第549回:なぜ、57歳母と24歳の息子は死んだのか〜「八尾市母子餓死事件」の調査のため、八尾市に〜の巻(雨宮処凛)

 新型コロナウイルスがこの国でも広がり始めた2020年2月22日、大阪府八尾市のアパートで、親子2人の遺体が発見された。

 亡くなっていたのは、57歳の母親と、24歳の長男。

 死後1ヶ月以上経過していた母親の死因は急性薬物中毒で、自殺とみられている。死後10日ほどだった長男の死因は低体温症。母親の遺体の近くで1ヶ月近く生きていたようだが、誰にも助けを求めることなく亡くなった。部屋のガスと水道は止まり、冷蔵庫はほぼ空だった。

 「八尾市母子餓死事件」。通常であれば大きく報じられただろうが、コロナ禍で、この事件はそれほど注目されなかった。しかし、多くの人が事件のことを忘れていく中、生活保護問題の専門家らによって「八尾市母子餓死事件調査団」が結成され、これまで公開質問状を出すなど事実解明に力を入れてきた。そうして事件発覚から約一年後の2月16日、調査団メンバーと八尾市との話し合いが行われるとのことで急遽八尾市に行き、話し合いの席に同席した。

 ここで調査団の資料や報道などから事件までの経緯を振り返ろう。

 親子が生活保護の利用を始めたのは07年。当時は父親が生きており、親子3人での利用だった。が、18年、父親が死亡。ここから母と長男、2人での生活が始まったようである。

 しかし、事情は少々複雑だった。まず、この時点で生活保護を利用していたのは母親のみ。長男は生前、職を転々としていたようで、いずれも長続きしなかったようである。

 ここで基本的な説明をしておくと、生活保護を利用すると、働ける人には「就労指導」がなされる。若い長男にも当然指導があったのだろう。寿司店、電気工事、金属塗装、医療事務、パチンコ店、木工所、コンビニなどで働いていたことがわかっている。が、職については辞める、というのを繰り返していたらしい。

 そうなると、役所にとっては少々面倒なことになる。

 例えば月の稼ぎが最低生活費を上回れば生活保護は廃止となるが、上回らない場合は廃止とはならない。働いた分は収入認定され、最低生活費に足りない分は引き続き保護費が出る(それでもまったく働かないより働いた方が得られる額は多くなる)。そうして仕事を辞めて貯金もなければ、再び保護費が全額出る。

 働き始めては少し経つと辞め、また働き、ということを繰り返していれば、そのような手続きは役所にとって煩雑なものだっただろう。同時に、役所にとって仕事が続かない長男は、「面倒で厄介な存在」になっていたかもしれない。だからなのだろうか、ある時期から、不思議なことが起こり始める。それは実態とは違うとしか思えない住民票の移動だ。

 例えば18年11月、長男は木工所で働き始める。この際、彼は祖母宅に転出したとされて「世帯員削除」され、その後は母親が一人で生活保護を利用している。

 「働き始めると長男の住民票が祖母宅に移る」ことは、それ以前も行われていたようだが、肝心の祖母は「孫と暮らしたことは一度もない」と述べている。それだけではない。祖母は「住民票だけ移すよう市から言われたと聞いた」とも言っている。

 このことから、長男は母親と2人で暮らしていたと考えるのが自然だ。実際、母の友人や長男の友人も「母と長男は常に一緒に行動していた。長男が祖母宅に行ったとは考えられない」と述べている。親子は仲が良く、足の悪い母親にいつも長男が肩を貸し、また長男がゴミ出しをし、毎朝のように親子がともに出かけていく姿を近所の人に目撃されている。ちなみに母親は変形性膝関節症の手術を受け、介護度は「要支援2」。働ける状態ではなかった。

 そんな親子の生活がいよいよ逼迫していくのは19年からだ。

 1月、長男は勤務先を休みがちとなり、月末には辞めてしまう。3月、料金滞納によって部屋の水道が止められてしまう。翌日、停水は解除されたが、5月にも再び水道が止まり、また同月、家賃滞納で家主から部屋を追い出されてしまう。

 その後、親子は公園で寝泊まりするようになるのだが、この頃、親子は友人に助けを求め、泊めてもらうなどもしている。その時、母親は「駅前ホテルで飛び降り自殺を試みた」ことを友人に語っている。

