第154回:千句まで……(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

入社試験の思い出

 たいしたことではないけれど、妙に記憶に残っている事柄がある。ぼくの場合、入社試験の出題である。
 かつてぼくが勤務した会社は、試験に「三題噺」なるものが出題されるのが“定番”だった。3つの単語が提示され、それを使って800字(原稿用紙2枚分)ほどの文章を作る、というものである。現在もその伝統(?)が続いているのかどうかは、もう退社して15年ほどにもなるから、ぼくは知らない。
 さて、ぼくが受けたときの出題は「公害・初体験・革新都政」というものだった。「革新都政」なんてなんのこと? と首をひねる人が多いだろうけれど、それも無理はない。なにしろ50年以上も前の話である。でもね、なんとなくみんなが元気だった「昭和」という時代が思い出されるでしょ?
 革新都政とは、美濃部亮吉さん(戦前、「天皇機関説」をとなえたことで弾圧された憲法学者・美濃部達吉氏の息子)による都政のことで、1967年から3期12年間にわたって東京都知事を務めたのだ。当時の社会党と共産党の革新統一候補として都知事選に立ち、にこやかな風貌と優しい語り口で圧倒的な人気を誇ったマルクス経済学の大学教授だった。3期目には自民党推薦で立候補した石原慎太郎氏を破るなど強さを誇った。東京で、革新派が強かったころの昔話……である。
 その美濃部都政、公営ギャンブル場や場外馬券売り場などを廃止したり、公害問題に積極的に取り組んだりした。だから、入社試験に「革新都政」と「公害」が出たのだろう。でも、それはいいとして、なんで「初体験」が出されたのだろう。そこが娯楽出版社の持ち味だったのかな。
 その「三題噺」にどんな内容を書いたのかは、ぼくの記憶にはまったく残っていない。ぼくはわりと文章を書くのは好きだったから、それなりにでっち上げたんだと思う。だって他の筆記試験で、ぼくがいい成績をとれたはずがない。

「三題噺」の言葉を考えながら……

 なんでそんなことを思い出したのか?
 このところ、ぼくは「千句まで」と称して、毎日数句の川柳(もどき)を、ツイッター上に書き散らしている。まあどの句も、だいたいインプレッションが1000~2000件、たまには5000件ほども付くことがあるけれど、たいした数じゃない。今700句目をやっと超えたあたり。で、川柳(もどき)を考えていると、けっこう言葉(単語)に敏感になる。そのためか、ときおり、これは「三題噺」のネタになるなあ……なんて、ふっと思ったりする、というわけだ。
 例えば「調査中・ガラスの天井・居酒屋」なんてのはどうかな。「潜水艦・ワクチン・春一番」とか「大統領・ユーチューブ・鬼」「眠り猫・オリンピック・大地震」……などと、つい3つの言葉を考えてしまう。
 川柳というのは、やはり時事問題、それも強いものを皮肉る、権力に盾突いてみる、というところが真骨頂なのだろう。それを面白おかしく、そしてチクリと痛いところを刺す。ところが、それがなかなかうまくいかないんだなあ。
 ぼくの吐き出す句は、まったく生のままでヒネリが足りないし、クスッとくすぐるウィットにも富んでいない。いやはや、難しい。
 ときどき挫折しそうになるけれど、ともかく「千句まで」と始めたものは、なんとか終わらせたい、と思うくらいの“根性”は、ぼくにだってある。やっと7合目まで辿り着いたのだ。ここで脱落はちと悔しいじゃないか。
 というわけでひねったのが
 〈山登り 七号目あたりが 最苦難〉
 これも出来はひどいものだけれど、ぼくの心情そのものである。

時勢に抗う川柳…

 それにしても、最近は川柳のネタが次から次へと出てくる。“川柳ネタ”が多い世の中って、あまりよくないと思う。強いものがはびこり、権力が幅を利かせ、大金持ちが貧乏人を踏みつけにしている、ということなのだから。
 戦前、反戦川柳作家として有名だった鶴彬は治安維持法違反で検挙され、1938年に獄中死している。また1940年には、「新興俳句弾圧事件」(京大俳句会事件ともいう)というのがあった。これは、京都大学の学生たちの「新興俳句」が反戦を裡に秘め、政府に盾突くものだとして、治安維持法違反容疑で15人もの関係者が逮捕された事件だ。ここには西東三鬼や、渡辺白泉などがいた。

 手と足をもいだ丸太にしてかえし(鶴彬)
 戦争が廊下の奥に立ってゐた(渡辺白泉)
 水枕ガバリと寒い海がある(西東三鬼)

 これらの川柳を見れば、反戦意識をするどい言葉に託した若者たちが、当時の弾圧政治、ファッシズム体制からなぜそんなにも憎まれたかがよく分かる。繰り返すが、川柳は時代に放つ言葉の矢なのである。だからこそ、権力はするどい言葉を弾圧し、それを発した者たちを捕らえたのだ。
 ひるがえって今の世の中、なんだか雰囲気が似てきていると思う。警察が図書館の「貸出データ」を調べていた……などというニュースも報じられているし、「女性たちの反戦デモ」を詠んだ句が、公民館報に掲載拒否されるなんて事件も最近のことだ。
 どうも、キナ臭い時代。“自粛警察”などというイヤな風潮がSNS上に跋扈する。

内も外も嵐だ…

 内を見れば、コロナ禍での政治の頼りなさばかりが目立つ。終息の気配を見せぬ新型コロナウイルスの蔓延。そして切り札とされるワクチン接種の手続きも、いまだ決まっていないという有様だ。
 「日本スバラシイ!」を世界にアピールするはずだった東京オリンピックの無惨な泥沼。女性蔑視が日本の伝統文化(!)であるようなイメージを世界にばら撒いた森五輪組織委会長はやっと渋々退任したが、その後継会長を巡るゴタゴタ。いったい世界にどれだけ恥を晒せば気が済むのだろう。そういう意味では確かに、日本スゴイ!
 菅首相の長男・菅正剛氏の総務省高級官僚への接待疑惑が浮上したが、官僚たちは「調査中」を理由に、答弁を拒否する。「刑事訴追の恐れがありますので、お答えは差し控えさせていただきます」と、蛙のツラになんとやらの佐川宣寿元国税庁長官の答弁などと同じ場面、アベ国会で繰り返し見た光景だ。あの「アベ桜」や「森友加計事件」などの地位を利用したお友だち優遇政治となにも変わっていない。
 追い打ちをかけるような福島や宮城での震度6強という大地震。2011年3月11日の東日本大震災と「福島第一原発過酷事故」を思い出し、肝を冷やした。
 そんな状況にもかかわらず、次々と再稼働へひた走る稼働40年超の老朽原発(高浜原発1号機2号機、美浜原発3号機など)。恐れを知らぬバカ者ども、とぼくはそんなニュースに接するたびに思うのだ。
 なんとも背筋が寒くなるようなことばかりが頻発する。
 外を見ても同じだ。
 ミャンマーのクーデターと大衆の怒りのデモ、トランプ前大統領の2度目の弾劾裁判、プーチン大統領の政敵の検挙と反プーチンデモ、タイでも反王室デモ、中国の香港抑圧やウイグル人弾圧の凄まじさ。
 島崎藤村ではないけれど「家の内も、外も、嵐だ」(小説『嵐』より)なのである。

 アメリカは「五輪参加は科学的根拠に基づいて判断する」と言う。
 日本は「コロナがどういう形であろうと、五輪は必ずやる」と特攻精神。
 ぼくは特攻精神なんて、御免こうむりたい……。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。