第732回:「日本人ファースト」からの半年後、1年後、5年後を考える〜「貧困問題」の解決を諦め、「敵を設定してそれを叩いてスッキリする」方向にシフトした社会の行方。の巻(雨宮処凛)

Photo : Masaki Kamei

 これまでのこと、そしてこれから起きることを記録しておかなければ。

 日々、そんな衝動に強く駆られている。それくらい毎日のように、この国が少しずつ変質しているのを突きつけられることが起きているからだ。

 まず確認したいのは、2023年、入管法改正案の話が出てくる前まで、この国には「クルド人ヘイト」は存在しなかったことだ。日本に来るようになったのが30年ほど前で、23年時点で3000人ほどと言われたクルド人。しかし、2年前まではSNSで誹謗中傷を受けるどころかその存在さえ知られず、知っていたとしてもさして関心も持たれず日本社会で暮らしていた。

 もうひとつ、記録しておきたいこと。

 それは25年5月には、クルド人以外で外国人がことさら敵視されるような空気はそれほどなかったということ。

 もちろん、在特会などのデモはあった。が、そのようなデモに参加したりヘイトを撒き散らす人々はごくごく一部ということは共有されていたのではないだろうか。そんなこの国で、「外国人問題」というトピックはあまり目にしないもので、ヨーロッパなど「どこか遠い国の話」のものだった。少なくとも半年前、ことさらに「外国人が!」と叫んでも白い目で見られたのではないか。

 その中でも、例えば技能実習生などに対しては、同情の声が多かった。

 時給300円でパスポートまで取り上げられて管理されるような劣悪な待遇には、多くの日本人が心を痛めていた。

 私自身、この問題を取材し発信してきたから肌感覚としてわかる。現状を知った人々は彼ら彼女らの苦境に胸を痛め、構造を知れば知るほど受け入れ団体など「搾取にかかわる日本人」に「日本の恥」「こんなことをしていたら実習生たちは日本が大嫌いになってしまう」と怒りを向けた。

 外国人観光客に対するネガティブな声も、コロナ前まではほぼ目にしたことがなかった。

 また、留学生に対して敵視する声など、少なくとも私は聞いたことがなかった。

 難民については、多くの人がそもそもほとんど関心を持っていなかった。

 それが今はどうだろう。

 実習生については「失踪」などが問題視され、それが即「犯罪」と結びつくかのような言説をあちこちで見かける。なぜ失踪するのか、どれほど劣悪な条件なのかといった背景を見る視点はすっぽり抜け落ちているように感じる。

 観光客を見るこの国の人々の視線も、大きく変わった。

 コロナ禍以降の増加、また日本人にはとても手の出ないような値段のものを「安い」と消費する姿を日常的に目にするようになったことが原因だろう。

 それに対しては「日本人だってバブルの頃に同じことしてたじゃないか」と諌める声もある。が、現在50歳の私でさえ、景気のいい時は子どもだったので「いい時代」を経験したという感覚はない。若い世代であればあるほど、「豊かだった日本」は遠い。

 留学生については、「日本人ファースト」という言葉が出てきた頃、博士課程の学生への生活支援に留学生も含まれることが問題視され、6月末、日本人に限定されることがあった。ごくごく一部のことでも「外国人優遇」「生活が苦しい日本人を差し置いて何をしているのか」という声が大きな力を持つようになり、それによって実際の制度運用が変わった最初のケースだということは覚えておきたい。

 難民については、これまでの無関心と打って変わって「偽難民!」「国へ帰れ!」といった言葉があちこちに溢れるようになった。特にクルド人がその標的となっているのは周知の通りだ。

 そうして前回書いた通り、この夏には「不法滞在者ゼロプラン」に基づく強制送還が急増し(送還された中には日本生まれの子どもも含まれる)、8月21日、アフリカ開発会議で日本の4市が「ホームタウン」に認定され(といっても交流が強化されるという程度の内容)、「日本が特別ビザを新設する」などの誤情報とともに報道された結果、自治体には数千件レベルの抗議が殺到。誤情報と判明したあとも抗議は続いた。

 この件を受け、8月29日にはJICA本部前で移民反対のデモが行われ(その後も開催)、その翌日には大阪で移民反対デモが行われる。

 一方、8月29日には、法務大臣が外国人の受け入れに関する私的勉強会の中間報告書を公表。このことは「外国人政策 抜本見直し検討」「受け入れ制限も」などと大きく報じられた。

 そうして気がつけば、今年の5月には影も形もなかった「外国人問題」が、この国の一丁目一番地の「重大問題」となっている。

 そのことにより、他の重要なテーマはすべて後退。例えば非正規問題や夫婦別姓、参院選前は話題になっていたロスジェネ対策などは目にすることもなくなった(しかも石破総理がこのタイミングで辞任を発表)。

 「日本人ファースト」という言葉が登場して、わずか3ヶ月。それでここまでこの国の人々の「タガ」が外れたのだ。半年後、1年後、5年後はいったいどうなっているのだろう。そう思うと、目の前が暗くなってくる。

 同時に思うのは、この国はもう、格差や貧困をどうにかすることを諦めたのだな、ということだ。外国人問題が急浮上した背景には、貧しくなった日本、生活が苦しい庶民という問題があることは誰もが知っている。

 であれば、根本の解決に向かえばいいものの、そんな機運はまったく高まらない。

 原因の一つは、これまでの政治の無策だろう。

 貧困問題に約20年関わってきた私は、政治がこの問題を全く解決しようとせず、ただただ時間を浪費し、そのせいで多くの人の人生が狂わされてきたことを知っている。「人生を台無しにされた」と思っている人がどれほどいるかを知っている。それでも国は突き放し続けてきた。そんな中、多くの人が「もう国も何も頼れない」と、より自己責任的なスタンスになり、「自分だけが勝ち抜く」ことに専念するようになる光景も見てきた。

 そもそも国が投資を進め、会社も副業を進める時代だ。「自己責任で勝手に生き抜いてください」と到底クリアできないサバイバルゲームに丸裸で放り出されているような状態がもうずーっと続いているのだ。

 その結果、貧困をどうにかすることを諦めた社会は、それを外国人のせいにして鬱憤を晴らす方向にシフトしたようである。どうせオオモトは改善なんてされないから、それなら誰かをぶっ叩いてスッキリしようということなのだろう。

 そんなことを考えていたところ、Xで以下のような書き込みがふと目に入った。

 「日本人ファーストが支持されたのは”日本に生まれて日本で頑張って生きている私たちを大切にしてくれていない”と思わせる政治を国が行ってきたから」

 これに頷く人は多いのではないか。

 流れてきたこの言葉を「その通りだな」と読んでいたら、その言葉を書き込んだ人が参政党・梅村みずほ氏だったので驚いた。

 それにしても、「失われた30年」は長すぎた。

 今、私は、心から憤慨している。なぜ、政治はここまで貧困を放置したのか。

 これを放置すると、治安に跳ね返るばかりか、予想もしていないようなことが起きると私は言ってきたし、ずーっと書いてきた。

 思えばこの30年で何度も無差別殺人事件が起き、「無敵の人」という言葉が注目され、最近では闇バイトで若者が殺人を犯す事態にまで行き着いた。

 これから、さらに想像もしていなかったことが起きるだろう。

 それを私は、記録していく。人はすぐに忘れてしまうから。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年、北海道生まれ。作家。反貧困ネットワーク世話人。フリーターなどを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。06年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』(河出書房新社)など50冊以上。24年に出版した『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)がベストセラーに。