 なぜ、水道が止まり、家賃滞納で追い出されるまでに困窮していたのか。それは2人が「母親一人分の生活保護費」で暮らしていたことが原因と思われる。ここまで困窮していても、長男は生活保護を利用できていなかったのだ。

 6月には、汚れた洋服の親子が、突然八尾市役所を訪ねてきた。なんとか助けてほしいとの思いで役所を頼ったのだろう。しかし、そこで役所から親子に突きつけられたのは「一括で20万円を返せ」という要求だった。前年暮れ、母親には役所から転居費20万円が支給されていた。父親が亡くなったことで転居指導され(世帯人数が変わると家賃の上限額が変わるため引越しを指導されることがある)、その費用として支給されたお金だ。が、それを使い込んでしまったのだ。

 もちろん、保護費の使い込みは責められるべきことだ。が、路上生活をしていた親子が一括で20万円など返せるわけがない。母親は分割払いを求め、月2万円ずつ返還していくことが決まった。

 そうして7月5日、親子は遺体発見現場となるアパートに移り住む。やっと路上生活を脱したわけだが、この時、長男の生活保護は再開されず、母親の生活保護だけが再開される。またしても「一人分の生活保護費で2人が暮らす日々」が始まったわけである。

 さて、ここで長男の友人の話に触れておこう。生前、長男は友人に、役所の人から以下のように言われたと語っていたという。

 「就職したら住民票を祖母宅に移し転出したことにすれば、保護費を減らされることなく給料を全額使える」(生活保護を利用していて収入があると収入認定されるので、給料額が少なくなる)。

 また、長男が仕事を辞めた際、友人は「お金を貸してほしい」と言われている。それに対して「生活保護に戻ったらいいやん」と言ったところ、役所から「これ以上かばいきれない。何度も見逃すことはできない。生活保護から外れたままでいてほしい」と言われたと話したそうだ。ただ、その後、困窮が極まった長男は再び保護を利用しているのだが、仕事を始めると世帯員削除され保護から外されている。

 このような経緯を経て、再び始まった「一人分の保護費で2人が暮らす」生活。その上、そこから毎月2万円が返済に消えるのだ。八尾市の基準額では、一人分の生活扶助費は7万6310円(家賃は別)。ここから2万円引かれると残りは5万6310円。光熱費や携帯代、2人分の食費、生活費をまかなうには到底無理な額である。

 19年7月には、長男のLINEアカウントが消滅。スマホを維持できなくなったからだろうか。母と長男は友人宅に食事やお風呂の提供を求めてたびたび宿泊していたそうだが、秋頃を最後に連絡も途絶えてしまう。11月にはまたしても水道が止まる。そうして12月末、1月分の保護費が支給される日、毎月、役所の窓口に生活保護費を受け取りに来る親子は姿を見せなかった。この日、窓口で保護費を受け取る147人のうち、来なかったのは26人。しかし、最後まで連絡が取れなかったのは、この親子だけだった。

 年明けの20年1月8日、役所の職員が部屋を訪れるが応答はなし。1月15日、料金滞納でまた水道が止まる。おそらくこの頃、母親は処方されていた薬を大量服薬して死亡。

 2月はじめ、生活保護の支給日に親子はまた現れず、役所の職員が自宅訪問をするが応答なし。2月18日には「失踪」したものとして生活保護の廃止が決定される。

 親子の遺体が発見されたのは、その4日後、2月22日だった。母親は布団で、長男は隣の介護用ベッドであおむけに倒れていた。解剖の結果、母親は死後1ヶ月以上、長男は死後10日ほど。長男の死因は低体温症で、母親は急性薬物中毒。部屋には薬の空袋が大量に残されていたという。

 母親の遺体を前に、食べ物もなくガスも水道も止まった部屋で、長男はどんなことを考えていたのだろうか。誰かに助けを求める気力さえ、失っていたのだろうか。

 21年2月16日午後3時、八尾市役所の会議室で、八尾市母子餓死事件調査団と八尾市との話し合いが始まった。

 調査団メンバーを迎えるのは、八尾市の生活福祉課長と、課長補佐。

 そんな2人と向かい合って座るのは、生活保護問題対策全国会議代表幹事で弁護士の尾藤廣喜氏、同じく全国会議事務局長で弁護士の小久保哲郎氏、花園大学教授で生活保護のケースワーカー経験もある吉永純氏、八尾社会保障推進協議会会長の矢部あづさ氏。多くが07年の北九州餓死事件や12年の札幌姉妹餓死事件の際も調査団を作って役所に乗り込んできたという、エキスパート中のエキスパート。

