する時には血圧が上がる。たとえば私は事故前から降圧剤を飲んでいたが、原発事故が起きて事故後に降圧剤が足りなくなって追加した。東電は薬の量が増えたのを認めて、かかりつけの医者が原発由来だと診断すれば医療費は払うと言うので、それで払って貰っていた。4年間は払って貰ったが、5年目になったら、かかりつけの医者がまだ降圧剤は減らせないと診断したにもかかわらず、東電は「もういいでしょう」と言って認めなかった。
 また私は「いいたてふぁーむ」で仕事をしていたから、会社から給料を貰っていた。原発事故後「いいたてふぁーむ」は続けられないから閉鎖した。東電に給料相当額を払ってくれと言ったら、事故から4年間は払うが、その後は「もういいでしょう」ということだった。こんなふうに、全て加害者である東電が決めている。
 もう一つ問題なのは、裁判なしでの和解を目指すADR(裁判外紛争解決手続)だ。これは原発事故だけでなく交通事故やその他にもある仕組みだが、通常は訴えられた加害者側が和解案に満足しない時には、その加害者側が裁判に訴えるしかない。しかし原発事故についてのADRでは、東電に拒否権を与えてしまった。和解案に納得できない場合も、東電は「拒否する」と言うだけでよく、被害者の側が裁判を起こして損害回復するしかない。浪江町では15000人の町民がADRを利用した。ADRセンターからは何回も和解の勧告があったが、東電はとうとう和解案を拒否した。長谷川健一さんが中心になってやった飯舘村のADRもごくごく一部のみ和解に応じた部分があったが、大筋では和解案は成立しなかった。これが、国が画策してやっていることだ。
 今回、飯舘村で私たちは新たに裁判を起こしている。裁判などしたこともない被害者が、金も時間もかかる裁判に向かう。理不尽で不条理なことだと思っている。
 東電には、「損害賠償の迅速かつ適切な実施のための方策」と題する「3つの誓い」があって、これは株主総会でも発表されている。
 •最後の一人まで賠償完徹
 •迅速かつきめ細やかな賠償の徹底
 •和解仲介案の尊重
 この3つだ。これと全く違うことが、まかり通っている。
 もっと理不尽、不条理と思うのは、我々のように避難指示区域から避難した者に対しては、少ないとは言え賠償や補償が出ていた。ところがすでに避難指示が解除された場所から、まだ空間線量率が事故前より高いから危険だと思って避難したいわゆる自主避難者に対しては、国も県も避難指示解除したのだから帰れと支援を打ち切り、これまで支援策として無料で提供していた住居からの退去を求めた。避難者がこれを拒否すると家賃を請求し、さらに家賃を払わないと退去の訴訟を提起した。県は都の国家公務員住宅に居住する避難者を追い出しにかかり、出て行き所がなく仕方なくそこに住む避難者に対し訴訟を起こした。福島県は被災県なのにその県知事が被災者の県民を守らないばかりか、住まいを奪い人権を踏みにじる暴挙に出た。
 空間線量率を高めたのは、東電の事故だ。それを元に戻して帰れと言うならわかるが、線量は元に戻らないのに帰れというのはおかしい。

失ったものは基本的人権

 住み慣れた故郷で家族助け合って生活する権利。自然豊かな、汚染されていない故郷に住む権利。自然の恵みを享受して、豊かな生活をする権利。地域で助け合って不足を補って、豊かな生活をする権利。これらが奪われた。国は復興庁を作って、自立支援するから自立せよ、などと言うが、事故前はみんな貧しいながら自立していた。復興庁などを作って役人を集め、税金を使って避難者いじめをやっている。

汚染水海洋放出について

 原発からの汚染水に含まれるトリチウムは飲んでも影響ないなどと言っている輩がいるが、トリチウムも放射性物質だ。東電は廃炉作業のスペースを確保するために汚染水を30年かけて海洋放出するのだと言うが、とんでもない。柏崎刈羽原発が稼働中に放流していたトリチウムは年に0.69兆Bqだったが、福島第一の汚染水に含まれるトリチウムは1000兆Bq(2000兆という説もある)で、柏崎刈羽の基準で放流すると1450年かかる。東電の言うように30年で放流するなら33.3兆Bq/年となり、とんでもない量を流すことになる。海は偉大だから希釈してくれるが、その被害が0とは、到底あり得ない。東電が一方的に「影響はない」と言っているだけだ。
東電は汚染水を貯蔵するための1000トンタンクを何百基も作っているが、なぜ1000トンなのか。膨大な量の汚染水が出ることは最初からわかっていたのに、こんな小さなタンクでなく10万トンとか20万トンではないのか。事故直後、小出裕章氏は30万トンタンカーを横付けにして、と提案していた。
 汚染水の処理も全く、このほうが安いからという経済性だけで考えられている。被害は後から出てくるだろうがわからないからと、加害企業の都合優先だ。
 今回の事故で表出されたのは、加害者責任という言葉がないことだ。国も企業側も、加害の責任を認めようとしていない。たとえば水俣病だったら、加害企業が少なくとも原告団の前で土下座している。そういう責任を、東電も国も全く感じていない。
 佐賀県にある玄海原発の場合、原発稼働後に対岸の長崎県壱岐市で白血病の患者が急激に増えた。人口10万人に対して全国平均の患者数は5.7人だが、それが26.2人に及んだ。「統計処理の問題だ」と言って自治体は認めていないが、でも間違いなく増えているのが事実だ。玄海原発は白血病を誘発すると言われているトリチウムを放出する。放出量は全国の他の原発の中で最も多く、稼働開始から現在に至るまで大気中や海洋中に放出され続けている。
 イギリスのセラフィールドでも、再処理工場周辺で白血病患者が増えた。これもトリチウムのせいだと言われているが、隠蔽されてしまった。
 北海道がんセンターの放射線科医・西尾正道氏が「トリチウム海洋放出は、全世界の人類に健康被害をもたらす」と警告している。

大飯原発差止訴訟 福井地裁判決

 大飯原発差止訴訟において、2014年5月に福井地裁で樋口英明裁判長が出した判決は、原発についての「神の判決」だと思う。判決主文で「大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない」として、生存を基礎とする人格権が全ての法分野で最高の価値を持つと謳い、人格権は憲法上の権利であり、我が国の法制下においてはこれを超える価値を見出すことはできないと言った。
 いま福島では、まだ放射線量が高い場所がたくさんあるにもかかわらず、年間被ばく量20mSv以下になったからと避難指示が解除されて、住民は元の場所に帰れと促されている。これは単に福島だけの問題ではない。今後同様の問題が発生した時に、今後の基準になる。どうか、皆さんの問題だと考えて欲しい。
 原発事故は地震や津波だけで起こる訳ではない。そして核災害は隠される。人はミスを犯す動物だ。事故が起きたときには復旧する手立てはないのが原発事故だ。原発は現在の人知では制御不能のプラントなのだ。制御可能と思っているのは人間の驕りだ。
 原発事故が発生したあの時に私は、飯舘村で計測された44.7μSv/hの意味も知らなかったが、その後、今中先生やいろいろな方から放射線測定の手引きをして頂いてきた。2017年から2019年までの3年間、高木仁三郎市民科学基金の助成をいただいて調査をしてきた。といっても、本当は今でも全くわからない。測った結果がこうだったと言っていくだけだ。ご清聴、ありがとうございました。

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。