八尾市母子餓死事件調査団が、生活福祉課長に要望書を提出

 最初に小久保さんが概要を説明し、問題点に切り込んでいく。

 ひとつめは、「長男がいるのに母親の保護費しか支給していなかったこと」。

 こういう状況だったことは認めるか、との問いにしばらく沈黙した課長は、「細かいことは申し上げられませんけど、報道されてる通り単身世帯ということで保護を適用しておりました」と回答。では、「住民票だけ祖母宅に移すように市から言われていた」件はどうなのか。これを問い詰めると、「こういう事実関係があったか確認とれてないんですけど」と回答。事件から1年も経っているのに、当時の担当者に確認さえしていないことを自ら暴露する自爆芸を披露したのだった。

 これには全員が驚き、慌てたのだろう課長補佐が課長にこそこそと耳打ちする。その姿を見て、私は久々に「船場吉兆のささやき女将」を思いだした。

 さて、「ささやき補佐」の耳打ちを受けると、課長は当時の担当者に「確認した」と、突然主張を180度変えたので、またしても驚いた。

 ではいつ確認したかと問うと、その答えは鮮やかに二転三転。その度に課長は、「都合が悪くなると黙りこむ」という、近年あまり見ないタイプのわかりやすい狼狽をする。秒数にして、17秒、18秒と沈黙が続く。ラジオだったら放送事故になるレベルだ。しかも、課長と課長補佐の言い分が全然違うこともあり、そのたびに調査団から失笑が漏れる。「墓穴コンビ」と名付けたいくらい、墓穴を掘ることに関してのみ、息が合っている。

 呆れながらも、同時に衝撃を受けていた。

 2人が餓死するという大事件である。しかも、これまで私たちが調査をしてきた「生活保護を受けられずに餓死」「生活保護をむりやり辞退させられての餓死」ではなく、生活保護を利用していたにもかかわらず、起きた餓死事件である。それなのに、事の重大さを認識しているとはとても思えないのだ。しかも、この件は昨年末、朝日新聞で5回にわたる連載で大々的に報道されていて、世間の注目度は改めて上がっている。

 そして今日、先鋭揃いの調査団が乗り込んでくることがわかっているにもかかわらず、課長も課長補佐も、まったく「対策」さえしていないのだ。その証拠に、当時の担当者への確認もしていない上(のちに「確認した」と言い始めたが)、2人はなんの口裏も合わせていない。口裏を合わせることがいいとは言えないが、少なくとも「こういう質問にはこう答えよう」という話し合いさえなかったことがよくわかる。とてもじゃないが、2人の死を真摯に受け取め、再発防止に取り組もうという姿勢には思えないのだ。

 次に調査団が切り込んだのは、「月2万円もの保護費を返還させていたこと」。

 前述したように、そうなると2人の生活費はわずか5万6000円ほど。

 しかもこの「2万円」という返還額には大きな問題がある。生活保護法では、返済額が「最低限度の生活を維持できる範囲」でなければならないと定められているからだ。厚労省はその目安額について、単身の場合で月5000円としている(平成30年10月1日課長通知)。しかし、今回はその4倍の額を返済することになっていたのだ。しかも、実際には2人で暮らしていたのに。生活が破綻することは容易に想像できただろう。

 この問題について問うと、課長は突然「個人情報」を持ち出してきた末に、34秒の沈黙。この日の最長記録だ。

 次に問うたのは、「2ヶ月にわたり保護費を取りに来なかったのに安否確認を怠ったこと」。

 生活保護を利用する人が保護費を取りにこないことは一大事である。お金に余裕がある人がコロナ禍での給付金を受け取らないなどとは話が違い、唯一の命綱を手放すようなことである。「何かあったのでは」と身構えるのが普通だろう。しかし、職員は2度自宅を訪問しているが、連絡票を投函しただけで、鍵のかかっていない部屋には立ち入らず帰っている(二度目は室内をのぞいているが異変には気づかず)。

 この「部屋の鍵が開いていた」事実に、私は胸を突かれた。もしかしたら親子は、「誰かが来てくれるかもしれない」という一縷の望みを抱いていたのではないだろうか。だからこそ、不用心でもあえて部屋の鍵を開けていたのではないだろうか。1月の訪問で職員が部屋に立ち入っていたら、2人はおそらくまだ生きていたのだ。少なくとも、長男は確実に生きていた。

 この件に関して、八尾市では「安否確認マニュアル」を作成中だそうで、そろそろ完成するところだという。このマニュアルに関して、法律家や学識者など外部の専門家の意見も取り入れて作ったかと調査団が聞くと、「あくまでも内部が中心になって」作ったとのこと。先進的な自治体のものも特に参考にはしていないという。自分たちのやり方にそれほど自信があるのか、あるいは自浄作用がないということなのか、これは現物を見てみるまではわからない。

 次に調査団が指摘したのは、八尾市では生活保護を廃止する人の中に「辞退」での廃止が異常に多いこと。

 07年、北九州市で生活保護を「辞退」させられた男性が「おにぎり食べたい」とメモを残して餓死する凄惨な事件が起きたが、この事件を受け、厚労省は「辞退」廃止は慎重にするようにという旨の通知を出している。本当に本人の真摯な意思があるか、保護を廃止して生活ができるかどうかをしっかり確認しなくてはならないというものだ。

 このことを問うと、課長は他の市と比較して辞退が多いことは認めたものの、今後は「辞退廃止」ではなく「他の理由での廃止」としていきたい、というようなことを発言。一同「おいおいおいおい」と心で突っ込みつつ身を乗り出したのだった。辞退廃止が問題なら、他の理由での廃止にするって、それ、なんの解決にもなってない。廃止させるべきじゃない人の保護を廃止しなければいいだけの話である。適正に、法に則ってやればいいだけの話だ。そうすれば、餓死事件なんて起こりようがないのだ。

 さて、そろそろ時間だ。話し合いの最後、「第三者による検証委員会の設置」を求めると、課長は妙に堂々と言った。

 「それは考えてないです。内部で検証していきますんで」

 そうして、一時間にわたる話し合いは終わった。

 これまで、調査団は多くの自治体に申し入れなどをしてきた。

 私自身も、北海道札幌市の餓死事件をはじめとして、ジャンパー事件があった神奈川県小田原市や、利根川一家心中事件が起きた埼玉県深谷市などに申し入れをしてきた。

 そんな中、小田原市は申し入れなどを受けて大きく変わった自治体だ。市長の判断で検討会が設置され、小田原市の生活保護行政は大きく改善されたと聞く。

 調査団メンバーが乗り込んだ北九州市も、餓死事件を受けて検討委員会が開かれ、さまざまな提案がなされて改善の方向に向かったという。また、三重県桑名市で餓死事件が起きた際、職員は真摯に反省し、調査団の意見を受け入れて研修をするなど変わっていったという。

 そんなふうに、悲しい事件を受け止めて変わっていく自治体がある一方で、まったく変わらない自治体もある。それどころか、「勝手に死んだ」と他人事感たっぷりの自治体もあったし、自分たちが被害者面をするようなところもある。

 菅総理は、国会にて「最終的には生活保護がある」と述べた。しかし、その最後のセーフティネットが、利用していても餓死してしまうようなものであれば、それは公助が機能しているとはとても言えない。

 最後に。

 今回の調査で胸が痛むのは、長男の24歳という若さだ。

 これまで調査団や申し入れで関わった事件の中で、もっとも若い死者である。

 可能性は無限にあった。足の悪い母親をいつも助けていた優しい長男なら、彼に合った支援が得られていたら、いくらだってなんだってできただろう。少なくとも、困窮の果てに母親の遺体の側で若くして命を落とすような最期は迎えずに済んだだろう。

 八尾市からの回答は、1ヶ月後くらいには来る予定だ。引き続き、この事件を追っていきたい。

調査団メンバーと。左から吉永純さん、小久保哲郎弁護士、私、矢部あづささん、尾藤廣喜弁護士。調査の翌週の2月22日、大阪地裁では生活保護引き下げ違憲訴訟(いのちのとりで裁判)で原告が勝訴! 小久保弁護士はこの裁判の弁護団副団長、尾藤弁護士と私は「いのちのとりで裁判全国アクション」の共同代表。嬉しい判決に胸がいっぱいになりました

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。